閑話 労働と対価
吾輩は牛である。名前はまだない。
・・・便宜上、6号と呼ばれることはあるが、それは単なる識別番号であって、名前ではない。・・・はずである。
主には感謝をしている。
食肉となるはずだった吾輩が今こうしてここにいられるのは、他ならぬ主のおかげに他ならないのだから。
初めて会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
元々虚弱で食肉には向いていなかった吾輩には、牧場主も手を焼いていたことと思う。
そんな吾輩を、他の数頭の仔牛とともに買い取ったのが主だ。
平たい顔。
牛である吾輩にもわかる神経質そうな表情。
細い体。
牧場に買い付けにやってくる料理人や商人とは違う雰囲気に、吾輩は強く興味をひかれた。
売れ残り、牧場主を悩ませていた吾輩もどうやら終の時を迎えるらしい。
それにしても、吾輩も含めて、よくもまあ貧相な仔牛ばかり選んだものだ。
まとめて安く買いたたいたのだろう。
せめて、食肉として誰かの胃袋を満足させられればいいのだけど。
そう思った。だが。
吾輩たちが連れていかれたのは、町はずれだった。
そこには平屋というのか、2階のない家と牛舎、豚舎などがまとめて建てられ、広い荒野の一角を占有していた。
「今日からは、ここがあなたたちの住まいです。まずは食事をとってもらいます。あなたは牛1号です。食事をどうぞ。あなたは牛2号、食事をどうぞ・・・。」
それは何かの儀式だったのだろうか。
主は吾輩たちにタグとやらをつけたあと、食事をさせてくれた。
食事の内容は、それぞれに異なっているようだった。
それからの変化は劇的であった。
仲間の姿がみるみる変わっていったのだ。
体格が大きくなり、身が太くなっていく。
日々の成長を、主は詳細に記録し、まとめているようだった。
連れてこられた牛たちの中で、特に筋肉が発達した吾輩は群れのリーダーを命じられた。
荒涼たる平原が日々の散歩コース。
先住の魔猪やら魔鳥やらを引き連れて走る。
適度な運動、清潔な住まい、個々にあわせた食事。
これほど恵まれた環境はあるまい。
だがこれは主からの試験だと感じた。この恵まれた環境をどうするか。自らを律することができるのかと問われておるのだ。間違いない。吾輩にはわかる。
吾輩はこの環境を維持するため、整理整頓を心掛けるように牛や豚、鳥たちに指示を出した。
荒野には、いくらかの魔物もいた。
狼や、ミミズ、鳥などで、そいつらは吾輩たちを見ると襲ってくる。
これもまた、主が課した試練なのだろう。仲間の安全を守るため、仲間とともに駆逐した。
特に手ごわかったのは大ミミズの親玉だ。
吾輩ですら一口で丸のみにするほどの巨体。こいつとは吾輩自ら一騎打ちで戦った。
だが、主手ずから食事を与えられている吾輩は負けるわけにはいかない。激しい死闘を辛くも制し、荒野の平和を勝ち取った。
主が我々を引き取った意味が初めて分かった気がした。
食肉になることを受け入れる代わりに平穏な日々を享受していたこれまでの牛生を捨て、自由を勝ち取れとおっしゃっているのだ。
吾輩は一層体を鍛え上げることにした。
鍛えあげた吾輩を見て、主が感嘆の息をもらしておる。
他の牛たちは「諦めのため息だ」というがそうではあるまい。
時折、肉付きの良い牛や豚が町に連れられていくこともあるが、あれはきっと何か別の試練を与えられているにちがいない。
食肉として卸された?まさか。
主の送り迎えも吾輩の仕事となった。
朝夕、決まった時間に町まで主を乗せる。
主の負担にならないよう、振動を抑えて高速で走る技術を身に着けた。
たまに、変わった用事を言いつけられることもある。
その場合、だいたい木をなぎ倒すことになる。
森、迷宮、川の上流。
色んな所で木をなぎ倒してきた。
それがなんの役に立っているのかはさっぱりわからないが、鍛え上げたこの肉体を生かせるのは素直に嬉しい。
いや、もしかしたら、多少鍛えたくらいで慢心するなとおっしゃっているのかもしれない。
吾輩はこの機会を感謝し、さらなる高みをめざし、自らを鍛え上げつづけた。
そういえば、森では野生の魔牛たちを指揮したし、迷宮からあふれた魔物たちの引率をした。
吾輩の指導力の向上をも促してくださっていたのだろう。
町の迷宮では冒険者たちの救助や陣形を組んだ突撃の訓練をした。
さすが主。常に吾輩たちに新たな修練の場をくださっているのだ。
顔だけが牛という、牛族の風上にもおけぬ魔物をひき殺したとき、その思いは確信へと変わった。
川上での土木作業では主のもとを離れ、他の指揮官のもとで働くという経験もさせてもらった。
主は決してできないことはさせない。
自分が牛として、日々成長していることを感じられるのは、なんとありがたいことだろう。
だが、最近少し不満に感じていることもある。
主と触れ合う機会が減っているのだ。
迷宮の村の開拓以降は、迷宮での待機を命じられることも多い。
川上での土木作業ではついに町に戻るまで主とは離れたきりだった。
つい最近も、主は吾輩をおいてどこか遠くへ行っていた。
もちろんそれも、新たなる成長を見越して主が用意された試練なのだろう。
主の目がないところでも強くあれとおっしゃっておられるのだ。
だが、もしやという思いもある。
最近では、主は移動にあの迷宮生まれの魔鳥を使われることも多い。
もしや、吾輩は嫌われているのだろうか。
あるいは、もはや用済みになってしまったのだろうか。
いやいや、そんなことはあるまい。
吾輩はさらなる修練を己に課した。
幸いここは迷宮。修行の相手に事欠かない。
振動を抑える走りに磨きをかけ、さらに速く、さらに安定した走りを目指しながら、手当たり次第に魔物を倒す。
時には冒険者たちが襲われている場に出くわすこともある。もちろん人命救助も余念がない。
鳥如きに遅れをとるわけにはいかない。
「やはりお前をリーダーとして育てた目に狂いはなかった」と。
「よくぞここまで鍛え上げた」と。
そう言っていただくために。
吾輩は今日もひたすらに、自らを鍛えるのだ。
お読みいただきありがとうございます!
ちょっと短め。。。盆明けで仕事がちょっと忙しめです。
更新不定期になるかもですががんばってまいります!
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