74話 招かれざる【女王】の腕 (2)
あらすじを修正してみました。
わかりやすくなっていればいいんですが。
大きな音。椅子や足もとから伝わる振動。男は皿の脇に数枚の銅貨を起き、何食わぬ顔で食事処を出た。
向こうの空が土の色に霞んでいる。呆然と立ちすくむ人々の間を抜け、ちょうど角を曲がる所で、突然狂ったように叫び、走り出した。
化け物が出た、逃げろ、と――
「ほう。詳しい状況を聞かせてはもらえぬか?」
青に黄糸で刺繍を施した騎士服の集団が、いきなりずらりと前を塞いだ。
(えっ……)
ぶわ、と嫌な汗が噴き出した。
話が違うぞ。どうして騎士どもがこんなにいるんだ。
こいつらは皆あっちへかかりきりになるんじゃなかったのか?
焦りながら視線を彷徨わせた。直前の叫びを聞きとがめた通行人が、何事かと周囲で遠巻きにし始めている。男は内心ほくそ笑み、できるだけ引きつった表情と大きな声で、恐怖を訴えようとした。
が。
「それなら我々も把握している。というのも、善意の通報があってな。どこぞのご令息が、悪質なイタズラを企んだらしい。祭りの賑わいに乗じて魔物を持ち込み暴れさせ、金で雇った者に叫ばせて、大騒ぎを起こしてやろうとな」
「…………」
男は瞠目し、耳を澄ましていた衆人から己に向けて敵意が集中するのを感じた。
「来てもらおう。どこの何者に雇われたか、しっかり話を」
「っ!!」
騎士が言い切らぬ間に、身を翻した。
真正面に女がいる。小娘など、突き飛ばして――
「【雷華】」
「うおっ!?」
かざされた手の平からバシ! と弱い火花が散り、転びそうになりながら二、三歩よろめく。
「よっ、と」
腕を取られ、足がすくわれると同時、軽い掛け声とともに天と地がぐるりと回転した。
何が起こったかも判然としないうちに、背中からしたたかに打ち付けられ、男の意識はふうっと薄れていった。
「ま、こんなもんだな。おまえ制御うまくなってんじゃねえ?」
「ふん、当然ですわ」
「ご協力感謝する」
元気のあり余っていそうな少年と、気の強そうな少女が捕り物に協力する一方で、細身の美女が板を掲げながら「皆さん、我々と騎士団が対処しておりますから、あちらのほうへ避難なさってください」と涼しげに誘導をこなしていた。
「坊や、あんたら討伐者か?」
「おう! つってもまだこれからだけどな!」
「そうか、頑張れよ! 嬢ちゃんも……か、かわいいな…」
「はい?」
「あのお、お、お姉さん、名前お、おしえてくんねえか?」
「こらこらこら、避難しろっつってんだろおっちゃん達!」
「おっちゃんじゃねえよ、俺はこう見えてなあ――」
「あー、すまんが、皆、移動してくれんか?」
騎士達に苦笑しながらうながされ、人々はクスクス笑いながら指示に従った。
男を縛りあげつつ、部下が隊長格の男に小声で報告する。
「あちらでも一人確保したようです」
「そうか。他にもいるかもしれん。慎重に回収するぞ」
「はっ」
そうして、騒ぎは拡大する前に収束する。
◆ ◆ ◆
「お前ら下がれ! その武器じゃ刃が通らねえぞ!」
「すまん……!」
何人かが悔しそうにしつつも、すみやかに引き下がった。
意思を持った巨木のように太い荊が間近に迫り、グレンは身軽に回避しつつ、抜き放った剣で斬りかかる。
目にもとまらぬ速さでザクザクと裂いていく見事な腕前に、周りから喝采があがった。
しかし、内心グレンに余裕はない。
「硬ぇなこのやろう……!」
亜竜種の魔物の骨を加工して作られた剣は、凄まじい強度と切れ味を誇る。
最高ランクに到達した日、奮発して鍛冶師に依頼した一級品だったが、今日ほど過去の自分を褒めてやりたいと思った日はない。他の連中の武器は、ことごとく刃が弾き返されていたのだから。
とはいえ、妖猫族は小さい。身体能力と勘のよさ、素早さからくる圧倒的な攻撃回数が彼の強みだったが、一度の攻撃がウォルド達と比較すれば格段に軽い。
そのウォルドは、バルテスローグとともに反対側で戦っている。ウォルドの大剣は剣身が聖銀に次ぐ魔鉄なので、こいつにも通じるはず。バルテスローグの戦斧も、ウォルドと同じく魔鉄製だ。
ウォルドの一撃は非常に重く、人族の剣士としては素晴らしい身のこなしだが、妖猫族ほどの速さはない。その部分を小回りのきくバルテスローグが補う形になっているはずだった。
(荊がマジで厄介だな。一向に本体へ辿り着けやしねえ)
軽く跳躍し、柔らかく全身を曲げて回避しながら棘を薙ぎ払う。その一本一本が、まるで竜の牙だ。
邪魔な棘を剥がした部分めがけて斬りつけるが、全力を乗せていても、およそ三分の一ほど沈み込んだところから進まなくなる。舌打ちしながら即座に引き抜き、二度、三度と斬りつけて、ようやくずしん、と地面を震わせながら瓦礫の中に落ちた。
その後もしばしのたうっているさまは、首を落とした直後の大蛇さながらである。
こんなものが、まだ何十本も残っていた。
――植物系と聞いていたのに、蓋を開ければこのしぶとさ、頑丈さ。
しかも植物系のくせに炎に強いときた。
こんな時こそあのお嬢様がぶっ放せたらいいものを、つくづく悪意に満ちた嫌がらせである。魔術で総攻撃を仕掛けてみたら、全然効かずにぴんぴんしている魔物の姿がそこにあった。
これを仕掛けた奴は本当に性格が悪い。グレンは舌打ちした。
◇
「――こういうタイプの、魔物だと思う」
魔法使いの説明に、嫌そうなうめき声があがった。
新人時代、採集依頼の最中に毒だの花粉だのに苦しめられた経験者は何人もいる。加えて、見た目や生態に嫌悪感を覚えやすい種類がほとんどだ。
「発芽直後の大型種は、毒粉や幻惑香みたいなものは使えないはずです。でも念のため、状態異常を防ぐ薬を持って来ましたから、持っておいてください」
その言葉に、胸を撫でおろす。
魔獣の卵が店に並ぶように、魔性植物の種も結界を通過する。普通の種なら育ちはしないが、ごくわずか、その前提を突き崩せそうなものがあるという。
入手困難極まりないそれを、何者がどのような手段で手に入れたかは不明だが、予測ではこの町のどこかに既に仕掛けられており、おそらく神殿や城の内部ではない。目的はドーミアの陥落ではないと思われるからだ。
また発芽まで時間の問題と思われるため、もしこの場で聞き耳を立てている者がいたとしても、今から別の場所に移すことは考えにくい。
「だとしても、半獣族の鼻に対策をした上で持ち込んだはずだから、これからしらみ潰しに探すのは現実的じゃない」
さらに魔法使いは、避けようのない〝最初の一撃〟から身を守れるよう、それぞれのリーダーへ自作の魔道具を貸し与えた。単独で活動している者も、必ずどこかのパーティに一時加わり、魔道具の守護範囲から離れて行動しないよう言い含めた。
一定以上の衝撃を受けた場合、あるいは致命傷を負いかねない高速で何かが衝突してきた場合、一度だけ内部にいる者を守る――そういう術式を籠めているらしい。ただし完璧に作用する確証はないので、過信はするなとも念を押された。
ウォルドいわく、どこがどうとは言えないが、神殿の守護魔道具とも違うそうだ。術式を秘匿するためか、丸く硬い何かを小さな布袋に入れ、口もとをしっかり縫いつけている。グレン、ウォルド、バルテスローグのリーダーはあっさりグレンに決まり、布袋に紐を通し、首にかけた。あいにく全員分は用意できなかったらしいが、全パーティに行き渡れば上等である。
「他に、何か質問は?」
ぐるりと見渡した魔法使いに、グレンは挙手をして「質問つーか提案なんだが」と言った。
「これはどっかの誰かの、悪趣味なイヤガラセなんだよな?」
「究極的にはそうなると思う」
「なら、イヤガラセの首尾がどうなったか、報告を楽しみにしてる奴がいるってことだよな」
「……いるだろうね」
「じゃあおまえさん、さっき自分も戦闘に加わるっつってたが。魔法は使わないほうがいいんじゃねえの?」
どよめきがあがった。
それは魔法を超絶に期待していた魔術士どもからの壮絶なブーイングだった。
奴らはしつこかった……少ない人数のくせに、獄猟犬を彷彿とさせる勢いで食い下がり、仲間を「お、おい…」と引かせるほどに。
だがどこかに監視人がいるのなら、こちらのカードを披露してやる必要はないとグレンは主張し、ウォルドとローラン騎士隊長が賛同して、魔法使いも頷いた。
ウォルドとローランは魔法について何か知っていそうだが……まあいい。そのうち機会もあるだろうとグレンは思った。
◇
そもそもセナ=トーヤは、なるべく自分の魔法を大っぴらにしたくないはずなのだ。
だが自分から魔法抜きでやるとは言いにくかったのだろう。あの後こっそり感謝された。
なのに――戦いが長引けば、セナの魔法を期待する者が再び騒ぎ出し、気にしたセナが魔法を使わざるを得なくなるかもしれない。
(ったく、どこのどいつだ!! こんなもん、俺らの町に放り込んでくれやがってよ……!!)
必ずそいつを引きずり出し、喉笛に喰らいついてやる。
建物を破壊しながら好き放題暴れ続ける荊に、グレンは呻り声をあげながら斬りかかった。
最大の誤算は、手持ちの武器がこの怪物にまったく通用せず、戦力に数えられなくなった者が多数いることだ。
とりわけ半獣族が最前線からごっそり抜けたのは痛い。多くの種族の中でも、半獣族は肉体の頑丈さと敏捷さが飛び抜けている。力押しで大抵何とかなってしまうため、武具に関してはそこそこのグレードで満足する者が多い。
その代わり非常によく食べるので、武具等で節約した分の収入は、日々の食事や携帯食につぎこんでいる――というより、食べ物に金がかかるせいで、武具にまわせる余裕のない者が多いというべきか。
彼らは非戦闘員の多い神官とともに、怪我人の救助と護衛にまわった。
想定よりも激減した戦力。魔術が効かず、騎士団の放つ魔石の矢も効果がなかった。あるいは、苦手な属性は存在するとしても、魔力耐性が威力を上回っているか。
正直なところ、セナ=トーヤにもらったあやしげな〝薬〟がなければ、グレンでさえきつかったかもしれない。
(……つうか、マジで効き目やべえなこの薬。定期購入させてくれねえかな?)
魔法使いが戦闘要員の皆に、無償で配って回った薬。
しかし、その薬の真の名称を知る者はなかった。尋ねても「手づくり回復薬だヨ!」としか教えてもらえない。あのセナ=トーヤに〝満面の笑顔で〟黒い丸薬のひと粒入った小袋を配られた面々が、「ひょっとして俺、悪い魔法使いの実験体…?」と慄いたのも無理はなかった。
いや、ごく一部は恍惚と震えていたが……見なかったことにした。
ゆえにグレンは、自分がもらった薬に【持久戦型オール回復錠Sファイト・Z】と名付けられていることを知らない。
なるべく戦闘開始直前に飲むこと。表面がツルリとしており、口内が乾いていなければ水がなくとも飲める。そして種族や個体差を計算に入れても、二時間程度は効果が持続するとのこと。
薬なのに花蜜のような甘さが舌に残って驚かされたが、味よりも何よりもその効き目。――消耗した体力・魔力、負った傷が、その時間内はずっと回復し続けるのだ。
消耗や怪我の度合いにもよるが、ほんの少し呼吸をととのえるだけで、みるみる全回復していく。その異様な感覚は、なんとも表現し難いものだった。
体力や魔力が枯渇しそうになるたび、いちいち回復薬を取り出して飲んだりしなくていい。手間が省けるだけではなく、服用する瞬間の隙を突かれる心配もなく、回復薬の残量を気にする必要もない。
ぶっちゃけ、一撃で致命傷を受けさえしなければ、ひたすらいつまでも戦えるのだ。
そんな薬、それこそおとぎ話以外で見たことも聞いたこともない。セナ=トーヤは「二時間しか保たないんだよね…」と不満そうに漏らしていたが、「そんだけ保ちゃ充分すげえよ!」と全員が叫んでいた。事実、この手の薬は、効果が十分間続くだけでも凄まじいたぐいのものなのである。
誰がどう考えても、不気味なぐらいに反則級の薬だった。
「そこんとこ、どっか、ズレてんよな、あいつ……」
実は似たような効能で別の薬が何種類も配られていたのだが、皆「よく効く回復薬だヨ!」と説明されていたので、彼らは自分達のもらったあやしげな薬が、すべて同種のものだと思い込んでいた。
「うげっ!?」
突然目の前の荊が、明確にグレンを標的と定めて動きはじめた。
一斉に迫る棘を、焦りながらも全力で避けては斬り、斬っては避ける。
「グレンッ!?」
「おいっ、あっちへ誰か……チッ、このやろう邪魔だッ!!」
助太刀などできはしない。誰もが自分の命ひとつで手一杯だった。現時点で騎士団や討伐者の間に犠牲者は出ていないが、この近辺の住民と思われる何人かが棘にひっかけられ、あの大口に放り込まれている。
油断すれば、我が身も次の瞬間にはあの中だ。
いよいよ対処しきれない数がグレンに集中した時、黒い影が視界を横切った。
半獣族――いや、違う。
(――セナかっ!)
黒い髪が翻る。この魔法使いの動きは、まるで闇を裂く閃光のようだとグレンは思った。
ああ、そうか。そうだった。魔法がなくとも、こいつは一騎当千だったんだな。
訓練用の木刀を振るうところしか見たことがなかった。いつも鞘におさめているあの剣を、こいつが本気で振るうとこうなるのか。
(はっは、とんでもねーわこいつ! 速さが俺並みじゃねえ!?)
はずむ心に連動し、グレンの瞳の形がキラキラと丸くなった。
素早さと柔軟さはグレンに軍配があがる。しかしそれ以外は五分か、セナ=トーヤが若干上回るだろう。
とりわけあの剣は凄まじい。魔法を使わないと最初に決めた予定通り、魔力は一切帯びていないのに、あの頑丈さと切れ味はどうだ。
人族のはずなのに、半獣族に似た身のこなしで斬りつけ、足もとにぼとり、ぼとりと荊が落ちた。セナ=トーヤが半分受け持ち、おかげで負担の軽くなったグレンも態勢を立て直し、互いに言葉を交わしもせず、互いの息を合わせるのに集中した。
横から迫った怪物の鞭は空を切り、二人が避けざまに棘を払って、向こうにいた騎士が大剣を全力で振り下ろす。不安定な瓦礫の足場をものともせず、飛び跳ね、かすめそうになりながら回避し、目にも止まらぬ速さで反撃を次々と繰り出した。
「うおおおっ、すっげぇ!!」
「あいつらすっげぇ!! なんかすげぇ!!」
「魔法使いではなかったのか……!?」
勢いが戻り、誰もがこのままいけると確信した。
◆ ◆ ◆
金属同士をゆっくりこすり合わせる、不快な音――
怪物の〝頭〟が、やけに耳に残る不快な奇声を発した。
「っ!? 下だ、また何か来やがる!!」
「うぇ!?」
「退避だ退避!!」
今この場で最も聴覚の優れたグレンが叫び、全員が即座に動くや否や、地面がずずず、と盛りあがった。
瀬名は半壊した建物の壁に飛び移り、その上を走って、まだ無事な建物の屋上まで駆けのぼる。
(……根か!!)
半数以上落とした荊を押しのけ、黄土色の根が蠢いていた。それは暴れる様子もなく、本体を守る配置へ移動し、ピタリと動かなくなった。
棘はない。しかし誰も攻撃を再開できなかった。
樹の洞のように走ったいくつもの亀裂。その奥にびっしり生えているあれは、牙ではないか?
荊が地面をぞろりと這い、棘を突き刺してしっかりと固定する。――役割の交替だ。
(ひっ……でぇーっ!! こんなんあり!? なにこの隠し玉!? 第二形態とかそんなのいらないから!!)
現実の分際で、何故そう律義にお約束を踏んでくれるのか。
あんまりな展開に、瀬名は絶叫したくなった。
「よっしゃもうちょっとでいける!」←フラグ
ズゴゴゴゴ……
「えええええええ!?」




