閑話 ベリト・ストリゴイの愉悦
ふと、暗闇で目が覚める。
固い床はどこまでも冷たく、拘束された体は不自然にねじ曲がり、節々が痛い。
ああそうか。
俺は捕らえられていたんだった。
連れてこられる間も目隠しは取ってもらえなかったから、今自分がどこにいるのかすらわからない。
おそらく、最初に入れられたのはこの町の守護隊管理の牢獄だったはず。
だが今は、冒険者ギルドに移送されたのかな。
食事を運んでくれる者は会話すら禁じられているのか、言葉を発することはないが、なんというか雰囲気で判断する限り間違ってはいないだろう。
さて、そうすると、今の自分の状況はどうなるだろうか。
どうせ時間はたっぷりあるのだ。少し考えてみよう。
かつてこの世界で、大きな戦争があった。
魔族の大国が、世界征服を宣言し、他のあらゆる種族に対し宣戦を布告したのだ。
人族をはじめとする諸種族は結託してこれに抗した。
その結果、魔族は国を失った。だが、生き残った魔族のうち、かなりの数が人の社会に紛れこんだ。
もちろん、俺もその一人だ。
そして一部は、海洋を隔てた群島域に逃れ、祖国の復興を目論んで反撃の時を待っている。
まあ、それは俺にとってどうでもいいことではあるのだが。
だがこれまで、国の首都で店を構えるほどに著名な人物が魔族であったという事例はない。
その意味で俺――ベリト・ストリゴイの正体が魔族であることが世間に知られれば、大騒ぎになることは間違いない。
下手をすれば、疑心暗鬼が高じて魔女狩りが行われかねないほどには世間に影響を与えるだろう。
だが、そうした気配はない。
視覚を封じられたこの牢獄にあっても、その雰囲気くらいは感じられるはずなので、おそらくは箝口令が発せられたのだろう。
では、俺のパトロンであったクナンザム伯爵はどうなっただろう。
密かに俺を庇護していたことが明らかになったクナンザム伯爵だが、彼は俺が魔族であることを知らない。
俺を庇護していたのは、あくまで神獣密売の口聞き役となることで得られる利益に目がくらんだだけだ。
フェルグ男爵を隠れ蓑として使い、一方で違法な神獣売買の利益の一部を掠め取り、また一方で違法な売買に手を染めた貴族を脅迫して口止め料を手に入れる。
二重の利益を得ながら、貴族間での地位を確立していたわけだ。
そのことは、きっと俺を嵌めた連中もすぐに理解するだろう。
するとどうなる?
おそらくだが、ラスゴー冒険者ギルドのクドラト・ヒージャは、伯爵を告発することはないような気がする。
神獣の密売というだけでも処刑を免れ得ない重罪であるが、魔族とのつながりは国家の信頼を揺るがしかねない重大事であり、おいそれと告発するわけにもいかない。
どのみち伯爵は顧客である貴族連中の信頼回復や自身の立場を守るために必死になる。子飼いのフェルグ男爵も同様だ。
彼らを告発するよりも、彼らを味方につけた方が後々の利が大きい。
その根拠は俺が冒険者ギルドに移送されたこと。
おそらく俺の件は伯爵にすら秘匿事項ということになったのだ。それを指揮したのはクドラトだろう。
伯爵自身が更迭されたために冒険者ギルドが主導せざるを得なかった、という可能性もあるが、それならばもう少し周囲が慌ただしくなるはず。
ここまでスムーズに事が運ぶのは、それがクドラト、ひいてはジョーガサキの思惑のうちなのだと思える。
いや、もしかしたらジョーガサキはこの展開までは考えてなかったのかもしれないな。
あの男は俺の鼻を明かせればそれでいいという感じだった。
政治に絡む権謀術数の類は、その気になれば誰よりもえげつない手腕を発揮するだろうが、そういうことに喜びを感じるタイプではないように思える。
となると、クドラトが勝手に動いたと考える方が納得できる。
まだ表立って名は出ていないが、ラスゴーの迷宮暴走を防ぎ、魔族を捕縛。すでに2つもの大事件の中心にいたあのしかめっ面の男を守るためには、今後、どうしても貴族とのつながりが必要になる。
ついでにいうと、ラスゴー近くの森の泉の迷宮化を目論んだのも俺なので、実は3つもの魔族がらみの問題を解決しているのだ。
泉の迷宮化については俺自身が語らない限り表に出ることはないが、いずれジョーガサキの名は中央にも知れるのは確実なのだから。
つまりクドラトは伯爵に恩を売ることで、伯爵の行動に鈴をつけるとともに、今後の備えを充実させることを選んだわけだ。
ジョーガサキを守るために。
なるほど。
大分状況が整理できた。
いずれにせよ、俺は近々王都へと移送されるだろう。
伯爵の処遇がどうであろうと、それだけは間違いない。
この国の中枢にいる者たちは、魔族を放置することなどできないだろうから。
そして。
その日はすぐに来た。
俺はいま、馬車に乗せられてどこかへ移送されている。
すでにオーゼイユの町を出て、いまはどこかの山の中。
馬車はご丁寧に檻付きで逃げられる可能性は奇跡でも起きなければないだろう。馬車の護送についているのは、少なくとも騎士ではない。
冒険者だろう。だが手練れだ。俺を捕らえるためにクドラトが手配した金級冒険者といったところかな。
こいつらを欺いて逃げだすのは、よほどの奇跡が起きなければ難しいだろう。
もっとも、今俺に逃げるつもりなどないのだが。
さて。これまでの俺の予想が正しいのであれば、そろそろ動きがあるはずだ。
伯爵もおとなしく首に鈴をつけられたままではない。
神獣の密売についてクドラトが喋らずとも、俺が喋らない保証はないのだ。
逆に俺さえ亡き者になれば、いかに冒険者ギルドの支部マスターと言えど、その口を封じる手段はあると考えるだろう。
その筋の裏稼業に俺の抹殺を指示しているといったところかな。
まあ、金級冒険者に守られているのだ。命の保証という意味ではこれ以上の体制はないのだから、高みの見物といこう。
馬車の揺れは激しく、体の節々が痛む。
だがそれすらも今の俺には心地よい。少なくとも、生きていることだけは実感できるのだから。
そして、馬車が止まり。
幾度目かの休憩時にその時は訪れた。
「伯爵が手配した奴らはすべて拘束したにゃ。」
「ご苦労様だナ。伯爵も余計に自分の首を絞めることになるのにナ。」
「今、バリたちが尋問してるにゃ。まあ、伯爵が大人数を経由して証拠を消したところで、それを最初からうちが追跡してるんだから隠しようはないにゃ。」
「やっぱり裏の奴らを使ったんだナ。」
「そうだにゃ。あとは裏をとって、もう一個おまけに伯爵の弱みを握っておしまいだにゃ。」
漏れ聞こえてくる会話に、俺は思わずこぶしを握る。
できればガッツポーズをとりたいところだ。手足を拘束されているので不可能だが。
どうやら、俺の読みはあたっていたようだ。
少なくとも伯爵はいまだに自由に動けている。
そして、なんとかして俺を消そうとしている。
だが。それすら冒険者ギルドの掌の上である。今の会話だけでも、それだけのことはわかる。
ここにいたって、俺は自分の怠慢を心の底から理解した。
【未来視】というチート能力をもったがゆえに、色々と慢心していたことはもうわかっている。
だが、能力を封じられ、自分の脳みそを酷使することを強要されてはじめて、俺は強烈に生きることの面白さを感じていたのだ。
面白い。本当に面白い。
見ていろジョーガサキ。俺は負けない。この世界に来て初めて味わうギリギリのこの状況から、俺は大逆転を演じてやろう。
お前の手札は覚えた。ここにいる奴らの中には、顔を知らぬ奴らも多いが、声は覚えた。
これからのことを考えるだけで、俺は、愉快で。愉快で。
もしかしたらこの世界に来てから初めてかもしれない、心の底からの笑い声を漏らした。
お読みいただきありがとうございます!
更新が牛歩になってしまっていますが、ようやく物語の舞台が出そろいました。
長かった。。。
ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます。
引き続き、よろしくお願いいたします!
※会話が一部おかしかったので修正いたしました。。。