42話 戦闘後は時に戦闘時より油断大敵なこともある
地上へ帰還を果たし、ぞろりと待ち構えていた顔ぶれを前にして、瀬名は「あ、これ下手な申し開きはできないな」と瞬時に悟った。
(仕方なかったんです、こんなことになるなんて思わなかったんです――ってあああ、本気で言えば言うほど、どこぞの不審者にしか聞こえない!?)
厳しいで表情で、黙ったまま瀬名に強い視線を向けてくる辺境伯。
一歩下がった場所から、血の気が引いた顔でじっと見つめてくる騎士達の視線。
見慣れない半獣族の戦士達は、ごくりと息を呑み、瀬名を凝視している。
どうしよう。いたたまれない。戦闘時とは別種の緊張感に、瀬名の全身をだらだら冷たい汗が伝った。
≪とどめの刺し方がまずかったかもしれませんね≫
クールな小鳥さんが、念話でそう指摘した。
≪えええ!? だってしょうがないじゃん、頭半分以上やってもまだぴんぴんしてた奴だよ!? これは念入りに殺っとかなきゃって思うじゃん!?≫
胴体部分を貫いていた魔力の剣を一旦魔素に戻し、頭部の残り半分へぶつけてみたのだ。
結果、ちょっとみじん切りっぽくなってしまっただけである。
勝利の歓声が湧きあがる中、「ざぎん!!」と変な音を割り込ませて水を差したのは悪かったと思うが、だからって自分は悪くないと主張させて欲しい。
ああしかし、このなんとも言えない沈黙をどうすべきか?
これはまずい。困った時の〝必殺・今のは気のせいだ忘れろ〟作戦が、何度も使い過ぎてて最近使えなくなっているのに――!
≪やばいよどうしようARKさん!? どうにかできない!?≫
≪できないこともありませんが≫
≪ええっ、マジで!?≫
≪はい。一時、この場を預けていただけますか?≫
≪うんオッケー、任せた! 頼む!≫
≪承知いたしました≫
では話を合わせてください、と小鳥が請け負ってくれた。
なんて頼もしい。とにかくこの場を無事に切り抜けること以外がすっぽ抜けていた瀬名は、この小鳥さんが小鳥さんである事実をうっかり忘れるという、本日最大級のミスを犯した。
《ご質問が大量にあるのでしょうけれど、まずは先に確認させてください。――辺境伯殿》
「私、か? 何だ、アーク殿?」
辺境伯のまなざしに、はっきりと警戒の色が浮かぶ。
この鳥が喋ることを知らなかった者達は、ウォルドでさえ例外なくぎょっと目を瞠った。
《見覚えのない方々が大勢いらっしゃいますが、この方々は信用できるものと思ってよろしいのでしょうか》
「ああ、そのことか」
何を訊かれるのかと身構えていた辺境伯は、あからさまにほっとした。見知らぬ他人が大勢いれば、そんな懸念を抱くのも無理からぬことだったので、無意識に緊張していた肩から若干力が抜ける。
「紹介が遅れてすまぬ。――こちらは神官騎士、ウォルド殿だ。聖銀クラスの討伐者でもある。ウォルド殿、こちらが使い魔のアーク殿。そしてこちらが、アーク殿の主である魔法使い、セナ=トーヤ殿だ」
「…………」
銀髪の偉丈夫は無言のまま、軽く頭を下げて礼を取った。瀬名や小鳥に対する恐れや侮りはなく、理知的な双眸と纏う雰囲気には誠意しか感じられない。
ところで、いつの間に小鳥さんは使い魔になったのだろうか。いや、まあ、それが一番自然な役どころなのだろうけれど。
「そしてこちらが――」
「お初にお目にかかる。俺は部族長のガルセス=マウロ=ロアだ。〝ロア〟の意味はご存じか?」
ARKではなく、自分に目を向けて尋ねられたので、瀬名は内心びっくりしながら頷く。この国の貴族や魔術士の名ではなく、半獣族の少数部族、とりわけ灰狼族の長を意味する名だった。
(獣人の中でも、トップクラスに強い連中じゃなかったっけ?)
灰色の狼の耳に、豊かな毛並みの尾。服の上からも鍛えた肉体の強靭さが窺える。
なんと数名、女性戦士も混じっていた。筋肉もしっかりしているが、胸当てを装着していても抑えきれない素晴らしい双丘を持った、いかにも強そうな長身の美女達であった。
(なるほどー、ミウの遺伝子の親戚さんってこれかー。あの娘も将来こんなんなるのかなー?)
眼福だが、何故そんな連中がこんなにたくさん、と内心首を傾げるのと同時に、彼らがいてくれてよかったと、瀬名は感謝の念を抱いた。デマルシェリエの騎士達の強さは疑うべくもないが、もしも彼ら十数名しかいなかったならば、さすがに命を落とす者が出たかもしれない。
「このたび、我々が参った理由なのだが――」
《お話の腰を折って申し訳ありませんが、詳細は後ほど時間を設けて伺います》
小鳥が遮り、族長がむっと顔をしかめた。
「いや、しかしな……」
《先にこの【蛇】について、はっきりさせねばならないでしょう》
「!」
全員がハッとし、納得する。小鳥の言う通りだった。
まずはここにいる新顔達が信用できるかどうか、口が緩くはないか辺境伯に確認し、小鳥は話を再開する。
《辺境伯殿。あれは九眼の蛇【ヒュドラム】に酷似している魔物と見受けられましたが》
「ああ。我らもそれに相違ないと考えている」
《ならば不可解なのですが、あの【ヒュドラム】はこの国にいない魔物だったのではありませんか? 実はそうでもなかったのでしょうか》
「いや、この国に現われた話など今まで聞いたこともない。ゆえに我らも仰天しているところだ」
《なるほど。――それではやはり、しばらくこの怪物の件は伏せておいたほうがよろしいでしょう》
「なんだと?」
騎士や戦士達がざわめいた。このようなとんでもない脅威の出現を、何故隠さねばならない?
《辺境伯。我がマスターはそもそも、風光明媚なあなたの領地をのんびり楽しむため、ヤナと遠乗りに出かけていたのです。脅威など何も存在しない、安全な場所を選び、まったりと羽を伸ばしておりました》
――〝遠乗り〟と言い切った。
瀬名はARK氏の堂々たるトボケっぷりに、胸中で喝采をあげた。
その通り、まほうつかいレベル1が初めての魔物退治してました、なんて事実は存在しないのである。
魔の山が目と鼻の先にあったって、道中何匹も魔物に遭遇したって、ぽかぽかと優しいお日様の下、小川のほとりで休憩しながら「お弁当もってくりゃよかったな」と後悔するぐらい、のどかで素敵なひとときを過ごした。
ここの何がどう危険なのとキッパリ言われ、辺境伯も騎士達も微妙な顔になるしかない。五感の鋭敏な狼族達も、「え? このあたりって物騒な臭いするなって思うんだけど気のせい?」と己の鼻をさすり、困惑する者がちらほら。
すっかり小鳥氏のペースであった。
《あのような怪物がよもやこの地にいたなどと、思いもしなかったのです》
「……返す言葉もない。だが我ら自身も、想像も及ばぬことであった」
《ええ、そうなのでしょう。ならば考えられることはひとつ。――あれはどこか、余所の生息域からやって来た〝はぐれ〟魔物です》
「もとからこの地に、密かに育っていたわけではないと?」
辺境伯の疑問に、答えたのは神官騎士ウォルドだった。
「伯よ、俺もあれは余所から来たものだと思う。この地は【ヒュドラム】の腹を満たせる獲物が少ない。前々からここに棲んでいるなら、より魔力に満ちた魔の山を目指しそうなものだが、そうなると大物に縄張りを支配された魔物どもが大移動を始めるはず。そのような報告は耳に入っているか?」
「いや……ない」
「ならばやはり、あれはここへ来て間もないのだ。おそらく一年も経っていないだろう」
頷くウォルドに、小鳥が《そうなるでしょうね》と同意した。
《となれば問題は、どのような経緯があってこの地へ来たかです》
「というと?」
《ウォルド殿が仰られたでしょう、「この地は【ヒュドラム】の腹を満たせぬ」と。わざわざ食料の少ない地へ移動して来たのは何故と思われますか》
「それは……」
《考えられる理由はふたつ。ひとつは、執着した獲物を追い続けるうちに、この国へ迷い込んだ。そして二つめは、何者かが意図的にそのような状況をつくりだした。可能性がより濃厚なのは、後者と私は考えます》
「なんだと!?」
全員がぎょっとした。その中には瀬名もいたのだが、必死で平然とした顔を取り繕った。
「何故そうなるのだ、アーク殿……!?」
――なんでそうなるんですか、ARKさんんん?
《簡単なことです。――あの【ヒュドラム】に目を付けられ、追われる者が、やすやすと逃げおおせると思いますか》
「それは……多少腕に覚えがある程度の者には、絶望的であろうな」
《その通り。しかし実際に【ヒュドラム】は、本来の生息域から遥か離れた、遠いこの地まで来てしまっている》
「……これほどの距離を、生きたまま逃げ切れる者がいたとすれば、相当であろうな」
《そんな芸当が可能な手練れならば、逃亡よりも討伐を視野に入れるでしょう。マスターのように》
全員の視線が魔法使いに集中し、全員が「ああ、納得!!」と頷いた。
「魔法使い殿なら殺るよな、後腐れなく」
「ひたすら逃げ続けるなんて鬱陶しいし面倒だから、ってスッパリざっくり殺るな」
騎士達がひそひそコソコソやっている。彼らとは後でしっかり話し合い、間違ったイメージの改善を試みねばと瀬名は決意した。
◇
《何者が、どのような意図でもって〝これ〟をこの国に引っ張り込んだのか。少なくともその恐れがある以上、この怪物の存在をおいそれと表に出すべきではありません。いずれは公表するにしても、今は様子を見るべきでしょう》
流れはすっかりARK氏によって掌握されていた。
辺境伯や半獣族の客人達にはもはや何ら疑問もなく、厄災級の魔物出現の隠匿に、ごく当然のように同意した。
騎士や戦士達にとって、これほどの大物を倒した実績がなかったことにされてしまうわけだが、そのへんはどうなのだろうか。
「そもそもあれを動けなくしたのも、とどめを刺したのもあなたでしょうに」
「己が功績として誇るようなことなど、我らは何ひとつしておりませんよ」
と逆に呆れられてしまった。
その反応は灰狼達にかなり好意的に受け止められたらしく、短時間とはいえ強敵を相手に共闘したこともあってか、彼らはすっかり打ち解け合っていた。
《では族長殿、魔物の引き取り作業はお願いいたします》
「ああ、任せておけ! こいつは無毒だし、蛇肉は美味いからな!」
「え、食べるのか!?」
「本気で!?」
「伝説級の魔物を!?」
「? 食べずにどうするんだ? もったいない」
「これだけあれば素材もたっぷり取れるし、郷の連中が喜ぶだろうなー!」
「…………」
「…………」
…………。
まあ、問題なかろう。
「ではデマルシェリエの方々、我らはこれを解体したら一旦集落へ戻る。慌ただしい別れとなってしまうが、いずれまたこの地に参るので、その時はゆっくり語り合おう」
「そうだな。美味い酒を用意しておこう」
「ははっ、それは楽しみだ!」
族長がほがらかに笑い、辺境伯が頷いた。
「魔法使い殿、アーク殿。準備があるのですぐにとは言えんが、再び我らはこの地に訪れる。冬を今の集落で過ごした後、春になれば皆で越してくる予定だ。その時にはよろしく頼むぞ!」
「え? ……ええ……」
《お待ちしています》
「ああ!」
そうして、瀬名がぼんやり見守っている間に、証拠隠滅は狼族達が引き受けてくれる流れとなり。
瀬名は、「じゃあ私もこれで」とは言わせてもらえず、やっぱりドーミアへドナドナ連行されていく流れになるのだった。
おかしい。危機を脱した気がしない。
何故だ。
小鳥さんの陰謀が密かに…。




