5-10 記憶
大潮引きの翌日。
ランダとシャムス、マイヤは村長宅に集まり、エレナと話をしていた。
そこに、アルマ、タルガット、エリシュカがやってくる。
その背後には、顔の半分を布で覆った少年の姿もあった。
「サラさんの具合はどうだ?」
タルガットの質問に、エレナは黙って首を横に振る。
昨日、海底の洞窟で神事を行った。
サラが躍り、ランダが結界を張りつつ鈴を鳴らしてサラを支えた。
アルマたちは周囲で魔物を寄せ付けないように警戒にあたった。
神事は無事に終わり、大岩を中心とした空間は浄化された。
だが、それと引き換えにサラは力を使い果たし、そのまま寝込んでしまったのだ。
いよいよ長くはない。
そう思ったアルマたちはエレナと相談し、ウエラ・アウラとなった少年を連れてくることにしたのだ。
「とにかく、サラさんの元へ。」
アルマがウエラ・アウラの手を引いて、彼をサラの病室へと誘う。
ウエラ・アウラは特に抵抗することもなく、黙ってついてきた。
広い村長宅の通路を抜けた1階の奥の部屋。
そこにサラはいた。
窓の向こうには、まだ潮が戻りきらない海と果樹園。
その窓に面したベッドで、サラは身を起こして待っていた。
だがその顔色は血の気を失い、数日前とは別人のようになっていた。
「ばあちゃん、ダメじゃないの起きちゃ。」
「いいのよエレナ、だいじょうぶ。・・・その子は村の子ね。どうして顔を隠してるのかしら?」
「いえあの・・・この子が、ウエラ・アウラです。」
「・・・・。」
アルマが答え、ウエラ・アウラが無言でうなづく。
サラは一瞬目を丸くしたが、すぐに柔和な笑顔を顔に浮かべて言った。
「そう・・・ようこそいらっしゃいました。さあ、こちらへどうぞ。」
アルマに導かれ、ウエラ・アウラはサラの近くに座る。
「・・・不思議ね。言われなければ、いえ、言われてもなお、村の子どものよう。でも、本当にずっと、そばで見守ってくださっていたんですね。」
「・・・おいらには、それしかできないから。もう、力は何にも残ってないんだ。」
「それでも・・・ありがとうございます。」
サラはそう言って、頭を下げた後、アルマたちを見まわして言う。
「皆さん、少しの間だけ、席を外してくださいな。」
「ばあちゃん、でも・・・」
当惑するエレナの肩に、ランダがそっと手の乗せて止める。
エレナはなおも残りたがったが、サラの表情を見て、あきらめる。
そして、部屋の中に、サラとウエラ・アウラだけが残った。
「サラばあちゃん。これ。」
ウエラ・アウラが差し出したのはロートスの実だった。
「まあ、ありがとうございます。」
「果樹林の方はだいぶタオタオモナにやられちゃったけど・・・それはとっておきのやつ。痛くなったら食べて。」
「はい。」
「それと・・・洞窟に残した体のこと、ごめんなさい。残してきた体に魔素がたまっていることも、サラばあちゃんが浄化してくれてたことも、おいら知らなかったんだ・・・。」
「謝らないでくださいませ。それより、最後まであなたさまのお体を守りたかったのに・・・勤めを果たせなくて、申し訳ありません。」
「そんなことない!サラばあちゃんはちゃんと最後まで、巫女としての勤めを果たしたよ!」
「そうですか・・・それなら良かった。」
「良くないよ!おいらのせいで、おいらが身勝手に神さまをやめたせいでばあちゃんは・・・なのにおいらは、何十年も村にいて、そのことに気づいてなかった。」
ウエラ・アウラは頭を下げ、拳を固く握る。
その拳に、顔を隠した布からこぼれた水滴が落ちる。
サラは、その様子を見て、ウエラ・アエラの手を取り言う。
「私こそ、あなたさまのお心を理解することができませんでした。こんなにもそばにいてくださったのに。本当に、私は巫女失格でした。」
「そんなことない!」
強く否定するウエラ・アウラ。
だがサラは、小さく頭を振り答える。
その声は、かすかにふるえているようだった。
「いいえ。私は巫女の身でありながら、あなたさまをお慕いしてしまいました。洞窟を毎年浄めていたのも、罪滅ぼしというより、私がもう一度あなたさまにお会いしたかったからなんですから。」
「それを言うなら、おいらだってそうだよ。いや、おいらの方が先なんだ。おいらは初めて会った時から、もうサラばあちゃんのことが好きだったんだから。だからおいらは・・・」
「うふふ。ではせめて、ばあちゃんはやめてくださいまし。」
「あ・・・。」
その時、海からの風がゴトリと窓を揺らした。
サラが窓を開けると、海風が部屋に吹き込んでくる。
「どうして、こんなことになっちゃんたんだろう。」
「そうですね。どうしてこんなことになってしまったんでしょう。でも・・・私はとても幸せです。」
「え?」
「最後のこの出会いだけは、この記憶はもっていくことができるのでしょう?」
「うん。アルマたちに試してもらった。魔道具をつかった映像は、うまくいかなかったけど・・・」
「でしたら、もうこれ以上の望みはありません。」
「そんなこと言わないで・・・なにか、おいらにできることはない?」
「・・・では最後に、見たこともない世界の話をしてくださいませんか?」
「世界?」
「はい。私がまだ若かったころ、あの洞窟でお話しくださったときのように。レーテさまがまだウエラ・アウラさまになる前のように。」
「どうしてその名前を・・・ロートスの実を食べているのに。」
「うふふ。ロートスの実は忘却の安寧の実。それはまさに、レーテさまのお力そのもの。でも、私だってあなたさまの巫女です。決してお名前を忘れたりはしません。」
「そう・・・そうか。わかったよ。じゃあ話をしよう。でも、条件がある。」
「なんでしょう?」
「僕のことは、呼び捨てにしてほしい。敬語もなし。僕はもうただの人間・・・人間ではないけど、ただの子どもだ。同じ立場で話をしよう。」
「わかりまし・・・はい、わかったわ。」
サラとウエラ・アウラが見知らぬ世界の話をし始めた頃。
アルマたちは村長宅の前にいた。
「ううう。こんなのって、これで終わりなんて悲しすぎるー!!」
『う、うるせえぞアルマ。』
「だってマルテちゃん、マルテちゃん!!」
『ちょ、アルマ鼻水を拭け。』
「アルマ、だまるっす。」
「シャムスちゃんまで!」
「アルマさん、状況はちゃんと連絡していますから。」
「あの男が、こんな半端な作戦で終わるわけねえだろ?」
「へ?ランダちゃん?マイヤさん?」
言われてアルマは思い出す。あのいつも嫌そうな表情を浮かべている平たい顔の男を。
そうだ。今回の状況は、あの男にも伝わっているのだ。
だったら何か、思ってもみなかったことをしてくれるかもしれない。
アルマは咄嗟に海の方を見る。だが、海はいまだ潮が戻らず、船で上陸するのは不可能だ。
「まあ、あいつならなんとかするだろ。だがな、今回はさすがに円満解決ってのはムリだ。もしあいつが、中途半端にサラさんの命を長らえさせるような真似をするなら、俺はとめるぞ。酷なようだが、サラさんはもうちゃんと覚悟ができてる。後はできるだけ、彼女の望む形にしてやるだけだ。」
「タルガットさん・・・。」
「ていうか、来たわよ~。」
エリシュカが指したのは空だった。
遠目にもわかる、巨大な鳥。その全身を覆う金銀の鱗が陽光を照り返している。
そしてその怪鳥ヴクブ・カキシュの背中に乗る一人の男。
やがてその鳥が村の上空を旋回し、ついに村長宅の前に降り立つ。
ヴクブ・カキシュから降り立ったのは最前の話題に上っていた男。
ジョーガサキだ。
「状況は?」
「サラさん・・・巫女のばあさんが危篤だ。いま、ウエラ・アウラ・・・元、島の神さまだな。それと面会してる。」
「そうですか。」
「それで~。ジョーガサキ君、これからどうする~?」
「私は医者ではありませんから、病気を治すことはできません。なので、これを持ってきました。」
ジョーガサキが魔導鞄からあるものを取り出す。
と、そこにウエラ・アウラが手探りで戻ってきた。
「みんな!サラばあちゃんの様子が!」
一同は慌ててサラの病室へと戻る。
サラは、胸の辺りを抑えてベッドに倒れこんでいた。
かなり苦しいのか、肩が小刻みに震えている。
その肩越しに、死の影がちらちらの見え隠れするかのようだった。
「ばあちゃん!」
「急に苦しみだして。ロートスの実を食べさせようとしたんだけど、食べてくれないんだ。」
「ばあちゃん、これ、食べて!」
慌てて駆け寄り、ロートスを食べさせようとするエレナ。
だがサラは、それを頑なに拒む。
「せっかく・・・せっかくお会いできたのに、それを食べたら私はまた忘れてしまうから・・・エレナ、私はもう、何も忘れたくはないの。」
「でも!」
「いいの・・・エレナ、お願いわかって。」
そこでジョーガサキがサラのそばに歩み寄り、手に持っていたものを差し出した。
「突然の訪問、失礼いたします。私はラスゴーの冒険者ギルドの職員で、ジョーガサキと申します。サラ・ノゾイさん、これをどうぞ。」
「これは・・・?」
「これは、とある神さまの神域からとってきた、サリムサクという花です。そして、この花の蜜の効能は【幸福な記憶を呼び起こす】というものです。」
「記憶を・・・」
「ウエラ・アウラさん、こちらへ。エレナ・ノゾイさん、その実を。」
ジョーガサキの指示に従い、ウエラ・アウラをアルマがサラの隣に連れてくる。
ジョーガサキは、ロートスの実に、サリムサクの花の蜜を垂らして言う。
「あなたの幸福な記憶は、これで蘇ります。すべて。」
「すべて・・・?」
「そう。すべて。彼との会話があなたの望みなのでしょう?これを食せば、あなたは、彼と出会ってからのすべての会話を思い出すでしょう。現役の神の祝福が、元神の呪いに負けるはずはないのですから。ウエラ・アウラさん。これを彼女に。」
「う、うん・・・サラ・・・どうかこれを食べておくれ。」
エレナが支え、ウエラ・アウラがサラにロートスの実を食べさせる。
サラが力なくもその実をかじり、飲み込む。
一口。二口。三口。
サラは少しずつ苦しみから解放されていくようだ。
そして、それと同時にその頬が紅潮していく。
再び寝かしつけられたサラは、ウエラ・アウラの布で覆われた顔に手を伸ばす。
「思い出したわ・・・全部」
「サラ?」
「あなたが村に来た日のことも、それから毎日語らった日々のことも全部。ああ、なんていうこと。私、あなたの顔も覚えている!」
「ほ、ほんとうかい?」
「ええ、ええ。ああなんてすてきなんでしょう!ジョーガサキさん、ありがとう!」
「僕からも礼を言うよ。ありがとう。」
「いいえ。私の力ではありません。サラさん。あなたが一途に思い続けてきたからこそ、あなたはその記憶を取り戻したのです。神の呪いを打ち破ったのは、サラさん、あなた自身の力なのですよ。」
「まあ・・・」
サラは涙を流し、ウエラ・アウラの頬をなでる。
ああ、生きているうちにこの日を迎えることができてよかった。
私は、巫女として失格だったのかもしれない。
でも、私は最後まで、ありたい私でいられた。今はそう思う。
彼女はそうやって、何度も、何度も、ウエラ・アウラの頬をなで続けた。
じっと目を閉じ、これまでの会話を思い出しながら。
ウエラ・アウラは、何も言わず、サラのしたいようにさせていた。
だが、彼女の命の灯は、ついにその輝きを失う時がやってくる。
「サラ?」
「もう・・・この幸せな時も終わりなのね・・・。」
「・・・おいらもすぐいくよ。ちょっと先に行って、まってておくれ。」
「皆さん、本当にありがとう。私は、幸せでした。」
「サラ!」
開け放した窓から、一陣の海風が部屋を吹き抜ける。
そうして最後は、まるで少女のような笑顔を浮かべて、サラは永遠の眠りについた。
ジョーガサキは、サラとウエラ・アウラの姿を黙って見つめていた。
そして、その目を窓の外に向けたあと、静かにその場を立ち去る。
ふと目があったタルガットに、ジョーガサキが言う。
「まったく、これだから冒険者は嫌いです。こんな役目、二度とごめんですよ。」
「・・・すまなかったな。ありがとう。」
その表情は、いつにもまして不機嫌そうだった。
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最初は閑話にしようかと迷った5章も、気がつけば断章をいれて12話目。
次が最後となります。
ここのところ、更新が牛歩であるにも関わらずお読みくださった皆様、ありがとうございます!
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