77話 再会と嵐の予感 (2)
不思議な人物だ。それが、瀬名に抱いたオルフェレウスの第一印象だった。
表と内が一致しない。ほとんど表情は動いていないのに、その心は沈んだり浮いたり回転したりと、なんとまあ忙しく、彩り豊かなことか。
筒抜けに読めるのに、次にどう来るか、先がまるで読めない。その〝わけのわからなさ〟は実に不思議で、興味深く、そして不快ではなかった。
人族は読心されることを極端に恐れる。オルフェレウス達がどういう種族かを知れば、たとえ読まれるのが〝感情〟であって、具体的な〝思考〟ではないと理解していても、それだけで畏怖や警戒心に囚われずにいられない。
しかしこの人物の心には、自らを追い込む不快な陰りの一滴も差しておらず、多分今まで出会ってきた誰よりも、精霊族という種に自然体で向き合っていた。
悪くない。
否、愉快な気分だった。
「ちなみに愛称はそれぞれ、シェルロー、エセル、ノクトとなる。あなたが救い、庇護した子供達だよ、レ・ヴィトス。彼らは呪いによって幼児にされていた。これが本来の姿なのだ」
「は?」
「え?」
「……なんですと?」
デマルシェリエ側のあちこちでざわめきが上がり、その表情と内面の乱れが、彼らの動揺を雄弁に物語っている。常に悠然と構え、肝の据わっている辺境伯も、さすがにこれには息子ともどもパカリと口を開けていた。
さもあらん。立派な青年に育っていた息子達が全員、文字通り心身ともに幼児化しているのを目の当たりにした時は、オルフェレウス達も愕然とせずにいられなかったのだから。
騎士達は職務上騒ぐわけにいかないが、心の中では盛大に叫んでいる。しかし中身がどれだけ狂乱状態にあっても、表面上は多少汗が滲む程度にとどめていた。
人族の国において、地方の騎士団でこれほど教育が行き届いているところはなかなかない。密かに恐慌状態に陥っている騎士達の心理とは裏腹に、オルフェレウス側のデマルシェリエ辺境騎士団に抱く心証は良かった。
(……ふむ。やはり王都の連中などより、この連中のほうが付き合いやすそうだな)
王都の騎士団、とりわけ近衛騎士団が重視しているのは、第一に家格、第二に容姿、第三に気の利いた言動、最後に能力その他だ。家の力で重要な地位に就いて平気な似非騎士や、実戦経験のろくにない華を添えるためだけの観賞用騎士が幅をきかせており、彼らとは名を交わす価値もないと、改めて見切りをつけてきたばかりである。
この国の中枢に位置付けられた魔術士団の質の低下と、それゆえの騎士団との確執は前々から耳にしていたが、実際目にしてみれば、どちらも大差はなかった。
どちらも等しく、かつての理念など見る影もない。
さらには同じ騎士団内でもいがみ合っている始末。王都防衛を担う王都騎士団と、王宮を守る近衛騎士団があり、本来双方は同格のはずだったのに、いつの間にか立場に極端な差がつけられるようになってしまっていた。これは何代か前の愚王から続く負の遺産で――側近の諫言を無視し、見目の良い近衛ばかり徹底的に優遇した――今でも宰相その他、まともな家臣にとって頭の痛い問題になっているようだ。
王都騎士団を不当に見下す近衛と、近衛騎士団を妬んで反発する王都騎士団の構図ができあがり、騎士同士の仲もあちらこちらで険悪になっている。
敵国から見れば、実に嗤いが止まらないだろうに、何をやっているのだか。
実際、助言程度ならできないこともないが、無駄に終わるのがわかりきっていれば、いちいちそんな労力を費やす気にもならなくなるものだ。
忠告に耳を貸さない。約束を軽い気持ちで破る。勝手な疑心暗鬼で人の好意を信じず、あるいは我欲のために人の好意を利用し踏みにじる。
真摯に向き合うだけ後の徒労感が凄まじく、誰かを助ければ関係ない者までが「自分達も助けてくれ」と縋ってきて際限がない。
親しくもない連中からの頼みを聞いてやる義理などないと正論で断れば、「ひどい、なんて冷酷な種族なんだ」と感情論で責めてくる。
心底うんざりだ。そんな経験ばかり積み重なれば、そうそう彼らの問題になど付き合ってやる気になれなくて当然だろう。
まあ、ひとまず、不愉快な連中に煩わされた記憶は脇に置いておくとして。
今、何よりも予断を許さないのは、この人物への対応だ。
(なるほど。これは一筋縄でいきそうにない……)
黒髪、黒曜石の瞳の魔法使いは、オルフェレウスの唇から予測もしていなかったであろう真実が語られた瞬間、凍結した。
悠然として見えていたが、その実、内心ではこの広間から全力で逃げ出したそうな、人並みの微笑ましい感情が、少し前までひしひし伝わってきていたというのに。
なのに、それが瞬時に無と化したのだ。
固まるという表現すら生易しい、完璧な〝無〟。
どれほど冷徹で無感動な者でも、薬物や暗示などで心を犯されてでもいない限り、少なからず感情はある。そしてほんのさっきまで、この人物は表情を裏切り、豊かな感情の存在を彼らに伝えてきていた。
いきなり感情が消え去るはずはないのに、消えたとしか表現しようのないほど、あるべきものが幻のように消えたのである。
それはまるで、瀬名の肩にとまっている、愛らしい造形の不気味な青い小鳥に似ていた。――話には聞いてはいたが、この小鳥は本当に不気味だ。
しかしここまでなら、一時的になら、そういうこともないとは言い切れない。
オルフェレウス達をさらなる動揺に落としたのは、その後だった。
心というものは通常、驚きのあまり停止しても、時間の経過とともに事態を呑みこみ、徐々に動きを再開し始める。
けれど瀬名の心は、しばし〝無〟の状態が続いたかと思えば、前触れもなく唐突に凪いだ。
風のない湖面のように。
それは確かに、落ち着いた感情の存在を示す状態ではあったけれど、今この状況では不自然な流れでしかなかった。
通常の人族とは異なる反応に、オルフェレウス達の間で緊張が走る。表には出していないので、デマルシェリエの連中には気取られていない。
――だが、この相手にはどうか。
正直、まったくもって想像もつかなかった。人族の内面をほんのわずかも読めないなど、そうそうあることではない。
何かを考えているのか、何も考えていないのか。むしろ自分達のほうこそが読まれているのか。やはり何も読まれていないのか。――本当にこの人物は人族なのだろうか?
(これほどとはな……なるほど、こういう人物なのか。息子達にいろいろ聞いていなければ、警戒を深めるところだったろう)
再認識した。これはたやすい相手ではない。
必要以上に勿体ぶったまわりくどいやり方を瀬名は嫌うだろう。
この相手に駆け引きは厳禁。意味ありげに出し惜しみ、だらだら時間を引き延ばして試すような真似をすれば、確実に怒る――それも、かなり。
滅多に本気で怒らない寛容さを持っているであろうことは間違いない。その反面、一度沸点に達すれば後は一瞬だ。零から百まであっという間に振り切り、そうなれば微塵の容赦も期待できないだろう。
「……シェルロー?」
突然、静かな声が広間に沈黙を落とした。底知れない黒曜石の双眸が、けぶる金髪の青年をひたと見据えていた。
誰かが、ごくりと息を飲む。
言葉を発する瞬間でさえ、波紋ひとつ生じないその精神状態に、オルフェレウス達の間でひっそりと戦慄が走る。
「はい」
長兄のシェルローヴェンが答えた。穏やかでいて、堂々とした自信に満ちた声音。
不穏に漂う得体の知れない気配に気付いているであろうに、まるで意に介さず、それどころか名を呼ばれた瞬間、彼が帯びていたのは明らかな歓喜の色だった。
「……エセル?」
「ん」
白金の髪を揺らして肩をすくめるエセルディウスは、声だけならどこかつまらなそうに聴こえるが、嬉しげな内面は長兄と大差ない。
「……ノクト」
「はい」
幻惑的な銀虹の髪の末王子ノクティスウェルは、言葉だけなら長兄と同じなのに、喜びと甘えを隠さない声音の印象がかなり違う。
空を映すほどに澄み渡る、静かで涼しげな湖面――ここにいる同胞は皆、同じ感覚を共有していただろう。
そして、にもかかわらず、何故かぴりりと皮膚の表面を走る、かすかな電流めいた予感。
一秒、二秒と数えるごとに、その電流の頻度が多くなってゆく。ぴりり、じりりと、なのに相変わらず少しの変化もない瀬名の内面が、より一層の危機感をもたらした。
まるで嵐が訪れる直前の、どっしりと重い大気のような……
「……念のため、訊いていいかな?」
「なんなりと」
長兄が代表して答えた。
「あんたら、どこまで、憶えてる?」
「…………」
「…………」
「…………」
三名ともが同時に、それはそれはとてもいい笑顔を浮かべた。
それが答えだった。
(まったく、我が息子達ながら、いい度胸をしている……!)
オルフェレウスは即座に、可能な限り最高強度の結界を展開させた。
それを皮切りに、三兄弟を除く同胞の全員が続く。自分達だけではなく、デマルシェリエ側にも強固な結界を速やかに張り巡らせた。
それに気付いた辺境伯やグレン達が、何事かと腰を浮かせようとするも、刹那。
「――ッ!?」
地獄界の深淵から噴きあがる闇のような、濃密な殺意――




