82話 三者密談+α
「ドーミアの勝利に!! 乾杯ーっ!!」
「かんぱーい!!」
毎年、春祭りの終了と同時に客足は落ち着いていくものだが、今年は思わぬお祭り騒ぎの延長に突入していた。
余分に仕入れていた在庫も飛ぶように消費され、夜ごと酒場は賑わっている。
このにわか好景気は、あと何日かは続くだろう。
「よお、そこの席いいかい?」
上等な防具を身に着けた数名に声をかけられ、アスファはエルダとリュシーに「いいか?」と確認した。
二人が頷くのを待って、「いいっすよ、どうぞ」と答える。
獣耳の生えた戦士風の女性が、アスファの対応に感心したような笑みを浮かべた。前衛職の男、とりわけ新人には、連れの女性の意思を確認せず勝手に決めてしまう者が多い。対等な仲間ではなく、自分が守ってやっている立場なんだと自惚れがちなのだ。
(将来有望だね)
己の株が密かに上がっているとも知らず、アスファは彼女が隣に座ろうとするのに、ごく自然に椅子を引いてやり、ますます株が上がってしまう。
鬼教官に叩き込まれた〝世間一般の常識〟と、エルダやリュシーに吹き込まれた〝女性から見て恥ずかしくない男性の最低限のマナー〟を、疑問も抱かずごく素直に吸収してしまったアスファ少年は、無自覚にフェミニストな行動を取るようになってしまっていた。
「グレンが指導してる新人って、あんたらだろ?」
「そうっすけど」
「やっぱりな! ああすまねえ、俺達は――」
簡単な自己紹介を聞きながら、アスファ達は目まぐるしく顔色を変えた。
声をかけてきた全員が、高ランクのパーティーのリーダーだったのだ。
しかも、余所の町まで名が知れ渡っているような、百戦錬磨の大先輩である。
「つっても俺ら金ランクだからな。聖銀ランクの知名度にゃ敵わねえぜ」
その聖銀ランクを初日に舐めてかかった二人は、こっそり赤面して口をつぐむ。
「ウォルドは真面目な奴だから、なかなか飲む機会ねえんだけどよ」
「今日も見かけねえよな」
「神殿のほうで仕事あんでしょ。ほら、弔いとかさ……」
「ああ……」
「グレンは?」
「領主様にお呼ばれしてんだとよ。さっき仲間と『グレンどこにいんのかな?』って話してたら、通りすがりの騎士が教えてくれた」
「領主様か。じゃ、無理に誘えないわね」
「つうかここの騎士、話しやすくてビックリしたぜ」
「ああ、それ俺も思った。俺んとこの活動地域じゃ、前を通りかかっただけで『ゴロツキ風情が…』って睨んできやがるってのに」
「ローグ爺さんは?」
「何人目だかの甥っ子ん家で見かけたぞ。酒を樽で開けてやがったから、やっべーと思って逃げてきた」
「そりゃ正解だ。鉱山族の酒盛りに引きずり込まれたら、えれーことになるぜ……」
「あの爺さん、親族何人いやがるんだよ。知ってる奴いるか?」
「何人目だかの従兄弟がこないだ投獄されたんじゃなかったか? 神殿の貴重な聖水で酒を漬けたってよ。銘柄はずばり〝聖水〟」
「いやさすがにそりゃあ、眉唾だろ……」
しばらく三人をそっちのけで会話が進み、酒と大皿料理が運ばれて来た。
それぞれの皿に好きなように取り分けた頃、
「で、あんた達、パーティ組むんでしょ? パーティ名は決まったの?」
いきなり振られ、アスファは食べかけの肉を吹きそうになった。
「ごほ……ごくん。ええーと、そーゆー話は、全然聞いてねえんすけど……聞いてねえよな?」
「ええ。合否のお話自体も、まだですし……もうそろそろかとは、思うのですけれど……」
「おまえらは合格するだろ。俺様の見立ては間違いねえ!」
「そ、そうっすかね?」
「そ、そうならいいんですけれど」
「この自意識過剰な馬鹿はともかく、あたしもあんたらはいいとこ行けそうな雰囲気あると思うよ? んで、新人ってのぁいきなり単独で活動するより、慣れるまでパーティ組んだほうが安心だからね」
「依頼の幅も広がるしな。だいたいは一緒に指導受けた訓練生同士で組むんだ。グレン達もその予定でいるんじゃねえ? 今のうちにパーティ名どうするか決めといたほうがいいぜ」
「多分リーダーはおまえさんになるだろうしな」
「は、……ええっ?」
突然の話に、新人達は目を白黒させた。
「なんならウチのパーティに入ってくれたっていいぜ三人とも、むしろ入れ!」
「いや待て、俺のパーティだ! てめぇんトコだけ潤おうったって、そうはいかねえぞ!」
「るせえ、てめぇのパーティにゃ美人いるだろが! 俺んとこはゴツムチのムサイ野郎しかいねえってのに!」
「ありゃ男だ!! ヤツの腹筋すげえぞ、今度見せてもらえ!!」
「綺麗どころが居るだけなんぼかマシだろうが……!!」
「…………」
女性陣が「男って……」と白い目になり、アスファはいきなり投げかけられた難問に頭を抱えるのだった。
◆ ◆ ◆
ドーミア城の一室。辺境伯の私室には、四名の男達が集っていた。
部屋の主たる辺境伯と、息子のライナス、妖猫族のグレン。いつもの顔ぶれに加え、今宵はもうひとり。
「息子達はあの方のもとに押しかけたようだ。迷惑をかけるなというのに、はしゃいでしまっていかんな」
オルフェレウスは「やれやれ困ったものだ」と口ではぼやきながら、慈愛に満ちた父親の笑みを浮かべた。
――あれはそんな微笑ましい光景だったろうか。
オルフェレウス以外の全員が、胸中で同時に異議を申し立てた。
よくよく思い返してみれば、なるほど、客観的には、知らない者が見れば、確かに微笑ましい光景だったかもしれない。
けれど何故だろう。あの時、近くで見ていた自分達の誰ひとり、あれを〝微笑ましい記憶〟に分類できなかったのは。
(この世ならざるものを見てしまった……)
どうしてか、そんなふうにしか感じなかった。
ちなみにギルド長のユベールもこの集まりに呼ばれていたが、「ごめん、今夜は外せない用事があって」とありきたりな理由を告げて逃げた。いつか十倍ぐらいにしてペナルティを支払ってもらおうと、辺境伯とグレンは画策している。
(しっかし。あいつにもあんな表情があるとはなあ)
交代でベッタリはりつく三兄弟に根負けし、げっそり大きな溜め息を吐く姿。
抱きつかれたまま頬を紅潮させてふるふる震えつつ、拳を握りしめていたあの表情。
本気で怒っていたのか、あるいは単に気恥ずかしかっただけか。いつもどこか超然としているあの魔法使いに、あんなごく普通の表情が存在していたとは。
精霊族が寄ってたかって、特定の人族にこれでもかと好意を表明するのも想像外なら、涼しげな態度が完全に崩れ去ったセナ=トーヤの姿も、誰にとっても完全に想像外だった。
「息子達があの方に懐いて、それほど意外か?」
オルフェレウスはグレンではなく、ライナスに向けて尋ねていた。
突然話を向けられたライナスは、驚きつつ気まずそうに「ええ……」と答える。
「僕は当時ドーミアにおりませんでしたので、正直、ぴんときていないのです。神殿に預けられている半獣族の子が皆、今もセナを慕っていると神官達から耳にしてはいますが……普段の彼の様子だと、子供に好かれるようには到底見えないので……」
行方のわからない我が子がいないかと、迎えに来た半獣族が既に何名かいた。そのうち数名は子が見つかり、親子で涙を流しながら恩人への礼を伝えたがったが、「そういうのは苦手だ」とセナ=トーヤからの強い希望により、伝言のみを預かるにとどめている。
魔法使いの正体をさぐる目的で、親の知人のふりをして接近を試みようとした者もおり、辺境伯達も無理に意思を曲げさせようとはしなかった。
残念ながらほとんどの子は、親兄弟の迎えが期待できない。悪質な孤児院で売られ、捜してくれる者のいない子が大半だった。なんともやるせない気分になるが、これからドーミアの子として健やかに生きて欲しい。
「できれば彼らが成長した頃にも、あの魔法使いがこの地にいてくれればいいのだが……」
「それは僕も思います」
父の言葉に、すかさずライナスが同意した。
彼らの脳裏に浮かぶのは、〝人間嫌いの偏屈魔女〟のおとぎ話。
実のところ、カルロ自身、魔法使いに憧れを抱いて育った息子を馬鹿にできない。めんどい、うっとうしい、かったるい、自分を巻き込むな等々のオーラを全身から発しつつ、律義に世話を焼いてやっているあの性格が、妙にくせになるというか、味があるというか。
利己的で、偽善を鼻で嗤い、相手の幻想をばっさばさと容赦なく切り捨てるくせに、その行動を結果的に見れば良いことをしていたり。
そしてそれを絶対に認めたがらなかったり。
はじめこそ、己が領地に利をもたらす存在確保のために、セナ=トーヤの機嫌を損ねてはならないと考えていた。
けれど今では、「想像していたのと違う」だのなんだのと黄昏ていたライナスともども、彼らはすっかりあの魔法使いが好きになっていたのだった。
「まあ、物語の魔女に似てて好ましいとか言われても、素直に喜べねーかもしれんけど」
「確かに。未だ少年っぽく見えるけど、中身かなり漢らしいからね彼って。誉め言葉と受け取ってもらえないかも」
「だな。ガチで強ぇし、もしあいつがそこんとこにプライド持ってたら、へそ曲げちまうかもしんねえ」
「…………」
辺境伯はそれについては意見を避け、手ずからそれぞれに杯を配り、果実酒をそそいだ。
強い酒精、芳醇な味わい。甘さは抑えられ、喉を通る時の熱さがたまらない。
ドーミアの特産品で、王族にも献上できる上等な品だ。普段滅多に口にできない高級酒に、グレンは嬉しげにヒゲをひくつかせた。
「では、我々の友好に」
「末永く続かんことを」
辺境伯とオルフェレウスが杯を掲げ、ライナスとグレンが唱和し、香る美酒を口に含んだ。
オルフェレウスも杯の端に唇をつけ、うむ、と口角を上げる。
その反応に辺境伯が会心の笑みを浮かべ、グレンはバルテスローグの台詞を思い出していた。
奴ら下手な貴族より舌が肥えとるって聞くぞぃ。美味い物には妥協せんのよ――
「息子達は、とても大切にしていただいたと話していた。半獣族の子らに対しても、扱い方は上手かったらしいぞ?」
オルフェレウスが話を再会した。
「セナ、意外に子供好きだったのか……」
「己が領域にある小さく弱い生き物を、踏みにじるか、包みこみ守ろうとするかで本質が表れる。記憶のないあの子らは、ほんの三年程度しか生きていない、無力な子供でしかなかった。――わずか一ヶ月。されど一ヶ月。幼子にとってはとても長い日々を、大切に慈しんでくれた大きな存在なのだよ」
元に戻った今も、その頃の記憶は消えていない。
呪いの影響が消え、直接犯人に繋がるであろう虫喰いの欠落以外、本来の記憶がすべてよみがえった。
そんな兄弟達にとって、セナ=トーヤと過ごした日々は、現実には少し前の出来事だと頭では理解していても、感覚的にはそうではない。
子供の頃に死にかけた自分達を助け、保護してくれた恩人の記憶が、大人になった今でも鮮明に残っている――そんな感覚なのだった。
「あの時も、殺意をもって斬りかかりはしたが、殺気はなかったしな」
「え? どういうことですか?」
ライナスがきょとんと目を瞠った。今の口ぶりでは、殺意をもって斬りかかった点については問題ないように聞こえるのだが。
辺境伯やグレンには、経験的にオルフェレウスの言いたいことがわかった。
「この野郎殺してやりてえって思う相手を、マジで殺すとは限らねえだろ? 逆に殺気っつーのは、殺意があろうがなかろうが殺そうとする時の気配なんだよ。俺はそんなふうに分けてっけど、カルロの旦那もそうだろ?」
「まあな。暗殺者などは、相手に対して殺意がなくとも仕事ゆえに殺す。そういう時に独特の気配を帯びるのだが、それが殺気だと私は思っている。これは経験せねば区別がつかんかもしれんな」
「そうなのですか……ええとつまり、あの時セナは、殺してやりたいと本気で思ってはいたけれど、でも、本当に殺そうとはしてなかった、と?」
「そーなるな。あん時ゃすげえびびったけどよ。紛らわしいよな、ハハ……」
「えええ……あれで……?」
呆然とするライナスに、グレンは乾いた笑顔を向け、辺境伯はどこか遠くを見た。
びびった、などというレベルではなかった。
いつかきっと、笑える思い出になってくれるだろう。そうなって欲しい。
オルフェレウスは苦笑をこぼした。
「あれは息子達が悪いのだ。あの方が自分達を殺さない確信があり、あの方のそういうところに甘えたのだ。取り押さえる自信があったからではないぞ? 手段さえ選ばなければ、あの方はいくらでも我々を皆殺しにできたのだから」
「――――」
心臓に悪いオルフェレウスの問題発言に、グレンとライナスは顔を歪め、辺境伯は深々と嘆息した。
ドーミアの戦力でさんざん手こずった、妖花【イグニフェル】の幼体。あの怪物を、彼らがたった二十名で圧倒したのは、まだ記憶に新しい。
(え、つまりセナってやろうと思えば、あの怪物を一人で倒……?)
(……余計なことを口に出すでないぞ、ライナスよ。聞かなかったことにするのだ)
(つうかこの長耳野郎、もしかして俺らが聞きたくねえようなこと、わかっててサラッと言ってねえか? 結構イイ性格してそうだぜ……)
彼らの内心が手に取るようにわかるのか、果実酒を含み、美貌の男は心底愉快そうに喉を鳴らした。
「それにしても、あの〝ただの一意見〟とやらには、驚かされたな…」
幼児化してた時に出会ったせいで、三兄弟には瀬名が〝年上のお姉さん〟に見えてます。
瀬名も「騙された…!」と怒り狂いつつ、ギリギリのところで踏みとどまっていたのでした。




