60話 咎の末裔 (後)
今回はリュシーさんの一人称です。
大皿から遠慮なく料理を強奪し、平民の少年に負けず劣らず威勢よく怒鳴り返されているフラヴィエルダ――エルダ様を見つめ、わたくしは困惑を隠し切れませんでした。
まさかあのお嬢様が、平民の子と同レベルで喧嘩をなさる日が来るとは。
それも、食べながら!
そう。喧嘩はしつこく続いています。どちらも負けず嫌いで、どちらも気が強く、引きさがるということを知りません。
これだけやかましくしていれば、どこからか怒声が飛んできそうなものですが、周囲からは妙に生あたたかい視線しか感じないのです。
……やはり、初日のアレのせいでしょうか。
あの魔法使いの強烈にして鮮やかな洗礼式は、ドーミア中の噂になっておりました。
あれの影響で、どうやらエルダ様は、このアスファ少年とセットで「どうしようもないダメな子だけど頑張って成長してる子」と認識されているようなのです――信じられないことに。
しかし実際、魔法使いが初日で〝フラヴィエルダ様の武器〟を封じまくってくださったおかげで、エルダ様は本当に〝努力をするしかない〟状況に追い込まれました。得意の魔術は基礎的なものしか使用を許されず、基礎を疎かにしがちだった彼女にとっては、ある意味、これ以上なく理想的な環境を与えられたと言えるでしょう。
さらに、わたくしも一切の容赦をしませんでした。エルダ様にとってはこれが最後の――人として、魔術士として成長するための、最後の機会なのです。これを逃せば、次はもうありません。
ええ、ですからエルダ様の御為に、日頃のうっぷ――憂いを晴らすがごとく、厳しく躾け――教育させていただきました。
平民ならば誰にでもできる当たり前のことが、大貴族のご令嬢としてお育ちになったエルダ様にはできません。さんざん「悪魔」だの「おまえごとき」だの「憶えてらっしゃい」だの恨みがましいお言葉をいただきましたが、それでも従うしかないあの方の悔しげなお顔を目にした瞬間の興ふ――感動といったら!
多方面へご迷惑をかけ続けてきたエルダ様の負けず嫌いな性格が、ここへ来て初めて良い方向に作用しておりました。「尻尾を巻いて逃げ帰った負け犬」呼ばわりされるなど我慢ならない、その一心で粘っておられるのですから。
魔法使い――本当に、あの方は何者なのでしょう?
明らかに只者ではないけれど、それ以上に得体が知れない。素直に感謝していいのか疑問が頭をもたげてしまうのは、あの魔法使いがそもそも、他人からの感謝を喜ばれるような人物なのか、それすらも謎だからかもしれません。
洗礼式にしても、はたから見て確実に善意からの行動ではなく、思い上がったお子様達を叩きのめす気満々でしたから。
「そもそもおまえ、リュシーにちゃんと日頃から感謝してんだろうな?」
いきなり話題がこちらに及び、慌てて思考を中断いたしました。
いけません、ついぼんやりしておりました。目の前の会話を聞き逃すとは、このところ精神に余裕のある日々が続きましたので、たるんでいるのかもしれません。
気を引きしめませんと。
「……わたくし、ですか?」
「そーだよ」
「リュ、リュシーが何だって仰るんですの!?」
「心配してこんなとこまで付いて来てくれてんのに、おまえの言いぐさってマジねえぞ?」
アスファ少年はエルダ様を睨みつけ、どうやら本気で怒っているようです。
「っ、――リュシーはわたくしのことなんて、ひとつも心配してませんわよっ」
「なんでそう言い切れるんだよ。どうせ召使いだからってのはナシだぞ」
「召使いではなく、血統奴隷よっ」
「えっ!? ど、奴隷……?」
少年はぎょっとしてわたくしのほうを見ました。奴隷に会うのは初めてなのですね。
苦笑して頷きますが、同じテーブルについた他の方々は平然としたものです。まあ、この方々には当然知られているだろうと思っておりましたけれど。
「ええと……悪い」
「いいえ」
アスファ少年はペコリと頭をさげました。一瞬とはいえ、場の雰囲気をわたくしにとって居心地の悪いものにしてしまったと気付いたのでしょう。
密かに感嘆いたしました。負けん気の強さ、我の強さはエルダ様と張るのに、彼のこの成長っぷりはどうでしょうか。奴隷を蔑む様子さえまるでありません。
醜態を晒していた初日の印象からすれば、彼がこのようになるとは想像もしておりませんでした。
おそらく彼もまた、負けず嫌いが良い方向へ働いたのではと思うのですが。
「で、さっきの話だけどよ。なんでリュシーがおまえを心配してねえって言い切れるんだよ」
「……は?」
「は? じゃねえっての」
「だ、だから……心配してないったら、してないんですのよッ!! だって、リュシーはわたくしに怒ってるんですものッ!!」
ええまあ、その通りでございますね。ご理解いただけて何よりでございます。
「そりゃおまえ、さんざん手間かけさせてんのに『勝手について来て』とか『リュシーは関係ない』とかほざいて謝りもしねえし、気遣いに礼も言わねえんだから、誰だって怒るに決まってんだろ」
「えっ…………そうなの?」
「そーだよ。腹立てて当たり前だっての」
「…………」
………。
それは、貴族令嬢にとっての〝当たり前〟ではない。
そもそも使用人や奴隷に腹を立てられるという発想自体がないのです。もしあれば心得違いも甚だしく、罰を与えてしかるべき――それが貴族の〝当たり前〟なのですから。
使用人が不平不満を呑み込まず、陰口の蔓延している家は、当主がよほど舐められているか、その家が傾きかけている証拠。
ですからそういう意味では、フラヴィエルダ様は貴族令嬢としてごく一般的な感性をお持ちのご令嬢だったと言えるのですが、アスファ少年はそれを知らないのでしょう。
しかし……雲行きがあやしくなってきましたね。私は本気で心配などしてないのですが。
頼みますから、どうかこちらに振らないでいただけませんか? アスファ様。
「そっ、そういうあなたこそ、前の指導役の方々にご迷惑をおかけしていたと聞きましたわよ!? きちんと謝ってらっしゃるんでしょうね!?」
「アスファ君は謝っているよ?」
横から入ったライナス様の言葉に、エルダ様は一瞬きょとんとなさいました。
「冬に入ってすぐ、僕の用事に君らも同行してもらったじゃないか。ほら、トーラスの町だよ。その時にね」
「――嘘ッ!?」
「嘘じゃねえっての」
「いや、清々しいぐらいすぱーんと謝ってたよね。形だけの謝罪じゃないから、あちらもすぐ納得して受け入れてくれてたし。『潔い奴になったな、気に入った!』って流れになって、トーラスの美味しい屋台とか人気の武器屋とかの案内役を買って出てくれたんだよね」
「嘘……」
「だから嘘じゃねえって」
ふてくされたアスファ少年の顔は、しかしどこかすっきりとしておりました。
ちなみに気付いていなかったのはエルダ様、あなた様だけでございますよ。
トーラスの町は、デマルシェリエ領と王都の中間地点にある貴族領の町。この町にある討伐者ギルドは魔術士が比較的多く、そのためエルダ様も最初にこの町で登録されました。ライナス様の護衛任務でグレン様達に同行し、かの町に赴いたのですが、あれは「愚かな過去を清算せよ」というメッセージをこめた、ライナス様とグレン様達のはからいだったのでしょう。
丁度その時ギルドでは、魔術を用いた接近戦闘の訓練が行われており、エルダ様は滞在中ずっと見学しておられました。以前は〝そんなもの〟になど一滴の興味もそそがれなかったのに、です。
威力の弱い初級魔術が相手を圧倒する戦い方に目を白黒させ、「こんなの参考になりませんわ」と負け惜しみを漏らしつつ、いろいろ感じるところがおありだったようで、エルダ様は以前より少しだけ、低階位の魔術士に対する態度を改められました。
トーラスを拠点とする魔術の指導員は、以前エルダ様が指導役を拒否したことのある人物でした。彼が第四階位の魔術士であり、第八階位のエルダ様は、失礼にも「格下などふざけているのですか」とごねられたのです。
その後に決まった指導役のパーティの中には、最高で第六階位の魔術士しかおらず、ごねにごねた上で「仕方ありませんわね」と妥協されました。そしてその魔術士は、エルダ様が暴走させた第八階位級の魔術を抑えきることができず、指導役の方々全員が酷い怪我を負ってしまわれました。
そう、あれは正しく〝災害〟でした。集中力を高めて詠唱している最中、魔物に横合いから攻撃を受け、中途半端に制御を失った高位魔術が荒れ狂ったのです。にもかかわらず、ただのお一人も命を落とされなかったのですから、真に優秀な方々だったのではないでしょうか。
旦那様が手配された治癒士のおかげで、幸い後遺症もなく回復なさったそうですが、なんとも申し訳ないことです。
しかし、ドーミアは逆に魔術士の層が薄いと聞きました。魔術方面でエルダ様にご指導いただける人物となれば、やはりあの魔法使い以外にいないのですが、彼が実際に魔法を放つ姿をわたくしは見たことがありません。指示の的確さからして、実力はあるだろう……と思われるのですが、実際どうなのでしょう。
もしエルダ様がまた暴発してしまわれた時、あの方がそれを止めることは可能なのでしょうか?
しかし、またもやアスファ少年に思考を中断させられてしまいます。
「だからよ、おまえもいい加減リュシーに謝っちまえっての。リュシーが怒るとすればどうせおまえが悪いに決まってんだから」
「な、なんですってええ!?」
……この坊や、鋭くなりましたね? 密かに感心いたしました。
フラヴィエルダお嬢様に負けず劣らず、自己中心的な問題児だったはずですのに。
いえ、この程度なら、誰にでも想像がつきますでしょうか?
「何故わたくしが悪いんですの!?」
「だっておまえリュシーに言ってるだろ、『たかが奴隷ごときが』とか『なんで奴隷が』とか」
「本当に鋭くなりましたね!?」
あ、割り込んでしまった。
口走った後で己の唇を塞ぎましたが、
「やっぱ言ってんのかよ!? あのなエルダ、おまえマジでその言動なんとかしろよ? 自分と周りをちゃんと見て、特に自分のことは徹底的にきっちり見つめ直せ。目を逸らさずにちゃんと知るんだ、恐れず、まっすぐに、自分がどんな人間かってのを。――そして心折れろ!!」
「なんか真面目な忠告っぽかったのに最後で台無しですわよ!?」
がくり、と倒れそうになりました。
エルダ様の叫びに同調しかけてしまいましたよ。一生の不覚です。
ウォルド様以外が盛大に噴き出され、大爆笑なさって――いえ、ウォルド様も顔を背けて肩を震わせていらっしゃいますね。……あなたもか。
真っ赤になられたエルダ様が「何笑ってんですの!!」と噛みつき、アスファ少年が「おまえも同じ道を歩め……!!」などと暗い笑みで不気味な台詞を放ち、さっきまで大人しく聞き耳を立てていた悪い観客達が、ここぞとばかりに囃し立て……店内は混沌と化しました。
……もしやわたくし、今後もこの二人と、セット扱いされるのでしょうか……?
読んでいただいてありがとうございます。
前話も一人称にしたほうがよかったかも、と思いました。
次のエルダさん回もそうしよう…。




