52話 とある少年の朝
俺の名はアスファ。もうすぐ十五歳になる。
あの悪夢みてえな恐怖の面接の日から、今朝で何日目だっけか。
もう十年ぐらい軽く生き延びた気がするぜ。
奴は――鬼アクマだ。
魔法使いなんだよな?
おかしくねえ?
凶悪な魔物退治をする勇者とか英雄の物語で、魔法使いはその手助けをしてくれるもんだ。
魔法使いは勇者とか英雄と同じぐらい人気があるし、俺もけっこう好きだったんだけど、なんつーか、憧れてたのと違う……。
もっとこう、穏やかそーな爺さん婆さんみたいなのを想像してたんだけどな?
きっとあいつは、王国の支配とか滅亡とかを狙う悪の魔法使いなんだ。きっとそうだ。
と思ったんだけど。それをここの連中に言うと、
「俺らにゃこっちのほうが良い魔法使いってイメージだけどなあ?」
って返されちまった。
え、待てよ。なんであれで〝良い〟魔法使いなんだよ?
おかしくねえ?
なんか、土地によって魔法使いの性格は変わるもんらしい。俺が村で聞いたのは、平和な土地柄とか、お上品な人種の多い王都方面の都なんかでよく語られるやつなんだそうだ。
ここの領主の息子も、今でこそあの魔法使いと仲良くやってるけど、亡くなった母さんが王都の出身とかで、どっちかっつうと俺のイメージしてたみたいな魔法使いが好きだったって噂だ。
デマルシェリエ領ってのは、ひねくれもんの魔法使いが活躍するおとぎ話がいっぱいあって、穏やかで優しい爺さん婆さんっつータイプの魔法使いだと、なんか物足らねーんだってさ。
そーゆーもんなのか。
つか、俺は物足らねえほうの魔法使いでいい……重い荷物だって運んでやるぜ……。
ともかく、訓練はキツイなんてもんじゃなかった。
無理に負荷をかけ過ぎたら成長期の肉体にどうの、運動と休息のバランスがこうのと、あのおっそろしい魔法使いが使い魔の鳥と一緒に話してたけど、正直、あいつらが何言ってんのか全然わかんねえ。
わかるのは、どうやら俺の身体の限界、ぶっ倒れねえギリギリんとこまで、訓練スケジュール? カリキュラム? ってやつが、みっちり組まれてやがるってことだ。
冬に入るとしばらくこっち来られなくなるから、それまでの間に基礎的なことを徹底的に叩き込む気なんだそーだ。
俺は、体力には自信があった。
生まれも育ちも平和な農村だったけど、農作業ってかなり鍛えられるんだぜ?
それに俺は昔、死んじまった父さんに剣の基礎だけ教わったことがあって、母さんの手伝いの合間に素振りもやってた。
村じゃ俺に勝てる奴なんて、大人でもいなかったんだ。
初めて登録したギルド支部で、俺はソッコーでランクアップを希望した。だって草のガキどもに交じってこつこつ採集とかダセぇじゃん?
んで、そこのギルド員と簡単な手合わせして、体力あるし剣筋もなかなかいい、運動神経もいいなって褒められて、すぐ指導役がついて、実地訓練に入ることになった。
全然上手くいかなくなっちまったのは、そっからだ。
魔法使いは最初にまず、俺の体力測定っていうのをやった。
俺はこれには自信があったし、なんかいろいろ変わったことやらされたけど、フツーにこなせたぜ。
らんにんぐ? ってのもやった。ギルドの建物から出て、〈薬貨堂・青い小鹿〉ていう店に着いたら、折り返してギルドに戻る。階段とか坂道たくさんあるし、けっこう距離があって疲れるんだよな。
俺はこなせたけど、あのお嬢はてんでダメだった。おまえそれ走ってんの? てぐらい遅いし、途中通りかかった商人のオッサンにのんびり歩きで追い越されてやんの。
顔を合わせりゃ人を田舎者だのがさつだの、いちいち嫌味ったらしいインケン女がグッタリしてて、いい気味だった。
俺が走ってる間は、使い魔の鳥にずっと見張られてるけど、お嬢はリュシーがずっと見張ってた。サボらねえようにってな。
リュシーは細い割に、俺よか背ぇ高いし、俺並みに体力あるみたいなんだよ。剣も使えるみたいだし、魔法使いもリュシーにはなんか優しい。
あのお嬢のワガママっぷりに毎日耐えてんだから、俺もリュシーは大事にされていいんじゃねえかと思う。
そこまでは、良かったんだ。
それで油断しちまったのが、つくづくマズかった。
なんだ、こんなもんか。
このぐらいなら何でもねーぜ。
ビビッて損した。
ついつい調子ん乗って、よりによって口に出しちまって。
ヤツの手先がいつでも傍で聞き耳立ててやがるって、知ってたろーがよ俺……!
「では本番に移ろうか。大丈夫だアスファ君、キミにならできる」
このぐらい何でもねーぜ?
誰だそんな寝言いったの?
そいつアタマわいてんじゃねえか?
走る場所がドーミアの町の中だけじゃなく、〝外〟も加わった。
門を出る時に門番の兵士が「新兵の訓練ですか? お疲れ様です!」とか言いながら最敬礼してたのが超気になった。
漆黒の上着に漆黒の胸当て、漆黒のズボンと漆黒のブーツを履いた教官いや魔法使いが、漆黒のでかい魔馬の後ろに俺を乗せてしばらく走り、なんか遠くに不気味な山の影が見える所でおろされた。
どこだよここ。
ちょっと待て俺、丸腰なんだけど?
「四の五の言うな。走れ」
走った。とにかく走った。最初は普通のペースで走ってて、教官いや魔法使いが「ダッシュ!!」と叫べば全力疾走、合図があれば普通のペースに戻り、その繰り返し。
やべえ、なにこの訓練? 舗装した道じゃねえから足にくるし、なんか背後の魔馬から来る圧力とかすげえんだけど?
ちょっとでもヘロヘロになったりしたら「ウスノロ」とか「それで走ってるつもりかこのカメ野郎が」とかポンポン罵倒が飛んでくるし、あんた人格変わってねえ??
つうかひょっとして町を出たのは思いっきり本性出せるからか!?
途中で熊にバッタリ逢った。バカでかい朱い熊だった。
しっかり目ぇ合っちまって、「あ、俺しんだ」と思いきや、魔法使いが魔馬からジャンプして一刀両断した。
え、魔法使いってなんだっけ!?
なんでもなかったみたいに走り込みが再開した。あれ、俺夢でもみたのかな……?
訓練は走り込みだけじゃなかった。
討伐者だから、もちろん戦闘訓練だってある。
ひたすら走るだけより俺に合っててラクだなとか、誰だそんな勘違いしやがったアホは。
ギルドの訓練場で指導役を相手に簡単な手合わせってのをやったんだけど、手合わせじゃなくガキが大人にあしらわれて終わった。
ウォルドが強ぇのはガタイ見りゃわかるんだけど、グレンとローグ爺さんにボロッボロに負かされたのはショックだった。
爺さんはヒゲモジャでどこ見てるか全然わかんねえし、それだけじゃなくやべえ。とにかくやべえ。
すばしっこいわ、こっちが少しでもぐらついたら容赦なく突いてくるわ、しかもあのちっこい身体のどこにそんなパワーと体力があるんだって感じだ。
俺は刃を潰した訓練用の剣、爺さんは軽い斧を使ってたんだけど、とにかく一撃が重い。爺さん愛用の戦斧を一度だけ持たせてもらったら、すげえ重かった。それを日頃から軽々と振り回してるってんだから尋常じゃねえ。
グレンの速さはそれ以上だ。目にもとまらぬ、ってのはああいうのを言うんだろうな。妖猫族の身軽さと柔軟さ、それにスピードと力も加わって、やべえぐらい速い。
俺は訓練だから手加減されまくってた。グレンや爺さんが他の討伐者と手合わせしてんのを見せてもらったら、俺が今まで自信満々に言ってたことが全部ガラガラ崩れ去っちまった。
ラストは漆黒の悪魔いや教官だ。
待て、待てマテ、なんであんたそんな笑顔なんだよ?
それ、木刀だよな? 木刀なんだよな?
手の平で弄ぶみたいにパシン、パシッ、って打ち鳴らしてっけど、ほんとにただの木刀だよな!?
なんか変なもん仕込んでねえよな!?
なんで木刀なのに残像とか見えるんだよ!?
怖ぇんだけど!?
すっっげえ怖ぇんだけど!?
「さ、いつでも来なさい」
え、俺これと戦うの!?
まじで!?
ちょっ……
待っ……ッッ!?
◇
「…………」
鳥のさえずりで目が覚めた。
青いヤツじゃなく、まともな鳥だ。
うっすらと窓から漏れる陽射しが、やんわりと瞼をなぶって、俺は深く、深ぁーくため息をついた。
夢ん中でも訓練しちまったぜ……へへ……。
我ながら寝汗がすげーぜ。
だいぶ涼しくなったってのにな。
一日の一番最初にやる特訓が、一番キツイんだよ。
その名を、お勉強。
読み書き計算、朗読、暗記。
シソクエンザンってなんの呪文だ?
九九って呪いの一種じゃねえの?
俺、力いっぱい、アタマ悪ぃんだけど?
――でも、ノルマこなさなきゃ、朝メシ喰えねえんだよな……。
俺はもっぺん、深く、深ぁーくため息をついた。




