8-7 兆し
穏やかに凪いだ海と、どこまでも続くと思わせるような美しい白砂の浜辺。
まるで絵画の様に美しいその景色に、柔らかく繰り返す波音と笛の音が添えられていく。
所々にたどたどしさはあるものの、繰り返し続くフレーズは聞く者の耳に残る不思議な情感を纏っていた。
その笛の音は次第に大きく音量を上げていく。
そして、その音量が一定まで達したとき、突然声が上がる。
「おらあ!今だ!野郎ども網を牽け!」
「手の空いている者は水を叩け!休むな、急げ!」
「おいそっちの網が下がってるぞ!」
「いいぞ、そのまま囲みを崩すな!このまま浜へ引き上げろ!」
「女どもは桶の準備だ、急げ!」
「偉そうに指図すんじゃないよ!もう準備はできてるよ!」
いま、アルマ達はカレンガレンから少し離れた漁村で漁の手伝いをしていた。
追い込み漁というこの地域では季節を選んで行われる漁法で、複数の船を網でつなぎ、囲い込むようにして魚を浜辺へと追い立てる。
そうして、網にかかるか浜に打ち上げられた魚を女たちが桶に入れていくのだ。
なぜ、アルマ達がこんなことをしているのか。
それは浜辺での野営が原因だった。
一晩の野営を経て、アルマ達が目を覚ましてみれば、すぐ目の前の浜辺には大量の魚が打ち上げられていたのだ。
どうやら、前日に遅くまで笛の練習をしていたラキの魔力に引き寄せられたらしい。
大量の海の幸にアルマたちは大いに喜んだ。
だが自分たちで消費するには量が多すぎる。
かと言って放置するのももったいない。
そこでアルマたちは自分たちで消費する分以外の魚を近くの漁村にお裾分けすることにしたのだった。
海沿いに続くあまり整備されていない街道を牛車で南下すると、小一時間ほどで目的の村が見えてきた。
アルマたちは牛車にラキとエリシュカを残し、現れた村長に魚の差し入れを申し出た。
アルマたちの申し出は大いに喜ばれた。
だが、そこでアルマたちは気づいてしまったのだ。
村人たちの暮らしが、思っていたよりもはるかに貧しそうだという事に。
×××××
「ウミヘビの魔物ですか?」
「そうですわい。それも大型の。その魔物がしばらく前にこの辺りの沖に住み着いてしまいまして。そのせいで、ここ最近は満足に漁にもでられない状態が続いておったのですわ。」
なし崩しに事情を聞く羽目になってしまった村長宅で、パーティを代表してアルマが尋ねる。
村長宅もまた、あまり羽振りが良いとは言えない、倹しいものだった。
すっかり憔悴した様子の村長に、アルマが重ねて問う。
「討伐することはできないんですか?船を襲うような魔物が現れるのであれば、カレンガレンの冒険者ギルドか、領主さまが討伐に乗り出しそうなものですけど。」
「それが、なかなかに悪知恵の働く魔物のようで、商船のような大きな船は襲わんのですわ。領主さまも討伐に動いてくださいましたが、軍船を出せばそやつは現れない。かと言って小舟では船ごと襲われるだけ。ほとほと困っておったのですわ。」
「冒険者ギルドはどうなんですか?」
「お恥ずかしい話ですが、ご覧の通りの寒村ですわ。干した魚を町に持って行っても、売れた金は生活に必要なものを買うのに消えていく。要するに先立つものがないのですわ。」
「それでも、魚がとれなくなったら困るでしょう?」
「おっしゃる通りですが、浅いところまでは奴らもきませんのでな。それもよくなかった。しばらく耐えているうちにまたどこかへ行くんじゃないかと思うとったんですわ。」
「ところが一向に出ていく気配はないと?」
魔物による被害というのは、海であれ山であれ起こるものだ。
だが、その被害が大きくなれば冒険者ギルドなり、領主なりが動くのが通例だ。
今回の場合はそこまで被害が大きくない。
大きな被害が起きているわけではなく、漁師たちは被害を受けてはいるものの、まったく魚がとれなくなったというわけではない。
中途半端に耐えることができてしまったがゆえに、長引いてしまった。
そして、耐えているうちに取り返しのつかないところまで被害が拡大してしまったのだ。
単純に魔物の強さが驚異の大きさと思っていたアルマたちには意外だった。
と、ここまで聞いてしまっては、さすがに見すごすのも忍びない。
その場で漁を手伝うとも、不慣れな海での魔物退治を請け負うことはできないが、せめてお礼に村でもてなしたいという村長の申し出を受け入れ、さらに牛車の調理車輛を使って自分たちも料理をふるまうことを約束したのだった。
村人たちが総出で準備を進めた夕食会にはラキもフードで角を隠した状態で参加した。
人族から虐げられ続けてきた過去を持つラキ。
そのラキの意向を聞かずに強制的に参加させる形になってしまったが、その夕食会は意外な効果をもたらした。
魔族などとは縁遠い漁村の村人たちは、何の疑いもなくアルマたちとともにラキを受け入れた。
魚を集めたのがラキの能力だと知ると、涙を流して感謝するものさえいた。
人慣れしていないラキは、最初こそ警戒していたが、村人たちの素朴な人柄にふれ、少しずつ警戒を解いていったのだった。
まるで呪いだと思っていた自分の体質を感謝されるなどとは夢にも思っていなかった。
この世界のどこにも居場所がないと思っていたけれど、そうではなかった。
騒動を起こすだけの自分にも、役に立つことができた。
「・・・アルマ。」
「なに、ラキちゃん?」
夕食会の終盤になって、ラキはアルマに声をかけた。
ラキから声をかけるのは初めてだったのでアルマは大いに驚いたのだが、その後のラキの言葉にさらに驚かされることになる。
「・・・も、もし良かったら。わ、私が役にたてるのなら・・・だけど。魚を集めるの、て、手伝う?」
ラキの変化は、アルマたちにとっては代えがたいものだった。
今後、ミュルクヴィズの村で暮らすことになるにしても、人族への偏見やわだかまりはないに越したことはない。
そしてなにより、ラキ自身がこれからの人生を生きていく上での自信につながるかもしれない。
ついでに、ラキの魔力操作の練習にもなる。
アルマたちは即座にラキの提案を受け入れ、村長にその意向を申し出た。
村としてもこの申し出に否やはない。
こうしてアルマたちは、翌日から漁の手伝いをすることになったのだった。
×××××
そして、大漁続きの3日目。
翌々日にはジョーガサキたちとカレンガレンで落ち合うことになっているので、この村に滞在するのは明日が最後。
ここに至ってラキが新たな提案を申し出た。
「・・・わ、私の力で海の魔物を呼び寄せて、アルマたちがそれを倒したら、私たちがいなくなっても、みんな安心だよね?」
「そうだね!それができたら、すごいよラキちゃん!やってみる?」
「・・・アルマたちが、手伝ってくれるなら・・・。」
「もちろんだよ!よし、それじゃあ魔物退治、やってみようか!」
アルマたちは急遽、魔物退治に向けての準備を進めることになったのだった。
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