8-20 ベリト、動き出す
休眠していた迷宮が動き出し、その混乱に乗じて脱獄できる機会が訪れることを、ベリト・ストリゴイは自身の【未来視】によって事前に察知していた。
他者の視界を借りる術を用いて、迷宮内の構造も頭に叩きこんである。
だから、実際に迷宮が動き出したときの行動も実にスムーズだった。
「どうせなら、自分自身の力で脱獄して見せたかったものだがね。」
運に頼るのは、自分のこんな状況に追い込んだ張本人であるジョーガサキに負けるようで嫌だった。
だが、私情にこだわって折角の機会を見逃すのは阿呆のすることだ。
独り言ちながらも、ベリトは歪にゆがんだ独房の扉を蹴破って外に出ると、看守室へと向かう。
眼前ではすでに数人の囚人が房を出て、看守たちと戦闘を繰り広げていた。
両眼を特殊な魔道具でふさがれているベリトには、その様子を見ることはできない。
にもかかわらず、ベリトは苦も無く障害物を避けていく。
すでにこの場の何人かに、視界を借りる術を埋め込んでいるのだ。
混乱に乗じて看守室までたどり着いたベリトは、放置された鍵をとると、独房へと取って返す。
迷宮の異変に伴っていくつかの房は破壊されたが、すべてではない。
ベリトはいまだ塞がれている房の一つを開けると、中にいた囚人に鍵を投げて言った。
「迷宮が動き出した影響で、何人かの囚人が逃げ出したようだよ。君も逃げるなら早くしたまえ。」
「あ、ありがてえ!」
「その鍵束をつかって、他の囚人たちも逃がすことをお勧めしておこう。鬼が多ければ多いほど、君が逃げおおせる確率も高まるのだからね。」
それだけ告げると、ベリトは看守室へと引き返した。
すでに戦闘は終了しており、幾人かの囚人が監房区画の門をも打ち破って迷宮内へと姿を消していた。
数人の看守は囚人たちによって無残な屍となっており、持っていた武器も奪われている。
まだ息をしている者もいるが、ベリトは彼らに注意を払うこともなく、監房区画の門を潜ると、迷宮内を歩きだす。
向かう先は、多くの囚人たちが向かった出口とは逆方向。
迷宮奥の備蓄倉庫だ。
囚人たちの視界を借りて間もないため、彼らの未来は見えていない。
だが、監房区画を突破できたからと言って、迷宮外に出るまでにはまだいくつかの関門がある。
そう簡単に突破できるとは、ベリトには思えなかった。
「まずは見つからないこと。私以外にも突破ではなく潜むことを選択する者は出てくる
だろう。大掛かりな捜索が始まり、人の出入りが増えれば隙もできるというものさ。」
すでに視覚を借りる他者は周辺にはいないが、迷宮内の構造は頭に入っている。
ベリトは息を潜めながら、慎重に迷宮内を進んでいく。
時間を掛け、時には人の気配を察知して回り道をしながら、ベリトは備蓄倉庫へとたどり着いた。
その頃には衛兵や看守たちは脱獄騒ぎで混乱しており、備蓄倉庫には誰もいなかった。
倉庫の扉には鍵が掛けられ、さらに魔法による封印が施されていた。
しかしその程度は予想の範囲内。
ベリトは慌てることなく魔法を解除し、さらに鍵をこじ開けて倉庫内に入り込むと、今度は内側から封印の魔法をかける。
「ひとまずはこれで時間が稼げる。今のうちにこのうっとうしい魔道具をなんとかするとしよう。」
さすがに倉庫内の備蓄品の配置までは、衛兵の視覚を借りてもわからなかった。
ベリトは手さぐりで使えそうなものがないか探し始めた。
その時、不意に人の気配を感じ、ベリトは手さぐりで備品の影に身を潜める。
「なんでこーなるんすか!アルマと一緒だとろくなことにならねえっす、ほんと!」
「私のせいじゃないからね?あえて言うならマルテちゃんのせいだから!」
『なんでそうなるんだよ!』
「連帯責任っす。」
「え!ひどい!横暴だ!マルテちゃん謝って!」
『だからなんでだよ!あたしは神だぞ?むしろ敬えよ!』
「とりあえず皆さん静かにしましょうか?ここはもう人の管理する区画ですよ?」
「そうだぜ。迷宮が動き出したことはもう伝わってるだろうし、こんなところにいるのが見つかったら説明が面倒だ。とっととずらかろうぜ?」
少女たちの声に、ベリトは聞き覚えがあった。
オーゼイユのスイーツ店で出会った『銀湾の玉兎』の面々。
ジョーガサキと組んでラスゴー迷宮の暴走を防ぎ、さらに神鹿と協働してオーゼイユの混乱をも治めた黒鉄級冒険者だ。
さらにあの中の一人、アルマ・フォノンはオークション会場でベリト捕縛の罠を仕掛ける役目も追っていた。
忘れようにも忘れることはできない。
いずれはジョーガサキ共々、きっちりと礼をしなければならないと思っていた人物であったからだ。
ベリトは注意深く身を潜め、耳を澄ませる。
幸い、彼女たちはベリトの存在に気づくはなかった。
そしてそのまま、ベリトが侵入してきたのとは別の扉へと向かい、倉庫から出ていった。
少女たちが倉庫を離れ、十分な時間をあけてからベリトはようやく緊張を解いた。
「どうやら天は私に味方したようだよ、ジョーガサキくん。王国にも知られていない抜け道を、まさか君の子飼いの冒険者が教えてくれるとはね。」
ベリトはくつくつと笑う。
彼女たちが出ていった先に何があるのかはわからないが、先ほどのやりとりから察するに、まともな方法で迷宮に入り込んだわけではない。
ならばその先には、王国すら知らない出入り口があるのだろう。
さらに、迷宮が動き出すきっかけをつくったのも彼女たちのようだ。
自分を捕らえた少女たちが、まさか自分を逃がすきっかけを作ってくれた上に逃走経路まで用意してくれるとは。
これを天の采配と言わずして何と言おう。
だが、焦る必要はない。
彼女たちが出ていった先に何があるのかはわからないし、しっかりと備えておくべきだ。
ベリトはそう考え、再び手さぐりで備品をあさり始める。
ここは備品倉庫。
武器も食料も、必要な物資はすべてここに揃っているのだから。
しばらくして武器を探り当てたベリトは、時間を掛けて彼の目と手を拘束していた魔道具の破壊に成功する。
そして、アルマたちが抜け出した、迷宮とつながる洞窟を見つけだす。
「なるほど・・・元からある洞窟と迷宮がつながっていたというわけか。」
洞窟内は迷路となっており、さらにいくつかの罠が仕掛けられていた。
どうやらこの経路は何者かによって秘匿され、かつ管理されているようだ。
罠の種類からして、恐らくは冒険者。
それもかなり腕のたつ者だろう。
ならばここに留まるのは危険だ。
ベリトは考察しながら、洞窟内を踏破していく。
何者かがあの少女たちを迷宮に送り込み、何かをさせた。
それがきっかけとなり、迷宮が暴走を始めた。
だが少女たちの口ぶりからすれば、迷宮の暴走は予想外のできごとだったようだ。
「考えられるのは『組合』の仕業・・・しかし『組合』が王都周辺に魔道具を仕掛けているのは目的が異なる・・・魔道具の誤作動か?』
ベリトが思い浮かべた『組合』とは、魔族の復興を願う者たちのことだ。
いままさにジョーガサキ達が追いかける謎の組織。
魔族であるベリトは、当然その組織とも関わりをもっていた。
彼らが長い年月をかけて王都に仕掛けた企みも把握している。
断片的な情報を分析し、現状を少しずつ理解していくベリト。
そして、ある程度精度の高い推察を得たところでその推察を多角的に見直し、各組織・人物の現状把握を進めていく。
「迷宮に影響をあたえるほどの魔素の流れを創り出していたのであれば、『組合』の活動も侮れないね。どうやら、急げば祭りに参加できそうじゃないか。」
ベリトは静まり返った洞窟内で立ち止まる。
「さて、ジョーガサキくんはどういう立場で祭りに参加しているのだろうね。」
再び歩みを進めるベリト。
彼が洞窟を踏破し、再び王都へと潜り込んだのは3日後のことだった。
それからベリトは、人知れず情報収集を開始する。
そして出会う。
一人の、魔族の少女に。
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