86話 聖域の郷と門番の村
「お外こわい。でたくない」
《ですから、あの兄弟が対処いたしました。出ても大丈夫です、お外に問題はありません》
それでも熱光学迷彩スーツを要求し、そんなものありませんと突っぱねられ、ほんとかよと食い下がる攻防をしばらく何度も繰り返したのはご愛嬌である。
◆ ◆ ◆
今朝から妙に顔色がすぐれないと思っていたが、気を失うとは。
腕の中の瀬名は、演技でも冗談でもなく、完全に意識がなかった。
どことなく唇の色が薄く感じたのは気のせいかと思っていたけれど、もう少し注意しておくべきだったかもしれない。
彼女はどうやら他人の視線が大の苦手で、ここに着いてからずっと、何かの限界に挑むような精神状態だった。
さっさと城に向かい、静かな落ち着いた環境に置いてやらねばと、進路を塞ぐ狼族の長に声をかけようとした――寸前の出来事だった。
おそらく彼女がまったく警戒していなかった死角からの、まさかの一撃。
「せっかく、我々が、黙っていようと決めたものを……」
「余計な真似をしてくれる……!」
「は、え!?」
「!!」
狼族が毛を逆立て、魔馬達が怯えていななく。
己の魔力が剣呑な性質を帯び、周囲に漏れている自覚はあったが、抑える気にはならない。
それ以上にノクトの気配のほうがあからさまだったが、いきなりここで剣を抜いたりはしないだろう。
「兄上。少々、殺ってもいいでしょうか」
「気持ちはわかるが控えろ。起きた時、原因が自分だと思って気にするかもしれん」
「……仕方ありませんね」
狼族が臨戦態勢に入り、騎士達が動揺するのを感じる。
殺らんと言っているのに、わからん連中だ。
「ここで戦う気はない、獲物を仕舞え。それよりも彼女を休ませたい。さっさと城へ向かうぞ。ローラン殿、案内してくれ」
「は、……はっ!」
もはや隠す意味もなくなった。有象無象の耳目の集まる場所で、箝口令など敷きようもない。
騎士達が瀬名を凝視している。観衆の中には討伐者らしき姿も見受けられた。
無理もないし、彼らに非はないが、不快だった。
(彼らの態度は変わってしまうだろう)
そうなれば瀬名は傷付くか、失望するか。
(……引きこもるかもしれん)
真珠の城――〈スフィア〉の中に籠城されてしまうと、自分達では打つ手がなくなる。それだけはやめて欲しい。
だが、どうにも顔色の悪さが気になる。中途半端に目覚めても、無理をしてしまいそうだ。
何故起こしてくれなかったんだと、後で怒られるかもしれないが…。
【しばし、穏やかに〝眠れ〟】
唱えてから、瀬名の身体を引っ張り、己の前に乗せて横抱きにする。
効果はちゃんとあるようで、腹部が規則正しく、ゆっくり上下しているのが伝わった。
起きる様子はない。瀬名の愛馬のヤナが、別の魔馬に移動させられた主の膝に、心配そうに鼻面をこすりつけていた。
「犬ども。あなた方もうるさく吠えずに、大人しくついて来なさい」
「なっ、犬っ!?」
「いや黙れ長、今のはあんたが悪い…」
「そうだぜ、ここは従っといたほうがいいって!」
「うん、これはしょうがねえよ……」
――なるほど。今のは、この男の暴走だったか。
城に向かう坂を、魔馬を心持ち速足にさせて急いだ。
全員が無言で、重苦しい感情が周囲を支配していたが、知ったことではない。
青い小鳥が先行し、既に城に通達していたらしく、無駄に足止めされることもなく城門をくぐった。
そしてそのまま、以前も訪れた会議の間に案内される。
小鳥の指示があったか、そこには椅子の他、以前はなかったソファも準備されていた。
適度な弾力のクッションへ瀬名を横たえている間に、辺境伯親子も駆けつけた。
既に経緯を聞かされているのだろう。親子は騎士達がそうであったように瀬名を凝視し――
(……ああ。どうやら、伯のほうは薄々勘付いていたようだな?)
彼には他の連中ほどの驚きがない。ただ、額に手をやって「どうしたものか」と悩んでいる様子だった。
本日の主要人物が全員揃い、それぞれが席につくこともなく向かい合う。
とりあえずこれだけは先に言わせてもらいたいと、シェルローヴェンが口火を切った。
「貴様は馬鹿か」
「なんっ……」
「そうなんだ、すまねえ。こいつ馬鹿なんだ」
「おいっ!?」
族長の隣に立つ男がすぱっと肯定した。
「族長補佐のラザックだ。副族長みてえなもんだと思ってくれていい。さっきの質問だが、その通りだ。マジで悪かった」
「おい、てめえな!?」
族長の言葉遣いが若干くだけたものになる。最初の長然とした口調も演技ではないだろうが、こちらが素に近いか。
「あのな長、ちょいと考えりゃわかんだろ? なんでああいう格好してんのよ。騎士が呼ぶ時に『彼』っつってたろ? 隠してたに決まってんじゃねーのよ」
「そうだぜ。つうか、気付いてなかったんかよ」
「せめて、場所が違ってりゃあな……」
「……うおおおっっ!? そうかああっっ!!」
自分のしでかしたミスに、ようやく思い至ったらしい。「しまった…!!」と頭を抱え込んだ。
(……存外、素直な男だな? だが今さら理解できたところで、遅いというのに)
まあ、中にはここまで説明されても理解できず、非を認めない馬鹿もいる。その手合いに比べれば、この男はまだマシか。
「すまない、伯。あなた方も席についてくれ」
「う、うむ……」
ひとまず、予定通りに話し合いを開始する。精霊族の代表はシェルローヴェン、瀬名の代理はアーク、灰狼族の代表は――族長がしばらく使い物になりそうにないので、ラザックでいいだろう。
そして、デマルシェリエの代表はもちろん辺境伯。
息子はまだ少し、瀬名のほうを気にしている。伯にたしなめられ、姿勢を正しており、将来性はありそうだがまだ若い印象だった。
「話し合いの前に、すまぬが……セナに関して、そなたらは全員気付いていたのか?」
確かに、気になる点ではあるだろう。
辺境伯が灰狼族の面々に尋ね、ラザックが肩をすくめる。
「まぁな」
「何故わかった? セナは、その……見事だったように思うのだが。せいぜいが童顔の少年のように見えるぐらいで、肝が太く、仕草も口調も何もかもが自然で、違和感などまるでなかった」
「そりゃあ、外見じゃねえよ。匂いだ」
「匂い? 知人の妖猫族は気付いていない様子だったぞ? 頻繁に会っていたというのに」
「草花や土や樹の香りが強いっつってなかったか、そいつ? 森の香りがするとかよ」
「……その通りだ」
「紛れっちまってわかりにくいだろうとは思うぜ。ただ、俺ら狼種はとりわけ鼻がきくんだよ。加えて、うちの部族のガキが、保護される時に密着してる。そこまで接近して間違うこたぁまずねえ」
「……!」
「助けてくれたのはすげえかっこいい〝お姉さん〟だったってよ。ところが噂じゃ野郎だっつーじゃねえか? んで、実際本人に会ってみて、匂いに注意してみたわけだ」
「そうか……それで」
「全員が確信した。――『この女が〈黎明の森の魔女〉本人だ』ってな」
「ほんっとぉぉおお――――にッ、すまんッッ!!」
族長が叫び、拳で額をガンガンと打ち始めた。
「おやめなさい。足りない頭が余計足りなくなるだけです」
「うぐッ!!」
「そうだぜ長。ただでさえ足りてねえんだから、余計中身が落っこちるような真似すんなよ」
「うううッッ!!」
「……そのへんでやめてやれ」
即席タッグを組んだ辛辣二人組の猛攻を前に、やや怒りを鎮火させたシェルローヴェンが制止する。
ここまで全力で反省している姿を見れば、しつこく怒るのも大人げない気がしてきた。
「何故このお馬鹿さんが族長なんですか? 副族長さん」
「お馬鹿だけど無能じゃねえんだわ、これで」
「そうなんだよ、これで」
「うん、これで」
合いの手が次々と入る。人望もあるらしい。
「……瀬名が起きたら、おまえが反省していたと伝えておこう」
「ありがたい!! ほんっとおおおに、すまん!! 恩に着る!!」
「……わかったから、話を進めるぞ」
毒気を抜かれたというより、この勢いで謝罪攻撃などされようものなら、ますます瀬名が疲れ果てそうだと懸念したがゆえの対応であった。
◇
今回の灰狼族の移住について、最も重要な論点は、「そこが誰の領地か」ということである。
精霊族も無関係ではなかった。ここはエスタローザ光王国の、デマルシェリエ辺境伯の領地であり、〈黎明の森〉もその領地に含まれているのである。
この土地でとれるものは、野草も雑木も、小川の魚も、討伐した魔物の素材も、採掘した鉱石も、すべてが辺境伯のものだった。
たとえば森で少量の枯れ枝を拾い、自宅のかまどで煮炊きをする程度なら目こぼしをしてもらえるが、無許可で燃料として販売すると罪になる。
自宅用だからと使用人に拾わせるのも、一定量を超えれば罪だ。
悪質な領主の土地では、自分ひとりがささやかに使う分だけを拾うのも、許可がなければ投獄される恐れがあった。
領地にあるものは、すべて領主のものである。その領地に住まう者達は、そこで得た利益の一部を領主に税として納めねばならない。
そして領主は、領地から得た税収の一部を国に納めるのだが、この時に問題になるのが、〈黎明の森〉をデマルシェリエ領に含めていいのか、というところだった。
魔物討伐により利益が見込める魔の山と異なり、迷いの森はその土地の領主に、ほとんど何の利益ももたらさない。奥に〝何が〟棲んでいるかも確かめようがなく、伐採して薪や建材を作るにも慎重さを要し、採集もろくにできない。
にもかかわらず、書類上ではそこもれっきとした〝領地〟に含められており、国へ納める税の割合を、その土地の分まで加算されてしまうのである。まったく己の自由にできないというのに。
つまり、本来なら余所者が勝手をしていい土地ではない。そこは精霊族がもとから住んでいた森ではなく、兄弟達もまた移住してきた立場だ。無害な魔女がこぢんまりと一人暮らしをしている程度なら目こぼしの範囲内だが、シェルローヴェンが一方的に森を己の領地と宣言してしまえば、それはウェルランディアの王族による光王国への侵略行為となる。
では、デマルシェリエの領民となるか? 灰狼族ならばそれが可能だろう。
だが、言うなれば他国の王子が、一介の伯爵の領民になるなど有り得ない話だ。
そこで青い小鳥が解決策を示した。
「れ、――〈黎明の森〉を、まるごと、買い取る……?」
灰狼の族長があえぎ、ラザックもうなった。
《ご安心を。あなた方はマスターに従属する立場ですから、資金を出すのはマスターとウェルランディアです》
「いやいやいやいや!?」
「待て待てマテまて!?」
《他国の王侯貴族が土地を購入し、別荘を建てるのと似たようなものですね》
「ちょ、待ってくれアーク殿!? 別荘って、規模が違うんだが!?」
ライナスも叫ばずにいられなかった。が、辺境伯は顎に手を添え、何やら思案する。
「他国の王族へ売却するには、事前に国へ報告が必要となる。そうでなくば侵略の足がかりにされかねん。これほど広大な土地であればなおさらだ。たとえ我らの手に負えん〈森〉であろうと、無断で行えば私は無能か、売国奴の汚名を着せられるであろう。その点については、何か考えがおありか?」
《ええ。単純なことです。ウェルランディアより正式に、光王国へ〈黎明の森〉購入を申し出ていただければよろしい。あなたは〈黎明の森〉のある土地を国へ還し、この国がその土地を我々に売る。あなたの領地は目減りしてしまうわけですが、たいして問題はありませんでしょう》
「…………」
《ついでに、治外法権を認めていただければなおよろしいですね。殿下方、ウェルランディアのどなたかに交渉をお願いできますでしょうか?》
「……女王にお伝えする。その案は間違いなく採用されるだろう。交渉役に嬉々として名乗りをあげそうな心当たりが、山ほどいる」
兄弟達がほんのりと笑み、彼ら以外が天を仰いだ。
えらいことになったな、と。
そして灰狼族は、〈黎明の森〉の、ちょうど入り口付近に集落を構えることになった。
迷い始める地点からは決して奥へ進まないよう、彼らの嗅覚で捉えられる程度の匂い袋や目印を各所に設置し。
やがて、ウェルランディアの王子達を長とする精霊族の集落は〈聖域の郷〉と呼ばれるようになり。
灰狼の部族が住まう入り口の集落は、〈門番の村〉と呼ばれるようになるのだった。
◆ ◆ ◆
「――待ちたまえARK君。森まるごと購入って、そんな貯金どこにあったんだい……?」
つい最近、すっからかんになった気がするのだが?
《ウェルランディアの方々と折半でしたので、余裕で足りました》
「だからそれはいつ、どこから調達した!?」
《つい最近、ドーミアです》
「へ?」
《【イグニフェル】の幼体、その素材ですよ》
「なぬ」
なんと。ARK氏はちゃっかり、精霊族の連中に指示し、あの怪物の成れの果てを――とりわけ、頑丈な荊のあたりを回収させていたらしい。
荊の表面は盾や防具類に、棘の部分は様々な武器に加工し。……なかなかの高値で売り捌けたそうな。
《せっかく精霊族の皆さんが頑張ってくださったのに、ろくにお礼も申しあげておりませんでしょう。というわけで、彼らをねぎらうためにもさあマスター、その布団ダンゴから出なさい》
「やだ。お外こわい。でたくない。視線こわい。恥ずかしい」
《イケメンにここまで抱っこで運んでもらったことがですか? それとも無自覚の不調の原因が女性特有の原因による貧血でしかもしっかりバレたことでしょうか?》
「う、あ、あ、あ、あ、あああああ~ッッ!!」
《ほらほら、お外に行けば念願のもふもふもいますよ?》
ヒキコモリ願望がすっかり再燃した魔女と、デリカシーゼロな小鳥の攻防は、もうしばし続きそうである。
弟と副族長のいじりっぷりに、族長が少し可哀想になってきたお兄さん。
末王子と副族長がもし親友になったら周囲に恐怖しか与えない予感……。




