8話 十二歳、太陽と月の裏側
どなたか読んでくださった方がおられたようでありがとうございます。反応を頂けるとしてもずっと先カナ~と思っていたのでびっくり(*^ ^*) ファンタジー色の薄すぎる成長編がもうしばし続きますが(汗)気長にお付き合いください。
肉体年齢十二歳。
ARK氏のノリにもすっかり慣れ、この頃にはいろいろ余裕ができてきた。
《私の狙いですか?》
「うん。狙いとゆーか、目標とゆーか」
食後の紅茶を味わいながら気楽に尋ねた。茶葉から淹れたものではなく、粉末を湯に溶かし込んだレモンティだ。瀬名が昔好んでいたメーカーも粉末タイプだったが、こちらの方が味はいい。
「こうもやたら私を強化させたがる理由って何? 別にここまでやらなくてもいいんじゃないかなあ、てやっぱり思うんだけど」
《それならば、簡単なことです》
ARK・Ⅲは、勿体ぶることもなく話し始めた。
《いずれあなたが、現地住民と普通に付き合えるように。私が目的としているのはそれだけです。ただその土地に住む者と普通に出会い、なんの変哲もない世間話を、自然に交わせるぐらいになること。そのためには、可能な限りのリスクを減らしておきたいのです》
「……ほんとにそれだけ? 普通にコミュニケーションとれるようにって、それだけでここまで念入りにやる必要があんの?」
《その程度のことが、我々には困難だからですよ》
エスタローザ光王国は、アトモスフェル大陸の中では有数の富裕国だ。比較的治安もいい。だからこそARK・Ⅲは迷わずこの国を着地点に選んだのだが、それでも、他人様の金品を殺してでも奪いたがるような輩はどこにでもいる。
ぬるま湯に浸かりきった平和ボケ大国。そんなふうに揶揄されていた故郷のように、完璧な治安と人権の尊さが万人に約束されている理想郷など、この世界のどこにも存在しない。少なくともEGGSからは、未だそれらしき報告は届いていない。
いざという時、身を守れるように。できるだけ自力で危険を回避できるように。
物理的にも精神的にも、できるだけ他者から排斥されないように。
万一排斥されても、生き延びられるように。
つまりあくまでも、より多くの護身の術を身につけてもらいたいのだとARK・Ⅲは語った。
「……一般人の認識する〝護身〟と、ARKさんが認識してそうな〝護身〟の範囲って、なんだか乖離が甚だしいなって思うのは気のせい?」
《気のせいです》
「即答かよ」
《齟齬と呼ぶほど深刻ではない、個体差による若干の認識のズレ程度でしょう。何も魔物を乱獲したり、犯罪者を絶滅させてくださいと申しあげているわけではありません》
「やれって言われても困るわ!」
そして何よりも――
老いてからでは遅い。
濃密な魔素の漂う宇宙空間で、方舟が何十年も先まで航行していられる確証がなかったように、この先いつまでも〈スフィア〉が安全でいられるとは限らなかった。
かつて楽園の中でぬくぬく暮らしていた人々が、生き延びるためにそこから出なければならなくなったように、似たようなことが数十年後、ここにいる瀬名の身に起こらないとも限らなかった。
その時もし、自力で身を守る術をなにひとつ持たず、ろくに他者とのコミュニケーション方法も知らない、非力な胡散臭い余所者の老人として放り出されてしまったら?
「うん。ものっすごく嫌だねそれは」
《つまりはそういうことです》
「…………」
そんな考えがあるなら先に言ってよ、と出かけた台詞をのみこんだ。
さすがにその要求は筋違いだろう。常に最悪を想定するのは当然のことだ。
はっきり言われるまで、それを欠片も想定していなかった自分が甘いのだから。
瀬名には、東谷瀬名として生まれ育った記憶がある。いくら〈東谷瀬名〉とは別人であろうと、その記憶があるせいで、自分が東谷瀬名以外の何者にも思えない。
まだ記憶には届かない己の手の小ささを目にしても、一度死んで生まれ変わり、前世の記憶がそのまま残っているような感覚しかなかった。もしくは、眠るように意識不明になり、目覚めたらクローン体に脳が移植されていた展開だろうか。
そんな技術があったかは知らないが、ARK氏いわく、密かに存在してはいたとのこと。ただし、肉体を乗り換える行為そのものが倫理的に問題視されたことと、行われた実験内容が到底表に出せるような代物ではなく、さらに拒絶反応や失敗のリスクが高かったため、広まる段階までは行かなかったそうだ。
さぞかし、血も凍るおぞましい悪魔の実験が行われたのだろう。そういう話を聞いてしまえば、そんな裏技術が広まる前に、滅びて良かったのかもしれないとさえ思ってしまう。
ともかく、〈東谷瀬名〉は既に故人なので、今ここにいる彼女が唯一の東谷瀬名を名乗っても、実際何ら支障はなかった。たとえ事実は異なるとしても、記憶を保持したまま生まれ変わった気分でいたところで、誰にも迷惑はかからない。
最初は子供の肉体に違和感があり、遺伝子操作うんぬんのくだりで多少びくついていたが、気付けばすっかり慣れていた。今では怯えるどころか、むしろ感動するばかりである。
日々の訓練で何度か血マメができたのに、たった一日手を休めるだけで自然に治り、気付けば血マメ自体ができなくなっていた。変化といえば、最近手の皮がわずかに厚くなった感じがするだけで、以前と大きく違っているようには見えない。
ますます常人離れしてきてしまったが、怪我をしにくいならそれに越したことはない。
人間離れ? それがどうした。
原因不明なら確かに不気味だったろう。しかしこれに関しては、ARK博士の魔改造と最初から判明している。その上で痛くない、苦しくないのだ。素晴らしいではないか。
長時間走り続けても息が切れない。平気で後方宙返りができる。
無造作に投げたナイフが的の中央に刺さるようになった。これは楽しい。
己の身体のバネと軽さと強靭さに感動し、お腹いっぱい食べながらも常に引きしまった腹部に感激する日々。
スーツと矯正下着で、外観体重を二~三キロ誤魔化していた隠れおばさん体型よさらば。運動神経が底辺をうろつき、加齢とともにじわじわ増えゆく贅肉に戦々恐々としていたあの切ない日々は、もはや遠い過去でしかないのだ。
こっそりガッツポーズを決めた直後、ふと思った。
――最期の日、彼女はどうなったのだろうか。
瀬名に残っている地球での最後の記憶は、定期健康診断を受けたあの日まで。
けれどオリジナルはその後も生きていたはずで、彼女がどのような日を送り、そして運命の日にどうなったのか、まるでわからないのだ。
「ねえ、ARK。せっかく大掛かりな船を用意してこんな所まで来といて、実は残された人々はみんなドームで生き延びてましたってオチはさすがにないよね?」
《それはありません》
ARK・Ⅲはオブラートに包みもせず、きっぱりクールに断言した。
《我々の離陸後、遅くとも地球時間で十年以内には滅びているでしょう》
「えっ、そんな早く!?」
《公表されていませんでしたが、ドーム自体の耐久力がもう限界に達していたのです。地下資源も枯渇寸前で、嵐のためにはがれた外壁の補修すらままならない状態でした。何より多くの国の主要人物がごっそり姿を消したのです。凄まじい混乱が発生したでしょうね》
「あー、それがあったか…」
企業のトップやら政治家やら、影響の大きい人間が一度に大勢消えたのだ。社会が全然まわらなくなって、そりゃあパニックが起きただろう。
自分達だけさっさと逃げやがったと判明した頃には、もう終焉は目と鼻の先。最低である。
《各国の足並みは揃っていませんでしたが、脱出時のタイミングだけは示し合わせていました。A国のトップが突然勝手にいなくなると、その後B国やC国などのトップが注目を浴びて逃げづらくなってしまいます。ですので、抜け駆けだけはしないよう密かに約定を結び、互いに監視し合っていたのですよ》
「お偉いさんて、そーゆーところだけは絶対手を抜かないよね!」
《一部人類は月や周辺のコロニーでしばらく生きていたかもしれませんが、こちらも長くは保たなかったでしょう。生き残りがいるとすれば、私のように冷凍睡眠の乗客を積んだ他国の船が、遥か遠くの星に無事到着した可能性ですね。これも我々には結果など知りようがありませんし、あるいは何事もなければ、未だにどこかを航行しているのだろうと想像するのみです》
「ふーん……。宇宙空間に一時避難して、地球の環境が回復するまでその周辺を漂流している、ってのは?」
《入植可能な他惑星を発見するよりも、遥かに長い年月を要すると推測されました。何より置き去りにされた方々に発見されると、撃墜なり襲撃なりされてしまいますよ》
「あ、なるほど。そりゃ襲うわ。私も参加させろってなるわ」
〈東谷瀬名〉がどのような最期を迎えたのか、ARK・Ⅲにも知りようがないのだろう。
たとえ知っていたとしても詳しく訊く気にはならなかったし、その必要もないと思った。
瀬名は瀬名だ。今ここに生きている自分自身がすべてなのだから。
◇
「不思議なもんだね。私の故郷ってやつはとうに滅びてて、それをこの星の連中は全く知らずに生きてる。ひょっとしたら私がドームにいた瞬間にも、どこか遠い宇宙の果てでは、別の人類が滅びたりしてたのかな」
などと、背を倒したリクライニングチェアの上でゆったりくつろぎながら、柄にもなくしんみりと呟いてみた。
プラネタリウムさながらに、天井いっぱいに映し出された満天の星空。今にも降ってきそうなほど鮮やかな星々の輝きに、時折かすかに雲が差しかかっている。
それなりに充実したスケジュールをこなし、夕食をとり、入浴も終え、就寝前に夜空を眺めるこのひとときは、一日の中でバスタイムの次にお気に入りの時間だった。
《可能性はありますね。たとえば、この星ですとか》
「はい? 何いってんの。フツーに人とかいっぱい住んでるじゃん?」
すると、ARK博士はとんでもないことを言い出した。
《マスターは気付かれませんでしたか? この星は太陽と月がそれぞれ複数あります》
「えっ?」
《一日は二十四時間、暦もほぼ同じ、東西南北があり、太陽は東から昇り西へ沈む。ですので違和感がないのでしょうが、日替わりで別の太陽と月が交互に昇っています。船の中から、あなたもそれをご覧になっているはずですよ》
「船の中で? ――ちょい待って、まさかあの衛星!?」
地球によく似た青い星の周りを、小さな星がいくつか廻っていた。
まさかあれが?
《ご名答です。あいにく詳細な調査を行う手段がありませんでしたが、人工衛星の可能性が非常に高いでしょう》
「人工衛星って…」
《この星は地球より遥かに巨大なのです。そして複数の衛星が、それぞれに適した光量でこの星に向けて光を放っていました。まるでライトのように、太陽光に限りなく近い光と、月光に限りなく近い光を。それがちょうど、一日が二十四時間となり、朝と夜に分かれる間隔に調整されているのです》
その謎の正体を示唆するのが、アトモスフェル大陸で広く信仰されている多神教の神話だった。信仰の対象を特定の神に限定した宗教国家や民族もあるが、登場する神々の顔ぶれ自体は大きく変わらない。
神聖魔術という明確な神々の恩寵が存在するためだと思われるが、それはともかく神話の中身だ。
滅びの波が押し寄せ、世界は一度混沌に還りかけた
神々は地の奥に逃れ息をひそめ、絶え間なき嵐をやり過ごす
やがて太陽の神々と月の神々が産み落とされ
狂った天と地の調律を行い、世に再び平穏をもたらした
「……どう考えても」
《似ていると思われませんか? 我々の事情に》
「似てるっつうか、それ以外ないんじゃ……うわあああ、まーじーで~?」
太陽神と月神が常に複数形で語られていると知った時は、なんでだろうと首をかしげたものだが、まさかこんな裏があったとは。
「このパターンだとあれか? この星には昔とんでもない高度文明があって、何らかの事情で滅びかけて、一部は地下シェルターみたいな場所に逃げ込んでぎりぎり難を逃れて、何か特別な衛星飛ばして滅亡そのものは回避できたと、そういうパターンですか」
《おそらくは。そして人工衛星が太陽と月の役割を果たして持ち直したのなら、滅びの危機もそのあたりが原因かと。船内から周辺の空間を可能な限り探してみましたが、天然の太陽と月が発見できませんでした。少なくとも私が知覚できる範囲内には見つけられなかったのです》
「おおう……マジですか……」
つまり何らかの理由で太陽が行方不明になってしまい、急遽代用品を作ってみたら大成功したわけか。そんなこと、凄まじく高度な科学力を持っていなければ不可能ではないか?
《魔法と科学が融合し、我々より遥かに高度な魔導科学文明を築いていた可能性は非常に高いかと。言わせていただければ、〝魔素〟など凄まじい万能物質ですよ。この星はすべての生物の営みが〝魔素〟に左右され、自然現象にも大きな影響を与えています。ちなみにこの神話は精霊族の記録に残るとされる最古の創世神話で、およそ十万年前のものです。生き残ったわずかな知的種族が原始的な生活から新たに始め、徐々に人口が増え、各地に国が興り、現在の文明レベルまで発展するには充分な年月ですね》
「十万年……すいません、長いんだか短いんだかピンとこないです」
正直に白旗を揚げれば、ARK氏は呆れるどころか《無理もありません》と理解を示した。
《そもそも私がこの星にたった百年で辿り着けたこと自体、本来ならば有り得ないほど低い確率でした》
「ああ、百年どころか、下手したら何千年って長期計画立ててたんだよね? それはそれでピンとこないけど。発見できてラッキーだったね」
《いいえ。ここを通りすがりに発見するなど、数千年どころか数万年経っても確率はゼロのままでしたよ》
「え、どゆこと?」
《ワープ装置の開発に成功し、数百年かかるはずの距離を数十年に縮め、数千年かかるはずの距離を数年に縮め――それはあくまでも移動時間を短縮できただけであり、この星に到達できる理由にはなりません。なのに実際到達できたのは、それが純然たる〝偶然〟ではなかったからです》
「なんじゃそりゃっ? 航行中にたまたま見つけたってわけじゃなかったの?」
《違います》
「それじゃ――え、まさか、ここに、この星があるって、あらかじめ知ってた……とか?」
《ご名答です》
よくできました、と頭を撫でられた気がした。小学生か。
《入植可能な星を探すには、まずどちらの方角へ向かうべきか、長年調査が進められていました。そんな折、無人探査船がどの国家の衛星の軌道上でもない宇宙空間で、不審な人工物を発見・回収しました。これは本当に偶然です》
「なんですと……!? ま、まさかそれを調べてみたら外宇宙の航行図だったとか、古いSF映画の定番みたいなそういう……?」
《そのまさかです。そしてそれは秘密裏に情報を運んでいたわけではなく、むしろ拾った者に情報を与えることが目的のようでした。難解な仕掛けも暗号もなく、科学者達がちょっと弄っただけで大量の情報が出てきたのです》
使われている言語それ自体が暗号と言えなくもなかったが、図面が多く、言葉がわからなくとも意図を読み取りやすい親切な仕様になっていた。
《その人工物がどこからどのようにやって来たのか、すべて記録されていました。そしてルートを遡った最終点、すなわちそれの出発地点に、この星が示されていたのです》
「ま、じ、でええええ!? なにそのロマン!?」
使い古されたありがちなネタだと馬鹿にしててすみません、現実にあったら凄くドキドキわくわくするものだったんですね――瀬名はどこへともなく謝った。
《まじです。あくまで辿った道筋のみが記録されており、具体的にそこがどのような世界か、といった詳細は確認できませんでしたが》
かつて地球でも、外宇宙に向けてメッセージを発信する試みがあった。いるかいないかもわからない地球外知的生命体の反応を期待して、半分お遊びのような実験だったらしいが、もしもそれに近いことを行っているとすれば、その星の文明は地球人類と似た進化を辿っている可能性が高いと考えられた。
《蓋を開けてみれば、その程度ではありませんでした。せいぜいサッカーボール大の人工物は、空間転移を繰り返しながら自動航行を続けていたのです》
「ひょー……!」
その段階で科学力の差は明白だった。ARK氏がワープシステムを完成させたのは、さらにずっと後のことなのだから。
しかも件のボールの出どころと思しき星までは、案の定、気が遠くなるほどの距離があった。
そこを支配しているのが、遥かに高度な知識と技術を持っている知的生命体なら、たとえ到達できたとしても、外宇宙から訪れた移民を〝下等生物〟と蔑むかもしれない。
しかし、方舟計画が実行に移される段階で、他に候補がなかったために、一旦はそこを目標地点として航行することになった。もちろん、途中で良さげな星が見つかれば、そこに変更してもいい。
まともに進むだけでは、途方もなく長い年月を要するので、離陸後もARK氏がワープの研究を継続し、そして現在に至るわけである。
《お遊びが目的ではなく、救助要請だったのかもしれません。例の衛星を打ち上げる前に送り出され、役割を果たせることなく漂流してきたのではないかと》
「そっかー……」
とうに滅びた文明のSOSか。
切ないような、ロマンを感じなくもないような話だが、つまるところ文明が滅びても世界が無事で子孫も生き残ったのなら、結果オーライと言えなくもないかもしれない。
当事者ではない人間が、結果論と書いて他人事と読んだだけなので、滅びた連中からすればオーライなどと断じて言われたくはないだろうが。
「でもってこの情報、他国には」
《秘匿されました。伝えるか否か物議を醸したようですが》
「結局は自分達だけで独占しようと。まじ性格悪い……」
《こういうものを見つけたので協力しようと馬鹿正直に呼びかけても、情報だけ持っていかれて蚊帳の外に放り出される可能性も高かったのですよ。上層の方々の性質は、どこも似たり寄ったりでしたので》
「おおう……」
そしてそういう連中だけが助かり、まともな性格の人々だけが滅びたと。
船がもし宇宙の塵になっていなければ、今頃はそういう連中がこの星に大量に押し寄せて来ていたわけで。
(エイリアンだ……外宇宙からの侵略者だよそれ……絶対オーバーテクノロジーでこの星支配しようとするよ……)
そんな害獣どもがこの星に棲みつき、人々にかけたであろう大迷惑を想像すると、同族として心からそうならなくて良かったと思う。
「ときにARKさん。この流れでアレだけど、わたくし〝神話に隠された謎を追い、壮大なる世界の秘密を求めて大冒険!〟とか絶対やりたくないクチなんですが。もしかしてやらなきゃだめですか。やりたくないんですが。大事なことなので三度言っていいですか」
《必要ありません。太古の謎は謎のままで、現代の日常生活にはまったく差し障りがないでしょう》
「よかった! さすがARKさん、話がわかる!」
冗談抜きで本当に良かった。大冒険など映画やゲームの中でこそ楽しむべきものであって、現実にやるようなことではない。
学者でもあるまいし、超古代文明の痕跡をしらみ潰しに調べたり、忘れ去られた大地の探索がどうとか、そんな危険そうで疲れそうなことに進んで足を突っ込みたくなどないのである。謎解きはやりたい人に任せておけばいいのだ。
《最優先すべきは、平穏無事なスローライフの実現です。ローリスク・ローリターンの〝ちょっとした冒険〟はリフレッシュ効果が望めますが、ハイリスク・リターン不明の〝大冒険〟など論外です。今後の予定には一切ありません》
「まさかのスローライフ全面肯定発言……!」
瀬名はこのままずっとARK先生に付いて行こうと思った。
「ん? あれ? もしかしてここの人類って、自分のご先祖様達を神様扱いして崇めてることになんの?」
《いえ、そうとも限りません。神聖魔術が他の魔術とどう異なるものなのかまだ不明ですし、どの神話でも神々とその他の種族は明確に区別されています。何より、長寿生命体の精霊族がその実在を認めているようですから、〈神々〉に該当する種族がどこかに存在しているのかもしれません》
「捏造とか空想の産物じゃなく、生き物として?」
《はい。人やエルフ、犬や猫のように。骨格だけで動ける摩訶不思議な魔物が存在するくらいですので、実体を持たない種族である可能性もないとは言い切れません。それに私は地球人類の常識をもとにそれを〝神〟と解釈しましたが、我々の〝神〟に対するイメージとは根本的に別物である可能性すらあります。たとえばドラゴンのように――》
「えっ、ドラゴン!? いるの!? うそ、どんなの、見せて見せて、見たい!」
ファンタジー世界に登場する中で、エルフと同じぐらい別格で好きな生き物だった。
倒すべき凶悪なモンスター扱いではなく、意思疎通が可能で、叡智を備えた強大な神のごとき位置付けであれば尚良い――
《現在調査中です》
「あっ、はい。すみません」
真面目な話の腰を折るんじゃありませんよこの阿呆、と怒られた気がした。
《――話を戻しますが。ここには地球と異なり、一定以上の知的レベルの種族が多く存在します。ですので、たとえばエルフやドラゴンのように、飛びぬけた叡智や能力を備えた種族がどこかに存在し、自分達より高位の存在として崇めているのかもしれません。何にせよ情報が足りませんのですべては推測の域を出ないでしょう。以上です、マスター》
「あっ、はい。わかりました」
おわかり頂けましたね? と威圧された気がした。
マスターって何を意味する言葉だったっけ、と瀬名は首を傾げるのだった。