68話 囮と獲物 (2)
ARK・Ⅲには、かねてから懸案事項があった。
――マスターを守るための戦力が少な過ぎる。
情報収集の要たる小型探査機EGGSは、〈スフィア〉で製作されたものではなかった。
自己修復機能があり、最高速度は音速に達し、狭い範囲で防御シールドも張れ、灼熱の地でも極寒の地でも任務を遂行できるタマゴ鳥は、自由意志と会話能力を持たない点を除けば、青い小鳥より遥かに高性能だったのだ。
これのどこが最低限だと瀬名は折に触れてぼやくが、生存者を生かすことに重点を置かれた〈スフィア〉には、このタマゴ鳥を新たに製作できるだけの設備がない。必須の材料も大部分が、この世界に存在しない物質でできている。
東谷瀬名を守ること。それはARK・Ⅲの存在意義であり、目標であり、すべてだった。
瀬名を裏切らず、瀬名を守り、害を成さんとする者を排除し、ときに情報収集も行える。
思いがけずそれらの条件を完璧に満たす二つの種族と縁が繋がり、近々合流することになった。
待ち望んだ理想的な戦力。
彼らさえ到着すれば、瀬名の周辺の布陣には何の憂いもなくなり、魔王とやらの出現にも対処しやすくなるだろう。
しかし新たな問題が発生した。瀬名が「ちょっと前からモヤモヤする」と言い出したのだ。
――かなり近いうちに、何かが起きる。
春祭り。おそらくはその前後。
ARK・Ⅲは、それはもっと先であろうと予測していた。しかし瀬名の呟きを受け、即座に修正。
具体的な根拠も証拠もない。けれど瀬名が気にしている以上、そちらを優先すべきである。そもそも手がかりが皆無のため、EGGSを大陸全土に満遍なく飛ばさねばならず、はっきり言って効率が非常に悪かった。ある程度の範囲に絞られるのなら、そのほうがいいに決まっていた。
それに瀬名には、本人も自覚していない特殊な才能がある。
無造作にバラまいたパズルのピースを眺め、完成図を瞬時に思い描けるのだ。
ひとつひとつの情報を順に丁寧に繋いでゆくのではなく、無造作にかき集めた情報を目の前にドンと並べ、それが示す結末、終着点を過たずつかみ取る。
超能力でも魔法でもなく、純粋に生来の能力だった。
しかし普段の記憶力自体は常人と差がないため、滅多に誰にも気付かれず、自分でも自覚がない。
ゲームの攻略情報は一日で頭に入るのに、学生時代の授業は一年かけても平均点ギリギリだった。そんな状態で実感など湧くはずもなかろう。
これに関しては自分が正しく理解していればいいので、急いで認識させる必要性はないとARK・Ⅲは判断していた。
――片方の種族は、間に合わないかもしれない。だが、一方が合流するだけでも、格段に楽になる。
それはさておき、無視できないのがアスファという少年だ。
エルダやリュシーならともかく、この少年が聖銀ランクの指導を受けられる理由がない。
そうまでして、たかが新人、しかも問題児だった彼をギルドに留め置こうとした理由はどこにあるのか。
ギルド長やその周辺の会話をさぐり、やがて彼が、密かにある名称で呼ばれている事実をつかんだ。
その単語の示す意味は不明である。魔王種や魔王と同様、普段は人の口にのぼらないために、拾いきれなかった言葉のひとつに相違なかった。
しかし、少なくとも瀬名に敵対する存在ではない。将来的にも害がないようであれば、いずれ放置しても構わないだろう。
たとえ少年が何者であろうと、瀬名にとって有害か無害か、それがすべてだ。
平和に、平穏に、何事もなく徒然と、のんびりまったりスローライフ。
万難を排して必ず瀬名のためにそれを用意する。
ARK・Ⅲの使命は、過去も現在も、決して変わらない。
◆ ◆ ◆
この世界には魔素を操作するという概念がない。自身の内側を流れるのも、世界中に漂うのも、ひっくるめて同じ魔力。それがこの世界の人々の常識であり、誰も双方を分けて認識していなかった。
魔素で構成された結界を眺めながら、瀬名は〈祭壇〉の守護結界とはどんなものなのだろうと考えていた。
ARK氏いわくの竜脈――世界中の地下深くをうねるように流れて満たす強いエネルギーの奔流――これは限界まで濃縮された魔素が純粋なエネルギーになったものらしく、魔力とも異なるらしいが、よくわからない。
稀に地表へ接して湧き出す箇所があり、太古の人々はそのエネルギーを利用し、魔物の脅威から身を守る結界を築いた。
魔物は壁を越えることができない。安全な壁の内側で、人々は魔物の脅威から守られている。
――悲しいかな、そういう完全無欠の無敵伝説は、高確率でいつか破られる運命にあるのだ。
(だってさー、実際、世界中で被害が出たんだよね? 結界があるのに)
過去、魔王の出現によって。
ドーミアの結界は〈スフィア〉のシールドと違って球状ではなく、楕円形をしている。町全体を囲む防壁や、オベリスクに似た外観の巨大な支柱がいくつもあり、それらが結界拡張の役割を果たしていた。
〈祭壇〉は魔物を弱体化させる性質のエネルギーを放ち、普通の魔物は好んで近寄ろうとしない。拡張された結界も同様の性質を持ち、それは上空にも地下にもかなりの範囲に及んでいる。
それでも、魔王による被害を防ぎきれなかったのだ。
「ぶっちゃけ、魔王種と魔王は〈祭壇〉の結界を越えられるのかな?」
どこからともなく、男とも女ともつかない静かな声が応えた。
《過去の事例においては、魔王種と思しきものは越えられていません。魔王と思しきものは結界が効かなかった、もしくは破ったという逸話が残っています》
「既に破られてたか……効かなかったっていうのは?」
《文字通り、効力を発揮しなかったという意味です》
「素通りできた魔王がいたってこと?」
《そうです。原因は解明されていません》
「…………」
思い出されるのは、なんちゃって魔法を初めて習得した頃。
ウインドカッターならぬ鎌鼬の練習をしながら、そよ風が頬をなでていた。
結界はそよ風を防がない。風の攻撃魔法は防ぐ。
ドーミアの守護結界は魔物を通さない。攻撃魔術も防ぐ。けれど大雨や暴風は防げない。
素通りする。
……。
「魔馬って魔獣だよね? ヤナは平気でドーミアに入ってるけど、魔物とどう違うの?」
《獣タイプの魔物を〝魔獣〟と呼んでいるだけであり、厳密には違いはありません。ドーミアで見かける魔馬は、所有馬の印であるピアスが魔道具になっており、それを装着していない野生の魔馬は侵入できないのです》
「え、でも野良猫っぽい魔獣を見かけたけど?」
《あれは〝フェレス〟という魔獣ですね。あれらは成体でも最下位指定の魔物より弱く、結界の排除対象にならないのですよ。魔馬は個体によって強さがピンキリですが、だいたい青銅から銀ですね。ヤナは銀相当ですから、人喰巨人とやり合えますよ》
「おおう、さすが! ――つーか、そんな高ランク魔獣に馬車引かせてたんかい」
《生まれた頃から訓練されていると、従うことに疑問を抱かなくなるようです。ランクの高い貴重な魔馬に馬車を引かせるという無駄遣いが、王族の権威アピールになっているのでしょう》
「勿体なっ!」
《緊急時の戦力にもなって一石二鳥なんでしょうけれど、走らせて逃げるだけでは本当に勿体ないですね》
「王族の見栄ってマジくだらない……うちの娘をそんな舐めた使い方してたなんて! 二度と許しませんよ!」
騎士団で世話をしてもらっている愛馬を想う。
しかし今は思考が迷走すると困るので、愛馬自慢は今度の楽しみに取っておこう。
とりあえず、脅威になるほどの強さではないから、あの猫型魔獣は問題がないのか。
所有者の印である魔道具に関しては、そもそも魔王が毎度大人しくそんなものを装着するかという話になる。
なくても素通りできるやつがいたのだろう。まるで自然現象のように。
「……自然現象」
何者の意図も介在しない自然現象。
もし魔王がそういう存在だったなら、素通りできても何ら不思議ではない。
極論だろうか?
知恵があるとは限らず、話が通じるとは限らず、魔王種とは近いようでいて決定的に異なる存在。
しかし、ARK氏がその程度のことを考慮しないとも思えない。
そもそもが魔術というもの自体、瀬名からすれば「なんでこんな呪文唱えるだけでこんなのが出てくるわけ?」と首をひねらずにいられないシロモノだ。この世界がそういう理の世界だからなのだが、その仕組みの外から来た人間にとっては、長年の憧れを前にして興奮すると同時に、困惑も禁じ得ない。
この世界の人々には常識過ぎて、大昔からスルーしてきたであろうことでも、ARKや瀬名にとっては突っ込みどころ満載だった。
「あの結界は魔力の性質か何かで、魔物とそれ以外を見分けてる?」
《その通りです。あの守護結界は、一定以上の脅威度の魔物に該当する魔力を判別し、その個体を排除するもので、私から見ましてもその精度はかなり正確です》
「卵だったら? 魔物の卵とか食材市場に並んでるじゃん。あれをこっそり孵化させたりとかは?」
《通常の卵は〈祭壇〉のエネルギーに成長を阻まれ、孵化すらできずに一定期間後に腐ります。高ランクの魔物の卵であれば、ごく稀に腐らず休眠状態で済むものもあるようですが、どの道〈祭壇〉の影響下で孵らせることはできません。なお、魔馬に装着する魔道具のピアスには個体識別機能があり、その個体を認識・登録して初めて侵入を許可できるものです。孵ってもいない卵を個体として登録することはできません》
「ふむ。じゃあ結界内で子作りとかも無理な感じ?」
《無理ですね。飼育されている魔獣の繁殖は結界外で行われます。ウォルド殿の雪足鳥もそうですよ。仮に外で魔物の卵を孵化させたとして、一部の魔獣と違い、人間には懐かないでしょう》
「ふーん……」
素直に相槌を打ったあと、瀬名はかりり、と頭をかいた。
地頭が悪いと、こういう時につくづく不便である。
――たったいま結論が出たのだが、どうしてそこに至ったのかが我ながら説明できない。
仕方ないので、とりあえず口に出してみることにした。
「ARK。帝国は、本当に魔王の在処を発見したのかもしれない」
《……何故そのような結論に至ったかお伺いしても?》
「いや、それがさ。なんでそう思ったのかって訊かれると、わかんないんだわ」
《マスター?》
喧嘩売ってますか、と、優しく尋ねられた気がした。
「いやいやいやいやいや誤解しないでね? 今までいろいろ聞いた話とか、そういうのをちゃんと吟味した末にコレだなって思ったんだよ? 破れかぶれの思いつきとかただの勘とかじゃないよ? たださ、具体的に何をどう考えてそんな結論が出たかってのを、順序立てて説明できないだけで!」
《つまり。冗談やその場のノリで口走った出まかせではなく、これだと確信を持つに至ったはいいものの、そこへ至る思考の過程が思い出せなくて説明できないと》
「そう! そのとーり!」
そしてもし、魔王を見つけたのだとしたら。
協力関係を結ぶことは不可能としても、利用は可能だと考えたかもしれない。
だからといって、いきなり魔王を利用しようなんてリスクが大き過ぎる。
まずは、もっと安全な別の何かを使い、段階的に実験するのではないか。
「もし私がイルハーナム神聖帝国側の人間だったとしたら、情報隠蔽しやすくて潰れても影響がないような僻地の小さな村とかで実験してみて、成功したら次は人の増えるこの時期のドーミアに投入して試す」
《…………》
「やんないからね!? わたしゃ血も涙もない帝国人じゃないからね!?」
《存じております》
「そ、そんならいいけどさ」
《…………》
沈黙が痛い。
何故だろう。ARK氏に白目などないのに、白い目がグサグサ突き刺ってくる心地になるのは。
《マスターは、〈祭壇〉影響下においても卵の孵化が可能だとお考えですか?》
「え? ああいや、違うよ。流れ的にそう聞こえたならごめん。卵じゃないよ」
《では何を?》
「うん、あのね……」
瀬名はそれを告げてみた。ARK氏はクールな声音に、心なしか驚いたようなニュアンスを込めて《それならば可能かと思われます》と答えた。
《ただし入手経路が問題となるために、その可能性は低いと除外しておりました》
「あ、そうなのね。……うん、実現するならどうやってソレを手に入れるかとか、そのへんの細かいトコはわかんないのよ。でもなんかコレだ! って思ったんだよね……。とゆーわけで悪いんだけど、それが〝当たり〟って前提で考えてみてくれる?」
《つまり、その解答をまず先に正解と仮定し、それを導くための具体的な計算式を組み立てよということでしょうか?》
「うん、そんな感じ。でももし他に優先事項があるなら、後でいいよ」
言いながら、瀬名は立ち上がった。
「アスファ達の小鬼討伐が終わってそうなら、なるべく早くグレン達を呼んでくれる? ――私もすぐドーミアへ行くから」
《承知いたしました》
瀬名は早足で廊下に出ると、趣味の巣窟と化した一室に向かう。
ドアの上には遊び心で、真鍮製の看板を掲げていた。そこにはエスタ語で〝あやしげな研究室〟と書かれている。自己満足である。
「さてと。いよいよ君らが役立つ日でも来ちゃったのかねぇ……?」
目前の棚には、ひたすら無意味に楽しく作り続けてきた、大量の薬、薬、薬。




