85話 何故、よりによって、こんな所で
遠方との情報のやりとりには、伝書鳥がよく使われている。
博物館で見た〝公園の鳩〟とそっくりで、ひとまわり大きく、翼は風だけでなく魔素や魔力も受け、正確な高速飛行を可能にしていた。
猫型魔獣のフェレスと同じく、弱い魔鳥なので結界に阻まれない。
ちなみにフェレスという呼び名は厄災種と違い、それほど時代の古いものではなかった。といっても千年も前らしいが、どこぞの国の王女が小型の猫型魔獣を手懐けるのに成功し、王宮で飼われ始め、それが世界中に広まったのだそうだ。
そうして、愛玩可能な猫型種を指し、当時王女がペットにつけていた名にちなんで〝フェレス〟と呼ぶようになったという。
伝書鳥は伝書鳥だ。個人的に可愛がって名付けでもしない限り、他に呼び名はない。
伝書鳥のメリットは、地形の影響を受けず速やかに情報を届けられること。
デメリットは、一度にやりとりできる情報量が少なく、途中で危険な妖鳥に遭遇するなどの事故で届かない可能性があること。
正式な書状や、一度に大量の情報を送りたい時は人を使う。道中で何らかの災難があっても、鳥と違って足跡を追いやすい。デメリットは、相手に届くまでに日数がかかることだ。
どちらを利用するかはその時々による。
その他、王族や騎士団の城には、緊急連絡用の転送魔術があった。円陣を設置するのにギルドの訓練場ほどの広間が相手側とこちら側の双方に必要で、一度に転送できるのは菓子折りの箱程度の容量。もちろん生ものは不可。
確実に一瞬で届けられるメリットはあれど、手紙一通送るのに金貨十枚ほどの魔石を最低一個は消費してしまう。
何より、転送先がどうなっているか不明の状態で送ると、相手方の城は敵に占拠されており、敵に情報が渡ってしまった……などという事態も発生しかねなかった。送る前に相手の状況にも注意せねばならず、気軽な文通に使用するなどもってのほか。本当に緊急時にしか利用できないものだった。
瀬名は少し前から伝書鳥の必要性を感じていた。
が、体内コンパスを持っている鳥でさえ〈黎明の森〉では迷うらしい。
上下感覚も狂うので、飛んでいるつもりが墜落している状態にもなったりするそうだ。
《ですが、今後は飼育可能になるでしょう。――灰狼の部族がドーミアに到着いたしました。ドーミアから迎えを寄越すとのことです》
どこからか、ARK・Ⅲが報告した。
青い小鳥は現在この場にいない。ドーミアの町のどこかにいて、リアルタイムで〈スフィア〉と情報を共有しているのだ。
この世界で最も正確かつ最高速の情報伝達手段なのだが、実はこれにもデメリットがあった。
小鳥がドーミアに行っている間、瀬名の傍に小鳥がいないのである。
このデメリットが思いのほか大きい。小鳥氏が遠方へ偵察なりお使いなり行っている間、瀬名はこの〈森〉から下手に動けなかった。
〈スフィア〉から離れ過ぎてしまうと、ARK・Ⅲが何か緊急事態発生の旨を伝えて来ようにも、瀬名がそれを受け取る手段がなくなってしまう。
念話も届かない。
ならば、あまりおすすめしたくないのだが、小鳥さんをもう一羽増やせばいいのでは?
小鳥さんはARK・Ⅲ本体ではなく〝子機〟だ。
あっちにもこっちにも小鳥さん――想像すればホラー映画さながらにぞっとする光景だけれど、背に腹は代えられないともいうし。
気乗りしないまま提案してみたら、その案はあっさり没にされた。
理由は国中に飛ばしている十機のタマゴ鳥だ。送られてくる膨大な情報の精査に大分リソースを割いており、子機をもう一羽同時に稼働させてしまうと、逆に効率が落ちてしまうのだそうな。
ARK氏としても、どうにか鳥を増やせないか計算してみたものの、現状では今のバランスが最適という結論に落ち着いたらしい。
自分の子機を増やすために、タマゴ鳥を減らすという選択はもちろんない。
「わたしとノクトも同行する。その旨を伝えてもらえないか?」
《承知いたしました》
「エセルはどうすんの?」
「わたしは集落の建設を進めておく。植えた食べ物の収穫や調理法などについても、皆に教える必要があるからな」
「なるほど」
料理教室か。適任であった。
「あんた達は遠くの仲間と、どうやってやりとりしてんの? ウェルランディアが迷いの森だったら、伝書鳥やっぱり飼えないよね?」
「いや、飼えるぞ?」
「え。迷いの森じゃないの?」
「迷いの森だが、一定以上の強い魔物や、同胞以外の知的種族を排除するんだ。ここのように、鳥やフェレスまでを迷わせたりはしない」
「ええー……?」
《マスター。彼らの森はドーミアの守護結界と近い性質の迷いの森ですが、ここは天魔鋼の鉱脈があるために迷いの森化しているのですよ。原因が根本的に異なります》
「そうか、それがあったか……」
「そうだったのか!?」
「ここに鉱脈が!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「初耳ですよ……」
呆れられた。
《詳細はのちほどご説明しますが、あなた方も普段は伝書鳥を利用なさっているのですね?》
「あ、ああ。――他には、水霊魔術によって遠方の郷と連絡を取る方法がある」
「水の魔術にそんなのあったっけ…?」
「我々にしか使えない、血統魔法の一種だ。魔法であり、魔術でもある。星予見という未来予測に長けた能力者がいて、彼らの魔術によって用意された水鏡を使えば、別の郷にある水鏡の相手と話すことができる」
「盗聴が気になる場合は、相手に問題ないかを訊いた後、転送魔術で手紙を送るっていう手順を踏むんです」
「ほほうほう」
モニターで本人確認をした上で手紙送信?
タイムラグもなく、この世界ではずば抜けて速い――ARK氏並みに速い伝達速度ということではないか。
しかし、何事もデメリットはつきものらしく。
「郷同士でしかやりとりができない。水鏡のない場所については、誰かが直接足を運んで調査結果なり手紙なりを持ち帰るか、鳥を使うしかない」
しかし現状、彼らが騎士団に用があっても、小鳥氏が近くにいなければ、アポなし突撃訪問するしかなかった。
やはり、伝書鳥ぐらいは飼えるようにしておいたほうがいいだろう。
◇
森の出口に着くと、すっかりお馴染みになってしまったセルジュ=ディ=ローランと部下の姿があった。
彼らはどうやら、こちら方面の担当にされてしまったらしい。お気の毒である。
ヤナと、誰も騎乗していない鞍付きの魔馬が二頭。瀬名はいそいそとヤナに乗り、上空で旋回していた青い小鳥が、定位置とばかりに肩におさまった。
他の二名も手綱を受け取りつつ、不意に、シェルローが騎士達を見上げて言った。
「あの時は世話になった」
「え?」
戸惑う騎士達に、ノクトが微笑みかける。
「あなた方でしたよね? 前に我々を護衛しながら〈森〉まで運んでくれたのは。もう一人の兄上も感謝していますよ。ありがとう」
「あ、いえ……」
彼らも憶えてはいたはずだが、あの時の痩せ細った子供と、立派に育ち切った目の前の彼らの姿を一致させられず、戸惑いが大きいのだろう。
「そのように言っていただけるほどのことでは……おそれ多い……」
「普段通りで構わんぞ?」
「いえ、さすがにそれは……」
ローラン隊長は逡巡し、ふと何かを思いついて苦笑した。
「では。――どういたしまして。また何か御用でもあれば、気軽にお声がけください」
「ああ。その時は頼む」
「あなた方も何か心配ごとがあれば、わたし達に相談してくださいね」
「はい。ありがとうございます」
騎乗しながら、シェルローとノクトは満足そうな笑みを浮かべていた。
ローラン隊長はすんなりと正解を選び取ったようだ。
「……おさすが」
驚嘆しながらぼそりと呟けば、部下達もこっそり頷いていた。
「いえ、たいしたことでは。下手に抵抗しても無駄だと腹をくくったら、自然とこうなりました。結果的にこれで良かったみたいですね」
「…………」
それは、爽やかな笑顔で答えるような内容なのだろうか。
伊達にほんのり不幸な場数を踏んでいるわけではないらしい。うっかり尊敬しかけていた部下が「なるほど…」と微妙な顔になっていた。
すべて聞こえていた兄弟二人が、小さく笑い声を漏らしていたので、まあ、確かに、これで良かったのだろう。
一行がドーミアに到着すると、門に入った直後から大勢に取り囲まれた。
獣耳、獣耳、獣耳――言わずと知れた、灰狼の部族である。
今後の話し合いとやらは城で行うはずなのだが、どうやら瀬名の到着を待ってくれていたようだ。
「お久しぶりだな、セナ=トーヤ殿!!」
笑いながら一歩前に出たのは、部族長のガルセス=マウロ=ロア。ウォルドとあまり体格の変わらない、豪快で気のよさそうな男だった。
半獣族はよくいるけれど、灰狼はあまりいない。それもこれほど大人数が一度に集まれば、精霊族の集団ほどではないがかなり目立つ。
町の人々がぞろぞろ遠巻きで窺っているのに気付いて、瀬名は口から魂が抜けそうになりながら「お久しぶりです」と返した。
どうして自分は、遠巻きで窺うあの人々の中に紛れていないんだろう。
自分こそがあの大衆の中の町民Aとして、豪華な集団を眺めつつ、同好の士と「いいもの見たね」と語り合うべきなのに。
この注目具合は、何度経験しても慣れない……。
耳や尾をもふもふさせて欲しいと、あやうくギルドに依頼を出しかけたあの日の業が、もしや今ここで巡って来ているのだろうか。
(人には向き不向きがあるんだよ! 注目されたい目立ちたがりのどなたか、遠慮せず私と代わってあげてくれませんかーっ!?)
せめてもう少し声を抑えて欲しい。
無理ならさっさとすぐにでも城へ向かいたいのだが。
――そんなささやかな望みが、まさかよりによってこんな形で叶うとは。
「伯より聞いたが、怪物騒ぎとやらに間に合わず申し訳ない! もっと早くに移住を進めておくべきだった……!」
「あ、いえ、お気になさらず…」
「だが今後は決してそのような不甲斐ないことにはならん!! 今後我らロアの部族は、〈黎明の森の魔女〉セナ=トーヤに忠誠を誓う!! あなたの爪となり牙となり、ことごとく敵を葬り去ることをここに誓おう!!」
「あ」
「え」
「――――」
瀬名はこの日、生まれて初めて、ショックのあまり本気で意識が遠のくという体験をした。
「瀬名!?」
「瀬名!!」
《マスター!》
「セナ殿!?」
やばい、落馬する……
ブラックアウトの直前に感じたのは、焦った兄弟達の声と、背中に回される腕の感触だった。
半獣族の大半は脳筋属性ですが、狼系は慎重なタイプが多いです。
灰狼の族長は……きちんと反省ができるタイプの脳筋です。
人様に迷惑かけるような言動は普段そんなにありません。




