40話 この世ならざる光景
いつも読んでくださる方、初めて来られる方もありがとうございます。
前回に続き今回も遅くなってしまってすいません(汗)
問題を目にした瞬間、答えが先に頭に浮かぶために、途中でどんな計算をしたのか尋ねられても応えようがない。
だから自分は考えなしの馬鹿なのだと、瀬名としてはそういう自己評価になってしまうわけだが。
――これが〝最適解〟です、マスター。
小鳥はそう結論づけた。
【ヒュドラム】が最初に口をもごもごさせた時、引き抜かれそうになった牙は、正体不明の妙な物体を吐き出すためではなかった。
この程度、自身の何倍もの獲物を呑み込める【蛇】にとって、〝大きな獲物〟のうちにも入らない。すぐれたセンサーである舌は妙な感触をとらえてはいたが、己にとって無毒の物体であることも同時にわかっていた。
【ヒュドラム】は顎の関節をより柔軟に動かし、あのまま呑み込もうとしていたのだ。
ではもし逆に、瀬名が最初に期待した通りに吐き出されていたならば、その時は「助かった」と言えただろうか。
答えは「否」。ダメージを与える前の視界は全方位に及んでおり、そして蛇が攻撃を繰り出す際のとてつもない瞬発力を、この怪物も遜色なく持っていたならば。
一定の距離をあけることは、むしろ【ヒュドラム】にとってこそ有利な状況を生み出すと言えた。
だが悠長に答え合わせなどをしている場合ではない。
一瞬のミスが命取りになる状況下で、余計なことへ意識を逸らさせてはならなかった。
小鳥は己の見解をひとまず保留へ分類し、ただサポートに徹することにした。
◆ ◆ ◆
「な……んだ、あれ……!?」
「すっ、げぇ……」
この世ならざる光景がその場所にそびえたっていた。
自分達がいったいどこにいるのか、彼らは一瞬本気でわからなくなった。
いつの間に異界へ迷い込んでしまったのだろうかと、己の目と正気を疑う。
はじめ、彼らはそれを〝竜〟だと思った。しかし手足も翼もない長大な身体がうねるのを見て、それが〝蛇〟の姿だとようやく頭に入ってきた。
そのせいか、余計に現実感が遠ざかる。むしろ竜だったほうが自然だとさえ思ってしまった。
誰もが声を失い、呆然とそれを見上げるしかない。
「もしや、【ヒュドラム】か……!?」
愕然とウォルドが叫んだ。
やはりこうなるか、と辺境伯が眉間にしわを深々と刻む。
「はぁっ!?」
「どうしてそんなもんがここに!?」
「え、なんだその【ヒュドラム】って?」
「何がどうなってんだ……!?」
その怪物の名を知る者と知らぬ者とで反応が分かれるも、一様に驚愕と恐怖で【大蛇】の姿から目を離せない。
恐るべきは【蛇】だけではなかった。飛竜をも絞め殺しそうな怪物の頭部を貫き、放射状にのびて地に突き刺さる、無数の巨大な〝剣〟――
「あれは、魔法、なのか……?」
「なんと……」
これが人の身になせる業なのか。
まるで、神代の物語にて語られる、異形と神々の戦いのような。
「グゥルルル……」
「! ――ヤナか!」
「ヤナ……おまえがいるってことは、それじゃあやっぱり……!」
どこかから姿を見せた漆黒の魔馬に、騎士達の間に動揺が走る。
(では、やはり、あそこにいるのか)
あの、中心に。
呆然とする人々の中で、いちはやくそれに気付いたのは灰狼の族長だった。
「おい、辺境伯、ウォルド殿……やつめ、あれでまだ生きているのか?」
「!」
族長の言葉に、二人はハッとなる。
そうだ――この【蛇】の恐ろしさは、その巨大さだけではない。
途方もないしぶとさ、生への執念深さ、全力をかけて敵を滅ぼさんと憎悪を燃やすあきらめの悪さもだ。
【ヒュドラム】は未だ死の淵にいるようには見えず、己に凄まじい傷を与えた剣の檻から抜け出そうとしている。
ぐねぐねと地を這っていた尾が動きを変え、天へ高々と持ち上がった。
「いかん、防御陣形をとれ!!」
「やばい来るぞ、回避しろッ!!」
騎士達が即座に一ヶ所へ集まり、盾を構えた。身軽さを重視した片腕に装着するタイプの盾だが、幸い結界の術式を仕込んだ魔道武具であったために、実際の盾の大きさよりも広範囲が護られている。
加えて、神官のウォルドが聖魔術の使い手であったため、術式を補強してより強固な壁となった。
直後、天から地へ振りおろされた怪物の鞭が大地をえぐり、岩も土も構わず砕かれ、辺り一面へ吹き飛んだ。
「うぐっ……!!」
「……っっ!!」
ウォルドは騎士達の最前面に立ち、大剣を抜いた。真摯な声音で祈りを捧げ、最後にひとこと「加護を」と呟くと、剣身がわずかに銀色の光を放つ。
その剣は迫りくる大岩を豪快に砕き、両断した。その場に踏みとどまり、防御するだけで精一杯の騎士達は、聖剣士の度胸と戦いぶりに惚れ惚れとする。
「無事か!?」
「ああ、そっちは!?」
「こっちもなんとかな!!」
第一波を防ぎきり、騎士達の間にも灰狼達の中にも負傷者はいなかった。灰狼達もせいぜいが擦り傷程度で、全員回避しきったらしい。彼らも彼らで実にみごとだった。
尾のひと振りで地形を変えた【蛇】だったが、己を捕らえる刃を未だに破壊できていない。それを見て騎士達も半獣族達も心から安堵し、同時に、あの〝剣〟の中心にいるであろう人物へ、腹の底がぞっと冷えるような畏敬の念を禁じ得なかった。
「あのバケモン、やってくれやがって……!」
恐怖よりも戦闘本能の勝った灰狼達が、次々に弓に矢をつがえた。
その矢じりを見てとったウォルドが、彼らしからぬ怒号を飛ばす。
「やめろ、その矢で射るな!!」
びくっとしながらも、狼族達はすぐに矢をおろした。困惑の視線が集中する中、ウォルドはほっと息をつく。
ここにいるのは精鋭のデマルシェリエ騎士団の連中と、半獣族の中でもとびきり戦闘能力の高い灰狼の戦士。
つまり、この場にいる全員が手練れの精鋭だった。今のように咄嗟の制止にも、全員が即座に反応してくれる。
最悪の状況に出くわしたようでいて、実は自分達は幸運の中にいるのではないか。あの途方もない怪物に遭遇しながら、絶体絶命の危機には陥っていない。
そう、あれは本来なら〝出会えば終わり〟だからこそ、〝厄災の魔物〟と囁かれるものなのだから。
「ウォルド殿、魔石はまずいか?」
辺境伯が慎重に尋ねた。彼は【ヒュドラム】の名と特徴を知ってはいたが、瀬名やARKと同様、一般的な知識しか持ち合わせがなかった。
対して、ウォルドは国外でも活動をしていた経歴を持ち、自身が直接戦ったわけではないが、九眼の蛇【ヒュドラム】を相手どった戦士の子孫から、詳しい話を聞く機会があった。
「魔石というより、四大属性の魔術すべてが奴には効かんと思ったほうがいい。どころか、下手をすれば〝栄養〟を与える結果になりかねんとのことだ」
「え、栄養だと?」
「んだ、そりゃあ!?」
魔石の矢じりを掴み、灰狼達がぎょっと目をまるくした。
「魔石を喰らって魔力を吸収し、失った力を回復することがあるという。とりわけ危険なのが〝水〟系統だそうだ。奴は己を高温に熱し、湖に飛び込んで大爆発を起こしたこともあると聞いた」
「み、湖で爆発だって?」
「なんでそうなるんだっ?」
「蛇だろっ? 蛇って水とか寒さとか弱いんじゃねえのかっ?」
「いや、水蛇とか海蛇ってやつもいるって聞くぞ? そういうやつじゃねえの?」
「やべえ、俺の矢じり、水属性だった……!」
では、どうやってあの怪物を倒せばいい? 自分達には何ひとつなすすべはないのか?
かつてないほどに恐ろしい怪物を前に、もちろん恐怖心はこれでもかと煽れらている。真剣に怖い。だが、これほど大勢の戦士が揃っていながら、手も足も出せずに傍観するしかないなどと、かなり悔しいものがあった。
「ウォルドよ。――あの〝魔法〟は、奴に効いているのではないか?」
「ああ、伯よ。魔法使い殿の攻撃は手痛く効いているようだ。ゆえにあの【ヒュドラム】も、残った力をかき集めて足掻いているのだろう」
「ただの足掻きで、あれほどの攻撃をしやがるか? 到底弱っているようには見えねえぞ」
族長の呟きに、ウォルドは彼にしては珍しく、小さく笑んだ。額に汗が浮かび、緊張してもいるようだが、どこか不敵で余裕のある表情だった。
「あれで、八割がた仕留めたも同然だ。なんといっても【ヒュドラム】を討伐するために最も重要な、そして最も攻撃を当てにくい〝頭〟が、もうとっくに地へ縫いつけられているのだからな」
死角を消す厄介な九つの眼は、既に半数ほどが潰され。
凄まじい高速で攻撃と回避を行えるはずの頭は、同じ場所からまったく動けず。
ゆえに巨体を活かし、尾をぶんぶんと振りまわし地をえぐる以外に攻撃手段がない。
そして【ヒュドラム】は〝死の吐息〟と呼ばれる攻撃手段をも持っているはずだが、ウォルド達は遠方からその轟音を耳にしたきり、ここに着いてからは一度も目にしていない。
――つまりもうその余力がないのだ。
とどめに、あの〝剣〟の檻が邪魔になり、地下へ潜ることもできなくなって。
【ヒュドラム】を無敵たらしめる要素の一切が、既に封じられているのである。
「さらに、奴の意識はおそらくもう、己の〝敵〟を葬ることのみにしか向けられていないだろう」
「……なるほど。では、我らは眼中にないか?」
「そういうことだ」
「ならば、やることはひとつだな」
族長と辺境伯は目を見合わせ、頷いた。
「――皆の者。暴れる尾に気を付けつつ、削るぞ」
辺境伯の宣言に、静かな鬨の声があがる。




