98話 ある神官騎士と、囚われの姫君の物語 (4)
遅くなりましたが、ウォルドさん回ラストです。
前後編で終わるはずだったのに、どうしてこんなに長くなったのだろう…。
「それで、どうなったの?」
何故かセナの食いつきが妙に良かった。
どこが気に入ったのかはわからんが、どうも俺の話はセナの好奇心を刺激するものだったらしい。
「さらに数ヶ月後ぐらいか。戦に駆り出された」
「えっ」
「戦線がこれ以上なく近い所まで来てな。エレシュの国の兵士だけでは手が足りなくなって、方々から徴兵されたのだ。神殿も戦力の提供を要求され、神官騎士の俺もその中に含まれていた」
「…………」
「わけもわからんうちに決まって、誰にもゆっくり挨拶する間もなかった」
俺達は、エレシュの大神殿にいる者達は、皆どこかで、戦など自分達には無縁のことだと思っていた。
戦とは王家が行うものであり、我々神殿は俗世の醜い争いなどに加担すべきではないと。
その必要もないと。
鎖国状態とはいえ総本山が近くにあり、そこまで他国が攻め入ってきたことが歴史上あまりなく、平和な時が長く続き過ぎていた。
そして山脈国からの援軍は来なかった。誰かが使いを出したらしいが、使者はそのまま行方をくらましたらしい。
怖気づいて逃げただけなのか、それとも。
俺は国軍に加わって、生まれて初めて戦場を経験した。
ただひたすら、生き残ることだけを考え、敵を屠り続ける日々。
最初に俺が手にかけたのは賊でも魔物でもなく、他国に生きる人々だったのだ。
されど相手は殺す気でかかってくる以上、こちらも手加減などしていられない。
俺はどんどん、ボロボロになっていった。
心も、身体もだ。
戦の最中では滅多に魔物は寄ってこない。
血が流れ、兵が引き上げた後に屍肉喰らいが寄ってくる。
皮肉にも、〈祭壇〉が近く、魔物の少ない地域であるほど戦場に向いていた。
俺は本当に生きているのかと、それすらも曖昧になってきた頃。
ようやく、敵国との間に停戦条約が結ばれ、俺は帰ることができたのだ。
瞼の裏に浮かぶのは、友と、師と、――変わった姫君の笑顔。
俺は無性に彼らに逢いたくて逢いたくて、傷も癒えていない身体に鞭打ち、帰途を急いだ。
「……まさか、俺がいつの間にか神殿を〝家〟だと感じており。ようやく戻ったその〝家〟で、最大の絶望が待ち構えているなどとは思いもよらなかった」
俺を迎えたのは、師の墓と。
かの姫君は王家に引き渡されたという言葉。
既に彼女の姿はどこにもなく、滞在していた部屋もすっかり片付けられていた。
「俺が戦に出た後、大神殿に王国兵が押し寄せてきたそうだ。南方の国々との戦が激化し、旗色が悪くなってきて、同盟国から王女の引き渡しを要求されたらしい」
水面下で何がどう蠢いていたのか、一介のなりたて神官騎士に過ぎぬ俺などに知りようはない。
ただわかるのは、あの小気味よい王女が、国同士の都合に利用される駒に過ぎなかった――そのようにしか扱われていなかったこと。
王女が引っ立てられて行くのを、あの師が身体を張って止めようとして、斬り捨てられたこと。
あの公正な師がそこまでしたということは、それは紛れもなく道義から外れた出来事だったのだ。
エレシュの国は約束を破った――少なくとも守ると約束し、彼女をこの大神殿に匿わせていたはずなのに。
俺は己の無力に、あまりにもあっけなく失われた幸福に、ただ呆然とするしかなかった。
そう、俺にとって、何物にも代えがたい幸福だったのに。
何よりも、俺を打ちのめしたのは。
大神殿の門を開け、兵士達を引き入れたのが、誰あろうサフィークであったこと。
強硬手段も厭わぬと神殿を取り囲んだ兵士達に、彼は皆の助命を願い、門を開いたという。
まさか。そんな。
どれほど否定しても現実は非情だった。サフィーク本人にそれを肯定されてしまっては。
彼はこう言った――「皆を守るためには仕方なかった。あれが最善の方法だったんだ」と。
そして彼の顔には書かれていた――「皆を守れて誇らしい」と。
おまえは。
おまえにとっての〝皆〟とは、俺の師は含まれていなかったのか。
そもそもおまえにとって、ミラルカは守るべき対象にはならなかったのか。
人々への慈悲と慈愛を語りながら、慈悲と慈愛をそそぐべき相手を選別して。
誰もがサフィークの勇気を褒め称え、惜しみなく感謝を伝えていたけれど、俺だけはその輪の中に入れなかった。
『戦は大変だったろう。ゆっくり休んでくれ』
『…………』
『それにしても。あの姫君、他国に嫁ぐのが嫌なばかりに、自死してしまったらしいよ。君のように、命からがら生き延びた人がいるのに……たくさんの人を巻き込んでおいて、自らの命を大切にせずあっさり捨てるなんて、随分と身勝手な御方だ』
よく知る友だと思っていた相手が、急にわけのわからない、何かの生物になってしまった。
どのぐらい経っただろう。それからの俺は、まさに生ける屍のようだった。
鼻つまみ者の傷を積極的に治そうとしてくれる者はいない。
いや、サフィークがいたが、俺は彼と近付きたくなかった。
帰還兵には一時的に心身を病む者が多い。俺のこれもそういうものだろうと判断され、気遣わしげにしながらも、基本的にはそっとしておいてくれるようになった。
高熱で何日もうなされた後、ようやく喉の渇きとともに覚醒した。
「深夜、誰もが寝静まる時間帯だった。俺は半分夢の中に浸かっているような状態で、ふらふらと部屋を出た」
誰もいない祈りの間で、俺は神々の巨像に問いかけた。
本当にあなたがたはそこにいるのかと――
「勇気あるなあ」
「我ながら無謀だったと思う。精神状態が普通ではなかったんだ」
「……それで? そう言うからには、何かあったんでしょ?」
「奇跡を得て、神聖魔術が使えるようになった」
「ホワッ!? いきなり飛躍したな!? そこまでにもうちょっとこう、何かなかったのか!?」
「そう言われてもな……」
詳しく話せと詰め寄るセナに、俺は笑みをこらえきれなかった。
くつくつ笑っていると、「ご~ま~か~す~な~」と恨みがましい声でなじられる。
一見すれば澄ました表情でも、案外セナは、よくよく見れば声や眼差しに豊かな感情が宿っていた。
……多分、知らないのだろうな。俺がこんなふうに〝笑う〟ようになったのは、ごく最近になってからなのだと。
グレンや辺境伯に指摘され、初めて、ごく自然に笑えるようになっている己を自覚したばかりだと。
「俺自身も上手く説明しようがない。まあ、神々とは気まぐれな存在なのだろう」
「ふーん……」
微妙に納得していない声だが、仕方がない。もとより俺は口下手なのだが、こればかりは本当に、上手く話せんのだ。
――祈りの間で、俺は凄まじい〝力〟の奔流に呑み込まれた。
真っ白な光が叩きつけるように、全身を押し流されるように、息もできず、瞬きすらできなかった。
それがいったい何の〝力〟だったのか、おそらくまともに感じ取れていれば、俺は発狂していたのではないかと思う。
突然、何者かの〝意思〟が頭の中に響き、俺は理解した。
今まさに神々の一人が、俺に〝加護〟を与えたのだ。
【我が名は エレシュ …… 断罪を 司る 者……】
驚愕にあえぎ――次の瞬間、冷たい石床の上に倒れ込んでいた。
ぜいぜいと肺に空気を取り込み、さっきまで己が意識を失っていたのだと遅まきに気付いた。
己の手の平を信じられない思いで見つめ。そうしてためしに、初歩の治癒魔術の詠唱を呟いてみれば、あれほど自身を苛んでいた傷のすべてが、あっさりと消え去った。
その癒える速度は、あのサフィークをも余裕で超えるほどだった。
窮屈な箱の中に押し込められていた魔力が解放される感覚とともに、自分自身の枷がたった今外されたことを知る。
神の声は、今はもう聴こえない――けれど、その意思は、加護は、間違いなく俺に根付いている。
そうして理解した。今まで神聖魔術を使えなかったのは、ただの一度も、心から神々に祈ったことがないからだった。
その存在を疑いはしなくとも、俺の祈りは常に、誰かから習った文言を、そのまま真似て繰り返していただけで。
生まれて初めて、精神の奥底から神々に問いかけ、そして神々はそれに応えた。
どうしてこのようなことが、よりによってこの俺に起こったのかは、やはりわからない。
ただ、彼らに、いったいどういうわけなのか、俺は〝気に入られた〟のだ。
「俺と似たような者は、どの時代にも一定数存在しているらしい。特定の権力者に抱え込まれたりはせず、基本は市井で自由に暮らし、同類を探して慣れ合いたがる者などもあまりいないようだ。有事の際に働くのはやぶさかではないが、誰も強制的に働かされたくはないのだろう。己が〝加護持ち〟だと、積極的に売り込む者は少ない」
「うん、祭り上げられて都合よく使い潰される未来しか見えないね。……『あ、こいつは加護もらってるな』って、周りから見てわかるもの?」
「人によるな。神官でも気付く者は気付くし、気付かん者は気付かん。ただ、同類なら互いにわかる。確実に言えるのは、ドーミアにひとりいるな」
「……とある薬貨屋さんにいたりして?」
「いる。向こうもすぐに俺がわかったぞ。だからといって何がどう変化するわけもなく、普通に女将と客人だ」
「わあ。想像がつくなあ、それ……」
あっちにもこっちにも英雄が、こんな時モブはどうすればいいんだ、などとセナはぶつぶつ呟いていた。
何を言っているのだろう?
セナの台詞は時々、頻繁に不可解な言葉が交ざる。
「ええと、これって秘密にしてたことじゃないの? 今さらだけど私が聞いてよかったのかな」
「構わん。隠しているのではなく、声高にふれ回るのを好まんだけだ。尋ねられれば答えていい」
「そっか」
突っ込んで訊き過ぎたと反省していたのだろう、セナはほっとした様子だった。
――魔女のもとへ行け。
――魔女を探せ。
呆然と屍のようになり、現とあの世をふらついていた意識が、今は明瞭に促してくる。
命じられるまでもない。
約束をしたのだ。
それは、自分自身の望みでもあった。
翌朝、すっかり傷の癒えた俺に周囲の誰もが仰天した。
俺が〝加護持ち〟になったことを、気付く者は気付いた。
問い詰められたが、誰にも何も話さず、さっさと荷を纏めた。引き留めようとする者も多かったが、誰とも目を合わさず、淡々と別れだけを告げた。
サフィークはたまたま不在だった。けれど、さして残念には感じなかった。
そうして俺は長らく世話になった大神殿を離れ。
数年後、かの国は他国に攻め滅ぼされた。
故郷を喪ったはずなのに、不思議とそうは感じなかった。
何故なら俺の魂は、常に【エレシュ】に見守られていたのだから。
◆ ◆ ◆
「何年ぶりだろうな? 君と会うのは」
「……さあな」
「さあって、冷たくないか? あの時は挨拶もせずにさっさと出奔してしまうし」
「…………すまん」
それについては、俺も褒められた態度ではなかったので、反論はできない。
十代の若造が突っ走ったと馬鹿にされても文句は言えん。せめて、置手紙ぐらいは用意しておけばよかったと、今は己の不義理を多少は後悔している。
「先日、こちらの大神殿に移ってきたんだ。君が討伐者になったらしいと噂で聞いて驚いたよ。しかも聖銀ランクなんだって?」
「まあな……おまえはあの後、どうしていたんだ?」
「南の大神殿に身を寄せたんだ。ほら、憶えていないかな? 昔、私達のいた神殿で、南の国のお姫様を預かっていたことがあったろう?」
「……ああ」
「あの方、今では国母だというんだから凄いよね。私達の神殿を去って、五年後ぐらいかな? 王子殿下をお産みになって、正妃にのぼりつめたんだそうだ」
「…………」
「私達の故郷が残念なことになってしまって、いくつか神殿を転々としている間に、あの方にお会いする機会があってね。一時期とはいえ、同じ神殿にいたよしみで、いろいろ口利きをしていただいたんだ」
「……そうか」
サフィークは、あの頃と変わらない様子だった。
「……おまえ、彼女は亡くなられたと言わなかったか?」
「え? ――ああ、そういえば、言ったかな? 誰だったか、そう聞いたんだよ……あの頃はいろいろ大変だったし、情報も錯綜してたからね……」
「そうか」
どこかの国に嫁いだ何番目かの妃が王子を産み、その名がミラルカだと聞いて、俺も彼女が死んでいなかったことを知った。
それももう、何年も前の話だ。
「あの方のおかげで、向こうの神殿での待遇は悪くはなかったんだけれど……やはりどうにも、少し苦手でね」
「……そうか」
「後宮で着飾り、権力をふりかざす方々の中で君臨されているお姿を見ると、こう言っては申し訳ないけれど、聖域にあの方の存在はそぐわなかったというか……やはり、絢爛な世界が似合っていらっしゃると感じたよ」
「…………」
「随分気さくにお世話していただいたけれど、私は南の気風が少し合わなかったから、何年か前に北へ戻ったんだ。それで…………」
その後も、しばらく何かを話すのに、俺は機械的に相槌を打っていた。
聞き流しながら、早く終わらないかと――久方ぶりに会う懐かしい友の声を、どうしても歓迎することができない。
「ウォルドは本当に、あの頃と変わらないな」
「そうだな」
それは、おまえも。
どうやら、あの頃と、本当に変わらない。
「ところで、君は――……」
「すまんが、そろそろ時間だ。俺達はこの後約束がある。おまえはゆっくり飲んでいるといい」
「え?」
「ええっ?」
サフィークがアスファに声をかけようとしたのを、我慢できずに遮っていた。
わざとらしかったが、どうにもこういう時に上手く振る舞えない。
給仕の女を呼び止めて勘定を済ませ、背後から友が呼ぶのに聞こえぬふりをして、さっさと店を出れば、困惑しながらも少年はちゃんとついてきた。
「……すまんな」
「……いえ。どうせそろそろ、エルダ達を迎えに行かなきゃなんで」
「そうか」
アスファは何も訊かなかった。それが申し訳なくも、ありがたい。
どうしてなのだろう。せっかく懐かしい友に逢えたというのに。
まるで変わらない、健やかな友の姿に、こうも胸の内側がザラつく。
俺に加護を与えた【断罪の神】が、警鐘を鳴らすのだ。
ゼルシカさん登場がだいぶ先になってしまったので、加護に関する会話の所を少し多めに加筆しました。2019.12.21




