75話 招かれざる【女王】の腕 (3)
ドーミア城は北地区にあり、その麓に治癒院がある。薬師は知識があれば身分問わずなれるが、治癒士になれるのは神官の資格を持つ者のみ。
その庭先に厚手の布が敷かれ、建物内に入りきれなかった患者達が横たえられていた。比較的傷が浅く、治癒士によって既に手当てを施され、回復薬を飲んで眠るか、うとうと微睡んでいる。重傷者は建物内で、治癒魔術の使い手により治療中だ。
直接魔物にやられなくとも、崩れた壁や天井の下敷きになったり、荊のひっかけた瓦礫が広範囲へ飛んで運悪くぶつかったりと、そうして怪我を負った者が大勢運び込まれている。それでも当初の想定より少なく、充分に対処可能な状況であった。
患者の家族や友人が付き添っているため、実際より多く見えるだけ。
かの地区からは未だ破砕音が響いてくる。にもかかわらず、不安そうな表情で寄り添い合いつつ、みな落ち着いたものだった。
騎士様達がいてくださるから大丈夫です、と。
(……歯がゆいな)
セーヴェルは漏れそうになった溜め息を呑み込む。彼女はドーミアをあずかる者として、民の安全と安心を優先せねばならなかったが、本音では最前線に加わりたかったのだ。
それに、気がかりもある。
セナ=トーヤの常識外な計画、それを完璧に実行すべく雇った討伐者の数とランク、資金力、大量の薬に大量の魔道具――わずか数日で一個人がこれだけの準備をしてのけた事実にセーヴェル達は慄然とし、そして思った。敵は瞬殺だな、と。
だが、蓋を開けてみれば、思いのほか長引いている。
部下の報告から察せられる戦況は芳しくない。ちりちりと嫌な予感が胸を炙る中、奇妙な金属音めいたものが響き渡って、誰かが歓喜した――「おお、倒せたのか!」「やった…!」と。
(違う。あれは断末魔などではない)
何かまた、想定外のことが起こっている。
北地区の土地は高い位置にあり、街中の防壁を隔ててもなお、西地区の様子がある程度は見えた。
もっと近くで確かめたい。
そしてセナ=トーヤ計画の役割分担からは外れてしまうが、場合によっては自分も出よう。
「団長!! ご、ご報告申し上げます!!」
「ん?」
伝令が息を切らしながら駆け寄り、一定の距離をあけて跪いた。
途切れ途切れに早口で紡がれるその内容に耳を傾け、セーヴェルはついぽかんとしてしまう。
先ほどの奇妙な音のせいで、己の聴覚が異常を来したかと彼女は思った。
◆ ◆ ◆
遭遇率がゼロに近いほど低い厄災種は、具体的な倒し方の判明している種類などほとんどない。
幼体の時点で既にここまで防御力が高いとなれば、これが育ちきったら果たしてどうなるのか。
おまけに、本体をぐるりと囲んで守る根には、どう見ても口もどきがたくさんあり、歯も生えていた……地下の獲物を捕食するためなのだろうが、何をどうすればこんな進化ができるのだ。
(地上部分がどうにもならないなら地下から攻めればいいじゃん? 残念、バクッ! ってやつですねわかります)
あれの反射速度はどのぐらいだ。速いのか、遅いのか。
ただでさえ荊がメタル過ぎたせいで、未だ本体は無傷なまま。
金属質の光沢はなく、一見して防御力は低下していそうだけれど、安易な決めつけはできない。植物系の魔物には、外部からの刺激に反応して襲ってくるものがいる。大人しいうちは、単に獲物を待ち構えているだけだったりするのだ。
(……〈グリモア〉で攻撃するしかないか……?)
できればそれを使いたくはなかった。グレンが主張してくれた通り、どこかで監視しているであろう輩に、こちらの手札ばかり披露してやるのはよくない。
理想としては、瀬名自身が一切出張らずに倒してもらいたかった。
ゆえにあれこれ大放出し、これでもかと戦力を確保したのに、半獣族がごっそり外れるという予想外の展開になり。
迂闊に接近できず、結論が出ないまま、じりじりタイムリミットだけが近付く。
皆に渡した回復薬の効力は、無限ではないのに。
…………。
……。
(……仕方ないか)
瀬名は魔導刀を鞘に戻した。そして――
「問題ない。我々があれを仕留める」
「え」
刹那、背後から男の声。
そして間を置かず、脇を掠めていった姿が、思考をしばし彼方へ吹き飛ばした。
数分後。
「あ、あ、ARK・Ⅲ!? 何なんだあれは、いったい何が起こっている!? 私の目がおかしくなったのか!?」
《視力に異常はありません。ご覧の通りです》
「反応が冷たい」
《さようですか》
「反応の改善を要求する。キミのリアクションは何ゆえそうも豆腐のようなのかね」
《仕様ですが》
現実から逃避したくなったので、とてもくだらない言葉遊びを交わしてみた。
あまりにも理解不能な光景。いや、わかってはいるのだが、認めたくない。主に多分これを召喚してしまったのは自分だなという意味で。
「……ARKさんや。あんたひょっとしなくても、やつら来るの知ってたね?」
《間に合う可能性は高いと考えましたが、確証はありませんでした》
「ほー? そんでもって到着を知らせなかったのは何ゆえに?」
《彼らがマスターの味方に回るのは自明の理でしたので》
答えになっていない。
エルダ君にあげた改善項目五ヶ条、こやつにくれてやろうか。
「今からでも見なかったフリして、おうち帰っちゃだめかな?」
《おそらく退路は既に塞がれているかと》
「何の罠だ」
◆ ◆ ◆
ひとことで言えば、蹂躙だった。
蹂躙である。それしか言いようがなかった。
尖った耳。長い髪。すらりと引きしまった肢体。
――精霊族。
それも戦士と思しき者が、ざっと十数名はいる。
彼らはどこからともなく戦場へなだれ込み、相手が何者だろうがどうでもいいと言わんばかりに、怒涛の勢いで攻撃を叩き込んだ。
「ありえねえ……」
「なんだありゃ……」
「俺、夢でも見てんのかな……」
片足で瓦礫の上に着地してもバランスを崩さず、目にもとまらぬ速さで縦横無尽に移動し、凄まじい跳躍力で建物の上まで飛びあがったかと思えば、次の瞬間には別の建物へひらりと飛び移り――半獣族でさえ、あれほどの身軽さと跳躍力はない。
逃げ遅れた住民を発見して服をつかみ、無造作にぽいと放り投げて逃がしているところからして、腕力もかなりある。ずっと動き回っているのに、一人として息切れしていない様子からは、体力の余裕も窺えた。
肉体的には半獣族のほうが強く、精霊族は魔力で勝っているという話だったが、その定説が根本からあやしくなっている。
「ひょほうっ、なんぞありゃ!? 一閃で斬り飛ばしよったぞい!?」
「信じられん。あの剣の輝き……剣身から柄の細工に至るまで、本当にすべて聖銀なのだな。誇張された噂ではなかったのか」
「ひょっほーっ、見事じゃの、素晴らしいのぅ!! 是非ぜひ、間近で拝ませてもらいたいもんだわぃ!!」
「うむ。俺もだ」
鉱山族は彼らと交流を継続しているとはいえ、全員ではない。バルテスローグのように人族の国に住んでいる者は、やはり滅多に会えるものではなかった。
噂では聞いていても、目の前に実物があると、やはり高揚する気持ちを抑えられない。
「うっ、なんだあの魔術は!?」
近くにいた騎士の叫びを拾い、ウォルドはそちらに注意を向けた。
やわらかそうな薄い金色の髪の精霊族の周辺で、高濃度の魔力が渦巻いている。彼の前面に集中する魔力の強さとあまりの速さに、暴発を一瞬疑ったが、即座に違うとわかった。
すんなりとたたずむ青年は落ち着き払っており、美麗な横顔を前に向けたまま、目だけをこちらに向けて唇を動かしたのだ。
さがれ、と。
「――退避しろ!! 巻き込まれるぞ!!」
「もっと下がれさがれ!!」
ウォルドが珍しく大声を張りあげ、弾かれたように全員がさらに離れた。
直後、青年の前方が凄まじい勢いで凍りついた。
それは恐ろしく広範囲に及び、【イグニフェル】の幼体の半分以上を呑み込む。
奇怪な形状の口すべてから、陶器を引っかくような耳ざわりな悲鳴があがった。〝頭〟だけでなく、根のそこかしこにひらいた洞からも響く悲鳴のおぞましさに、ぞっと皮膚が粟立つ。
「いつ詠唱したんだよ!?」
「グレンか。大丈夫だったか?」
「おおよ! てかあいつら、唱える前に合図ぐらいくれってんだ!」
「合図なら『さがれ』と言っていたぞ」
「口パクでか? 俺ぁ聴こえてねえぞ?」
「気配で敵味方の位置は把握していたのだろうと思う。それに、俺達なら即座に反応できると見越していたのだろう。事実、誰も巻き込まれていない」
「まあそうだけどよー……」
「それ以前にじゃの。やっこさんら、どうも呪文なんぞこれっぽっちも唱えとらんぞぃ」
「んだと? 冗談よせ、あれって何も唱えずに何とかなるレベルじゃ……」
言い切る前に、先刻とは別の精霊族が、前触れもなく同規模の氷魔術を放ち、グレンの声が尻すぼみになる。
珍しく短い白金の髪をなびかせ、己が氷漬けにした根の上に悠々と飛び移る青年からは、グレンの耳でも確かに詠唱が聴こえなかった。
「マジか……」
「ほらな」
危惧していたように、あの根は生物の接近を感知して襲いかかってくるものだった。それも彼らには一切の意味がなく、すんなり避けられ、魔術の影響が出ているのか、動きもどんどん鈍くなっている。
「……まさか、弱点は〝氷〟か?」
「そのようだな。そういえば、『冬の寒さに耐えられない』とセナも言っていたな。考えてみれば道理か」
「だけどよ、騎士団の矢には氷の魔石もあったんだぜ?」
「純粋に威力が足りなかったのではないか?」
「やっぱ威力か…………マジで詠唱なしであんな……」
「効果範囲といい、かなり高度な術だ。見たところ、七から八階位相当の攻撃魔術を無詠唱で連発しているようだな」
「嬢ちゃんのプライド粉砕されちまうから、それ教えるのやめといてやろうぜ……」
「そうだな。今後のやる気に差し障りが出そうだ。他の連中の口から耳に入るかもしれんが、俺達は言わずにそっとしておいてやろう」
その気遣いがもっと心を抉るんじゃねーか、と、もしアスファがこの場にいれば突っ込んだであろう。
地に這って死んだフリをしていた荊ごと、悪趣味な根はすべて氷漬けになり、寄ってたかってスパスパ斬り刻まれ、あっという間に本体が丸裸にされた。
――あとはもう、徹底的にとどめを刺すだけである。
それはもう、一方的に。容赦なく。
あそこで攻撃対象になっているのがもし自分だったら……
氷魔術から漂う冷気のせいだけではなく、グレンは足もとからぶるりと震えあがった。
「……あいつら、死んでも敵にまわしたくねぇな」
その呟きを耳にした全員が、心から頷いていた。
◆ ◆ ◆
ひとことで言えば、蹂躙だった。
蹂躙である。それしか言いようがないアレな光景だった。
最終的に、五メートル級の巨大アーモンド型怪獣が細切れになった。それも、大量に生えていた荊や根に至るまですべて瞬間凍結させ、綺麗さっぱり落とした上で、である。
「クッ! し、しまった、こいつまだ生きていたのか!?」――が起こりそうな予感を、一片たりとも残さない徹底ぶりだった。
そんなふうにアレな光景だったのだが、何者かの悪意による攻撃第一弾は、ひとまずこれで大失敗に終わったと言えよう。
しかし、とてもアレな幕切れではあったものの、彼らの戦闘は実に優美でありながらどこか野生的で、ついつい見惚れずにはいられなかった。
貴族的な優雅さと、聖職者のような清らかさと、戦士の力強さが絶妙に融合し、血の通った生きたエルフの戦う姿に、瀬名は感動のあまり目から滝が落ちそうになった。
身軽さを優先した防具はARK氏が用意したものと傾向が似ており、ただしあちらはデザインが息を呑むほど流麗で、自分が装着しても似合わないだろうなと瀬名は思った。
たまたまなのか弓使いはおらず、全員が当然のように剣を手にしている。まるで剣舞と見紛う鮮やかさ、それでいて野生の狼のような鋭さと強靭さ――そう、あれはまさしく〝狩り〟と呼ぶべきものだった。
淡々と冷静に獲物を追いつめ、とどめを刺す。
(しかもこいつら、全員、二刀流だ……!)
それは瀬名がずっと思い描いていた、理想の双剣士の姿そのものだった。
魔術をしれっと無詠唱で放っていたのにも拍手を贈りたい。複雑な術についてはたまに詠唱を紡いでいたようだが、短かったので略詠唱だったのだろう。
(ああ、眼福だった……)
第二形態へ進化された時はどうしてくれようかと思ったけれど、これで今夜は美味しくご飯が食べられそうである。
「さて。ひとまず問題も片付いたし、逃げるかな」
「どちらへ?」
「――――」
ぞくり。
腰が砕けそうになったのは、背後から紡がれた静かな男の声音が、脳髄を直撃する美声だったせいではない。
背後をとられていたことに、今の今まで欠片も気付かなかった事実への純粋な恐怖からだ。
おまえ。
いつから。
そこにいた。
(うん、逃げよう)
決して振り返ってはいけない。振り返ったらきっと終わる。
なりふり構っていられない。全力で逃げよう。
瀬名が一歩を踏み出そうとした瞬間――
「瀬名!」
「瀬名!!」
どぉん、と何か巨大な物体が両脇から衝突してきた。
痛みはない。が、けっこうな衝撃に、一時意識が飛びかけた。
そのままぎゅうぎゅうと押し潰されそうになる。
(あ、新手の攻撃か!?)
叫びたかったが、あいにく肺に空気が入らないので叫べなかった。
いや、あいにくで済むか。呼吸だ、呼吸をさせろ。
《主が窒息寸前です。力を加減してください》
「あ。すまん」
「あ。ごめんなさい」
小鳥の通常運転な指摘に、頭上から先ほどと負けず劣らずの美声が降り、圧迫感がゆるんだ。
しかし両脇からのがっちりホールド状態は変わらず、息苦しさはなくなったものの、動けない。
(えーと。コレ、何なのでしょーか?)
身動きできないがなんだかぬくいし、安定感すごいし、良い匂いもするのだが。
瀬名の頭はますます混乱した。
「おまえ達…………ずるいぞ」
「ん? 何故」
「え? 何故ですか。我慢なさらず交ざればいいじゃないですか」
「三人分のスペースがないだろう! だから遠慮したというのに……〝昔〟とは違うのだぞ」
何やらぶつくさ言っていたが、混乱の極みにある頭には、彼らの会話がまともに入ってこなかった。
巨大な怪物は強いと思うんですよ。
強いと思うんですけど、ヒーローの敵は巨大化した途端に数分で倒されるやつが多い気がします…。




