2-11 魔物の記憶
階段を降りた先はやや暗さが増し、より洞窟らしくなっていた。この暗さは果たして、より深層心理に近づいたことを意味しているのか。あるいは、泉の神の心の裡を表しているのか。
その答えを探るように進む一行。猪型の魔物や熊型の魔物など、アルマ達には戦闘経験のない魔物も増えていく。
タルガットとエリシュカが先頭に立ち、それぞれに対する立ち回り方を伝え、アルマ達は急速に経験を重ねていく。だが、立ち回りを覚えたからといって、簡単に倒せるような魔物などいない。徐々に戦闘時間は伸びていく。
と、一行が広間のような場所にたどり着いた時だった。
突然前方から、一頭の熊型魔獣が現れた。
「おいおいおい。まじか。」
他の熊型魔獣より一回り大きな体躯。全身を覆う金色の毛。そして右目と左腕にある深い刀傷。タルガットは、その魔獣を知っていた。
それは、かつてラスゴーの森の一角に君臨し、冒険者たちから「目一金」の異名で恐れられていた魔獣だ。
当時は銀級冒険者10名が中心となった複数パーティで戦い、辛くも討伐した。タルガットも参戦したメンバーの一人だ。
「全員下がれ!アルマは右、シャムスは左。出すぎるなよ!エリ、ランダ、目を狙え!」
タルガットは即座に魔導鞄から大盾を取り出すと両手で持ち、目一金の正面に立つ。その頭上スレスレを矢が通り過ぎる。エリシュカだ。
その矢はまっすぐに目一金の頭部を捉えるが、厚い頭骨に阻まれてしまう。目一金は唸り声を、エリシュカに向かって突進しようとするが、すぐ目の前にはタルガットが構えている。
腹立たしそうに横なぎに振るった目一金の右腕をタルガットが大盾で受けるが、余りの威力にたたらを踏んでしまう。
タルガットに意識を向けた目一金にアルマが横槍を入れる。
「そりゃああ!」
『威力が足りない。柄を長く持って大きく振れ。身体強化も忘れるな!』
「もういっちょおおお!」
『足だ!足を狙え!』
「こっちもいくっすよ!」
「いいぞお前ら。無理はするな!」
エリシュカが牽制し、タルガットがとにかく突進させないように近づいて足を止め、アルマとシャムスが左右から少しずつダメージを与える。それぞれの役割が明確になってからは少しずつうまく立ち回れるようになっていく。だが一撃でもくらえば、それは致命傷になりかねない。一瞬たりとも気を抜けない状況だ。
その戦闘のなか。ひとり、ランダだけが何もできずにいた。
それまでとは格が違う強力な魔物を目の当たりにして、抑えつけていた恐怖心が再び湧き上がり、彼女の身を竦ませていたのだ。
「あ・・・うあ・・・。」
体の芯までが震える。足に力が入らない。立っているのが限界だ。
その様子を見て、エリシュカが弓から魔法に攻撃を切り替える。
「ごうり、ごうら、ごうごうと滾れ。その根源たる力は怒。我が怒りの業火よ、敵を滅ぼせ。」
エリシュカの放った火球が目一金の頭部に直撃し、大きく燃え上がって視界を奪う。
「グオオオオオ!」
『今だ!足元だぞ!』
「おっしゃああ!」
「任せるっす!」
「よし!全員下がれ!」
目一金は再び雄叫びをあげると、両手をめちゃくちゃに振り回しはじめた。それでも手ごたえがないとわかると闇雲に突進する。その進路にはランダがいる。
タルガットが慌てて進路を塞ぐが、体格の差があまりに大きく、盾ごと弾かれてしまう。
「姉さま危ない!」
タルガットが防いだわずかの時間によって、目一金より早くシャムスがランダの元に辿り着く。シャムスはそのままランダを抱えるようにして横ざまに倒れ込んで突進を躱した。
「良くやった!シャムス!」
タルガットは起き上がりざまに大盾を捨て、剣を取り出すと目一金に向かって走り出す。
目一金は壁面に激突し、それでもなお、闇雲に腕を振り回している。
エリシュカが火の魔法を詠唱して支援。タルガットは体ごと目一金に突っ込み、その胴に剣を深々と突き刺した。そして素早く離脱。
深手を負った目一金がさらに暴れるが、その動きは見る見る精彩を欠いていく。
動きが鈍ったところでタルガットが剣を一閃。目一金の首元を大きく切り裂いた。
大量の血を首元から噴き出しながら一際大きく咆哮した目一金は刹那の時間だけ直立し、その直後、ゆっくりと前のめりに倒れ込んで絶命した。
「こいつはしんどい。」
なんとか目一金にトドメを刺したタルガットが振り向くと、ランダがひどく慌てた様子でシャムスに回復魔法をかけていた。
どうやら、突進を躱した際に足を負傷したようだ。
「ごめんなさい!シャムス、ごめんなさい!」
「大丈夫です姉さま。大した傷じゃありません。姉さまが無事で良かった。」
「でも私はまた・・・動くことすらできませんでした。」
「姉さまが動けない時は私が姉さまを守ります。必ず守りますから。」
「シャムス・・・。」
どうやらこの二人は問題なさそうだ。ランダが恐怖を克服できるかはわからないが、二人に任せておけばいい。タルガットは二人の様子を見て思う。
「よおし、シャムスは問題なさそうだな。アルマ、エリシュカはどうだ?」
「問題ないです!」
『対して役に立ってないしな。』
「ななな!マルテちゃんが音真似攻撃してくれないからでしょ!」
「ないで~す。ランダちゃん、私がかばうべきだったわ、ごめんね~。」
「いえ、そんな。こちらこそすみません。」
「気にするな、ランダ。お前は斥候役だけでも十分に役立ってる。まあ、少し休憩しよう。今のは俺も疲れた。」
死角からの襲撃を受けないよう広間の中心付近に移動して、しばしの休憩。
タルガットはそこで、さきほど倒した目一金についてヌアザ神に尋ねる。
「あれは以前森にいた目一金っつう二つ名持ちだ。だが、あの時確実に殺したはず。なんでそれが、こんなところに居やがるんだ?」
「ああ、そら、泉の神さんの記憶に残ってたんやろなぁ。」
「記憶?記憶に残ってた魔物が現実になったっていうのか?そんなことあんのか?」
「普通はないけどなぁ。言うたやろ、ここはあの神さんの心の中みたいなもんや。現れる魔物かて、あの神さんの影響を受けとる。」
「まじかよ・・・。」
それならば、かつてこの森に現れ、冒険者たちに恐れられた魔物が群れを成して襲いかかってくることもあり得る。
「洒落になんねえな。」
「せやなぁ。それを止めたけりゃ、急ぐしかないんやけどな。」
「ああ。そうだな。」
しかし焦ってはかえって危険を誘発する。
一行は充分に体力が回復するのを待ち、再び出発した。
迷宮は次第に分岐が増え、徐々に複雑さを増していく。だが、ネズミの雪さんとヌアザ神の先導により、さほど迷うことはない。
数度にわたる戦闘。魔物の中には、かつてタルガットが遭遇した魔物や、冒険者たちの間で話題に上っていた二つ名持ちと同じ特徴をもつ魔物もいた。
徐々に戦闘で追う傷も増え、それに伴って行軍も遅くなっていく。
この状況はまずい。タルガットは焦り始めていた。そしてエリシュカもまた、タルガットの焦りを理解していた。
「まあ、なるようになるわよ~。慎重に進むことだけを考えましょ~」
「ああ、そうだな。」
既に存在しない魔物がこの迷宮では当たり前のように現れる。
それは、一つの可能性を暗示している。だが、起きるかわからない事態を心配してばかりもいられない。タルガットはさらに気を引き締め、一行の先頭に立つ。
そうして彼らは、再び下へと向かう階段に辿り着いた。
「さて、どうするか。・・・は、もう聞くまでもないな?」
「もちろんです!」
「ランダ?いけるか?」
「はい!もう決して、さっきのような無様は晒しません。」
「ランダちゃんはちょ~っと、肩の力抜こうか~。」
「姉さまは私が守ります!」
意思を確認したところで、一行は階下へと降り立った。
3階層は、2階層よりもさらに暗くなり、壁や床の中に見える光の粒子も弱々しい。さらに、空気の粘度があがったように重苦しく、まるで深い水の中にいるような錯覚を一同に与えた。
「どうやら、ここが最下層やなぁ。」
「わかるのか?」
「うんうん。ほな、気ぃ引き締めていこかぁ。」
ヌアザとネズミの雪さんを先頭に、慎重に進む一行。
しかし、上の階とは打って変わって、魔物はまったく現れない。その代わりとでもいうように、次第に迷宮内は暗さを増し、空気はさらに重苦しくなっていく。
暗がりの中での行軍は、一行の時間感覚を狂わせていく。
いったいどれほど歩いたかも分からなくなった頃、突然一行の前に大きな扉が現れた。
両開きの扉は木製で、全面に草木や動物が彫られ、豊かな森をそのまま切り出した絵画のようだ。そしてその中心には意匠が凝らされた取っ手。大きな木製の閂が掛けられている。
「これ、どうすりゃいいんだ?」
閂を指して、タルガットが問う。
「こじ開けるしかないやろ。」
「いやそんな、罰とか当たんねえか?」
「そんなん今さらやで。」
ヌアザ神がそう言うのならばと、タルガットが剣で閂を破壊。
一行は扉の奥へと足を踏み入れた。
そこは、大きなお堂のような空間だった。
部屋の四隅には燭台が置かれ、その灯りが室内を照らしている。
だが良く見れば、その燭台の灯りは炎ではない。迷宮の壁や床の中にあったような、小さな光の粒が集まって揺らめいていた。
板が張り合わされた床面はどこまでも平らで、天井は高く格縁が精確な格子をつくりあげている。
そして部屋の中央には。
薄桃色の絹を幾重にも纏ったかのような女性がひとり、入り口に背を向けて立っていた。
長い髪もまた薄桃色で。手は力なく垂れ下がる。
アルマはその姿を見た瞬間、あの日の夜に泉から現れた神だと確信した。
だが、その様子に、なぜか誰も声を掛けることができなかった。
やがて女性が顔だけをこちらに向ける。
光は届かず、その表情を見ることはできなかった。
そして女性は、天を見上げ。両手を震わせながら、両ほほをかきむしるように指を曲げ。
細く、長く、慟哭の声を上げた。
その声に誘発されるように、燭台の光の粒が舞いあがる。
天井や壁面に見る見る亀裂が入り、崩れていく。
「あかん。はよサリムサクをあの神さんに!」
ヌアザが声を上げ、我に返ったタルガットが走り出そうと足を踏みだす。
だが、崩れる部屋の向こうで、女性はさらに大きく飛びのいた。
「まって!」
アルマの声は泉の神には届かず、一行の進路を阻むように、崩れる壁の向こうから魔獣の群れが現れる。
その真ん中、他より2回りは大きい狼型の魔物の姿を見つけ、思わずタルガットは息を呑む。
「そんな・・・まさか・・・」
それはタルガットが最も恐れていた、最も出会いたくなかった魔物との再会だった。
かつて、とある獣人の村を襲った魔物の長。
ランダとシャムスの両親を彼女たちの目の前で食い殺した、その魔物だった。
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※誤字修正&一部改稿いたしました、ごめんなさい!