5-1 幽世と交わる夜
潮の流れと風を味方につけて、船は素晴らしい速度で進む。
見渡す限りの大海原。
アルマたちは今、オーゼイユからの船に護衛として乗船していた。
船乗りたちにとっては気の抜けない航海も、今回に限ってはそれほど心配することもない。
「シノさん楽しそう!」
「姉さま、さすがっす!」
「うふふ。さすがなのはシノさんですよ。」
『ち。魔物が出てきたら、ひと暴れできるのに。』
「マルテちゃん、すっかり戦闘狂になっちゃったねー!」
水しぶきを上げてはねるサカナのシノさんを見て、アルマとシャムスがはしゃぐ。
ランダが召喚したシノさんが、船の警護のため周囲を遊泳しているのだ。
どうやらシノさんにとっては淡水と海水の区別はないようだ。
それどころか、水の中での存在感は圧倒的だった。
水流を操り、船の周囲に魔物を近づけさせない。
「こんなに楽な船旅は初めてだぜ。」
「普段ならもう3回は魔物が甲板に上がってきててもおかしくないってのに。」
「いやあ、姉ちゃんたちに頼んで正解だったな!」
船乗りたちは口々に驚きを露わにする。
なぜかアルマがどや顔をしているが、もちろんアルマの手柄ではない。
「だがまあ、実際すげえな。」
「うふふ~、楽できてよかったじゃない。もし戦闘にでもなってたら、マイヤは足手まといだったろうしね~?」
「う・・・うぷ。い、今話しかけないで・・・。」
最初は油断なく気を張っていたタルガットとエリシュカも、もうどことなく緩んだ空気を漂わせ始めている。
一方でマイヤは船酔いがひどく、気を緩める余裕すらないようだが。
そんな風に、観光気分を漂わせる冒険者たちのもとに、一人の女性が近寄ってくる。
年の頃は20代前半といった感じだろうか。
あか抜けた感じだが、どことなく人懐こそうな笑顔が印象的な女性だった。
「この海域でこれだけ魔物と会わずに済んでいるというのは本当にすごいことなんですよ。」
「そうなんですか?やっぱりシノさんはすごいんですね!」
「シノさんというのは、あのおさかなさん?」
「そうです。あ、私、アルマ・フォノンて言います。」
「はじめまして。私はエレナ・ノゾイです。」
「エレナさんは、観光ですか?」
「いえ、私はその・・・帰郷です。この船が向かう先、ユグ島が故郷なんですよ。」
「わあ、楽しみですね!」
「楽しみ?ふふ、なんにもない島ですよ?」
「そうなんですか?でも、島って初めてなので、それだけでも楽しみです!」
「そうですか・・・ふふふ。」
意味深に笑うエレナに首をかしげるアルマ。
だがエレナはそれ以上は答えず、一礼した後は船室に戻ってしまった。
その後は何事もなく、日が暮れて、夜が来る。
シノさんが頑張ってくれているとはいえ、護衛の任務を任せっきりというわけにはいかないので、アルマたちは2班に別れて夜番に当たることにした。
視界を遮るものが一切ない夜の海というのはアルマたちにとって初めての経験で、空と海との境界さえわからない暗闇と静寂は、なんとも底知れない不安を掻き立てる。
実際に、夜の海は陸で経験するのとは別の、不可思議な場所であった。
実は海に目を向ければ、幽かに明滅する星屑のような明かりも見える。
だがそれは海の魔物である場合がほとんどで、見る者の心を惑わし、海の底へと生者を誘う。
また、海から湧き出て、風に交じって宙を舞う何者かのケハイ。
海の男たちはそれを風魔と呼ぶそうだ。
時折、空の星の瞬くのは、風魔が通り過ぎた証拠なのだという。
風と波の音を耳を傾けてみれば、その音の中に、何者かがペタペタと湿った足で歩くような音が混じっている気がしてくる。
幻聴に違いないのだが、それもまた、風魔の仕業なのだということだ。
海というものがまるで、たくさんの生と死をごちゃごちゃにかき混ぜたスープにでもなってしまったかのようだった。
そんなわけで、夜の間は甲板に上がってくる魔物にだけ注意をして、海の方はあまり見ないようにと注意を受けていた。
帆柱に吊るされたランタンの明かりだけが頼りだった。
アルマたちはあまり船の縁には近寄らないようにして、夜を過ごした。
「そう言えばエリシュカさん、これってどうやって使うのかわかります?」
アルマが取り出したのは、オーゼイユの市で購入した魔道具だ。
マルテ曰く、その魔道具は、アルマの称号にもなっているバリガンという人物ゆかりの品なのだという。
だが、当のマルテもその使い途までは知らなかったのだ。
「ん~?ただの箱ってわけじゃないわねえ。劣化防止の魔印が刻まれてる。これは?」
「オーゼイユの市で買ったんですけど、使い方が分からなくって。魔道具らしいんですけど・・・。」
「んんん~。魔道具?魔道具ではないと思うけどな~。」
「え?違うんですか?」
「うん、たぶん。でもちょっと調べて見ないとわからないかな~。この箱の中に魔道具が入っているのかも~。」
「お願いしていいですか?」
『あたしからも頼む。』
「あら。マルテがお願いなんて珍しいわね。じゃあちょっと預かるわね~。」
アルマとエリシュカは、その後もその箱をいじって夜を過ごした。
どうやら箱に何かの仕掛けが施されているらしく、それを解かないと開けられない仕組みになっているようだ。
結局、この夜は箱を開けることはできなかった。
2人の横では、相変わらずマイヤが船酔いに苦しんでいた。
マイヤは休めと伝えたのだが、外の方が楽だと言ってついてきたのだ。
そして、船の上で迎える夜明け。
珍しい光景を見逃すのはもったいないという事で、エリシュカが他のメンバーも叩き起こした。
文句を言っていたのはタルガットだ。
だがそれも、日が昇り始めるまでのこと。
暗闇の一点が白みはじめ、それまで溶け合っていたかのような海と空の間に切れ目が広がっていく。
その中から突然、直視できないほどの陽光が漏れ始める。
暗闇の中で星々の間をめぐっていた実態のない者共が陽光に溶け、入れ替わるように遠い沖で巨大な質量をもつ何かが水しぶきを上げる。
それはまるで、天地の創造神話を思い起こさせるような、そんな光景だった。
全員でただただ黙ってその様子を眺めた。
その後、船の上で簡単な朝食。
調理などはできないので、干し魚とパンだけだ。だが甲板で食べるそれらの食材は、珍しさも手伝って、意外なおいしさがあった。
文句をあげるとすれば、魚も潮風も同じ匂いがして、全身がべとついた気分になるくらいだろうか。
やがて、遠くに小さなシミのようなものが見え始める。
そのシミはみるみる大きくなり、島としての全容が明らかになっていく。
島という割には意外なほど大きな山がアルマたちから見て右側に聳える。
山のさらに右手側は急峻で、そのすそ野がそのまま海と交わる格好だ。
一方で島の左手側は比較的緩やかで、そちら側に港、さらに少し上がったところには小さな村があるという。
島の周辺にはいくつもの岩礁が見える。
慣れたものでないと、この岩礁海域を抜けるのは難しいという。
だが船は危なげなく港に設けられた木製の桟橋に接舷する。
「ご苦労さん。積み下ろしと村への輸送は俺たちがやるから、あんたらは先に村に行っておくといい。」
「わかった。」
船長の言葉に、タルガットが答える。
「帰りは予定通り8日後になる。それまでは自由にしててくれていい。帰りも期待してるぜ。」
船長はえらくご機嫌だ。ここまで一回も魔物に襲われることはなかったのが嬉しいのだろう。
そこに船室から出てきたエレナが通りがかる。
「でしたら、私が村まで案内します。」
「ああ、そりゃ助かる。」
島の地理に不案内な一行にとって、エレナの申し出はありがたい。
「銀湾の玉兎」の面々は船長たちに頭を下げると、一足先にユグ村へと向かうことにした。
お読みいただきありがとうございます!
5章のはじまりでございます。
さて。どうなりますことやら。。。
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