6話 十歳、人工知能様による隙のない家庭学習
肉体年齢十歳。
初めて言語情報のインストールを行った。
EGGSが放たれて数日。送られ続ける情報をもとに、ARK・Ⅲがエスタローザ光王国の公用語や第二・第三語を集中的に分析。
手紙向け、会話向け、公文書向けなどのあらゆる単語や文法を解読し、日常会話から貴族と平民の言葉遣い、大人言葉に幼児言葉、発音の違いに至るまで、まとめて瀬名の補助脳を介して脳にインストールさせた。
結果。
一国の主要言語をおよそ一時間でマスターした。
簡単に言うが簡単ではない。その直後から、まともに立っていられないほどの頭痛と不快感に襲われ、丸三日苛まれた。補助脳を介して送られるあまりにも凄まじい情報量に、本体の脳が悲鳴をあげたためである。
もし以前の標準的な補助脳と、容量や耐久力が底上げされていない常人の脳の組み合わせで同様のことをやっていれば、間違いなく廃人に成り果てていただろう。ぞっとするどころではない。
最初の反省を生かし、次回からは無理をしないよう、段階的に読み込ませてくれることになった。
つまり一国の言語だけでARK様が満足するはずがなかった。
情報量を抑えて少しずつ読み込む方針に転換したおかげで、頭痛・吐き気は数十分でおさまるようになったものの、そのぶん完了するまで回数をこなさねばならなくなり、多くの日数を要した。
――ひたすら気持ち悪さを我慢する日々。
機能美に満ちて広々とした〈スフィア〉内で送る生活は快適そのもの。座り心地良く素晴らしい手触りのソファ、絶妙な弾力が身体を支えてくれるベッド、羽のようにふんわりと軽い毛布。食事の用意もおやつの用意もルームクリーニングも全部やってくれる有能なお手伝いさん。
微塵の文句もなかったけれど、これだけが玉に瑕だった。
《マスター。それを古今東西共通して贅沢者と呼びます》
「くっ……わかってますよ。わかってるけど気持ち悪くてしんどいものはしんどいんですよ! 処方薬とかほんとにないの?」
《ありません。原因は特殊な学習法による脳疲労なのですから、現在のあなたの回復力でしたら時間経過で自然に治ります。初回と違って、短時間の不快感に耐えればよいのですから、慣れてください》
「はいよ……」
瀬名の生まれ育った時代、外国人との会話は翻訳機に頼ればよかった。
同時通訳機能付き翻訳機は一家に一台どころか、メーカーやデザイン違いで一人が二~三種類持っている、そんな時代だったので、誰も頑張って外国語を学ぶ必要がなかったのだ。
しかしこの国で現地民との意思疎通をはかる際、いちいち翻訳機など使用できるわけがない。
――すなわちこの人工知能様は、いずれ瀬名に現地住民と直接交流させる気でいるのだ。
あえて訊こう。何故そんな必要が?
高度文明社会の弊害の申し子よと、指を差したければいくらでも差すがいい。
別に他人になんて一生会わなくたっていいじゃないか。
人付き合いとかどう考えたって、いろいろ面倒そうじゃないか。
別にこのままずっと〈スフィア〉に引き籠もってたって――
《なりません》
却下された。
◇
「あーもうやだ。もーやめたい。本気でやめたい。マジきつい。しんどい。しんどいよう…」
本日もまた横になり、白い天井に向かって鬱々と負のエネルギーを垂れ流す。
毎日必ず一定時間は体調が悪くなり、それが過ぎ去るのをじりじりと待ち続けねばならない。
いくら贅沢者と呼ばれようが、しんどいものはしんどいのだった。
さすがに毎日やっていれば慣れもしてきたが、日々を振り返って咄嗟に思い出すことが「今日も気分悪かったな」しかないのは、少々切ないものがある。
そんな日々の潤いは、タマゴ鳥達から送られてくる大量の記録映像だった。日替わりでファンタジー映画を観ているような感覚で、しかも日を追うごとに、翻訳機がなくとも耳に入る現地語が理解できるようになっている。
ネイティブではないので、頭の中で意味の近い言葉にいちいち訳しながらだが、それも慣れれば時間差がなくなっていった。不快感に耐え続けた甲斐があると実感できるので、記録映像はモチベーションを上げる意味でもいい役割を果たしてくれた。
もちろん、愉快なものばかり観られるわけではない。
この大陸には王族・貴族・平民の身分制度があり、不愉快だが奴隷階級もある。
攫われて人買いに売り飛ばされたり、借金がかさんだ末の借金奴隷や、先祖代々の血統奴隷、犯罪奴隷などがあった。
この中で自由民に復帰できる可能性があるのはぎりぎり借金奴隷と犯罪奴隷の一部ぐらいで、他はほぼ望みがないと言っていいだろう。
血統奴隷は、移民や貧困などの理由で生きるのに難儀していた先祖が、貴族や商家など時の有力者に保護を求め、見返りとして子々孫々まで仕えることを誓約した血筋のことだ。
普通の使用人と違い、朝から晩までひたすら働いても給金が一切出ず、それに対して文句を言う権利も全くない、それが子や孫にまで延々と続く。
子々孫々にとっては迷惑どころの話ではなかった。
主人がよほどの人格者なら解放してもらえるが、歴史上でもそんなことをやってのけた傑物は数えるほどしかいないらしい。奴隷は財産であり、何の見返りもなく財産放棄しろと言われても、簡単に頷ける者など滅多にいないのだ。
おそらく奴隷達の中で、最も悲惨な運命を負うのがこの血統奴隷達だった。彼らは主人から離れては生きられない、そう教育されて育つため、どんな過酷な労働を課され続けても、〝逃げる〟や〝抵抗する〟という選択肢が浮かばなくなる。
おまけに、我が子も奴隷になると知りながら、それでも子供を作るのは、彼らの頭が足りないせいでも、ましてや子に対して無責任なせいでもない。
適齢期になれば、主人に子作りを命じられるからだ。
最低である。
最低だが、ちょっと前に来たばかりの余所者が一日二日でどうこうできるほど軽い問題ではないので、今は無視してしまう以外にない。
できれば今後そういうものとは出会いたくないが、もし出会ってしまったらその時、自分はどうすればいいのだろうか……。
ひとまず面白くないものからは目を逸らし、楽しいものに目を向ける。
魔法だ。
ちなみに、〝魔法〟や〝魔法使い〟という呼称はおとぎ話で使われる古く曖昧な表現で、庶民以外はほとんど使わないらしかった。
現代では〝魔術〟と呼ばれ、それを得意とする者を〝魔術士〟と呼ぶ。荒唐無稽で無茶苦茶な〝魔法〟がこれでもかと出てくる信憑性の薄いおとぎ話と違い、ちゃんと研究されて確立された学問の一種という認識だ。
数百年前までは下位、中位、高位と三段階評価しかなかったが、同じ位階でも実力にピンからキリまであったため、今では十二階級に分けられている。
現在、エスタローザ光王国における最高位の魔術士は、第十一階位の宮廷魔術士が数名。それもようやくその位に達した者ばかりなのだそうな。十二階位に手をかけられる者など、そう簡単にはいないようである。
ちなみに一般的な魔術の枠組みに収まらず、かつ高度なものは〝魔導〟と呼ばれ、その道を極めた天才などは〝魔導士〟と呼ばれるらしい。天才を自称する似非魔導士が出ることもあるらしいが、本物の高位魔術士が出張ったらすぐにボロが出るので、数は多くないのだとか。
《魔術士の位階は精霊族が古来より定めた基準をもとにしているため、他種族でも通用するようです。彼らに関する情報はまだ少ないのですが、おそらく十二階位に達する者は少なくないのではないかと思われます》
精霊族――人間嫌いで森に住み、身軽で魔術が得意で優れた弓の腕前を持つ。
総じて美しい容貌を持ち、耳が長くとがっている、らしい。
「要するにそれエルフじゃね?」
《まあ、そうですね。この世界版のエルフですね》
こよなくエルフを愛する身としては、テンションを上げずにいられない。
もちろん異なる点もある。精霊族の寿命は何万年もない。一般的に五百年前後で、相当長生きしても七百年ぐらいと記録にあるそうだ。
しかもたった三十年ほどで成体になる。これは寿命全体からみればかなり速い。人間――人族と比較しても、大人になるまでの成長速度がほとんど変わらないのだ。
おそらく長い歴史の中、彼らはさほど安全な環境下にはいなかった。自然界において、生まれたての草食動物がすぐ立てなければ肉食獣の餌食になってしまうのと同じ理屈で、成体になるまで百年もかけていたら遅過ぎるのだろう。
精神的な成熟度のバランスを考えても丁度いいと思う。見た目は十歳ぐらいの子供でしかないのに、頭の中身は中年並みとか、それってちょっとどうなのだろう? と鏡に映る我が身を眺めて思うのだ。
瀬名だって自己紹介をする際に、「はじめまして瀬名です、十歳です!」なんて堂々と言いたくはないし、目を泳がせずに言える自信もない。
スクリーンを眺めながら紅茶をすすりつつ、気持ち悪い生物の一人としてしみじみ思う今日この頃だった。
「外見と精神年齢が一致してるパターンだったとしても、何十年も生きているのに頭の中身が幼児並みの判断力しかないなんて、よくよく考えれば変だよねえ」
いかにも頭のよさそうなイメージの精霊族なのに、それでは人族より頭が弱いことになりはしないか?
《森と共生する種族ではありますが、樹木そのものが変化した生物ではありません。血と生身の肉体を持つ生き物であり、天敵も存在したのでしょうね》
ARK教授も肯定してくれたので、彼らの成長速度の考察についてはほぼ間違いないとみていいだろう。
彼らはおよそ三十年ほどかけて二十代ぐらいの外見になり、四百歳ぐらいまでピークを保ち、その後ゆるやかに老いていく。
充分に理不尽な不老長寿生物だが、何万年も生きると言われるより、何百年も生きると言われたほうがピンときて納得しやすい気がする。
そんなこの世界版エルフ達は、やはりというか排他的で、とりわけ人族のことが好きではない。しかしエスタローザ光王国は魔術士の活躍によって発展してきた背景があり、魔術に強い精霊族にも敬意を抱いている。
エスタローザの国民性は、「人族の中では比較的まし」という評価を獲得しているらしく、人族の国の中では彼らの訪れる頻度が比較的多いのだそうな。
「グッジョブ・エスタローザ! 私もうこの国に骨を埋める…!」
《しかしマスター、彼らとの接触は容易くありませんよ》
「いやいや、別に会わなくてもいいんだって。つうかむしろ会いたくないし。遠目で眺める機会が一回でもあれば充分!」
エスタローザの国民達も、そのあたりはよくわかっているようだった。
この国では、彼らが訪れた際には国賓として丁重に扱わねばならない。しかしいくら好意を抱いていても、それはそれ、これはこれ、一般人からすればそんな連中の対応などしたくないし、関わりたくないというのが本音だった。
しかも精霊族は排他的、人族に対してはとりわけ冷たくなりがちな種族。生まれながらに優れた能力と美しい容姿を持つクールで気難しい種族など、遠巻きに観賞するのが楽しいのであって、間違っても近くで話しかけるべき存在ではない。
『震えがくるほどの美貌ってんだから、生きてるうちにいっぺんは見てみたいけどねえ』
『何言ってんだい、精霊族に限らずお近付きになるもんじゃないさ、高貴な御方ってのは!』
『あはは、んなこたあわかってるさ! 近付かずに見るだけ見てみたいって話だよ!』
そんな会話を、うっかり主婦達の井戸端会議の映像から拾い上げてしまった。
「うん、そうそう! ほんとそれな!」
それはともかく、残念ながら精霊族は出没頻度があまりに低い上、自分達の国の場所を明らかにしておらず、EGGSにも未だその姿は捉えられていない。
代わりというのも失礼だが、半獣族や鉱山族の姿は時おり見かけられた。
アトモスフェル大陸には〝組合〟という組織が存在する。ファンタジー系のゲームでよく登場していた〝ギルド〟と似たようなものだ。
ギルドには色々あり、定番は商人ギルド、職人ギルド、討伐者ギルド等だ。
討伐者ギルドは、かつて好んでプレイしていた仮想現実体感型RPGの中の〝冒険者ギルド〟や〝ハンターズギルド〟とほぼ同じものだった。登録した者はギルドに持ち込まれる依頼を受けて、護衛任務を請け負ったり、危険な怪物を討伐したり、その素材を集めたり、貴重な薬草の採取などを行ったりする、主に荒事専門の何でも屋である。
ただし、モンスターを倒せば謎の効果音が流れて謎の経験値が入り、不思議なレベルアップを果たす謎システムは存在しない。少なくともこの世界にはない。
あればいいのにとちょっと思ったが、ないものはないのだった。
討伐者ギルドには、いかにも荒事に向いていそうな半獣族や鉱山族が常に何名か存在した。鉱山族は鍛冶を専門とするので、どちらかといえば半獣族の割合のほうが多いようだ。
鉱山族はこの世界版ドワーフである。小柄でパワフルで、鍛冶が得意な毛玉である。
半獣族は基本、人族に近い背格好をしているが、身体の一部分が獣であったり、全身ほぼ獣だが二足歩行で防具を身につけた者などざまざまだ。
いつか討伐者ギルドに、「耳と尾をモフらせて欲しい」と依頼を出しては駄目だろうか――
《マスター》
「ははい?」
《心拍数が異常な数値になりましたが、何をお考えですか?》
「いやいやいや気のせいだよARK君。そうとも、気のせいだ。急に呼びかけるからちょっと驚いただけさ」
《さようですか。――では、次は現時点で判明している世界情勢についてです》
「……そんなの、適当に大筋だけでよくね?」
《ええ。ですので、適当に必要と思われる大筋だけをまとめました。できるだけで結構ですので、なるべく記憶に留めるようにしてください》
「…………」
適当に必要と思われる大筋とは、いったいどれほど広範囲に及んでいるのだろうか。
先日の、エスタローザ光王国の法律の必要最低限と思われるごく一部は、意識が遠のきかけるほど膨大な情報量だった。
インストール学習は脳の負荷が大きい。ゆえに、言語学習以外は地頭で地道に学ばせる方針なのだそうだが、別にここまでみっちりやらなくても――
《マスター》
「…………はい」
多分だが、もしごねて嫌がったら、タマゴ鳥達の記録映像を金輪際観せないと脅されそうな気がする。
ARK教授は娯楽と講義を効果的に繰り出す優秀な教師であった。