断章 ハレの日
むかしむかし。
あるところに、ひとりのごくつぶしがおりました。
どうして朝が来て、夜がくるのだろう。
どうして風は吹くのだろう。
どうして人は生きているのだろう。
どうして。どうして。どうして。
日がな一日ふわふわと、どうでもいいことを考えてばかり。
見かねた父が言いました。
「ここにお前の仕事はねえ。そんなに考えるのが好きなら、王都に行って、偉い学者にでもなってみろ。」
男は喜んで、王都へ向かいました。
王都に行っても誰も相手にしてくれませんでしたが、男は気にもとめません。
そしてある日、男は迷宮に出会います。
迷宮は不思議の宝庫で。それはまるで、もう一つの小さな宇宙のようで。
男は、迷宮の魅力にとりつかれてしまいました。
迷宮はなぜ生まれるのか。迷宮ごとに魔物が違うのはなぜなのか。なぜ宝箱が出現するのか。
調べたいことは、いくらでも出てきます。
気が付けば男は、迷宮博士と呼ばれるほどになっていました。
周囲に取り巻きも増え、誰かの紹介で結婚をし、子どもを授かり、孫を授かりました。
それでも男は、迷宮の研究をやめません。それどころか、ますます研究に没頭するようになっていき、ついに男は迷宮で魔物におそわれて、死んでしまいました。
ふと気がつくと、男は、不思議な場所に立っていました。そこは、ありとあらゆる欲望の加工場のようでした。
種類ごとに、こねて、まるめて、別の何かになって吐き出されていく。
男もまたおんなじように、こねて、まるめられましたが、うまく周りとまざりません。
なんどもなんどもこねて、こねて、こねて。
気がつけば男は、亡霊になっていました。
ああ、ここでもわしは役立たず。どうやら周りとは馴染めない。
だけど、これでまだ研究を続けられるぞ!
ところがある日、共に暮らす亡霊の一人、ラカシュラナという男が冒険者に襲われてしまいます。
ラカシュラナを襲った冒険者は、彼の、かつての恋人でした。
傷は深く、もう助からない。ラカシュラナは最後に言いました。
「ここで消えるのは、俺の罰だ。だけどさ、俺は一体、何のために生きてきたんだろうな。」
その言葉は、深く男の心に刺さりました。
同時に男は、研究のことしか頭になかった自分がひどく恥ずかしくなりました。
社会に馴染めず、人を愛せず、家族を愛せなかった自分は、きっと初めから壊れていたのだろう。
だから、これは罰。神様がわしに与えてくれた罰なのだ。
それから男は、一生懸命に村を盛り立てました。
だけど村人たちの心から、あの一言が離れないのです。
「俺は一体、何のために生きてきたんだろうな。」
男は一生懸命考えましたが、答えはでませんでした。
そして、村人たちは、一人、また一人と傷つき、姿を消していきました。
残された者も、次第に心を失っていきました。
やがて長い、長い、静寂が訪れます。それは平穏という名の牢獄のようでした。
男はもう、答えを見つけることをあきらめました。
頭の中であれやこれやと考えるのがあれほど好きだったのに、今はもう、苦痛でしかないのです。
それでも男は、心を失うことはありませんでした。
これは、神が与えてくれた罰。だから、最後まで。
そうして。
長い静寂の果てに、男は、迷宮が変化しつつあることに気づきます。
これまでにも感じたことがある、変化の兆し。
その中でも今回は、何か特別な、良くない気配がする。
せめて誰かに警告を。けれど、もはや男はどうすることもできません。
もう、あきらめてしまおうかと思った、そんな時です。男は、ある少女たちと出会います。
少女たちは男の話を聞き、涙してくれました。
ああ、ここまで永らえて良かった。
それだけでは終わりませんでした。
村人たちが、かつての心を取り戻したのです。
迷宮の異変に立ち向かい、冒険者たちを助け、彼らと共に語り合う。
それは、心躍る体験でした。
だけど、まだ足りない。
迷宮の異変を終わらせよう。
そのために必要なことは、もうわかっています。
今ここで、ようやく男は答えに辿り着いたのです。
気が付けば、広場には村人たち全員が集まっていました。
彼等はみな笑顔で。そしてその眼には、強い決意が宿っていました。
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「この迷宮の名前は、アイホートじゃよ。」
静かな声でジナイダが告げる。
それを聞いたジョーガサキは、眼鏡をクイと指先で上げると、いつも通りの嫌そうな顔で言った。
「では皆さん、こちらに並んでください。アイホートさま、どうぞこの者をその成長の糧としてください。」
そしてジョーガサキは、神域にのみ生えると言われるサリムサクを取り出すと、先頭に並んだ村人の口にその花の蜜を落とす。
サリムサクの効用は、「幸福な記憶を呼び起こす」というもの。
亡霊は食事をしない。
けれど、サリムサクがその口に入ると、なぜか村人はおいしそうに喉をならし。
幸福そうな表情を浮かべて、静かに消えていった。
ジョーガサキが亡者の名を呼び、感謝の言葉を述べ、サリムサクの蜜をその口に入れる。
彼は、まるで事務処理をするかの如く、淡々と一人ひとりを送っていった。
血縁と会えなかった者のうち、血縁者の行方がわかったものについてはそのことを伝え、分からなかったものについては謝罪した。
それは、厳かな儀式のようだった。
そして、最後の一人。ジナイダがジョーガサキの前に立つ。
「ジナイダ・アノマギさん。」
「はいな。」
「あなたのご子孫は、王都で暮らしておられるそうです。」
「ほう・・・。」
「迷宮の研究をされているとか。」
「・・・そうじゃったか。」
「そして、あなたに教えていただいた迷宮の真名ですが。私が以前住んでいた国でその名は、旧き神の一柱として物語に登場しています。」
「ほほう!」
「あなたは、神のもとに帰るのですね。」
「・・・・。」
「あなたはその名に辿り着いた。あなたの研究は、無駄ではなかったと私は思います。」
ジナイダは、ジョーガサキの言葉をかみしめる様にうつむいた。
人がなぜ生きるのかはわからない。けれど、自分が今日まで永らえた意味はここにあったと断言できる。
ラカシュラナよ。友よ。お前の死も無駄ではなかった。
お前のひとことが、わしをこの場に導いてくれたのだから。
そして、顔を上げてこう言った。
「ありがとう。わしはいま、ようやくわしの生に意味を得た。」
ジナイダはサリムサクの雫を口にし、消えていった。
長い静寂が、辺りを包む。
多くの村人たちが集まったこの場所に、今は数人の人間だけが残った。
ずっと黙って様子を見守っていたクドラトが、ジョーガサキの肩を叩く。
「ありがとうジョーガサキ。よくやってくれた。明日からおめえは3日間代休だ。まあ、ゆっくり休んでくれや。」
「・・・正直3日間では足りませんが了解いたしました。それでは、私はこれで。」
ジョーガサキはいつもと変わらぬ嫌そうな顔でそう言うと、くるりと背を向け、傍で休む牛6号の元へと歩いていく。
その表情は、なぜか何時にも増して不機嫌そうに見えて。
こうして。
迷宮の異変騒動は冒険者たちに知られることなく、一つの結末に辿り着いたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
今日はこの後、もう一話投稿予定です。多分23時ごろかと!