62話 太陽を夢見た娘 (後)
「ん? ……鮮血熊……? どっかで……?」
せっかく覚悟を決めたというのに、何やらアスファが首をひねって呟き始めました。何なんですの?
すると、向こうから「モルガドじいさーん!」「いま大丈夫?」と男の子の声が。
もうっ、だから何なんですの?
「こんばんはーっ」
「お邪魔してごめんなさい」
「おう、おまえらか。終わったんか?」
「うん。はいこれ、雪見草と蛍雪花。受付のおねーさんが、爺さんこっちにいるっていうから来ちゃったけど」
「おお、構わねえよ。……けっこうあるな?」
活発そうな男の子と、大人しそうな男の子と、元気のあり余っていそうな獣耳の女の子。三人ともアスファより幼いぐらいかしら?
大きな麻袋をモルガド爺様に渡して、お小遣い程度の報酬をもらっているわ。
「わ、いいのこんなにたくさん?」
「こんだけあればチビども全員にうまいもん買ったげられるぜ♪」
「わーい、みんな喜ぶね♪」
……。ちょっと、リュシー。そこで何故わたくしを見るんですの。
アスファもそんな目でわたくしを見るのはおやめっ。
「セナさんの分もとっといてあげてね? 雪すんごく苦手って言ってたし、冬は自力で採集とか多分しないよね?」
「しねえだろーなー。任せとけ。セナの分は乾燥させて長期保存がきくようにしといてやる。ところでこれ、どこで採ってきたんだ? まさか町の外じゃねえだろうな?」
「違うよお。孤児院の近くにいっぱい生えてたのー」
「こんな季節に外まで遠出なんてするわけないじゃん、俺らガキなんだし。たいした力もねーのに、身の丈に合わねえ冒険する奴なんざただのバカだぜ」
「そうだよ。僕らが無謀なマネしてたら、小さい子の悪い見本になっちゃう」
「危ないコトしてたらカッコイイとか、勘違いしちゃうと大変だからねー」
「うぐぅッ!?」
あら。アスファ、大丈夫? 今のはいろいろ、まともにきたわね。
「そだ、セナさん春にまた来るんだよね!? あのねあのね、うちの院の子達がね、春祭りで劇やるんだよ! こんど小鳥さんが来たら、みんながんばって練習してるから、セナさんも春になったら観に来てって言っておいてね! 悪い魔女がキレーな女王様に化けてゼータクしまくって、シンカとかドレイとかタミとかをすんごく苦しめるんだけど、良い魔法使いと協力した勇者に成敗されちゃうってお話なんだ~」
「ううッ!?」
あ、あら!? なんだかわたくし、耳と胸が痛いわ!? 何故かしら!?
だからあなた方、わたくしにそんな目を向けるのはおやめったら!!
◇
礼儀正しく全員に挨拶をして、嵐は去っていったわ……。
明日は早朝に雪かきの依頼があるから、ギルドに泊まっていくのですって。
ギルドが依頼主の場合はたいてい専用の部屋が借りられて、宿泊料はかからないそうよ。
し、しっかりしてるのね……。
アスファがなんだか再起不能になりかけていますし、わたくしのお話はまた今度にしてお部屋に戻っていいかしら? とさりげなく切り出しましたけれど、「こいつは気にすんな」と一蹴されました。
ええ、言ってみただけですわ。
出鼻をくじかれましたけれど、おなかをくくってお話ししますわよ、ふん。わたくしは逃げも隠れもしないんですからね。
――訓練初日の朝。ギルドの受付前で集合した時、わたくしはとっても不機嫌でした。
みすぼらしい服に身を包み、自慢の髪はつまらない三つ編みを強要され、従順だったはずのリュシーは段違いに厳しくなって。
着替えも準備も自力でやらねばならないから、今までより早く起こされて。
庶民服は肌ざわりが悪く、前夜は寝不足。なのにリュシーからは「いつか自力で起きられるようになってくださいね?」と起きぬけの嫌味。
そんなわたくしに追い討ちをかけるように、魔法使いが命じたんですの。
「第二階位より上の魔術は、私の許可が出るか、もしくは命の危険にかかわるような緊急時でもない限り、使用禁止ね」
怒りで目の前が真っ赤に染まったわ。
指導役が何だというの、うろんな〝魔法使い〟ごときが。この身の程知らずに、高位魔術士の力量を思い知らせてさしあげる。わたくしは怒りに身を任せた。
魔術の行使に必要なのは、一定以上の魔力。そして魔力の制御能力に、呪文の詠唱。必要な魔力を練り、適した詠唱を紡ぐことにより、初めて魔術は発動する。
保有魔力量が多ければ、詠唱せずに直接魔力を相手にぶつけるという方法もあるけれど、無駄が多過ぎて消耗も激しい。術式を魔道具や武器に刻んだり、布や皮紙、床に描いて発動させるものもあるけれど、それらは事前に準備が必要で、この時わたくしは何も持っていなかった。
だからわたくしは、詠唱魔術を放とうとしたの。
ところが。
魔力が、練るそばから霧散した。
寝不足で制御が甘くなっているせいかと思い、再度ためしてみたけれど、結果は同じ。
どういうわけか、突然、魔力が上手く操作できなくなってしまった。
いいえ、操作はできていたの。そういう感覚はあった。なのに魔力がちっとも纏まってくれず、手の平からこぼれる砂となって、さらさら逃げていってしまう。
わたくしは全力で魔力をかき集め、発動させようとしたわ。
わたくしが扱える最高の、第八階位級の高位魔術式を。
でも、駄目だった。
――どうして急にできなくなったの、こんなッ……!?
魔術を使えないなんて。わたくしの一番の誇りが――
「エルダ?」
魔法使いの穏やかな声に、ハッと顔を上げたら、そこには声の穏やかさと反比例して、怒りを湛えた黒い瞳があった。
「私の許可が出るか、もしくは指導役の誰かが緊急時に指示でも出さない限り、〝それ〟は一切使用禁止。返事は?」
「うっ……」
「エルダ。返事は?」
「わっ、……わかり、ましたわ……」
「よろしい。――私が見ていなければいいと思うなよ。こんなところでそんなものぶっ放してみろ、投獄は確実、下手をすれば処刑。犯罪者になりたくなければ、そこに私がいない場合でも、普段から使うな。わかったか?」
「は、い……」
震えを抑えられないわたくしに、周りの者達は訝しげな視線を向けきたけれど、わたくし自身も説明しようがなかったわ。
ただ、確かに言えるのは……
魔物よりなお恐ろしい、怪物がすぐそこにいた。
◇
「どアホッ、このボケッ!! 人の大勢集まるとこでなんつー危ねえモンぶっ放そうとしてんだよッ!!」
「今の話を聞いて真っ先に突っ込む所がそこですの!?」
さっきまでヘコんでらっしゃったくせに、いきなり元気ですわね!! もうしばらくそのへんで寝てらしたら!?
「ほかにどこを突っ込めってんだよ!? あいつが止めなきゃ俺ら全員、吹っ飛ばされちまってたんじゃねーか!?」
「……」
あら。
結果的にそうならなかったのですから、別によろしいではありませんの?
…………。
(おいおいこの嬢さん、まさか婚約者を消し炭にしてねえよな!?)
(高位貴族のお嬢が十八になっても未婚って、そのせいじゃね!?)
そこの男ども、ボソボソうるさいですわよッ!!
違うに決まってますでしょう!? それからわたくしは十八ではなく十七歳よっ!!
「あん時の会話ってそういう意味だったのかよ……!」
「投獄とか処刑とかいきなり物騒だなーとか思ってたら、嬢ちゃんのほうが物騒だったんじゃねえか!」
「わ、わたくしだって、眠かったせいとはいえ、あれは多少、まずかったとは思いますのよ……?」
「多少じゃねえ……多少じゃねえよ……!!」
「『だって眠かったんですもの』で済むか……!!」
「エルダ様……あなたって方は……」
「ま、まあまあ、みんな無事でよかったね! ていうことにしよう? そうしよう?」
「そ、そうだぜ、いいこと言うな若様! ……ところで嬢ちゃん、ほかには何かあんのか?」
「そ、そうですわね、ありますわよ。――結界、みたいなものをよく目にしましたわね」
嬢ちゃん呼ばわりは改めて欲しいのですけれど、このさい贅沢は言っていられませんわ。遠慮なく話題転換にお付き合いさせていただきましょう。
「結界?」
「ええ。ごくわずかな魔力を、薄く薄く伸ばした膜が、戦闘時にあなた方の周辺に張られていたのですわ」
「俺らの周りに?」
「ご存知かと思っていましたのよ。今日、誰もあの方の〝魔法〟をご覧になったことがない、と伺うまでは」
正直、あれほどに弱い魔力の膜を〝結界〟と称していいのかは不明ですけれど。だって、初級魔術でさえ吹き飛ばせそうなぐらい、かすかなんですもの。
けれどあの魔法使いには、わたくしの魔術を封じた実績がある。
「きっとあれも、意識なさればご覧になれるかと思いますわ」
「へえー。そんなんがあったとはな」
「普通にしてたら気付けないほど薄い〝結界〟に、〝魔術封じ〟か……ねえ、エルダ嬢。セナに阻止された時、魔力が拡散したのかい? 押し込められたり、圧迫されたような感じではなく?」
「え? ええ、はい。そうですわね」
「セナはその時、魔力を使っている感じはあった?」
「それは――その。よく憶えていないのですけれど……あの方からは、魔力の動きを感じなかった、と思いますわ。使っていらっしゃったとしても、気にならないぐらい微々たる量だったのではないかしら。ですので、わたくしは最初、自分が何故か魔術を突然使えなくなってしまったのではと、早とちりで焦ってしまって」
「ふむ……」
「なんか気になることでもあんのか、若様?」
「うん。ちょっと、前に聞いた話を思い出してね」
どうなさったのかしら。心なしか、ライナス様の口もとが引きつっているのだけれど。
「外から強引に抑え込むのではなく、内の魔力を拡散させる方法で妨害した。しかも、その際にセナ自身の魔力をさほど消費していない。要するにセナは、自分の魔力ではなく、エルダ嬢の魔力を操作し、術式を構築すらできない状態にさせたわけかな?」
「――なんですって!?」
そのような真似が可能だなんて、聞いたこともありませんわよ!?
「なんだそれ、そんなこと出来んのか!?」
「えーと、俺よくわかんないけど、それって凄いの?」
「凄い凄くないを議論する以前の問題ですわよ!! あなた、ご自分の気力や体力を赤の他人が勝手に使えるとなったらどうなさいます!?」
「うえっ!? そ、そうか、そりゃヤベぇわ!?」
「とんでもないことですね……」
なんてこと。
わたくしだけでなく、誰もが呆然としているわ。
「有り得ませんわ……! 書物で目にした覚えもありませんし、魔術の先生からだって、そのようなお話はただの一度も出たことがありませんもの!」
「普通そうだよね。……ところが少し前、僕は『そういうことが可能だ』っていう話を、とある御仁から聞いたことがあったりする」
「ど、どなたですの!?」
「おい、ちょい待て、ひょっとしてそいつらって」
グレンが身を乗り出し、ライナス様がにやりと笑んだ。
「ご名答。――精霊族だよ」
「やっぱりな……!」
「ええええ!?」
「で、ですけど、今は彼らとは疎遠になって久しいのでは……?」
光王国が彼らと比較的友好な関係を築けていたのは、残念ながらもはや昔のこと。実は先代国王の御世あたりから交流が激減し、当代国王が即位される頃には、もうすっかり縁が切れた状態になっているのよね。
けれど市井では鉱山族を始めとして、一部で付き合いが細々と継続されていることを根拠に、「絶縁されたわけではない、一時的なものだ」ということにされてましたわ。だって誰も、彼らに見限られたなどと、堂々と認めたくはないのですもの。……お父様とお母様が、そんなお話しをなさってたわ。
それがここに来て、再び関わりが戻ってきたのですって。
その要因となった出来事を聞かされて、わたくしもアスファも、冷静な仮面を滅多に外さないリュシーまでもが呆然としたわ。
魔法使い……あなた本当に、何をやってらっしゃるんですの……?
「魔術士の位は、第十二階位まで分けられている。我が国における現時点での最高位は、第十一階位の宮廷魔術士。では〝魔導〟とは、どこに該当するものなのか」
「……魔術の枠組みに収まらず、かつ高度なもの、と教わりましたわ。真の天才こそが魔導士たり得るのだと。……随分、漠然としていますけれど」
「その通り、僕らはそう教わる。ところが精霊族の定義では、ちゃんと明確にされているらしいんだ」
「そうなんですの?」
「枠組みにおさまらない者。――すなわち、第十二階位を超える者、だそうだ」
呼吸が止まりそうになったわ。ライナス様の仰りたいことがわかって。
周囲から声なき声があがった。
「わずかな魔力の流れだけで発動前の魔術を察知し、相手の魔力に干渉して術式の構築そのものを阻む。第十二階位をも超越し、初めてその境地に達するんだそうだ。つまりセナは――」
最低でも、第十三階位の〝魔導士〟だ。
読んでいただいてありがとうございます。
次話、久々に主人公回です。




