56話 とある女王と円卓の騎士 (後)
【吉凶いずれかの判別はできません。ただ星予見が申すには、会えば最後、我ら兄弟の命運を思うがまま左右する存在となるであろう、と……】
【…………】
女王はゆっくりと杯を置いた。静かな室内にコトリ、と嫌に大きく響く。
もとより耳はいいが、それ以上に鋭く聴こえるのは、兄弟達がひどく緊張しているせいかもしれなかった。
星予見の祭壇で夢とも現実ともつかぬ光景を幻視しながら、〈黎明の森〉へ引き返すことはせず、報告も兼ねて一旦ウェルランディアに戻ることにした。その判断が誤りだったとは今でも思わない。予想していた通り、かの森周辺は現在、大勢の人族でひしめき合っており、大層な騒ぎになっているという。
星予見ほどではないが、兄弟達も勘が鋭く、彼らは時機を待つべきだと感じた。その予感は大体において外れた例がない。
かといって、女王がその選択をどう感じるかは別問題だ。いずれ己の命を左右しかねない重大事を、中途半端な状態で放置し戻ってきた息子達に怒りを覚えているのか、それとも呆れているのか、どうでもいいのか――
清らかな花のごとき美女でありながら、全身に覇気を漲らせる女王が心底恐ろしい。
たおやかで儚げな容貌なのに、なぜ喉笛に喰らいつかんとする魔獣を連想させられるのだろう。
この母と連れ添える父親達こそが勇者だ、と息子達は尊敬の念を深めた。
【その娘を何としても探し出しなさい】
女王の美しい紅唇が紡いだ。
【我々の任務は……】
【こちらを優先しなさい。魔王の捜索と各地の防衛強化に関するあなたがたの担当分すべて、ハイルとオルフェが何とでもしてくれるでしょう】
勇者とは時に犠牲者の別名になるようだった。
【つまりあなたがたは今回、魔王の件とその娘の件、どちらを優先すべきか、今後の方針の確認に加え、娘の正体に心当たりがないのかを尋ねに戻ったのですね?】
【――その通りです】
あの硬質で冷ややかな空間と、夜空を裂いていく灼熱の塊には、何の関連性も見出せないのに、何故か切り離して考えられない。
強いて共通点をあげるならば、闇に煌めく星々の海――
【優先順位については先ほど申した通り。娘の正体に関しては、あいにく、心当たりがあるともないとも断言できかねます】
それはつまり、心当たり〝かもしれない〟何かをご存知ということだ。
帰郷は正解だったらしい。兄弟達は視線を交わす。
【もしやと思うところはありますが、現時点で正否の判断はつけられません。そしてそれは、推測だけでおいそれと話して構わない事柄ではないのです。ただ、たとえ今は正体不明でも、きっと悪い結果には繋がらないでしょう】
それ自体は吉も凶も、どちらともつかぬ存在なのだと、女王は言う。
【今後、あなたがたの振る舞いによって、正邪どちらかの流れに別れる――おそらくはそういうたぐいのものです。そして、魔王とはたまたま時期が重なっただけで、無関係であろうと思いますよ】
【はい。その件に関しては、我々もそうではないかと感じておりました】
【ならば結構。……これはわたくしの勘ですが、娘の行方を知ることが魔王を知ることに繋がるかもしれません】
【母上?】
【しかし、娘は無関係なのでは?】
大人しく聞いていた次兄が問いを差しはさみ、同感だった末弟も頷いた。
【ええ、無関係でしょう。ただ、娘の延長線上に魔王がいる――この言い方では誤解を招きますね。その娘が、魔王に対抗し得る存在か、あるいはその手段を持ち得ている存在なのではと、そんな気がするのですよ。星予見の総力をもってしても、存在の有無以外まるで情報を掴ませない者など限られています。神々か、魔王種か、それに比する何かか……】
兄弟は息を呑んだ。つまり、自分達の生死を握りかねないのは、そういう相手なのだ。
(そんなものを、どう探し出せと……!?)
難易度は魔王よりこちらのほうが上に思えた。
何せ魔王には前例があり、記録というものが残っている。
あの少女に関してはまったくない。少なくとも彼らは知らず、女王も曖昧な推測を詳しく語る気はないようだ。事前に得られる情報が皆無で、どこから手を伸ばすべきか当たりもつけようがない状態なのだ。
仮に運よく探し出せたとして、その後どうすればいい?
会った時点で無事でいられるかどうか、甚だあやしいではないか。
そもそも意思の疎通が成立するような、主義主張のすり合わせができるような、常識的な関係を結べる相手なのか。
(無理に会わずともいいのではないか?)
神々や魔王種に匹敵し得る。そんな伝説や物語級の人物など、戦友ならば頼もしいと受けとめもしようが、己の生死を支配されかねないとなれば話は別。
正直、そんな手に負えそうにない相手など、わざわざ関わり合いになりたく――
【積極的に関わり合いなさい】
女王の微笑が先回りして容赦なく退路を塞いだ。
息子達は前に進む以外に道はなかった。
◇
調査隊の総責任者は王都から送り込まれていたが、現場には辺境騎士団の者が多く動員されており、どうにも付け入る隙がない。
彼らはなかなか引き上げてくれず、迂回して進入路を探すことになった。
〈森〉の北方は険しい高山で囲まれ、東方は深い崖で他の大地から切り離されている。落下する危険のない山側から道なき道を通り、〈森〉に接近して、いざ足を踏み入れようという段階になって、ようやく異変に気付いた。
かつてすんなり彼らを受け入れてくれたはずの〈黎明の森〉が、彼らさえも拒むようになっていたのだ。
森の中心部から端まで、信じられないほどの広範囲を、見たこともない結界が覆い尽くして。
この最奥にいるのは、いったい何なのだ?
女王に報告を飛ばし判断を仰げば、彼女は即座に【あちらが「入るな」と言うのなら無理に入るべきではない】と返答を寄越した。
何かしら心当たりのあるらしい女王の言うことだ。悪しき気配を感じるわけでもなく、兄弟は指示に従い、〈森〉と一定の距離を保った。
半分は魔王の調査に費やし、もう半分は〈森〉に変化がないかを見守る日々が続き。
さらに何年かして、ドーミアという町で、〈黎明の森の魔女〉の噂が囁かれ始めた。
◆ ◆ ◆
【……何が起こるか、わからないものだな……】
懐かしくさえ感じられる記憶を辿り、青年の唇に知らず笑みが浮かんでいた。
夜を映した髪色の男が、その呟きに耳をひくりとさせて振り向く。
【どうした? 機嫌が良さそうだな】
【父上。……いえ、自分が今ここにいる不思議を思い返して、つい……】
あれほど気乗りしなかったのに、今はまるで正反対の心境だった。
一度この生を終えて生まれ変わったような、いっそ清々しささえ覚えている現状に、過去の己の尻込みっぷりを思い返すたび、苦笑をこぼさずにいられない。
なるほど。確かに、命を取られた。
踏みにじられ、消えかけていた己の魂を、あの手が絶望の汚泥から拾いあげ、這い寄る死をことごとく斬り伏せた。
耳に触れる心の臓の音。やわらかに訪れる眠気。
あのぬくもりに包まれていれば、何の不安もなかった。
【そうだな。わたしもそこそこ長く生きているが、未だに何が起こるかわからんと感じることはある。ほんの些細な出来事が、ある日すべてをひっくり返すことさえあるのだ。――おまえ達には、良い変革が訪れたようだ。それはとても幸いなことだ】
【はい】
迷いなく頷きを返し、青年は柄を握り直して剣を振る。
聖銀の輝きはただひと振りで血油の一滴も残さず払い、斜陽を映して、抜き放つ前の姿を取り戻した。
【兄上。こちらは終わったぞ】
【こちらも完了です】
誰かが詠唱を口ずさむ。紅い紋様となって皆の全身を染めていた返り血が、ふわりと霧のように浮き上がって消えた。
弟達の手には、無造作にひっつかんだ男の髪。そのまま放り投げれば、勢いよく転がり、痛みに小さな悲鳴をあげた。
逃げられぬよう足を折っている。彼らは顔を上げると、取り囲まれている状況を知って蒼白になり、歯をがちがち震わせはじめた。
【頭領と、いろいろ知っていそうな男です。他にも数名確保していますが、これらが一番詳しそうでしたので。他は始末しました】
【皆殺しにできれば楽なんだがな……】
次兄の残念そうな呟きに、いかにも屈強そうな男達が、当初のふてぶてしさなど見る影もなくおののいた。
言葉は理解できずとも、視線で想像がついたのだろう。
【人族はことさら証拠を欲しがる。この連中を操っていた者どもを確実に潰すなら、門前払いにできない手土産は時間短縮の役に立つだろう】
【その通りだな。屑どもの交友関係はわたしが尋ねるとしよう。あとは我々に任せて、おまえ達は先に、かの御方のもとへ向かっても構わぬが……?】
【いえ、そもそも直接被害をこうむったのは我々ですし、もう少しで片が付くでしょうから、ちゃんと見届けてから参ります。その際は是非、父上もご一緒しましょう】
息子の提案に、さほど年の差があるようには見えない男は、真っ直ぐな髪をさらりと揺らしつつ【そうだな】と鷹揚に頷く。
【日をずらしてバラバラにご挨拶に向かっても、あちらのご都合が合わぬかもしれぬし。皆でいっぺんに向かったほうが良いか】
【それにあの方、面倒ごとをかなり嫌いそうだったぞ。余分な厄介ごとは綺麗さっぱり整理してから向かうのがいいと思う】
【むしろわたし達こそ、厄介ごとの化身と思われかねませんけどね。〝話が違う〟とか言われてしまいそうです】
【ふふ、有り得るな。申し訳ないが、そのあたりはあきらめていただくとしよう】
兄弟達は笑い合い、父や仲間達が微笑ましく見守る。
屍の海の只中で繰り広げられるほのぼのと平和な光景に、満身創痍の男達はいっそう寒気を覚えて震えあがった。
絶対に手を出すべきではなかった――
今さら思い知っても、もう遅かった。
敵に回したら地獄。
味方についてくれたら勝ったも同然。
でも主人公あんまり自覚してません。




