79話 再会と嵐の予感 (4)
気付かぬうちに誰かの荷物に紛れ込むほど小さな種ではなく、この町の半獣族が誰もその臭いに気付かなかった。
彼らは普通の植物と、魔性植物の違いが臭いでわかる。毒草と薬草の見分けはつかないのに、魔性植物は種の時点でも初見で区別をつけられるそうだ。
おそらく彼らの生存本能が、種の内部に濃縮された魔素を〝臭い〟と捉え、警鐘を鳴らしているのではないかとARK氏は推測していた。
大抵の毒草は食べなければ無害だが、魔性植物は向こうから食べに来る。危険度が段違いなのである。
≪クッ……とうとう私のターンが来てしまったか……≫
≪魔素に関する情報は現時点では秘匿すべきでしょう。いずれは話すとしても、様子を見るべきかと≫
≪ううう~≫
瀬名は半分自棄になりながら口をひらいた。
臭いを遮断する密閉性の高い容器に、おそらくは冷凍休眠状態で。
それを取り出し、陽の当たらない常温下に置く。時間をかけてゆるやかに解凍された種は、やがて発芽。
〈祭壇〉の守護下にある場所でもそれが可能だと瀬名は考え、もし自分がやるならばこの町、このタイミングだと思った。
続く王族の不祥事。不仲で統制の取れない魔術士団と騎士団。不穏な魔王の噂。
そんな時、守護の要たるデマルシェリエ、春祭りで賑わう国境近くのドーミアにおいて、本来そこにはいないはずの凶悪な魔物による壊滅的な被害が発生したとなれば。
【イグニフェル】に関する知識を持つ者はほとんどおらず、運よく冷気に弱いと気付いても、デマルシェリエ領は魔術士の数が慢性的に不足していた。
有能な魔術士不足は討伐者ギルドも変わらず、討伐まで何日かかるかもわからない。
壁の内側で怪物が暴れ、なすすべもなかったとなれば、人々の間に不安が渦巻き、そんなものをみすみす招き入れた辺境伯に対する国の信頼も揺らぐ。
そう、揺らぐのだ。崩壊まで狙ったものではない。この程度でデマルシェリエは潰れない。
揺らぎ、やがて粘り強く立て直すだろう。
ここで疑問なのは、そんな強敵を前にしつこく真っ向からぶつかろうと思うだろうか? という点だ。
もし敵が仇敵の撃破にこだわる暑苦しい熱血タイプなら、これを思いついて実行に移せるようなおつむは持っていない気がする。
実利をとる、搦め手志向。敵が何者であれ、そういう人物像が思い浮かぶのだ。
これは、何かから意識を逸らすための陽動なのではないか。
もし帝国が本当に、妖花の種を利用してこの地を陥落させることを狙っていたのなら、いつでも国境まで攻め込める距離に大軍を配置し、【イグニフェル】の発芽と同時に侵攻を開始していただろう。
だが敵軍の姿はどこにもなかった。
(何かの目くらまし。それから、国とデマルシェリエの信頼関係に深い溝を刻めたらなお良し)
今年ではなく来年の春になる可能性もなくはなかった。けれど、この国の中枢でグダグダやっているほころびが、来年も手付かずで放置されているとは限らない。
今ほどの好機が、翌年もまた巡って来てくれるとは限らないのだ。
ところが計画に狂いが生じた。言わずと知れたオルフェレウス一行である。
こんなジョーカーの存在、何者も予測しようがなかっただろう。
取捨選択しながら一気に喋り、瀬名はふう、と息をついた。
「…………」
視線がとても痛い。
ついでに空気がとても重い。
(今すぐ亀になりたい)
自伝を書くならタイトルはコレだ。
今すぐひょこっと引きこもり、高速回転しながら空を飛んで逃げたい。
証拠を提示できるわけでもなく、悪く言えば妄想でしかないこれらを、どうしてこんな大人数の前で披露しなければならないのだろう。
我に返ってとても恥ずかしい。
――この時、瀬名の自己評価と、他者から見た瀬名の姿には、凄まじい隔たりが生じていた。
早い話が、瀬名の情報量とそれについての理解力が、この世界の一般庶民では有り得ないレベルだったからである。
ARK・Ⅲや、その命令を受けたEGGSからもたらされる情報は、量も鮮度も正確性も、この大陸のどんな国々の情報機関とも比較にならない。
そんなものを当然のような顔で知り得て、なおかつ理解できている瀬名が、この世界の人々の目には、何か大局を動かすことに慣れた、とてつもない大物のように映っていた。
日頃から有能な人々としか付き合いがないせいで、〝普通の人〟の基準が若干おかしくなっていることに、瀬名は気付いていなかった。
「……その【イグニフェル】をぶっこんで来やがったのは何モンで、どうやって手に入れたんだ? 簡単に手に入るようなもんじゃねえから、今まで使われてこなかったんだろ?」
「あー……それはねえ……」
「言いにくいことか?」
「…………」
非常に言いにくい。
つまるところ具体的な正体と手段はうちの小鳥さんが調査中です、なんて。
「仕掛けおったのは帝国でしょう」
「軍備の増強や商人の移動など、不穏な動きありと情報が入っておるのですぞ? 奴らしかあるまい」
不愉快そうに断定するのは辺境伯の側近達だ。すぐに頷くことができず、瀬名はどう答えたものかと悩む。
すると小鳥が《マスター》と声を発した。
この小鳥が話せることを知っていても、実際耳にするのは初めてだったのだろう、何人かがぎょっとする。
愛くるしい見た目からは想像できない、無機質な声音にびっくりしたかもしれない。
《マスターの命にて調査しましたところ、周辺諸国の侵略戦争にて長らく功績をあげてきた帝国の将軍は、対デマルシェリエでの度重なる敗戦の責を問われ、十年ほど前に失脚しております。年齢的にも世代交代が行われているのは間違いなく、数と力頼みだった時代から、〝実利をとる搦め手志向〟に方針転換が行われていてもおかしくはないと思われます》
小鳥の報告を一緒に聞いていたデマルシェリエの面々が、「敵国の内部情報をそんなあっさり…」と複雑な顔をするのに気付かず、瀬名は「そう…」と普通に相槌を打った。
《なお、イルハーナム神聖帝国の辺境にて、この数年で複数の小村が消滅しておりました。嵐や魔物の襲撃が原因で全滅したとされていますが、その跡地は地中から何かが突き破ったような状態になっており、周辺地域は帝国軍によって封鎖されております。村が消えたのは決まって春、気温が上昇し始める時期だったようです》
念話で≪発芽の直前にEGGSより映像が届いておりました、報告が遅くなり申し訳ありません≫と続ける。
「それは、つまり……」
「もしや、実験……?」
「自国の民を使って、か? おのれ、なんと非道な……」
重苦しいざわめきが拡がり、瀬名もさすがに眉をひそめた。
そういうことが可能だと仮説を立てはしたが、実際にやるか否かは別の話だ。
《――それでも、〝帝国ではない〟とお考えですか?》
小鳥の問いかけに、広間がシンと静まり返った。
瀬名は答えあぐね、額に手を当てる。
「おまえさんがそんな歯切れ悪いのって珍しいな?」
グレンが言い、瀬名はますます困り果てる。
「帝国は噛んでると思うんだよ。でも、なんかね……」
普段の切れのいい口調が鳴りを潜め、ぐずぐず煮え切らない言い方をする瀬名に、シェルローヴェンがやや思案しながら口をひらいた。
「結論を出すのは早計、現時点での情報はまだ決定打に欠けるということか?」
「そう、それ!」
思わぬ方向からの助け舟に、瀬名は力いっぱい食いつく。
白金の髪のエセルディウスは「つまり」と援護射撃を続けた。
「イルハーナムは確かに噛んでいる、それだけでなく、他にも共犯者がいる可能性が高いというわけだな? 関係者が複数いるとなれば、必ずしもイルハーナムだけの思惑で事が動いているとは限らん」
「そうそう!」
かゆいところに手が届く、まさに瀬名が言いたかったことをすっきりまとめてくれた。
見た目は傲慢な王子様風なのにと、一瞬失礼なことを思って申し訳なかった。
「この国内にも協力者がいそうですよね。――兄上、わたし達が何故ああなっていたのか、そろそろお話ししたほうがよいのでは?」
「ああ、そうだな」
「確かに」
ノクティスウェルが首を傾げ、まっすぐな銀虹色の髪がさらりと流れた。骨格と声は男性なのに、優しげな表情とあいまって、美女と見紛いそうな美貌に見惚れる者が続出。
無骨な男どもが道を踏み外しそうで怖いと、瀬名は結構本気で心配になった。
ともかく、すっかり大きくなってしまった三兄弟は、これまでの経緯を語り始めた。
◇
小さなシェルローとエセルとノクトは、気付けばどこか知らない荒野にいた。
自分達がどうしてそこにいるのか、今まで何をしていたのか何もわからない。どころか、自分達が何者であったかさえ、まるで憶えてはいなかった。
どこへ行けばいいかもわからず、ただあてもなく彷徨っていると、人相の悪い男達に取り囲まれ、ろくな抵抗もできずに攫われてしまった。
それからは誰もが知っている通り。
「わたし達はかなり悪質、かつ強力で特殊な呪いをかけられていた。それもひとつではなく、二重の呪いだ」
「二重?」
「そう。まずは、心と肉体を幼児に変える禁術。これには部分的に記憶を失う副作用がある」
瀬名は、チチンプイプイと唱えるだけで人を蛙や獣に変える、悪い魔女のおとぎ話を連想した。
そんな荒唐無稽な魔法、この世界にはないと思っていたのに。
感情を読まずとも瀬名の言いたいことがわかったのだろう、シェルローヴェンは疑問に答えた。
「別の生き物に作り変えるより、心身の年齢を変化させるほうが簡単なのだ。むろん誰にでもできることではないし、相手が自分より格下でなければ失敗する。我々が抵抗しきれなかったということは、すなわち格が尋常ではない相手だったか、もしくは相当に強力な魔道具を持っていたかのどちらかしかない。どちらがマシかは、この場合は微妙なところだ」
「……両方っていう最悪な展開は?」
「皆無ではないが、可能性は低いな。呪いは精神作用系の術が基本となるために、単純に己の魔力の最大値や攻撃力を上げれば威力が強まるという性質のものでもない。格の高い呪術士が強力な魔道具を身につけて術を放とうとすると、術士と道具の波動が不協和音を起こし、かえって支配が甘くなりやすい。そうであれば我々は抵抗できている」
「なるほど」
呪詛は禁忌なので、まともな書物には載っていない。歴史上の惨劇についての記述はあっても、後世の魔術士が読んで術の仕組みが想像できるような書かれ方は一切されていないのだ。
魔王ほどではないが情報量が少なく、ARK氏でさえも漠然とした内容しかわかっていなかった。そうなると、シェルローヴェンの話はかなり貴重である。
「さほど危険な術には聞こえんかもしれんが、もたらされる悪影響は大きい。魂と精神と肉体の繋がりが乱され、副作用は記憶の喪失のみに留まらない。まず、魔術は使えなくなる。そして幼児のまま成長が止まる。さらに、不自然に心身の時を止められた状態が続けば、やがて精神崩壊が始まり――数年ほどで発狂する」
「なんっ……」
発狂……!?
どよよ、とデマルシェリエサイドが揺れた。
(あ、あっぶな……ずっとちびっこのままでも良かったのに、とか冗談でも言わなくてよかった……!!)
想像以上に凶悪な呪いだった。ちびっこ達のラブリーな姿に騙され、あやうく欲望に忠実な失言をするところだった。
瀬名は胸当ての上から、心拍数の上がった胸を押さえる。
「それから、ふたつめの呪いだが。――本来の姿を取り戻した時点で発狂する呪いだ」
「はぁ!?」
「なんですとぉ!?」
「ンだそりゃあ!?」
先ほどより激しい驚愕の声が次々とあがった。瀬名はうなるように言葉を吐く。
「なにその、凄まじく悪質で陰険で性格悪い呪いのかけ方は……!?」
「本当にな」
三兄弟は顔をしかめ、眉間にシワを刻みつつ頷いた。
そのまま放置していれば数年後に発狂。もとに戻そうとしても発狂。
どちらに転んでもアウト。狂ったまま生き続けるとなれば、被害者本人にとっても周囲の人々にとっても、ただ命を落とすより遥かに悲惨であろう。
「許す、徹底的にやれ。情け容赦なんぞいらん、地獄へ叩っ込んでやれ。場合によっちゃ私も元凶の足もとを滑りやすくするとか、這い上がろうとする頭を押さえつける程度の手伝いはするぞ…!」
「頼もしいな」
「その時は是非」
「お願いします」
三兄弟はとても嬉しそうに晴れやかな笑顔を浮かべ、父親が満足げに頷き、何故か瀬名の周囲がザッと引いた。皆こめかみや頬を引きつらせているが、どうしたのだろうか。
「呪いをかけた奴がどこの何者かはわかる?」
「いや――口惜しいが、わからない。術をかけられた前後の記憶だけ、どうしても戻らなかった」
もし精霊族という種族でなければ、解呪は不可能だっただろう。
太古からの膨大な叡智を蓄えた種族という意味でもそうだが、何より全員が精神感応力を持っている点が決め手になった。
子供達の精神が狂気へ引きずられないよう、大勢の同胞が精神波を連結させ、強く安定させながら呪いを毎日慎重に少しずつ、何ヶ月もの日数をかけて解いた。
そうして兄弟達は完全復活した――はずだったのだが、犯人に直接関わる記憶だけ、虫食いのように消えて戻らなかったのだ。
「曖昧だが、直前にどのような行動を取っていたかは憶えている。我々はしばらく前から魔王の手がかりを探していた。どこにいるどのような存在か、それだけでも確認できれば、身を守る手段も講じようがある。わたし達兄弟は、魔王に繋がると思しき何かの情報を入手したらしく、ある地に赴いた直後あたりから、記憶が途切れた」
「ある地?」
「この国の高位貴族、グランヴァル侯爵とやらの領地だ」
殺しきれない悲鳴があがった。というより、よく聞けば小声の罵倒だった。
放送禁止用語がふんだんに織り交ぜられており、皆様の憎悪の程がよくわかるというものである。
大陸中で畏怖されている種族に対し、呪詛を仕掛けた元凶もしくはその共犯の容疑者が、他国の工作員や流れの犯罪者ではなく、よりによって自国の貴族とは。
あちこちで顔色を青くしたり赤くしたり忙しい人々がいるけれど、彼らの胃と頭の血管は大丈夫だろうか。愛国心とは無縁の瀬名でさえ、この広間に来てから既に何年も経っているような心地なのである。
今度皆さんに、よく効く胃薬と精神安定剤を配合してプレゼントしてあげよう。
…………。
≪ときにARKさん。グランヴァル侯爵って誰だっけ? なーんか聞き憶えがあるような≫
≪――……マスター。本気で仰られてますか?≫
呆れられた。
瀬名、ぎりぎりセーフ。
もし聞かなければ「もっかい小さくなって」と口走ってます。




