63話 第十三階位の魔導士 (前)
――ふかいふかい森の中に、へんくつでものぐさな魔女が住んでいました――
ボロボロになった手記の、古い文体で書かれた第一文に、カルロ=ヴァン=デマルシェリエは目を細める。
彼がまだ〝若様〟と呼ばれていた頃、父から受け継いだものだ。曾祖父の代、王都から辺境の地に〝左遷〟されてきた、元高官にして若き魔術研究家、ラグレインの手記である。
ラグレインは魔術馬鹿の研究馬鹿だった。世間一般的に不名誉な左遷を気楽な隠居生活と受け止め、豪快で気さくな辺境の人々にあっという間に馴染んだ。いかにも貴族育ちの役人が似合う風貌でありながら、その実、上流階級の優雅で怠惰な水が合わなかったらしい。
彼はデマルシェリエの地で、生涯かけて追い続けることになる趣味、もとい研究課題を得た。それがこの地で語り継がれる〝魔女〟のおとぎ話である。
おとぎ話は、土地や時代によって内容が変化する。子に伝える教訓、王家の威光を知らしめるもの、逆に命をかけて批判するもの。
いずれにせよ主役やその味方をする登場人物は大抵が人格者であり、もし〝人嫌いの偏屈魔女〟が出てきた場合、それは敵、悪役側であるのが普通だ。
なのにこの地のおとぎ話では、その〝人嫌いの偏屈魔女〟こそが主役になっている。
興味を抱いたラグレインは、この地のすみずみまで足を運び、面白おかしく語られる話を書きとめ続けた。
いろいろな〝魔女〟が登場し、その外見や好み、得手不得手は異なったが、根本的な気質は変わらない。
そして気付いた。
すべての物語を遡っていけば、ただ一人の〝魔女〟に辿り着くのではないか、と。
生涯をかけて探し続け、ラグレインは見つけた。そして公表することなく、満足してこの世を去った。
老いてもなお新婚のように熱々だった妻との間に子はおらず、彼の手記は遺言により、辺境伯家のもとにある。
(〈黎明の森〉には〝魔女〟がいる。それは間違いない)
あの〈森〉にいるのは、〝魔女〟だ。
しかし最近、気になる噂が流れ始めた。
――あの〈森〉に住んでいるのは、本当はあの魔法使い一人だけなのではないか。
噂の出どころには心当たりが山ほどあり、そして否定はできなかった。彼自身もそう感じていたからだ。
だが、そうなると。
もしや……まさか?
◆ ◆ ◆
『魔王が、誕生したらしい』
この世界の、どこかで。
緊張を孕んだ硬い声音に、瀬名の胸にはあるひとつの疑問が生じていた。
(……〝ヴェルキアノ〟って何?)
まさかあの深刻そうな場面で、馬鹿正直に「あのう、それって何なんですか?」などと訊けるはずもなかった。瀬名は空気を読める子なのである。
なんとなく人並みには知っていそうな素振りで切り抜けたけれど、〈スフィア〉に戻って即、ARK氏と対策会議に乗り出したのはお約束。
ARK氏はまず例のごとく、徹底的に情報収集を開始。それ以降もひたすら調査・分析を続けてくれていた。調べてもらうことばかりどんどん増えてゆく。大丈夫だろうか。
やがて冬に突入し、これだけの日数を費やした割に、集まった情報量はARK氏にしては芳しくない。
それでも、この大陸の国々が持つ情報収集能力とは、比ぶべくもないだろうけれど。
そしてとうとう、その意味が判明してしまった。
「やっぱり〝ヴェルキアノ〟って、〝魔王〟で間違いないっぽい?」
《はい。現時点におけるすべての情報をさまざまな角度から検証いたしましたが、ほぼ間違いないかと》
「まーじでーすかー……」
瀬名はがっくりと項垂れ、ソファのクッションに顔面からダイブした。
「まーさか、この単語が出てくるとは思わなかったぁね……」
《同意いたします》
「なんでコレだけ拾いそびれてたの? 魔物つながりで出てきそうなもんだけど」
《ところが、それを直接示す単語そのものが忌避されるらしく、歴史書や物語においては、比喩的な表現や言いまわしに終始しておりました。魔王は口頭でのみ伝わっている言葉で、しかも声に出すことすら忌まわしいとされ、滅多に会話に出るものでもありません。ゆえに確認が遅れました》
「はー……」
瀬名は嘆息した。文字がどこにも書かれておらず、人の口にのぼることもそうそうないとなれば、ARK氏も発見が遅れるわけである。
さらに〝復活〟ではなく〝誕生〟という言葉のチョイスも罠だった。ファンタジー世界でよみがえる脅威イコールどこかに封印されていた魔王、と連想するのはたやすいRPG脳である。
「しっかし、魔王、魔王かぁ……どうするよ? ユベールさん達に『しょうがないな、そういう事情だったらちょっとぐらい手ぇ貸すしかありませんね』的な返事しちゃったんだぜ……? これはあれか、聞くは一時の後悔、聞かぬは一生の後悔ってやつ?」
《多分合っています》
今回の経緯に関しては瀬名に非がないために、ARK氏の反応もどことなく当社比で優しかった。
《あの会話の流れでしたら、マスターの対応は自然だったと思われますよ。気は進まないけれど渋々引き受けざるを得ない、といったポーズが最も無難でしたし》
「そうなんだよね……つうか、今この瞬間にうだうだ言ったって、何か月も経って今さら断るってどのみち無理だよねええ」
空気を読み過ぎて周りに合わせ過ぎる、この協調性に溢れた民族性が憎い。
「せめて『もう少し検討させてください』へ持っていけなかったのか自分……!」
《その手もありましたね。保留を長引かせるほど断りにくくなる罠もありますが》
「そうなんだよねえええ」
このままソファに懐いていても仕方がない。むしろソファは惰眠を誘発する悪魔の家具なので、瀬名は気分を切り替えるべくダイニングスペースへ移動した。
何故か勉強机に気合いを入れて向かい合うより、広々としたダイニングテーブルでまったり構えるほうが集中力が持続するのだ。ゆえに、ARK氏の講義や大事な話し合いがある時は、大半がそこで行われている。
《どうゾ、マスター》
「ん、ありがと」
Alphaがホットコーヒーのカップを置き、すすすと離れて行った。真面目な話をする間、AlphaもBetaもこちらから声をかけない限り、決して会話に割り込まない。
マスターより仕えているロボットのほうが優秀って理不尽だよなと思いながら、角砂糖をひとつ投入した。ミルクは入れない。コーヒーはあまりいろいろ入れないほうが好みだった。
《先ほどの続きですが。マスターが承諾されたのは、あくまでも戦力増強のために力を貸すことであり、マスターご自身が戦力に加わると確約されたわけではありません。それとこれとは話が別です》
「そう! その通り! もちろんそうだとも!」
《しかし、ギルド長や辺境伯以外の方々には勘違いをされる可能性がありますので、都合の良い駒として勝手に何らかの作戦に組み込まれる前に、早い段階で釘を刺しておくべきでしょうね》
「あ、そっか。カルロさん達はともかく、他の連中にはそう見られかねないのか。誤解されてそうだったら、早いとこ払拭しとかなきゃ」
瀬名はうんうんと頷いた。
「ところで実際、お隣の帝国さんが攻めてくるのと、魔王とではどっちが脅威になると思う? タイミング合ってるし、帝国と魔王が密かに手を組んでる展開だったら厄介そうだけど」
《魔王にもよります。もし双方が手を組んでいるのなら、その魔王はさほどの脅威ではありません》
「どゆこと?」
《この世界の魔王は、大きく二種類に分かれます。話が通じるタイプと、話が通じないタイプ。より脅威とされるのは後者のほうです》
帝国と組むなら、すなわち話が通じるタイプだ。場合によっては交渉が可能で、利害関係を一致させることもできる。性格や好み、思考パターンも読みやすい。
《自ら魔王を名乗る者は、自己顕示欲が強く、罠や策略や懐柔に引っ掛けようがある、言ってしまえば攻略方法が存在する敵なのです。脅威ではありますが、人族の暴虐なる王と同列に語ることが可能な分、まだ対処が楽と言えるでしょう。近年では百年ほど前に討伐された自称魔王【ファウケス】がそのタイプだったようです》
「百年って、歴史全体で見ればホント最近じゃない? 魔王の現われる周期ってそんな短いの?」
《決まった周期はありません。数十年から数百年とまちまちです。また、同時期に複数存在が確認されたケースもあります。【ファウケス】は厳密には魔王ではなく、ヴァルケディオス――〝魔王種〟に分類されるようですね》
「魔王種……魔王っぽいけど残念、あと一歩! て感じのやつ?」
《そんな感じです。魔王種にはピンからキリまであり、【ファウケス】はどちらかと言えば小物だったようです》
「ああ、先陣を切って頑張ったのに『奴は四天王最弱だ』って言われちゃう感じのやつ……?」
《そんな感じです。魔王はそうそう現われませんので、複数体出現する時は、そのほとんどが魔王種と考えてよいかと。ただし一般にはこれらの区別がついておらず、ひっくるめて〝魔王〟と認識されています。それぞれを別物と認識できているのは、精霊族ぐらいですね》
「またあいつらか……やけに縁があるなあ」
ステータス画面で魔物の種族名や個体ごとのレベルを確認できるわけではないので、そこそこ強く知恵のある魔物が、調子に乗って「俺こそが魔王だ!」と宣言するケースもあるそうな。
たとえ四天王最弱でも放置していれば危険なので、多種族連合軍による討伐隊を組まれることもあるが、そういう自称魔王は他の魔物からも目ざわりに映るらしく、強い魔物に寄ってたかって始末されることもあるらしい。自業自得である。
人族と魔物の混血の一族を魔族と呼んだりもするらしいが、討伐された魔王の復活のために血を捧げたり魂を蒐集するわけでもなく、人族の仮想敵国と比較してよっぽど恐ろしいかというと、どうやらそうではない。
《真に脅威とされるのは、話の通じない魔王です。どんな種族なのか、何を望むのか、何も望まないのか、とにかく一切の常識が通用しません。魔王種よりもずっと出現率は低い代わりに、いざ攻撃を受ければ【ファウケス】など比較にならないほど甚大な被害が出る――精霊族が警戒を強めているのは、今回の魔王がそれに該当していると思われるからです》
「げ」
まともな理屈は通じず、交渉ができず、そもそも会話が成立するような知恵ある魔物とも限らない。本能だけで動いている可能性もある。
そしてそういう魔王は、種族名を視認することはできなくとも、目にした瞬間に「こいつこそが魔王だ」とわかるような、ケタ違いの存在力を備えているらしい。
聞けば精霊族がその誕生を感知してもう十何年も経つらしいのに、未だ「我こそは魔王なるぞ、平伏するがいい愚民ども!」と主張してくる様子がないので、より警戒レベルが上がっているわけである。
「……空気ぶち壊してでも、『それ何?』って訊いときゃよかった……」
後悔しても、時既に遅かった。
なんだかんだで主人公、相変わらずの通常運転です。




