87話 踊らされる愚者の悲哀 (1)
(あ、あ、あ、アレだ! あいつ、あのバケモン、俺が……っ!)
人々の悲鳴と怒号の渦の中、全身の血がざああ、と引いた。
ドニは気付いてしまった。あの怪物は、ちょうどドニが住んでいた、ボロくて陰気で酒と腐った臭いのする、あの建物を突き破って地上に出てきたのだ。
自分はいったい何を運ばされていたのか。いや、運ぶだけではない。
ドニはそこに住んでいた。もしあの爆発の瞬間、もしあそこにいたら。
遠目にもおぞましい怪物の姿に、ドニは失禁しそうになりながらひいい、と声を漏らし、崩れそうな膝をむりやり動かして、逃げた。
とにかく逃げた。
そうして、どこかの裏路地の隅にうずくまり、がたがた震えた。
あの瞬間、あの建物の中にいた者は、きっと誰も生きていないだろう。
いったいあの怪物が何人の命を呑み込んだのか、怖くて想像もしたくないのに、そればかりが頭をよぎる。
そして自分がもし、未だにあそこで暮らしていたら。
たまたまあの硬い寝台に横たわっている時に、あれが出てきていたら。
凶悪な棘にざっくりと引っかけられ、血を流しながら、あの口の中に――
(いやだ、いやだ、いやだぁ……)
どのぐらいそうしていただろうか。
忘れていた空腹感が、徐々に腹をぎゅうぎゅうと絞りはじめ、ドニはふらつきながら立ち上がった。
足は無意識に、美味しそうな匂いを漂わせる屋台へと向かう。
己の服をさぐると、まだたっぷりと金子袋の中身が残っていた。
屋台の老人が、あまりに酷い顔色を見かねてか、何やら話しかけるのに、「西地区から逃げてきた」とぼんやり答えていた。
大変だったなあ、と言いながら、串焼き肉を一本おまけしてくれた。
夢中でむしゃぶりついた肉は、やたら美味かった。あっという間にすべてたいらげ、追加で何本か注文した。
店主から気遣わしげに布を渡され、ドニは自分が泣いていることに気付いた。
空腹が解消され、涙を流して、幾分かすっきりした頭で、ようやく「これからどうしよう」と、先のことに思考が向きはじめた。
(どうすりゃいいんだ。あんなものを持ち込んじまった)
しかも生き残ってしまった。
ドーミアの騎士達が、討伐者ギルドの連中が、きっとあちこちで犯人を――すなわちドニを捜している。
見つかるのはきっと、時間の問題というやつだ。
(それにもし、騎士団に捕まらなくとも、俺は、きっと消される……)
余計な好奇心を持てば、生きたまま解体される――
騎士団に捕まるか。あいつらに消されるか。
どっちも嫌だ。どっちも怖い。
(けど……)
どっちかが決まるまで、このままずっとびくびくしながら隠れ続けるのも、もう嫌だった。




