7話 十一歳、人工知能様による何かの育成計画
肉体年齢十一歳。
光王国の近隣諸国の言語までほぼマスターできた。
外国語とは、丸一年ぐらい猛勉強をして、片言の日常会話ができるようになれば御の字である。
それを毎日たったの一時間、所定の場所で横になるだけで言葉がわかるようになり、難解な役所向けの手続き書類さえ理解できるほどの読解力が身についたのだ。
世の真面目な勉強家全員が血涙を流して呪詛を吐きそうな、あまりにも簡単で完璧な、習得とも呼べないずるい習得方法である。
翻訳機を知っていたせいで、今までさほど有難みを感じていなかった贅沢者も、自力で読み書き・会話ができるようになれば、さすがに感覚が変わった。
機械は故障したり紛失した時に慌てるし、やはり自力で理解できるようになったほうが、そこまでの過程はかなり面倒でも、長期的に見れば便利に違いなかった。
ちなみに言葉は補助脳経由で憶えられたが、それ以外については相変わらず、小型探査機EGGSの送ってきた記録映像をARK・Ⅲが編集し、休憩時間をはさみながら流して解説するといった講義が毎日何時間も続けられた。
脳へ一度に送り込める情報量には限度があると思い知っているので、これもとくに文句はない。
便利な環境にどっぷり浸かりきっていた〈東谷瀬名〉の記憶――わからないことはAIに質問すれば瞬時に答えてくれるため、ごく一部の天才肌な人種を除き、誰もが己の頭で憶える努力を放棄した時代。
意外にも、時間をたっぷりかけた地道で真面目な〝お勉強〟は悪くなかった。
まず、ARK教授の教え方がわかりやすくて無駄がない。
次に、子どもの脳の吸収力のおかげか、それともサイコドクターARKによる遺伝子レベルの魔改造の影響か、以前より明らかに記憶力が良くなっていた。
学生時代でさえ、これほど集中的に何かを学びはしなかった。
過去を顧みて、軽い感動すら覚えるのだった。
子供にとっては今学んでいる内容が、将来の自分にどう役立つのかぴんとこないため、どうしても集中力が散漫になりがちだ。しかし一度社会人時代を経験した記憶を持つ身としては、たとえその知識が役立とうが役立つまいが、学べる時間と環境があるなら、徹底的に学んだほうがいいと理解できている。
若い頃にもうちょっと勉強しておけばよかったなぁ、などと実感できるようになるのは、それなりに年を重ねてからなのだ。
第一、ことあるごとに「どうせ検索機で調べたらわかるじゃん」と捨て台詞を吐くより、いちいち検索機で調べなくてもわかる人間のほうが格好いいに決まっていた。
そしてなんといっても、興味のある分野は誰しも積極的に学ぶ姿勢になり、苦痛を感じにくい。
剣と魔法の世界。
古き時代のヨーロッパをファンタジーゲーム風にアレンジした世界。
瀬名の大好物であった。
ちなみに、大陸の主だった言語をクリアしたので、次は僻地の方言や古い時代の言語など、優先順位の低い言語をたまにインストールする程度になった。
頻度としては、週に一度あるかないか。
つまり横になって一時間、不快感をこらえて一時間、大事をとってさらに一時間、計三時間ぶんの余裕が、ほぼ毎日ぽっかりと空いたわけである。
子供の三時間は非常に長い。むろん体感型RPGプレイヤーのような娯楽のたぐいは一切なく、あったとしてもARK教授が時間泥棒をのさばらせるはずがないので、単純に講義時間が増えるだけだと思っていた。
――何故かAlphaが木刀と剣と弓とナイフを抱えてきた。何故だ。
まずは木刀で素振り、次に剣で素振り、その他弓、ナイフ投げ、ランニングや柔軟体操など各種運動に時間が割り振られた。
ARK教授が何を目指しているのやらさっぱりである。
「そもそも剣とか何であるわけ?」
《作りました》
当たり前でしょ? と副音声が聞こえ、副音声に向けて「あ、はい、そうですね」と答えていた。
ゆるく反った剣は片手でも両手でも扱える仕様になっているらしく、柄の部分は西洋風だが、剣身は時代劇に出てきた刀に近い印象を受ける。あくまでも練習用なのか、装飾は一切なく、実にシンプルな代物だった。
木刀は意外に重さがあり、長時間振り続ければ結構疲れてきた。
振り方は我流でいいと言われている。
《以前にも申し上げましたが、あなたの身体能力は底上げされており、一般の基準があてになりません。また、実戦向けの古武術や真剣を使った剣術などは、参考にできるほどの資料が電子媒体には遺されておりませんでした。あなた自身が振りやすい動き、振りにくい動きを、身体を動かす過程でご自身の感覚で判断してください》
古来より長い年月をかけて洗練されてきた剣技や武術は、もし映像資料等があればだいぶ参考になったのではないかと思われるが、残念ながらそれらの記録は大部分が時代とともに消失しており、つまるところ我流以外に選択肢はなかった。
それでも基本能力値が既に本来の人類から逸脱しているため、普通なら不可能とされる動きが瀬名には可能となる場合が多々あり、普通の人を想定して編み出された武術を無理になぞろうとする必要はないそうだ。
(そんな俺に誰がした……)
そしてこの世界の人々の戦い方を最低限知っておくのも重要と、ARK教授は戦闘シーンの編集映像をほぼ毎日、解説を交えながら流すようになった。果たして教授がどんな野望を抱いているのか、小一時間問い詰めたいところである。
序盤は貴族の子弟らしき二人が、広場で打ち合うほのぼのとした場面で始まった。
そこでホッと油断した直後、おもむろに集団と集団がぶつかる血みどろの殺し合いに切り替わる。
当然ながら検閲も何も入らない、現実そのままの無修正映像だ。
(をい)
血飛沫舞うどころか、人体の各部位から出てはいけないものがあちこち飛び出て舞い散り、壊れたマネキンのようにばたばた積み重なっていく。
その光景は、実にもう何というか。
「……え、えぐい」
ホラーやサイコサスペンスは平気だったが、フィクションとノンフィクションでは、視覚的にも心理的にもえぐさが別次元だった。
中には魔術士らしき人物が治癒魔術らしきものを唱え、瞬時に傷を治す心躍る光景もあったが、心躍ったのは彼が背後から回り込んだ敵に喉を裂かれるまでであった。
回復役があっさりいなくなり、次々にやられていく人々。
スクリーンの中に登場する武器は圧倒的に剣が多いにもかかわらず、何故か剣で戦っているように見えない。
瀬名にとって斬り合いとは時代劇のイメージが強く、〝スッパリ斬れば相手は即死〟が定石のように思い込んでいたけれど、現実にそんな幸運は滅多にないのだと、それらを観続けるうちに思い知らされた。
斬られた者が都合よく、全員即死するわけではなかった。
侍の振るう刀のように凄まじい切れ味を誇る剣など、スクリーン上の誰一人持っていない。鈍い刃で、力に任せて強引に叩き斬る――いや、殴りつけているといった表現が正しい。
すっぱりと綺麗な傷が通るのではなく、肉をえぐりとられている――
そんな状態で死ぬに死ねず、這いずる姿がいくつもあった。中には己に何が起こったのかわからぬまま、頭部を貫通した矢をそのまま放置し、ホラー映画さながらにうろうろ彷徨う者までいた。
「誰かとどめ刺してやれよ……!」
こちら側から叫んだところで、画面の中に声が届くわけはなかった。
敵味方の大勢入り乱れる戦場や、獣の群れに襲われている場合だと、死にぞこないは基本放置。
いや、ただの獣相手なら、運がよければ早々に息の根を止めてくれる。
しかし、見るからに奇妙な、動物だか植物だかなんだか曖昧な生物に襲われた場合は……
「うげっ……あれって……」
《魔物ですね》
「…………っっ!!」
その日の食事は喉を通らないと踏んでいたARK教授は、瀬名の夕食時に栄養ドリンクのみを出すようAlphaに指示していた。抜かりがない。
◇
鬼教授ARKはその後も毎日、各種魔物の生態や対処法に関する参考資料として、その手のシーンを何度も流した。
鬼悪魔外道鬼畜と罵りつつ、十日も過ぎる頃にはショッキングなR30指定映像にもすっかり慣れ、もりもり食事をとる瀬名の姿があった。
Alphaは料理上手だ。トラウマは残らなかった。精神の耐久力がちょっとやそっとでは削れないようになっているらしい。
人としてこれを良かったと断言していいのか、微妙なところである。
「ときにARKさん? 外にはあーんな気色悪い超危険なモンスターが、あっちこっちにわんさかいるんですよね?」
《その認識は正確性に欠けます。いるところにはいる、程度でしょう》
「いやいやいやいや、そんな政治家みたいな回答いらないから! つまり、いるにはいるんですよね? 百歩譲ってエイリアン系生命体はともかく、強盗とか山賊とかゴロツキとかフツーにいるよね!?」
《いますね》
「なら外なんか出たら危ないじゃん! だいたい中世レベルの犯罪捜査能力なんて、冤罪と迷宮入りのオンパレードだってのに、うっかり被害者になったらどうすんの? わざわざそんなリスク冒さなくたっていいじゃん!」
くどいようだが、瀬名は曇りなき純粋なインドア派だった。
おまけに〈スフィア〉は充分に広く快適なので、この中で何年ひきこもり生活を続けても平気な自信がある。
娯楽はEGGS提供の生中継で充分だ。
《〝中世〟をどこからどの時代までと定義するかで解釈は異なるかと思われますが、魔法が存在しますし、犯罪捜査等の精度は案外高いと思われますよ。それにマスターは肝心なことをお忘れのようですが》
「何を!?」
《彼らからすれば、我々がエイリアンです》
撃沈した。
ARK氏の構想において、東谷瀬名の未来にひきこもり人生など、どうあっても許容できないらしい。
そもそもこのARK氏に対し、まともな捜査能力の有無を語るなど道化もいいところであった。たとえ犯人が地中深くに潜ったところで、ARK氏は必ず、速やかに、確実に見つけ出すに違いない――断じて泣き寝入りでは終わらせないであろう。
その時敵がどんな目に遭うのか、あまり想像したくなかった。
ところで、ファンタジーに登場する魔物の種類だが、同じ種族名の魔物でも、作品によって描かれ方が千差万別だ。ほのぼのとした作品ではほのぼのとした魔物が登場し、コメディ色の強い作品では愛嬌があって憎めない魔物が登場したりする。
では、この世界ではどうだろう。EGGS提供の記録映像に出演していた、代表的な魔物をざっとまとめてみた。
【魔粘性生物】――酸を飛ばして武器や防具を溶かす上、打撃や斬撃が効かない、肉体派戦士の天敵。間違っても初級者が倒せるような雑魚の位置付けではない。戦闘開始早々に逃げるどころか積極的に襲ってくる。うっかり生息域に踏み込んだ男が麻痺毒にやられ、ろくに抵抗もできないまま窒息死させられたあげく、ゆっくり消化されていた。
【小鬼】――逃げ足が速く狡猾。個々が弱いため基本群れて獲物を襲う。学習能力があり繁殖力が強いので、目撃情報があれば集落の殲滅戦に発展することが多い。一匹の個体が逃げると見せかけ、血の気の多そうな若者達のグループを仲間のもとへ誘い込み、多勢で取り囲んで奇声をあげながらメッタ刺しにしていた。
【人喰巨人】――頭は弱いが数メートルの巨躯と頑丈さとパワーが厄介。倒せたら皮膚が強力な防刃・防魔の素材になる。倒せなければ死と破壊の権化。踏み潰されたり棍棒で叩き潰されたり、これが暴れた後にはそこらじゅうで人間のミンチができていた。
【暗黒蜘蛛】――熊並みの巨大蜘蛛。粘つく糸の乱舞や数百匹の子蜘蛛がうぞうぞ襲い来る光景など、まさにモンスターパニック映画の主役の風格。生理的嫌悪感をこれでもかと刺激し、鳥肌が止まらなくなること請け合い。
【肉食植物】――植物と見せかけて怪獣。生きた獲物を触手で捕獲しごくりと丸呑み、溶かして消化。麻痺成分を含む香りを放ち獲物の動きを鈍らせるものや、するどい棘付きの触手で絡めとり血を絞りとるものなど多様な種類がある。
【屍死鬼】――要するにゾンビ。多くを語る必要はない。動きが遅いので囲まれなければ何とかなる。噛まれてもZウイルスには感染しない。ただし血管内に入り込んだ毒素や雑菌のせいで死ぬ可能性は高い。
【邪霊屍鬼】――進化型ゾンビ。走って襲える反則型ゾンビ。こいつに喰われて死んだらZになる凶化型ゾンビ。ただし被害者は陽光を浴びれば腐肉が焼滅して骨になるので、Zパンデミックに発展しにくいのが不幸中の幸い。
【狂骨剣士】――骨と骨を連結させるものがないのに何故これが動けるのか、細部まで研究し骨格標本を作りたいとどこかのマッドドクターA氏が呟いていた。
他、多数。
ちなみにこれらは氷山の一角である。
(……うん。まあ、もうちょっとソフトな感じかなあとか、別に期待なんて全然しちゃいなかったさ……)
嘘である。できればほのぼの作品系であればいいと、儚い希望を抱いていた。
ぷるんと愛らしいスライムがぷるぷる震えながら仲間になってくれたり、純朴なゴブリンが畑づくりを手伝ってくれたり、そんなスローライフ系の世界だったらいいのにと。
たとえそうでなかったとしても、どうせ現実の魔物なんて、迷信深い人々が醜悪な見た目の凶暴な獣を誇張して、そう呼んでいるだけじゃないのと高をくくっていた。
甘かった。
本格派の魔物だらけだった。
そんなもの実在して欲しくなかったのに。呻いたところで、いるものはいるのだからどうしようもなかった。
(うう……ファンタジーはファンタジーでも、よりによってダーク寄りかよ~……そりゃ、ダーク系も好きだったけどさあ? 自分がそん中に入るとか冗談じゃないっての!)
あんなバケモノども、一生、出くわしたくなどない。
が、しかし。交通事故や天災と同じで、誰だって遭遇したくないのはやまやまだが、確実に出くわさずに済む保証はない。
用心して確率を低くできたとしても、ゼロにはできない以上、物事は常に最悪を想定して備えておくべきである。
ARK・Ⅲの教育方針はおそらく正しい。瀬名は近くに置いてあった剣のナックルガードに指をひっかけ、くるりとまわした。
げんなりする。
つまりそうなったら、闘えってか。