4話 夢か幻か、踊る人々
読んでいただいてありがとうございます。
2019.7.22、序章の話の順番と構成を変更しました。
読みやすくなっていればいいなと思います。
それは瞬く星々の中から、前触れもなく静かに現われた。
小さな煌めきがゆっくり、少しずつ大きくなり、やがて巨大な光と熱の塊となって、夜空を切り裂きながら広大な森の彼方へ消えた。
ややして、凄まじい衝撃が地を震わせ、一瞬にして通り過ぎる。
樹々がしばし騒めき、はるか遠く〈黎明の森〉の方角を見据え、青年は目を細めた。
たった今、目の前を過ぎ去ったこの世ならざる光景が嘘のように、星々が再び夜の中に瞬き始める。
まるで何事もなかったかのように。
【……あれは、少なくとも我らにとっての凶兆ではない。ただの勘だが……。おまえ達はどう思う?】
振り返らず、傍に控える二人の弟に向けて問う。
【同じく。記録に見る〝隕石〟にしては衝撃が少ない気もするが、不快な感覚はなかった。異様な光景ではあったが、ことさらに警戒する必要もないのではないか?】
【わたしもそのように感じます。あちらに同胞の住まいがあると聞いたこともありませんし、変に関わらねば問題ないのではないかと思いますが】
弟達の言葉に、そうだな、と青年はひそやかに返す。
そう。あれは人の国に落ちたものだ。自分達は今まで通り己の領域から離れず、積極的に関わりさえしなければ、とりたてて吉も凶もないだろう。
地の揺れはここまで伝わってきたが、死や絶望の気配は漂ってこない。かつて愚かな大国が行った禁術の実験や、何者かの悪意ある攻撃ならば、必ず純粋な自然現象とは異なる気配を帯びていたものだが、それがないということは、あれ自体はそういう性質のものではないのだ。
恐怖に囚われた者どもが不要な騒乱を起こすかもしれないが、たとえそれで被害が出たとしても、あくまで彼らの自業自得に過ぎない。
青年は結論づけ、郷へ向かう道を戻り始めた。
◆ ◆ ◆
その日、エスタローザ光王国に未曾有の危機が訪れたかと思われた。
巨大な光が夜空を切り裂きながら広大な森の彼方へ消え、わずかな静寂の後、凄まじい衝撃に大地が揺れた。
天文博士によって、それは空から石や鉱物の塊が落ちてくる〝隕石〟という現象であり、多くはないが過去にも例のある出来事だと判明したものの、伝え聞く魔王の所業にも似た出来事は、エスタローザのみならず大陸中の国々を震撼させるに充分であった。
即座に大規模な調査隊が王命により派遣されたが、やがて彼らの誰もが首をひねる結果に終わった。
「被害がまるでない……? 大地があれほど揺れたのにか?」
「はい、陛下。しばらく〈森〉の近辺を調査いたしましたが、火の塊が落下したと思わしき方向には、何らその痕跡が見あたりませんでした」
「かの〈森〉は迷いの森であろう? 対策をして赴いたのであろうな?」
「幻惑に強い耐性のある魔術士達も現地にて調査に携わっており、〈森〉の深部への侵入は果たせなかったものの、何の異常も感じられぬとのことでございました。家畜が一時的にやや騒いだとの報告もありますが、それも数日で落ち着いたとのことです」
「煙が上がる様子もなく、火災の懸念もありません。周辺の町は平穏そのものです」
王や側近達はますます首を傾げた。
「もしや、我が国と見えて、実は他国へ落下したのであろうか?」
「いえ、陛下。近隣諸国の大使からも報告があがっておりますが、やはりそのような事態は起きておらぬとのことにございます。揺れの規模や光の角度からも、落下地点は我が国で間違いないと……」
「しかし痕跡が何もないのであろう? わけがわからぬ!」
「古来より、天より降りきたる光は吉兆、あるいは凶兆と伝えられております。もしやあれも、何かしらの予兆だったのでは……」
「……ふむ。ならば、吉か凶か、それが問題よな。辺境伯にはもうしばらく現地調査を継続させ、神官達には吉凶を占わせよ」
「御意に」
話が一段落ついたのを見はからい、侍従が少し焦った様子で王に耳打ちした。
「……なに? 熱が?」
「はい。王妃様の侍女によれば、王女殿下が不安がっておられますので、見舞ってやって欲しいと王妃様が…」
「感染る病ではないのか?」
虚を突かれ、侍従は一瞬言葉をのんだ。
まさか、感染る病にかかった病人を見舞えなどと王に対して言うはずがないではないか。
しかし、侍従は顔には出さなかった。
「いえ、陛下。侍医によれば感染の心配はなく、幸いにも微熱で……」
だんだん尻すぼみになった。王が不機嫌そうな渋面で、あからさまに溜め息をついたからだ。
「これで何度目だ? 国家の大事について話し合っておるというに、たかが微熱程度を口実に何度も呼び出すでない、と伝えよ」
「……はっ」
さほど暑くもないのに、何故か汗を拭いている侍従に不可解そうな一瞥をくれ、王は今後発生し得る混乱の対処に意識を戻した。
――王の反応と言葉を、王妃の侍女に、角が立たないようにどう話せばよいのやらと、侍従が頭を悩ませていることには全く気付かない。
そもそも、子供は大人より熱を出しやすい生き物だ。にもかかわらず、あの王女がそれを理由に父親を呼ぶ回数はかなり少ない。
本当はもっと頻繁に熱を出しているのだが、忙しい父王に遠慮し、我慢しているのである。
どうしても心細い時だけ、頻度としては年に一度も呼ばないぐらいなのだが、王にとっては「つい最近も同じことを言っておったな」という認識でしかないようだ。
ひょっとしたらほかの王子や王女に会った記憶と混同し、「またか」と感じているのかもしれない。一年の長さに対する感覚が、大人と子供ではまるで違うということも、おそらく念頭には置いていないだろう。
(優れた王でいらっしゃるのだが……)
君主としては申し分がないと誰もが思っている。ただ、私人としては若干難があると言わざるを得ない。
そんな感想を抱く自分こそが少数派であることを、侍従は内心溜め息をつきながら自覚していた。
王の態度は、王侯貴族の父親としては、さほど変わった態度ではないのである。
熱を出したのが王子だったなら、一転して「なぜそのような重大事をさっさと伝えぬ!」と怒るだろう。女児よりも男児優先、よくあることだ。王に限った話ではない。
ただ、王妃と――正確にはその侍女達との板挟みにされる立場の者からすれば、せめてうわべだけでもいいから、伝言は王女を労わるような見舞いの言葉にして欲しかったなと、そう思わずにいられないのだった。
◇
――やがて吉凶いずれの結論も出ず、何の収穫もないまま、何事もなく調査隊は解散することになる。
あれはいったい何だったのだろうと、困惑のみを残して。
この謎の現象から幾日、幸いにしてどの国でも被害報告が出なかった。
しかしその光景を多くの者が目にしており、また実際に大地が大きく揺れたため、それが夢幻のたぐいでないことは明らかだった。
世界中の人間が大規模な幻術にでもかけられたのだろうか。しかし、何のために?
その不可思議な現象をめぐり、某所で青年が予見した通り、しばらくの間、様々な憶測に基づいた騒ぎが頻発した。
天の怒りではないか。
どこかで魔王が誕生したのではないか。
この世の終焉が近いと叫び狂う者。
神々の怒りを受け入れよと触れ回る者。
これから闇の世界が訪れるに違いないと不安を煽る者。
きっと神々がお救いくださると無意味にひたすら祈り続ける者。
無人の森に落下した隕石などよりも、確証もない思い込みで混乱を招く群衆のほうが、よほど悪質な人的被害を多くもたらした。
不安につけこむあやしげな教団の布教。日頃の鬱憤を爆発させて暴動を誘発する者。それに乗じた強盗。数え上げればきりがない。
エスタローザはそういった被害が比較的軽微で済んだ国だ。周辺国家より比較的豊かであり、民の心にゆとりがあったのに加え、この時たまたま優秀な文官・武官が多く要職についており、彼らが混乱を早期に収めた。
諸外国ではそうはいかなかった。この日の出来事が大きな傷痕を残した国も多い。
――必要に迫られて落下しただけの炎の塊に言わせれば、そんなことは知ったことではなかった。