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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
ハッピーバースデイ
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65話 堕ちた者の末路


 ドニ=ヴァン=デュカス。昔はその名前が誇らしかった。

 生まれは裕福な伯爵家の息子。美しい母親は父親のお気に入り。

 欲しいものは何でも手に入り、自分の望みは何でも叶って当たり前。

 今はただの〝ドニ〟だ。

 生まれは裕福な伯爵家の次男。美しい母親は父親の第二夫人。

 家名に何の意味もないと悟った日には、もう取り返しがつかなかった。


(なんで俺ぁ、こんなんなっちまったんだろう?)


 簡単なことだ。家の名にあぐらをかき、努力をせず、失敗は他人に押しつけ、楽しいことにしか興味を抱かず、気に入らない者は親の権力(ちから)で排除し、甘い言葉にしか耳を傾けてこなかったからだ。

 気付いた時には、もうすべてが手遅れになっていた。


 何事も真面目とは程遠くいい加減にやってきたので、頭脳職は無理。身体をろくに鍛えなかったので、騎士もできない。兄は甘やかされ怠けてばかりの弟を憎み、家督を継いだ途端、ドニを家から追い出した。

 最後の情けとして、かなりの金貨を渡されていたのだが、兄の仕打ちにむしゃくしゃしたドニは、豪遊してあっという間に使い果たした。

 貯金だの節約だの、贅沢が身に染みついた放蕩息子にできるはずがない。

 兄に金の無心をしようにも、実家の人間は誰一人、彼を門から中へ入れようとしなかった。――実の母親でさえ。

 ドニは己の不幸を嘆き、血も涙もない兄と実母に怒り狂い、けれど罵倒する体力はすぐに尽きた。

 とにかく、どうにかして金を得なければならなかった。


 そうして、討伐者ギルドに登録した。貴族は平民より強い魔力の持ち主が生まれやすく、ドニも例外ではなかった。魔術士は数が少ないと聞いたので、ギルドの位を上げるのはたやすいと思われた。

 卑しい連中が働く場所に加わるなど屈辱でしかなかったが、今は耐えねばならないだろう。いつまでもこんな所にはいない、どうせ今だけだ。すぐに以前と同じ生活が戻ってくる――何の根拠もなく、そう信じていた。


 ドニは投獄された。指導係やギルド員の持ち物を拝借し、無断で売ろうとしたのを見咎められたのだ。

 あっさり捕まり、そして余罪が次々と判明した。身分が低い者の所有物は好きにしていいと本気で思っていたドニは、あまりにも堂々と人の物を持ち去り、後ろ暗さの欠片もない顔で売り飛ばしていたため、なかなか露見しなかったのだ。

 皮肉にも、泥棒の才能だけはあったようだ。

 そして牢から出て、二度とギルドへ足を踏み入れることは叶わなくなった。


 あれから何年経ったのだろう。極寒の冬を少なくとも十回は生き延びた。

 今の彼は、人に名を尋ねられれば「ドニ」とだけ名乗り、もう決して家名は名乗らない。

 胸を張ってそれを口にする虚しさと愚かさ、無意味さを、ようやく彼は思い知ったのだ。

 そしてもう、己が無敵だと信じていられたあの頃には、決して戻れはしないことも。

 夢を見たくなくて、平民の口調を真似るようになった。振る舞いもそれらしく変え、すっかり馴染んで違和感が消えたのは、果たしていつ頃からだったのか。


「――で、だ。おい、きいてんのか?」

「あ? ああ、もちろんだって。それを俺が運べばいいんだろ?」


 苛立ちの滲んだ男の声に意識を引き戻され、ドニは慌てて頷いた。

 迎えの馬車に乗り、町を出てしばらく揺られた後、周りに人の気配のないきんと冷えた木立の中で、ドニは待ち合わせていた男と会った。

 以前はこういう仕事を請ける際、宿の一室か裏路地で会っていた。しかし最近町の中は危ないからと、外での待ち合わせを指定されることが多くなった。

 もう春になるというのに、この国の冬はしつこい。

 指先は痺れて痛み、吐く息は白くにごった。


「ああ、あんたはこれを運ぶだけでいい。だからって適当にやんじゃねえぞ。この辺りじゃちょっと前に、屑揃いだがリーダーが切れ者で有名だった〝赤蛇(あかへび)〟どもがやられてやがるし、つい最近じゃ〝砂礫(されき)黒爪(こくそう)団〟も潰されてやがるんだ。慎重にならねえと、すぐ目ぇつけられるぞ」

「……なんでわざわざ、そんな危ねえ場所をルートに選ぶんだ? 余所を通ってきゃいいんじゃねえの?」


 つい疑問が口をついて出てしまい、ドニは後悔した。


「……おい、運び屋? てめえは素人か?」

「い、いや、すまねえ! 何でもねえ、何でもねえよ!」

「……ならいい。生きたまま解体されたくなきゃ、ただの運び屋が余計な好奇心なんぞ持つんじゃねえぞ」

「わ、わかってるよ……」


 だらだら冷や汗を流しながら、ドニは残り寿命が半分ぐらい削り取られたような恐怖を味わった。


「ふん。まあいい……ここを通るのは〝荷〟の引渡し相手の都合だ。人それぞれ、その時期そこにいて自然な場所、不自然な場所ってもんがあんだよ。でもって、俺はあの町に入れねえ理由がある。わかったか?」

「あ、ああ。すまねえ」

「もう一度手順を説明するが、町に戻ったらこの箱の中身を別の入れ物に移し替えて、箱は処分しろ。住処(すみか)は前と変えてねえな?」

「ああ。同じとこに住んでるよ」

「そうか。移し替えたら、引渡し相手から接近があるまでそれを床下に隠せ。俺らにゃわかんねえ臭いがあるらしくてな、地面の下でもねえと鼻のきく半獣族(ライカン)どもにバレる恐れがあるそうだ」

「わかった。連絡方法は?」

「いつもの飯屋だ。フード付きの茶色のローブを身につけた男が近付いて来て、『間違えてたらすまん、ひょっとしておまえは…』と話しかけて来る。そうしたら適当に話を相手に合わせて、飯を喰い終わったら場所を変えろ。てめえの特徴は相手に伝えてある。時間帯は昼、現われなければ日を改めろ」


 言いながら、男は片手で担げる程度の荷袋をドニに手渡した。内側に念入りな防臭加工を施された革袋だ。

 ひょっとしてこの中身は、解体された誰かの一部なんじゃ――想像しかけて、ドニは慌てて掻き消した。余計な興味を持つなと釘を刺されたばかりではないか。

 ドニは前金をもらい、好奇心を殺して再び馬車に乗り込んだ。





 幸い閉門時刻には間に合い――というより、間に合う距離で待ち合わせ場所を指定されていたのだろう――空きっ腹を抱えていたドニは、残り少ない銅貨で軽食を買い、食べ歩きながら貸し家に戻った。

 もらった金子袋の中には、銀貨が十枚――金貨一枚相当だ。金貨で買い物をしようとしたら通報されかけたことがあるので、こちらのほうがありがたい。

 前金だけでこれとは、なかなかに太っ腹だ。そのぐらい今回の仕事は、いつもより危ないものなのだろう。


(これだけでも、しばらくは喰い繋げられる。だからってトンズラこいたらやべえよな……)


 思ってみただけで、まさか実行に移そうなどとは死んでも思わない。もし実行したら、文字通り死ぬ未来しか待っていないだろう。

 自分がやるべきことは、つつがなくこの仕事を完了させ、残りの半金をもらい、すべて忘れることだ。

 きしむ貸し家の扉を開ければ、真っ昼間からむわんと酒の臭いが漂ってくる。

 古い建物内にはいくつか部屋があり、住民は格安の家賃さえ踏み倒す貧乏人ばかりだ。酔い潰れて閉め忘れたのか、顔面をなぶる酒臭さと悪臭が誰かの部屋から垂れ流され、不快なイビキに耳を塞ぎながら、ドニは早足で廊下を通り過ぎた。

 ドニは酒にあまり強くない。子供が飲む弱い果実酒や麦酒でさえ、何杯も飲んだら気持ち悪くなってくる。

 下戸はバカにされることが多い世の中、それを幸いなどと微塵も思えなかったが、そのおかげで彼は酒に溺れる未来だけは免れていた。


 自室に飛び込み、止めていた息をホッと吐く。寝台以外に家具らしい家具もない殺風景な部屋だ。

 例の革袋をおろして早速しゃがみ込み、床に空いている小さな穴に指をかけて引っぱった。

 床板の一部が四角く外れ、その下に空間が現われる。

 足を突っ込めば太腿まで隠れる程度の深さしかなく、こんなところに貴重品を仕舞うようなバカは普通いない。そしてこんな見るからに貧乏人の部屋に、金や食料を盗みに入るバカもいない。

 しかしこの部屋の床穴にはひと工夫あった。その筋から紹介された専用の部屋であり、床穴が二重底になっているのである。


(別の入れ物っつってたけど、こんなんでいいよな……?)


 帰り際に購入した麻袋の口もとを開け、次いで革袋の中身を取り出した。

 それは木彫りの箱だった。一辺がドニの肘ぐらいの長さで、そこそこ大きい。

 ドニは箱の蓋に手をかけた。鍵はかかっておらず、蓋は簡単にバコ、とひらく。


「うおっ、冷てっ?」


 ぶわりと冷気が立ちのぼり、反射的に顔を腕で覆った。


「……なんだこりゃ?」


 そこに入っていたのは、恐れていた人体の一部などではなかった。

 ごつごつした茶色いものを、薄い皮紙か何かで包んでいる。

 人の頭ぐらいの大きさだが、人ではない。大きさはともかく、見た目は乾燥させてしわしわになった果実に似ていた。


(ひょっとして、あれか? 麻薬とか呪薬とか、なんかやべえ系の薬の原料……っと、駄目だ駄目だ。俺の悪いクセだぜ)


 頭をひとつ振り、包みを麻袋に入れて紐をしっかり縛ると、二重底の下に隠し、擬装用の保存食をいくつか放り込んで床板をはめ直した。


(さて、次はこいつだな。特に指示はなかったし、適当に処分していいんだろうけどよ。……でもこの箱、魔道具じゃねえか?)


 一見すれば何の変哲もない木彫りの箱だが、昔、屋敷で目にした保冷用の魔道具に似ている。真夏の室内でも箱の中の食べ物や薬液が冷やされ、品質が落ちにくくなるのだ。

 ドニは迷った。入れ物がただの麻袋でよかったのだろうか?

 先ほど包みを手にした瞬間、氷のような冷たさが手の平を刺した。冷蔵ではなく冷凍用の箱である。


(いやでも、俺がそんなの持ってねえことぐらい承知の上だろうし、何の指示もなかったし。入れ物は別に何でもいいだろ)


 確かこういう保冷用の箱は、密閉度が高く、臭いが外に漏れにくかったはずだ。

 半獣族(ライカン)うんぬんだから床下へ隠せと言っていたし、臭い対策かもしれない。


「…………」


 さらに少しだけ迷い、ドニは質屋へ足を運んだ。

 盗品と思われたのだろう、さんざん足もとを見られまくり、銀貨十枚になった。

 思わぬ臨時収入だった。





(まだか……まだ来ねえのか!?)


 ドニは猛烈な焦りに胃が引き絞られていた。

 待ち人は、未だ現われない。


 一日目は、初日だからこんなもんだろうと思った。

 二日目は、まあそのうち来るだろうと思った。

 三日目、まだ来ねえのかな? と思い始めた。

 そして四日目、五日目の昼も空振りに終わり、ここ毎日通いつめた食事処を、真っ青になりながら後にした。


 ――待ち合わせ場所を間違えた?


 いや、それはない。「いつも」と言えるほどドニが利用している飯屋は一軒しかないのだ。店を間違えるとするなら、それは相手のほうだ。

 そもそも、ドニの特徴は伝えていると言っていたが、どんなふうに伝えたんだろう?

 誤解が相手に伝わっていて、いつまで経っても運び屋が来ないと勘違いされている、なんてことはないだろうか。


(おいおい、俺ぁちゃんと言われた通りやってんのに、勘違いで追っ手かけるとかやめてくれよ!?)


 しかし、ふと思い直す。ドニは連日あの店に通っているのだ。毎日、同じ男が同じ時間帯に飯を喰いに行っていれば、「ひょっとしてこいつか?」となるのではないか。

 それにフード付き茶色のローブを気にして探していたけれど、約束の時間帯には一度も見かけなかった。

 となると。――何かがあって、相手が来られなくなった?


(ま、まさか、俺があの箱、売っちまったのが原因じゃねえよな……?)


 もとよりドニは肝が据わっているタイプではなかったが、ここ何年かで臆病さに磨きがかかっていた。経験の長い運び屋や情報屋は、五日と言わず一ヶ月ぐらいは余裕で待機できるのだが、ドニはそれほど長く待ち続ける仕事にまだ当たったことがない。


(あの箱が質屋から流れちまったせいで、相手とやらが捕まっちまったんじゃ……いや、そうじゃねえ。俺が何かの容疑者になってて、近寄れなくなってんじゃねえだろうな?)


 一度悪い方向へ想像してしまうと、際限なくそれが膨らんでゆく。

 どうしてあれが盗品かもしれないと疑わなかったのだろう。中身だけが重要だとばかり思い込んでいたけれど、保冷の魔道具などそこらへんで売っているような代物ではない。

 足元を見られてさえ銀貨十枚になる高級品なのだ。それを処分するよう言ったのは、箱ごと盗んで来たからなのではないか。

 燃やすなり何なりすればよかった。よりによって質に入れ、小金を稼ごうと欲をかいたのがまずかった。もし箱の持ち主が被害届を出していれば、捜査の手は遠からず自分のもとに伸びてくる――。


 かつて他人の物を売り払って投獄された記憶が蘇り、あの貸し家に衛兵が待機している光景が脳裏に浮かんで、部屋に戻ることもできなくなった。

 安宿をとり、眠れぬ夜をびくびく怯えて過ごし、飯屋にも足を運べなくなった。


 これが本当に〝まともな運び屋〟の仕事だったとすれば、ドニの行動は言語道断極まりなかっただろう。

 そもそも、この〝仕事〟がどのぐらいの期間を想定されているものなのか、ドニは聞き忘れていた。

 それを勝手に「さっさと終わる仕事」と思い込み、たった五日接触できなかったぐらいで恐怖心を膨らませ、あろうことか仕事を放棄したのだ。拷問ののち解体コースである。


 ところが。真相は、ドニの妄想を遥かに上回っていた。

 皮肉にも、この短慮で臆病な性格が、結果的に彼の命を救うことになり。


 時は、三月一日を迎えた。




いつも読んでくださる方、初めて来てくださる方もありがとうございます。励みになります。

ドニは微妙にエルダさんの同類っぽいですが、根性が決定的に違います。

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