4-23 ベリト・ストリゴイの誤算
入り組んだ町の裏路地。
細い路地から、さらに細い路地へと、人目を避けるように移動する男の影があった。
年のころで言えば30前後くらいだろうか。端正な顔立ちが、年齢をあいまいに感じさせる。特に人目をひくのは金色の髪と赤い瞳。
暗がりにあってなおわかる青ざめた顔色が、その端正な顔立ちに、どこか人形のような趣を与えていた。
だが逆に、その赤い瞳は輝かんばかりに強い力を宿し、男の意思の強さを表しているかのようだった。
遠くからは、市民たちの喧噪が聞こえてくる。
男はわずかに口角をあげ、身を潜ませながらその音に耳を傾ける。
男――すなわちベリト・ストリゴイの指示により配下の者たちが放った魔物が、市民を襲っているのだろう。
だがそれは、ベリトが予想していた阿鼻叫喚というようなものとは、少し異なっていた。
むしろ、何かを褒め称えるような喝采と拍手の音。
気になったベリトは、さらに注意深く市民たちの声を拾う。
どうやら、市中に放たれた魔物は、その多くがいち早く駆けつけた冒険者たちによって駆逐されつつあるらしい。
さらに、神の使いたる真白の鹿があらわれ、天の怒りをもって川の氾濫を引き起こしたという話や、奇跡を起こしたという話まで聞こえてくる。
「ふふふ、なるほど。予想外の奇襲だったとはいえ、どうやら今回は完全に私の負けのようですね。」
どうやら、いざというときのために用意しておいた逃亡手段はつぶされてしまったようだ。
川が氾濫しているという話が本当ならば、町の外に逃げ出すことも難しいだろう。
「そして、神鹿は神性を取り戻す、か。」
神というものは、多くが不可侵であるがゆえにその神性を保っている。
何者にも侵されず、神の理をもって現世に奇跡を齎す。その奇跡は、時として人にとっての災禍となることもあるが、その真意を人には図ることができない。
理解できないからこそ、人は畏れ、敬うのだ。
その論でいけば、ベリトの計略によって捕らえられ、競売にかけられた時点で、かの神鹿の神性は大きく損なわれたはずなのだ。
だが。
恐らく川の氾濫というのは、ジョーガサキによるものだろう。氾濫とタイミングをあわせて神鹿の姿を人々に見せ、新たな神性をもって失われた神性を補おうとしているのだろう。
天災を呼ぶ怪異。それはまさに、底知れぬ畏れを人に抱かせるものなのだから。
「まったく。やってくれるよ、本当に。」
ベリトは痛む足を押さえ、笑う。
競売会場を逃げ出す際、忌まわしきエルフの弓箭姫エリシュカに射抜かれた傷だ。
ご丁寧にしびれ毒が塗ってあったらしく、その毒がいまだにベリトの自由を奪う。
ふぅ。
大きく息を吐き出すと、ベリトは姿勢を正し歩き出す。
しびれ毒の影響はまだ抜けきってはいないが、ベリトの強靭な精神力がそれをねじ伏せているのだ。
神鹿の神性を奪うのには失敗した。この町からも出られない。
だけど、だからといってすべてが終わったというわけでもない。
ベリトは慣れた足取りで路地から路地へと進んでいく。その先にあるのは、非常時に用意した隠れ家だ。
ふだんは王都を拠点とするため、いくつもあるわけではないが、この町にも2か所の隠れ家はある。部下たちには、魔物を放った後はそこへ集まるように伝えてある。そこまでたどり着ければ、なんとかなるはずだった。
だが、その隠れ家の近くでベリトが見たものは、町の守備隊に連行される部下たちの姿だった。
「用意周到にもほどがあるだろう・・・。」
神鹿から神性を奪うこともできず、逃亡のための攪乱手段をつぶされ、隠れ家と部下までも失った。
この様子では、もう一つのアジトも抑えられているだろう。宿も危険だ。
だが、その眼光の強さは変わらない。
ベリトはくるりと踵を返すと、素知らぬ顔でその場を離れ、商店地区をめざす。
突然現れた魔物騒動を経て市民は騒がしかったが、露天商たちの一部はすでに店を再開していた。
競売会に伴って行われる露店市は、遠い町からはるばるやってきた彼らにとっての貴重な収入源だ。川の氾濫という脅威もまだ残ってはいるものの、貴重な機会を失うわけにはいかないのだろう。
ベリトはその市をひやかしながら、服や眼鏡、アクセサリーなど、目に付いたものを次々に購入していく。
「あんた、ずいぶんとひどい恰好してるけど、大丈夫なんかね?」
「ええ。運悪く魔物に襲われてケガをしてしまいましたが、通りがかりの冒険者に回復魔法をかけていただきましたから。ただ、服の方はそうもいかないのでね。」
「はは。そりゃそうだ。服に回復魔法が効いたら、俺っちの商売はあがったりだわな。まあ、ご愁傷様。」
ベリトは買った衣類を持って、再び物陰へとさり気なく移動する。
素早く着替えと変装を済ませると、またさりげなく市場をひやかす人ごみに紛れ込み。
そのまま姿を消した。
――再び現れたのは、2日後だった。
その間ベリトは、冒険者の中でも低級の者たちが利用する安宿で身を潜めていた。
競売会のあった日に何が起こったのかという情報は、2日の間にその宿と、場末の安酒場で集めた。
ラスゴーの町で戦った金級の冒険者パーティがこの町にやってきていること。
川の氾濫はいまだ治まらず、町の出口は固く閉ざされていること。
海も氾濫の影響で荒れており、船すら出せないこと。
あの神鹿の親子は、いまも時折どこからともなく現れ、自分の身柄を要求しているという。
神鹿の方はともかく、金級冒険者たちの方はまずい。すでに顔はバレてしまっているのだから。
事ここに至って、ベリトはついに最後の手段をとることにした。
彼が訪れたのは、貴族街だった。
表立っての付き合いはしていないが、支援を受けている貴族に庇護を求めるのだ。
貴族の私邸は、いわば治外法権。匿ってもらえれば、冒険者に嗅ぎつけられる心配はない。
まず彼が向かったのは、フェルグ男爵の別荘だった。
遠巻きに別荘付近の様子を伺う。すると、さり気ない風を装っているが、明らかに身のこなしが冒険者を思わせる者が数人いる。
よくよく見れば、その人影はラスゴーの下水溝で遭遇した金級冒険者パーティ「三ツ足の金烏」の面々だ。
思った通りだ。男爵とのつながりは、あの商人カリム・ラキシェハにも匂わされていた。彼がラスゴーの冒険者ギルドに通じているのであれば、当然警戒されているだろう。
だが、だからこそ都合がいい。
フェルグ男爵とのつながりは、あくまで隠れ蓑でしかないのだから。
ベリトはその場を離れ、次にこの町の領主であるクナンザム伯爵の私邸へと向かう。
実はベリトを裏から支援していたのは、このクナンザム伯爵であった。
だがそのつながりは徹底的に秘匿され、さまざまなやり取りはすべてフェルグ男爵を通して行っていた。
そのことは、ベリトの部下でさえ知る者はいない。
ベリトは用心に用心を重ねて、伯爵家の周辺を伺う。
怪しい人影はない。
ようやく安心したベリトは、門衛に予め決められていた符丁を告げる。
「急ぎご報告したい旨あり、伯爵さまにお目通りを願いたい。『カンナジカの海運の件』とお伝え願いたい。」
それはごく限られた人間だけが知る符丁。門衛は特に何も問うことなく門を開く。
案内されるまま、応接室へ。
これでひとまずは安心だと、ベリトは密かに胸をなでおろす。
だが、応接室のソファに腰を下ろした瞬間、ベリトは何か非常に嫌な予感を感じた。
慌てて【未来視】のスキルを発動しようとするのと、応接室の扉が再び開いたのはほぼ同時だった。
そこで現れた人物を見て、ベリトは息を飲む。
それは、ラスゴー冒険者ギルドのギルドマスター、クドラト・ヒージャであった。
「これは・・・一体?」
「おっと動くな。ベリト・ストリゴイ。貴様の身を拘束させてもらう。」
クドラトの指示でわらわらと部屋に入ってきたのは町の守護隊だ。
咄嗟にベリトはその場を逃げ出そうと腰を浮かす。だが、唯一の出入り口にはクドラトが立ちふさがっている。
そして窓際には、いつの間にか、獣人の冒険者が立っていた。
たちまちにして拘束されるベリト。その目までもが何かの布でふさがれてしまう。
「お前さんの【未来視】ってのがどれほどの能力なのかはわからねえが、対象を見ないと発動しないだろうっていうジョーガサキの予想は当たりみたいだな?しかもそのスキル、自分には使えねえんだろ?」
「・・・それは、ジョーガサキさんが?」
「ああそうだ。わざわざアルマやジョーガサキに会いに行ったのが運の尽きだったよなあ。ついでに言うと、この2日間、おまえは監視されてたんだぜ?そこにいるのは『熒惑の破者』つうパーティの金級冒険者でな。ちなみに、下の庭にも他のメンバーが控えてる。」
「なるほど・・・。」
「苦労したんだぜ。お前が誰の未来をいつ読むかわかんねえからな。こっちは常に人員を変えてあたらなきゃなんねえし、お前が通る場所は使えねえしで。最後の最後、この部屋に入る前に【未来視】を使われてたら、この状況は予測できただろうがな。」
ベリトの行動は、最初はシャヒダによって、以降は「螢惑の破者」によって監視され、その様子は常にヌアザ神とケリドウェン神を通じてジョーガサキに報告されていた。
その様子から、ジョーガサキはベリトの【未来視】についてさらに具体的な条件を推察していたのだ。
「ちなみに、なぜ私がここに来ることが予測できたのかお聞きしても?」
「ジョーガサキの野郎が言うには『競売にすら隠れ蓑の魔獣商を立てる男が、貴族とのつながりをわずかでも痕跡として残すわけがありません』だとさ。」
「答えになっていませんね。」
「確かにお前と伯爵のつながりはわからなかったらしいぞ。だが、男爵と伯爵のつながりはすぐわかった。」
それを聞いてベリトは笑い出す。
「それを聞いて安心しましたよ。それで?確かに私はいろいろと失策を犯したようだ。だが、私が実際に手を下したのは競売会場で神獣に手をだしたことのみ。それ以外については、すべて証拠はない。ちなみに伯爵とのつながりもありませんよ。私は、無実の罪で追い詰められて、かつて一度だけお会いしたことのある伯爵さまに助けていただけないかとお願いしにまいっただけなのですから。」
ここで伯爵とのつながりを認めるのはかえって悪手。ここは一切の証拠を残さずおけば、後で伯爵が手立てを考えてくれるだろう。ベリトとのつながりを知られるのは、伯爵にとっても困るのだから。
だが、クドラトはそんなことは一切気にしていないとばかりに言う。
「ああ、それだがな。たしかに神獣に害をなしたというのは重罪だが、それはどうでもいいんだよ。」
「・・・・は?」
「ベリト・ストリゴイ。ジョーガサキが言うには、ベリトってのは悪魔の名前らしいな?それも、人の未来を見通す悪魔らしいじゃねえか。そして、ストリゴイっていうのは、吸血鬼を指す言葉。そうだろ?」
「なっ・・・」
そこで、クドラトはすっと目を細めて言う。
「お前さん、ジョーガサキと同郷だろ?」
「・・・・・。」
クドラトの問いに、ベリトは答えない。
だがそれは、もはや肯定しているに等しい。
「ずいぶんとわかりやすい偽名をつかったものだって、ジョーガサキは笑ってたぜ?てことで、お前の罪状は、お前が人類の敵である魔族であること。そして、それを隠してこの国に潜入していたこと。つまり密偵の容疑だ。」
ここにいたって、ベリトは己の完全なる敗北を理解した。
あの商人カリムがわざわざ男爵のことを口に出したのも、自分をここにおびき寄せるためだったのだ。そしてそれを画策し指示を出したのは、ジョーガサキだろう。
あの時点ですでにジョーガサキは、こうなることを予測していたのだ。
しかもまさか、自分の正体までもが看破されるとは。このような未来が訪れるとは本当に夢にも思っていなかった。
それも、自分と同じくこの世界に飛ばされた「迷い人」によって齎されることになるとは。
ベリトはそのことを深く理解し、そして、笑った。
「ははは。ははははは!いや、まいった。本当にまいったよ。確かにこれは僕の完全なる負けだ。いいだろう。だが、僕はこれでは終わらないよ。いつか必ず、再び僕は現れ、この世界に混乱をもたらすと予言しよう。それが嫌なら、殺すことだ。いいかい?僕は忠告したよ?ははは。はーはっは!」
そしてベリトは守護隊に拘束されたまま、伯爵邸から連れ出されていく。目隠しをされたまま、わざわざ来た時とは異なる通路を使って。
それを見届けたクドラトは、応接室に遅れてやってきた人物に向かって言う。
「それでは伯爵。魔族を長きにわたって匿い、利益を供与してきた件について、お話をしますかな。」
お読みいただきありがとうございます!
ちょっと唐突な新情報が多くて、戸惑われた方も多いかもしれません。あるいはベリト・ストリゴイという名前から、彼の正体に気づいた方もおられるかもですね。
この章でのさまざまな出会いや出来事が、今後の展開にもつながってまいります。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです!