七話 メシエの悪夢
次の日も、また次の日もイリスは喫茶店にはやってこなかった。
彼女のネットワークアドレスは全て封鎖されていた。直接連絡を取る手段はない。
クラスメートに聞いても、知らない、聞いてないの返事しかもらえない。
ただイリスと同じ政府管理の人工人類の奴からは、『誰にも言うな』ときつく念を押された後、『数日で会えるだろう』と言ってくれた。
俺はそれを信じ、病院の後、今日も喫茶店で暇をつぶしていた。
今日は雨だ。夏の雨は今の俺と同じで、じっとりとした気配を漂わせる。
『誰にも言うな』か、誰かに言えるわけないだろう。
政府管理だかなんだか知らないが、俺はイリスを人質に取られているようなもんだ。
寝ても、覚めても……イリス。……イリス。そんな事ばかり考えている。
ハハ、俺もイリスと同じでおかしくなってしまったのかもな。
いくつか、流行の服を選んで買い。寝ぐせはなぜか丁寧に毎朝直す。シャンプーなんかも変えてみた。
いくつも相談したい事や、イリスに聞いてみたいことが頭の中に浮かんでは消えを繰り返していた。
まったく……。俺は……。一体何をやってるんだ?
夕方が近づくころには、雨もあがっていた。今日もそろそろ帰るとするかな。
喫茶店を出ると、軌道エレベーターにかかるように虹が姿を現す。
その姿はとても綺麗だった。
「ミクニ」
聞きなれた声につられて振り向くと、そこにはイリスの姿があった。
イリスは少しおとなしめのワンピースにチョーカーを巻いている。
俺のラピスに送られてくるチョーカーからの信号は、保護観察処遇者の警告だ。
犯罪者扱い……? だと……?
「イリス、お前……」
「ちょっと規約違反を甘く見えていたよ。ただいま、ミクニ」
「ああ、……ああ! お帰りイリス」
俺はイリスを抱きしめた。
ずっとそうしたかった。色々な事を言いたいはずなのに、なぜかそんなことはどうでも良くなってしまった。
彼女も俺を抱きしめてくれた。
彼女は、いつも俺に威張っていて、なんだかんだと突っかかってくる奴なのに。
俺の手にすっぽりと収まってしまうような存在だった。
「こんな時間まで、待っててくれたのかい? すまない、すぐまた会えると思ったんだけど」
「そんな事はどうでもいいんだよ。今こうしている時間の方がとても大切さ」
イリスは俺から離れる。
「今日は様子を見に来ただけのつもりだったんだ、もう戻らないと……。またな、ミクニ」
「まて! イリス!」
離れようとするイリスの手を俺は掴む。
「明日も待っている。あと……」
イリスは俺の目を見てくれた。
「俺も、お前の事が好きだ」
イリスは微笑むと「また」といい、足早に去っていく。
俺はそんな背中を見送る。
ここ数日止まっていた俺の時間がまた動き出したような、そんな気がしていた。
虹は、もう出ていなかったが、空は綺麗な夕焼けを映し出していた。
◇ ◇ ◇
それから、夏休みの間中、彼女の時間が許す間中、俺たちは毎日会っていた。
ほら、夏休みは彼女と一緒に過ごすんだ! とか良くリア充の奴らは言うよな?
そんな時間が俺にも訪れたのだ。いかん。俺、爆発してしまうかもしれない。
規約違反の経過観察処遇は二週間なのだそうで、夏休みの終わりの方にはもうチョーカーは外れていた。
ただ次の規約違反時には性格調律処置となるらしい。
聞こえはいいが要は重犯罪者用の人格改造処置だ。
俺は、規約に違反することがあったらすぐに言ってくれとイリスに念を押してある。
間違いがあった後では遅いのだ。
俺たちの最近のトレンドはお家でデートだ。
家族に内緒で……。と思ってはいたがイリスを呼んだ当日にコミチにばれてしまった。
女のカンと言うやつなのだろうか? 聞くとどうやら匂いで分かるらしい、ある意味凄いよな。
妹のコミチは「やるじゃん兄貴! 絶対振られるんじゃないぞ」と謎の圧力をかけてくる。
うむ、コミチは俺を分かってるな。俺は振られるようなことはあっても、振る勇気などはない。どっちにしろダメじゃん俺。
門限も九時までなので、ここ数日イリスは夕食を俺の家で食べて帰っている。
宿題なんかはイリスと一緒に時間を過ごすうちにあっという間に終わってしまった。
あ、ちなみに清い交際だぞ? まだ手しか繋いでいないからな?
今の時代、恋愛は古い習慣だと定義づけられている。
両親の様に恋愛結婚で生まれた俺のような旧人類は、いじめの対象になりやすいくらいだ。
最近の新生児センターで生まれる人工人類は、両親の遺伝子の適合性。性格のマッチング。最近だと霊子の相性なんかも見るらしい。
当然両親は書類上の婚姻関係で、お互い顔を合わせることもなければ、性に関しても束縛されないのがセオリーだ。
だが俺は、こうやって一人の女の子を好きになると、他の女の子を好きになるとか全く考えられなくなる。
これは自然の摂理なのだというが、自然の摂理、超最高だぜ!
父さんと母さんにもイリスを紹介したが、二人とも恋愛結婚だった為、嫌な顔をされずに済んだ。
嫌だと思ったこともあるけど、俺は恵まれた家庭環境だったんだな。
でも俺、時代に逆行してるよな。イリスは……。それでいいんだろうか。
政府公認の優秀な人工人類イリス。
俺はそんな彼女の横顔を見つめて、少しだけ不安を抱えていた。
◇ ◇ ◇
そんな幸せな夏休みは、今日で終わりだ。
イリスは、エプロン姿で母さんと一緒に台所に立っている。
自動調理器のフレーバーは、俺の好きなおろしポン酢ステーキ味でお願いしていた。
合成肉もそろそろ焼きあがるのだろうか、二人とも楽し気に会話をしながらお皿を用意している。
ちなみに二人の会話内容は三角コーンの縞模様の入れ方についての論議だ。
母さん、イリスを変な風に洗脳しないでくれよな……。
エプロン姿のイリス、いいよな。
おしりとかすごくえっちに見えてしょうがない。
俺も健全な男の子なんだよなぁ。
にやけていると、イリスが俺に振り向く。
「ハジメ、皿を並べるのを手伝ってくれないか?」
「お、おう!」
「イシシ。こりゃ兄貴は尻に敷かれちゃうなぁ」
「コミチはほっとけ!」
いつの間にか俺は、ミクニではなくハジメと呼ばれるようになっている。
下の名前で呼ばれると、なんだか心が安らぐのは何故なんだろう?
食卓に並ぶ生野菜は、自分の家で取れた自家製スプラウトだ。
普段はビタミン剤や増粘剤で成形された合成食品だが、今日は贅沢だな。
合成肉の付け合わせにはジャガイモも使われていた。
大根やニンジンなどの根物野菜は土壌が汚染されている為流通量が少なく手に入りにくい。
最近研究所に詰めていた父さんが帰ってくると、皆で夕食を取る。
和やかな夕食だ。
あれ? いつぶりだったかな、こんな食事は。
いつぶり? ……あれ?
今俺は食事をしてるだろう?
父さん。母さん。コミチ。
ああ、そして俺の隣にいるイリスだ。
「ねぇ、イリスさん。ちょっと行先不安な兄貴だけどお願いしますね? ちょうど私、お姉ちゃんが欲しかったんだ~」
「いやいや、コミチが言う事じゃないだろ? それに俺だって普通に卒業や就職位できるよ」
「ハジメ。父さんはな、応援してるぞ? ついに自分の心の叫びに正直になったんだな。あとちゃんと責任は取るんだぞ?」
「ブッ。食事中に言う話じゃないだろ? 父さん!」
「あらあら、子供服注文しなきゃ」
「いや! 違うから母さん、まだ、ないからそんなの! ちょっとみんな! 大らかすぎるだろうが! それにイリスが迷惑だろう!」
「うぉぉぉぉぉっ」
父さんは何を興奮したのか、上腕筋をみちみちと膨らませ始める。
ヤバイ。タンクトップがまたはち切れそうだぞ?!
慌てて妹が制止の声をあげる。
「ちょっとお父さん、興奮しないで!」
俺は隣にいるイリスを見る。
何を言われたか分からない感じできょとんとしていたが、次第に顔を真っ赤にしてしまう。
「あ、あの……。私もお母さんになれるのかな」
その言葉に家族全員の頬が緩む。
「なれますよ。遺伝子的な障害があっても今の技術なら最後に新生児センターに頼める時代だしね」
母さんの言葉にイリスは嬉しそうな表情を作り、涙を浮かべる。
俺が見るイリスの初めての涙だ。
何故泣くのだろう、それは男には分からない感覚なのだろうか。
だけど俺の胸の内は、そんなイリスを精いっぱい守ってやりたいという気持ちでいっぱいになっていた。
◇ ◇ ◇
食事の後、イリスと俺の部屋に戻る。
俺の部屋から学校に通うわけにもいかないし、イリスが夏休み中に少しづつ持ち込んだ私物を片付ける。
あとで小包で送るつもりだ。
目の前をメイド一号がちょこまかと歩き回る。
基本的に何の役にも立っていないが、愛らしい仕草を振りまくメイド一号(仮)をイリスはとても気に入っていた。
「この子、いいよな。私にも作ってもらえないかな。ハジメ」
「え? ああ、いいけど時間がかかるぞ? あと既製品の方が多分安いぜ?」
俺たちの前でクルリとステップを踏み、優雅に礼をするメイド一号(仮)。
「性能がいいじゃないか、なかなかこのサイズでここまでの能力はないぞ?」
「あ、ああ。ありがとう!」
ソフトウェアは既製品だが、ハードウェア、特にセンサーは凝りに凝りまくっている。
サーモグラフィを始めレーザー測距器やレーザーマイク、動体センサー、最新式の嗅覚センサーまで積み込んである。
何に使おうとしていたのかは絶対に内緒だ。
イリスには、メイド一号(仮)のパスワードを教えてある。
片付けに飽きたのかイリスは、メイド一号(仮)のコントロール権を取得すると、遊び始めてしまった。
イリスは俺の肩にメイド一号(仮)を乗せると、それはイリスの声でささやく。
「なぁ、ハジメ。やっぱりここから学校に通えないのかな?」
イリスは口を閉じたまま、俺の方を寂しそうに見つめていた。
「それは前も話し合っただろ。規約違反に相当する可能性があるって」
「そうだよな……」
イリスは黙りこくってしまった。
俺もそうしたいんだよ……。
言いかけるがその言葉を飲み込む。
話題でも変えるか。
「そういや、イリスが前に言っていただろ? あれ、なんだっけ。『確かめたい事』だったっけ? 夏休みの初日に病院から出たときに言ってたやつ」
「ああ、そうだ。そういえばそれは結局うやむやにしてしまって、話していなかったな」
イリスはメイド一号(仮)を抱え恥ずかしそうに、言葉を続けた。
「ハジメは……、あの……」
所どころ声が裏返っているぞ。どうしたんだイリス?
「あの……、夏休み始めの、あの時の成人センターで、配偶者希望欄は……私の名前……書いたのか……?」
『キィーン』
え? 耳鳴り? なんだこれ? 何か、俺、この音の事知ってるような?
それよりも答えだ。俺は正直に答える。
「俺は配偶者希望欄は空白で出したさ。だけど俺の場合、成人登録は後で再登録扱いになるから、前の申請は受理されてないんだよ。また申請し直しだ」
突然イリスが声を上げる。
「そ、それじゃあ、私がハジメと一緒になりたいって言ったら、次回申請の時、私の名前を書いてもらえるのか!?」
おい、ちょっと。あんまり大きな声出すと一階にいる家族に変な風に怪しまれちゃうってば!
「お、おちひゅけ!」
俺も舌をかんだ、やばい俺も同類か。
イリスは今も顔を赤くさせながら、俺の目をまっすぐ見据えている。
「私は、家族と言うものがいない。いるけどそれは書類上の存在だ。それはごく当たり前で、世間でもそれは当然だ。だけど私は強い憧れを持っている。ここ何日かこの家で過ごす時間を私はとても大切な物だと思っているんだ」
俺もイリスの目が逸らせず見つめ返す。目を逸らしたらその瞬間に襲い掛かられそうな勢いだった。
「旧人類のハジメが配偶者希望欄に私の名前を書けば、本人同士の同意の元に結婚が認められる」
それは俺も分かっている。自然と喉が鳴る。
夕食の時の会話が思い出される。
俺の顔は火を噴くように熱く、きっとイリスの顔と同じように真っ赤なのだろう。
実際イリスと一緒にいて悪い気はしないし、ちょっと、というか俺の隣にいるのはイリスであることが当たり前になっていた。
今、俺は、この瞬間に、彼女の気持ちに答えてもあげたいと思う。
俺の人生の選択肢は他にも沢山あるかもしれない、でも今以上に重要な選択って今後あるのだろうか。
俺はいろいろ湧き上がる感情をすべて飲み込んで答えた。
「あ、お、俺は、お前の事すごい良いなーって思ってるし。イリスはその、俺と、結婚……とか大丈夫なの、か?」
「ああ、任せてくれ 私が養うよ! ちゃんと良い仕事先も探してあるぞッ!」
「俺もうヒモ決定なのかよ?! お、俺も稼ぐって! ちゃんと!」
このままだと俺は彼女に主導権を取られっぱなしだ。たぶん今後一生……、だめだ早く何とかしないと。
そしてイリスはかわいらしく、ぷく~と頬をふくらませる。
「ハジメは頼りないし、情けないし、お調子者で、学校ではかわいい女の子と見ればすぐに声をかけ、必ず振られて気落ちしてるだろ?」
「うっ、そんなにストレートに言わなくてもいいじゃないか。気軽に女の子に声をかけるのはもうやめるよ……」
「フフッ。でもハジメ、私はそんな君でもいいと思っているよ。家族を作りたいという憧れも強い。だけどね。ハジメは芯が強くて、支えてあげたくなって、それでとても可愛らしいと私は思うんだ」
いや、これってかなり分かりにくいけど、ノロケなんだよな?
クソッ、ずっと今まで、俺に突っかかってきた彼女の言葉一つ一つにそんな気持ちが込められたいたのか?!
イリスが俺に好きだと言ってくれて、一緒になりたいって言ってくれて。結婚しようとか言ってくれて。
いや、それは言われてない。誰が言うのかって、お、俺が言うんだよ!
「じゃ、じゃあ、俺と結婚しようぜ!」
少しの間沈黙した後、イリスは静かに答えてくれた。
「……ありがとうハジメ」
幸せな時間が流れていた。
正座をし、あごを引いて少し緊張した顔をしたイリスは俺に言う。
「わ、私、子供は二人欲しい! 男の子と女の子だ! もう名前も考えてあるぞ?!」
「人生設計早すぎだろ! な、名前はなんていうんだよ……」
「男の子ならジールで女の子ならレテだよ」
「今風すぎやしないか?」
「ハジメの家みたいな名前の方が古すぎるんだって、今風にしておかないと将来子供が可哀そうだ」
「ま、まぁそうか……。いい、名前だ、な」
イリスのやつだいぶ将来まで考えてやがるな?
ま、まぁ嬉しいじゃないか、このやろう。
「ねぇ、ハジメ。私もお母さんになれるのかな?」
「あ……あぁ、なれるさ、きっとちゃんとお母さんになれるよ!」
俺は顔を真っ赤にさせてあたふたする。
もうちょっといい言葉は無いのかよ、俺。
イリスは心配してるんだ、安心させてあげろよ! 俺のバカ!
「うれしいな……」
そう呟く彼女の顔は、俺が見たこの世の全ての女性の笑顔より美しかった。
何物にも代えがたい天使のような微笑だった。
そんな彼女の笑顔を向けてもらえる俺は、きっとこの世の誰よりも幸せなのだろう。
ああ。
急に世界が違和感を覚える。
「あ、あと俺に、最後に一つだけ教えてくれないか?」
「なんだい?ハジメ……」
俺の心が、ひび割れ、裂けて、壊れてしまいそうだ。
俺の口が俺の口ではなくなる。
まるでホログラフから流れ出る、記録音声の様だ。
「イリスが逃げ出したいという訓練プログラムの、内容を聞いてもいいかい」
思い出さないように封じていた、今までの記憶が蘇ってくる。
いやだ、いやだいやだいやだ。
あぁ、あぁもう、終わりなのかい。
クエリ……。
「やっぱり気になるよね? 非公開なんだ。でも、名前だけは公開されてる」
そして、イリスはポツリと言葉を紡ぐ。
「”シエリーゼ”だ」
あぁ……。
やっぱりだ。
◇ ◇ ◇
もう時間も遅い。俺は、彼女を宿舎まで送った。
道中は無言だった。
宿舎の前まで来た時、彼女は困ったような顔を浮かべて俺に話しかけてきた。
「ええと、ハジメは、私といるの楽しくないのかな?」
「い、いやそんなことは……、ない……」
俺は何と言っていいか分からず、当たり障りのないことを呟いてしまった。
俺はもっと彼女に気を遣わないといけないのに。
彼女はそんな俺の思いは気づいてないのか、顔を真っ赤にしてしどろもどろに話を続けてくる。
「ハジメ、あの私……、私の部屋に寄って行かないか? 裏から入れば管理に見つからないだろうし……、そ、そうだ、お茶でも出すよ」
『キィーン』
耳鳴りが聞こえる、そうじゃない。ここは選択の場面じゃないんだよ。
俺は顔を真っ赤にしているイリスを抱き寄せると、優しく唇にキスをした。
「イリス、よく聞いてくれ、俺はお前のことを知っていると思う。イリスは俺より勇敢で、優しくて、とても強い!」
俺はイリスを強く抱きしめながら泣いていた。
俺は言葉を続ける。
「だから、だからイリス! 決して自分を傷つける様なことはしないでくれッ!」
「バ、バカ! 泣くな! 宿舎の前で大声を上げるなッ!」
いつの間にか俺はイリスに抱えられて泣いていた。
「気は済んだかいハジメ……」
「あぁ……ごめん。服、汚しちゃったな。」
「気にするなハジメ。それと私もゴメン。そんなに大切に思ってくれてるなんて思わなかった。……私は自分を傷つける様なことはしないよ? 約束する」
「あぁ、ありがとう……ありがとう」
「また泣くな! そ、それなら、今度はハジメが私をエスコートするんだぞ? 大丈夫か?」
「あぁ! 大丈夫だ! 任せておけ!」
何度も何度もうなずいた。俺はつくづくダメな男なのだと思う。
俺は強くイリスを抱きしめた。
「俺はお前を守る。絶対に」
イリスも俺を優しく抱きしめ返してくれる。
「何をいってるんだハジメ、私より弱いくせに。もっと強くなってからそういうことは言うんだね。それまで私が守ってあげるよ。だから泣かないでくれ、優しいハジメ」
しばらくして、自然と二人の体が離れた。
「それじゃあ私、宿舎に戻るよ」
「あぁ! 俺は強くなる! 二人で幸せな未来を作っていこうぜ!」
俺はとびっきりの笑顔を作ってみせた。
彼女はそんな俺の顔を見ながら微笑む。
「ふふっ、楽しみにしてるよ。大丈夫、これから時間はたっぷりあるから」
彼女は、何度も振り返る。
「おやすみ。ハジメ……」
「ああ、おやすみ……」
最後に笑顔で振り返りながら、……宿舎の中に消えていった。
◇ ◇ ◇
深夜、俺は自分の部屋に戻り鍵のかかった机の引き出しからメイド一号(仮)を取り出す。
設定を変更しメイド一号(仮)を起動させる。
それはクエリ重工へのシステムアクセス設定。最上位のアドミニスター権限、”俺”が知るはずもない設定、”クエリ”との接続を行う設定だ。
「……なぁ、もう時間じゃないのか?」
メイド一号(仮)は微かな稼働音をたてながら膝を折り曲げ座り込むと、俺の方を見上げ答えた。
≪はい、その通りです。先程まで電磁波の影響で、ハジメに関連のある霊子の情報領域との間に、もつれが生じていました。現在は解消しております≫
「そうか……」
≪間もなく凍結を解除します≫
「俺は、帰る……、のか……。その前に、一つだけ、聞かせてくれ……」
≪はい、なんでしょう≫
メイド一号(仮)は首をかしげる。
「シエリーゼのフレーム番号を教えてくれないか」
俺はシエリーゼの改修作業に直接かかわっている。
だからフレーム番号も知っている、だけどもう一度確かめなければいけなかった。
それは……。
≪”Iris00456”になります≫
俺はクエリから顔を背けながら呟いた。
「行こうクエリ。……俺は間違いなく、望んでこの世界に来たんだ」