六話 修羅場②
屋敷の一室で、長い間離れて暮らしていた姉妹は、初めてと思われる静かな時間を、同じ部屋で過ごしていた。
ベッドに座り膝を抱えるような姿を見せるネーマの乱れた髪を、私は後ろからブラシで優しくとかしていく。
「姉さま?」
「なんだい、マイシャ」
「そろそろ夕食ですわよ。何か食べませんと、力が出ませんわ」
「今は食欲が無いんだ」
レグティア様の話だと、精神にかけられた魔法は反動が大きいらしい。
屋敷に連れてこられた時は混乱していた様子だったが、だいぶ落ち着きを取り戻している様に思える。
ネーマ姉さまはしきりに首輪を気にしているようだった。そのしぐさに胸が痛む。
奴隷の首輪を見た瞬間、オフスを恨みもしましたけど、でも、これは仕方がないのかもしれない。
あのまま残り、自白の呪文をかけ続けられていたらと思うと、ネーマ姉さまはどんな風になってしまっていたのか想像がつかない。
「後で軽い物をお届けしますわね」
なるべく優しく答える。
私の胸にあった今までの姉妹のわだかまりは、なぜか消えていた。
今の姉を勇気づけられるのは自分でなくてはならないと思えるのだ。
不意に姉さまはポツリと呟く。
「なぁ……。マイシャは、幸せかい?」
「ええ、なぜそんな事聞きますの?」
髪を解くブラシの手を止めてそう聞き返すと、震えるような返事が返ってくる。
「オフス君にマイシャを預けたのが、間違いだったんじゃないかって思ったのさ……」
きっと、姉さまに嵌められた首輪の事を言っているのに違いない。
オフスはどうしようもなくエッチだけど、ちゃんと相手を尊重する男だ。それを私は知っている。
私は自分の左腕の袖をまくりメンテナンスの要領で偶像甲冑の左腕を切り離す。
そして、その何もない左腕を姉さまの目の前に差し出した。
「彼と一緒にいますとね。私は私でいる事が、きっと奇跡なんじゃないかって思いますのよ」
「…………」
姉さまは私の腕を見つめていた。
「私はこの手で、オフスの心に触れる事ができますわ。だからハッキリ分かります」
この偶像甲冑はオフスの作ったものだ。
そして偶像甲冑の操作は遠隔でオフスもできる。それは常に身に着けている私が一番分かっている。
だけど、ただの一度もオフスはそんな事は言わないし、私から制御を奪ったことも無い。
たぶんこれからもしないだろう。きっと、私がオフスの首を締めあげて殺してしまったとしても……。
「オフスはちょっと変っていますわ。ずっと誰かのためを思っているんですもの」
「考えすぎだよ……」
私には確信があるのだ。
自分の胸の青いラピスからそう感じられる思いがある。
きっとそれは私より先にリノちゃんやリーヴィルさんが感じていたオフスの想いに違いない。
「でも、これだけは言えますわ。今オフスは、ネーマ姉さまをとっても気にかけてます。きっと悪いようには致しませんわ」
「わかったよ……。なぁ、マイシャ」
「なんです?」
ネーマ姉さまは深くため息をつく。
「後でオフス君に会わせてくれないか?」
「ええ……。わかりましたわ」
そう言うと、それ以上言葉をかけず、私は後ろから優しく姉さまを抱きしめたのだった。
◇ ◇ ◇
俺たちの楽しい夕食の時間、なのだが少しだけいつもと違う雰囲気が流れる。
今日は豪華な夕食と言うわけでは無い。今まで通りなるべくシンプルで質素な食事にしてもらっている。
贅沢は、なんか俺の心が満たされないんだよな。
だけど、いつもと違う空気は質素な食事のせいじゃないのだ。
「オルトレアさんいらっしゃーい!」
そんなアイリュのぎこちない掛け声と共に、ささやかな我が家の夕食が始まる。
そう、この微妙な雰囲気を作り出しているのはオルトレアさんの存在だ。
なんとなく女性陣はみんな不満そうな表情をしている。レグちゃんはそうでもないかな?
「オフス? オルトレアさんはいつまでいらっしゃるのかしら?」
「え? いや、その……。マイシャ、なんというか……」
「ずっとです」
オルトレアさんは、口元をナプキンで覆うとそう一言呟いた。
「「ずっと?!」」
マジで? そんなの聞いてないよ?
マイシャと、アイリュの二人のリアクションがすごい。
二人とも、顔を赤らめたと思うとすぐに青ざめる。忙しい顔色だ。
なんとかフォローしないと!
「なんていうか、ずっとでいいじゃないか? ニーヴァの女性って俺、初めてだし。こんなに可愛い人なら大歓迎だよ!?」
「オフス! それはどういう意味よッ!」
「今は姉さまもいるのですから、節操が無いのは困りますわ」
「そうよ! 初夏なんだし気をつけてよね!」
初夏ってなんだ?! それよりヤバイ、素直に言い過ぎたかもしれない。
アイリュとマイシャの表情が険しさを増してくる。
俺は自分に嘘がつきたくないだけなのに……。
助を求めようとリノちゃんを見てみるが、グゥちゃんを膝に乗せて黙々と食事を続けている。
冷たい表情が全てを物語っているようだ、これが完全無視ってヤツだな。
レグちゃんは目の前の料理をつつきながら、熱くなる二人に冷ややかな言葉を浴びせてくる。
「マイシャ、アイリュ、もうあきらめるんぬ。ネーマもオルトレアもオフスの毒牙にかかったんぬ」
「レグちゃん! そんなウソダメだろ?! しかもなんで棒読みなんだよ!」
殺意とも取れる二人の視線が、俺に鋭く突き刺さる。
「毒牙って……。まさか! それ、過去形な訳?! ちょっとオフス説明しなさいッ!」
「そんなッ! ネーマ姉さまだけはいけませんわ!」
「ん。へんたい」
オルトレアさんは俺の方を見ていたが、助けを求めるように視線を動かすと冷たい表情で顔を逸らしてしまう。これが完全無視ってヤツか……。
今の俺には味方がいないのか?
なら自己弁護するしかない!!
「いや、まだだ! まだ何もやってない! 誤解するな!」
「もう! 『まだ』って事は『いつか』って事なんでしょ!?」
「いや、違うって! おいっクエリ、フォローしろ! こんな時くらい役に立て!」
アイリュの食卓の脇に座るクエリドールは俺を見ると小首をかしげる。
「はい。クエリは健全な生殖活動を応援します」
「バカッ! こういう時は、気を利かせて違うこと言うんだよ! レグちゃん頼むよ、誤解を解いてくれよ!」
レグちゃんは、頬を膨らませるとプイっと横を向く。
「これから手を出すのだから、最初に言っておいた方がいいんぬ」
黙々と食事を続けるリノちゃんの膝の上で、グゥちゃんはあどけない表情を皆に向ける。
「リノお母さん、お父さんどうしちゃったの?」
「ロウフォドリーには無いが、これはきっと男女の修羅場というやつじゃな」
冷静に状況分析をするリノちゃん、ただその言葉には何故か棘があった。
給仕をするエリアスナスさんも物珍しそうに俺たちの修羅場を見学している。
「リノちゃん! そう言う教育はダメだから!」
「こういうのは反面教師というのじゃよ。人生に必須の学びの機会じゃ」
何言ってるんだよリノちゃん……。やばい、このままじゃマズイ!
女性が二人増えただけでなんでこんなに荒れるんだ?!
”七人”じゃないからか? エリアスナスさんが来たときは荒れなかったろ?
クソッ。こうなったら奥の手を出すしかない!
「大丈夫だ! 誓えるもの全てに誓って何もない! これからもネーマさんやオルトレアさんとは仲良くしていきたい。それだけだッ」
「オフス!? それオーヴェズに誓える?」
「誓える!」
「ヒェクナーにもですわ!」
「絶対に誓えるッ!」
偶像騎士に誓えば、間違いなく信用されるだろう。
偶像騎士への誓いというのはそれだけ尊いものなのだ。
「なら許して差し上げますわ」
「仕方ないわね……」
よし! ありがとうヒェクナー。ありがとうオーヴェズ!
落ち着きを取り戻した二人に、俺は引きつった笑顔を向ける。
「まぁ、そんなわけでオルトレアさんもよろしく頼むよ。一応ガルラド将軍との連絡役だ。オルトレアさんもみんなを家族だと思っていいからさ」
「よろしくお願いいたします。先輩方」
そう言うオルトレアさんにアイリュが怪訝な顔をする。
「ん~。なんか引っかかるわね。オルトレアさんって服とか貴族っぽそうな感じなんだけれど」
「噂で聞いたことはありますわ。オルトレアといえばヴァンシュレンではそれなりに有名な女剣士のはずです」
マイシャがそう答えると、レグちゃんが話し出す。
「オルトレア=トフォース。ヴァンシュレンで優秀な騎士を輩出する名家の出だ。最近婚約を破棄されて赤竜騎士団に配属されたと聞くんぬ」
「訂正させていただけませんか? 自ら破棄したのです。大聖母レグティア様」
「そうであったかぬ。失礼したんぬ」
とぼけるレグちゃんだが、オルトレアさんの態度を見れば、ある程度事実だって事が見て取れる。
マズイ。マズイぞ?! それって嫁入り前でケチがついて軍に入れられて、俺の所に来たって事じゃないか?
一生かかっても稼げない大金に絶世の美女。これって完全にハニートラップとか言うヤツだよな。絶対罠だって。
手を出したらダメだし、手を出さなくても俺の家にいる時点でガルラド将軍にとっては既成事実完了ってことか。家柄とかあるみたいだしな。
完全に詰んでるってばッ!
「ん。オフス多分もう遅いよ? 手遅れだよ」
「ですよね~」
リーヴィルの言葉に俺の口から乾いた笑い声が自然と漏れ出す。
さっきのレグちゃんのセリフも、もう諦めてるって事だよな。ハハハ。
相変わらずピリピリした食卓の雰囲気も何とかしなきゃいけないぞ?!
これから延々と続くだろうこの女性同士の緊張感に、深く溜息をこぼす。
今は口元に運ぶスープの温かみが、俺の唯一の救いだった。