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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
魔女のもとへ集う者達
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89話 踊らされる愚者の悲哀 (3)


 旅人や商隊の列を横目に、優先的に通される。順番待ちの時間がなくなった分、多少は気が楽になったけれど、ドーミアの町に入った瞬間から、突き刺さる視線が痛い。

 見られているのは隣の美形だと己に言い聞かせ、なるべく周囲を見ないようにして、最短ルートで城へ急いだ。

 瀬名が〈黎明の森の魔女〉本人であった事実を、人々が呑み込んで消化できるまで、いたずらに注目を浴びないほうがいいと兄弟達は相談し、前回留守番だったエセルのみを同行者に決めた。灰狼の連中も護衛を申し出てくれたけれど、迎えに来てくれた騎士達もいるので、気にせず村の建設を進めて欲しい。


 騎士達にどんな目を向けられるか内心覚悟をしていた割には、拍子抜けするほどに普通だった。

 あれこれ巻き込み過ぎて、どんな状況にも一瞬で馴染める順応性が身についてしまったからか。

 ARK(アーク)氏の口ぶりでは、どうも最近森に越してきた耳の長い一味が、知らぬ間に何やら動いているようなのだが……彼らのことだから、自分の不利になることはしないはずと思いたい。


 騎士の城に到着しても、誰も何ひとつ変わらなかった。

 ほんの少しだけ、接し方が以前よりも丁寧になったぐらいか。

 瀬名は知らず、ここまでずっと詰めていた息を、安堵とともにゆっくりと吐き出した。

 その瞬間、エセルがごく小さな声で言った。「大丈夫だったろ?」と。





 今日も姿勢の美しい家令のブノワが出迎えてくれた。彼によれば、辺境伯親子だけでなく、セーヴェル団長も所用で不在の時に、例の男が直接城にやって来たらしい。


 ドニと名乗った男は、ひょろりと痩せた長身、薄めの茶髪に茶色い目の、どこにでもいそうな男だった。

 頬が落ちくぼみ、血色が悪いので老けて見えるけれど、四十歳にはなっていないだろうか? 薄汚れ、くたびれた服を纏い、全身から貧民街特有の空気が滲み出ている。

 うずくまるような猫背で椅子に座り、びくびくおどおどと落ち着きなく、上目遣いで取り調べ官の様子を窺う姿が、いかにも卑屈な小心者を絵に描いたようだ。

 取り調べ担当はセルジュ=ディ=ローランと、他数名の騎士。

 ローランのみがドニの対面の椅子に座り、他の騎士達は少し下がった場所に立っている。

 威圧して「嘘を口にしてもろくなことにはならないぞ」と悟らせるための配置だったのだが、この様子では他の連中が事務的に対応しても同じだったかもしれない。そのぐらいドニという男は、どもりながらも素直にきっちり質問に答えていた。

 瀬名と一緒に衝立に隠れて聴いていた嘘発見器、別名エセルが、一度も首を横に振らなかったぐらい正直に。


(なんつーか、小物臭がすごいなー……)


 ドニはちんけな〝運び屋〟だった。

 いつものように、さっさと終わる簡単な仕事だと思っていた。

 奇妙な氷漬けの物体を魔道具の箱から出して、床下の穴に隠した。

 引き渡し相手がいつになっても現われず、もしや自分か相手のどちらかが指名手配でもされたかと、怖くなって部屋に戻れなくなった。

 そして、想像より遥かに怖いことが起こった。

 あんな恐ろしいものに一時でも触れていた恐怖と、自分が持ち込んだもののせいでたくさんの人間が死んだ恐怖。

 そして生き残ったせいで、あれを寄越した組織に消されはしないかという恐怖。

 耐え切れず、自首に踏み切った。

 騎士団に拘束されるのも怖いが、組織の拷問のほうが怖いに違いないと。


 騎士達は渋面をつくり、ドニを睨みつけていた。こんな小男のせいで、あの怪物が持ち込まれたのだ。

 しかもこの男は結局、我が身かわいさで出頭したのである。

 心身ともに強くあれと常に心掛けている騎士達からすれば、許しがたい卑怯者に見えるのだろう。彼らの視線は冷たい。


(…………)


 瀬名は何も言わずに衝立から出た。

 仰天した騎士達が「せっ…!?」と言いかけ、咄嗟に口をつぐむ。ドニに名を聞かせていいか判断がつかなかったからだ。


「ごめん。ちょっと交代させてもらっていいかな?」

「それは構いませんが……どうぞ」


 ローランが席を瀬名に譲る。しばらく立っていてもらうことになるので、瀬名は申し訳なく思いつつ礼を言った。


「ありがとう。後で団長にも、誉め言葉水増ししてお礼を伝えておくから」

「是非お願いします」


 背後の騎士達から「ちょっ…!」「ずるっ…!」などと聞こえたが、部下や同僚の嫉妬は自力でなんとかしてもらおう。


「それから――あんたはドニの後ろに立っててくれる?」

「わかった」


 成り行きを見守っていたエセルが、ひとつ頷いて衝立の陰から出てきた。

 途端、ドニがぎょっと目をむく。


「えっ? えっ? ……ええええっ!?」


 エセルは瀬名の望み通り、ドニの背後、数歩下がる場所に立った。

 あわあわとパニックに陥る男の姿に、初めて騎士達のまなざしに共感がこもった。


「では、ドニ。今から私が質問させてもらうから、こっちを見てくれるかな? 後ろは気にしないでいいから」

「えっ? あっ……えええ……? な、なんで、エ……」

「ドニ。この方の話を聞け!」

「は、はいっ」


 ローランにきつめの口調で命じられ、ドニは弾かれたように背筋を伸ばし、正面に向き直った。

 瀬名もこっそり驚いた。この人、こんな厳しい声も出せるんだな、と。


「脅かすのは本意じゃないんだけど、こっちに集中してもらわないと、いつまで経っても話が先に進まないからね。はっきり言っておくよ。――私が質問する間、後ろを振り返ることは許さない。絶対に。わかった?」

「は、……はい。すんません……」


 ドニは蒼白になってごくりと喉を鳴らす。


「じゃあ、これから私の質問に対し、その通りであれば『そう』と答え、違っていれば『違う』と答えるように。わかった?」


 ドニはこくこくと頷いた。


「ではまず、ひとつめの質問。ドニ、あんたは今この状況にかなりびびっている。――『そう』と『違う』、どっち?」

「へっ? ……あ、えーと……『そう』だ……」

「次に。怪物騒ぎについて、いったい何が何だかまるでわからない。――『そう』と『違う』、どっち?」

「……『そう』だ……」

「なんだって俺はこんなところにいるんだろう、と思っている?」

「……『そう』」

「でも組織につけ狙われるのは怖いから出頭した?」

「『そう』だ」


 似たような質問が何度も繰り返され、次第にドニの表情や態度から緊張が薄れていった。

 身構えていた分、脱力感がすごい。だんだん、「なんだって俺ぁこんなこと訊かれてんだろう?」とハテナマークが浮かんでくる。

 騎士達も、瀬名の奇妙な〝尋問〟の連続に、内心首を傾げずにいられなかった。

 ――その瞬間だった。


「〝ドニ〟という名前は本名?」

「そーだよ」

「他の名前はある?」

「……!」


 ドニの瞳が揺れた。

 瀬名はすかさず畳みかける。


「ドニ。それ以外の名前は?」

「――ねえよ」


 エセルが首を横に振った。嘘だ。

 騎士達の反応や声の響きでわかったかもしれないが、嘘発見器の真骨頂はここからである。


「二つ名のような別名を持っている?」

「だからっ、そんなもんはねえって!」


 頷いた。本当だ。


「ドニは略称?」

「違えって! なんなんだよさっきから!?」


 頷いた。本当だ。


「家名を持っている?」

「ねぇって言ってんじゃねーか!」


 横に振った。

 ――嘘だ。


 ドニには、家名がある。

 焦った声の勢いも表情も、正面で目にしていた騎士達には、どれも変わらないように見えた。

 この〝尋問〟の意図を理解し、彼らは肌が粟立つのを感じていた。





 嘘偽りは許さぬと言われ、正直に話すと誓った。

 名を尋ねられ、「ドニ」と答えた。

 嘘などついていない。彼は紛れもなく〝ドニ〟なのだから。


 薄汚れた粗末な服、ごく自然な下町の言葉遣い、卑屈で小心そうな態度から、まさか誰も想像などしないだろう――この男は貴族かもしれない、などと。


 だんだん肩から力が抜けて、ドニが答え慣れてきた頃、その隙をつくように、世間話の調子で投下された質問。

 実は問いの内容そのものに深い意味はなかった。瀬名はとにかく、ドニ自身に関することを思いつく限り片っ端から問いかけてみただけだ。それも世間話の延長のノリで。

 そして矢継ぎ早に繰り出されるたくさんの質問のひとつに、ドニが引っかかったのだ。


「どうして俺があんなやばいモン運ばされちまったんだろう、て思ってる?」

「そーだよ、当たり前だろ……! なんで俺が……っ」

「私も不思議に思ってる。どうしてあれを運ぶ人間が、ドニでなければいけなかったのか」

「えっ」


 ドニがきょとんと目を見開いた。


「確実に仕事をこなす人間っていう条件なら、ドニじゃなくてもよかったはずなのに。自分で言ったでしょ、『俺はちんけな運び屋をしてる』って。謙遜じゃなく完全な本音で。それに前金は、銀貨十枚?」

「あ、ああ……」

「以前、禁止薬物を隠し持ってドーミアを通過しようとした運び屋が捕まった。そいつはこの町を通過するためだけに、前金を金貨三枚もらってたらしい」

「きっ……金貨三枚ぃ!?」

「それでも、他国で売り捌いたら利益が出るんだろうね。それで、ドニ。あんたの運び屋歴は、わずか数年。その業界ではまだまだ新米の域を出ない。なのに、この国のどこにも存在しない、危険極まりない大型魔性植物の〝(たね)〟を、どうしてあんたに運ばせたんだと思う?」

「しっ、ししし、知らねえよッ!? ……お、俺が、死んでもいいような奴、だったからじゃねえの……?」


 自分で言いながら、ドニはしょぼんと落ち込んでいた。

 エセルが頷く。そうだろうとも。

 ――この男、元貴族のくせに、腹芸は無理なタイプだ。


「あんた自身が普段意識していないようなところに、その理由があるかもしれない。自分がそれを重要なことと認識していなくても、他人にとってはそうじゃない、そんなことは結構あるからね。私が知りたかったのはそれだよ。意識していなければ、自分から話そうとはしないし、話す必要もないと思い込んでしまうから」

「…………」

「それで? ドニ。あんたの正式な名前は何?」

「えっ……で、でもよ……」

「誰かに話したら死の危険がある? それとも知り合いに危険が降りかかるような名前?」

「い、いや、そうじゃねえけど……」

「なら、個人的に言いたくない?」

「ぐっ……」


 背後で、エセルが意地悪っぽく唇の端を上げていた。

 自分の背後に精霊族(エルファス)の青年が立っている事実を、ドニは多分すっかり忘れている。


「と、いうわけで、ドニ。フルネームは?」

「……ううう……」


 もの凄く嫌そうに、悔しそうに、恥ずかしそうに、ドニは視線をうろうろ彷徨わせた。

 しかし騎士達から一斉にぎょろりと睨まれ、「ひっ」とすくみあがり、情けない悲哀に満ちた顔で口をひらいた。


「…………ドニ=ヴァン=デュカス……だ……」


 伯爵家(ヴァン)か。家が没落でもしたのだろうか?


「デュカスだと?」


 しかし、瀬名が尋ねる前に、ローランの部下が声を発した。


「知ってるの?」

「知ってるも何も……以前、俺の出身についてお話ししましたが、憶えておられますか?」

「ああ、もちろん」


 ちょっとド忘れしていたことは、あえて自己申告する必要もないだろう。


「デュカス伯爵領は、その隣です」

「――ああ」


 そういえば、そうだった。小鳥さんにちょっと呆れられている気がしなくもないけれど、気にしない。


「俺の一家がまだそこにいた頃、噂が聞こえてきてたんです。その、デュカス伯爵家の、次男坊の話が」

「うん?」


 ドニが顔を歪めて俯いた。


「その頃の噂では、長男が爵位を継ぎ、放蕩が過ぎた次男は家から出されたと――」

「ああそうだよッ!! その通りだよッ!!」


 自棄になってドニが喚いた。


「兄上が継いだ途端、追ん出されたんだ――金もすぐに尽きた。どん底まで落ちた。だから俺にゃあもう、家名も実家も、関係ねえんだよ……!」


 後半は涙目になっていた。

 しかし、彼の名を知っていた騎士は「自業自得だろう?」と容赦がない。


「金が尽きたのは、酒に女にと懲りずに豪遊しまくったからなんだろう? その後も実家に金の無心を何度もやるもんだから、とうとう自家の領地から追放されたって聞いてるぞ。違うのか?」

「ううう……ちっ、違わねえよ……」

「で。移り住んだ余所の領地の町で、おまえ何をやった? どこかのギルドに登録した後、真面目に働くどころか窃盗繰り返して投獄されたんだよな? 何年かぶち込まれてたって親父に聞いたぞ。デュカスの家から金が出て、刑期が短縮されたらしいが」

「――は? 何だそりゃ? いや、そりゃ違うだろ。あの家が俺に金なんぞ出すはずがねえって」

「俺の親父は取り締まる側の関係者だった。確かな情報だ。先代伯爵の第二夫人――おまえの母親が亡くなる直前、これが最後だと現伯爵を説得したと聞いてる」

「……えぇっ?」


 ドニは愕然とした。初めてその事実を知ったのだろう。


(やば。なんか聞いちゃいけない系の過去話が出てきた)


 いつの間にか他界していた母親。縁を切られたと思っていたのに、亡くなる直前まで気にかけてくれていたばかりか、牢から早く出すように働きかけてくれていたと判明。

 第二夫人な上、息子に前科がついたとなれば、肩身が相当せまかったろうに。

 ドニは呆然として何も言えなくなっていた。騎士はさすがに言い過ぎたかと反省し、口をつぐんだ。

 しかし実際、なかなかに重要な情報だった。

 瀬名は騎士に目をやる。


「デュカス伯爵領を追放されて、ドニが移り住んだ土地は……」

「はい。グランヴァル侯爵領です」


 そうだろうとも。




久々にドニの登場です。

小心者な小物ゆえに生き残って自首。逃亡生活とか無理なタイプです。

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