37話 十六歳、だから調子に乗ってはならぬと
詐欺の手口で極悪魔導式を仕込まれた日から毎日、食事と入浴以外の時間はほとんどを練習に費やした。
こんな極悪魔導式、日頃からちゃんと練習しておかないと、いざという時の大惨事が怖いので仕方ないのである。
残ったわずかな時間では、相変わらず回復薬の調合その他、趣味の時間に没頭した。増えに増えて一向に減らない薬棚を見渡し、途中でふと「こんなにあっても回復薬九十九個とか持って行けんよな……」とか我に返って呟いたりもしたが、まあ調合は楽しい趣味なので続行する。
空間魔法と呼ばれるものが存在せず、容量ほぼ無制限でものを持ち運べる魔法バッグのような便利アイテムは、あいにく存在しなかった。
およそ一ヶ月後、円形闘技場ならぬ訓練場を出て、森で試すようになった。
つまり、一ヶ月もずっとひたすら訓練場だけでやっていた。常時結界が張られている安心安全な訓練場を出る前に、徹底的に制御方法を身に付けておきたかったからだ。
この選択透過シールドの凄いところは、魔素や普通のそよ風などをそのまま通過させるのに、〝魔法に該当する現象〟を通さない設定ができる点である。それを参考にして、内部の魔素や魔力の流れを外に漏らさない隠密シールドもどきも自力で張れるように頑張ってみたのだが、これは想像以上の難物だった。
どの程度の強さ、厚みをもたせるのか設定せねばならなかったし、どの程度の広さまでなら充分に役割を果たせるのか、丁度いい塩梅を見極めるのにかなり手こずるシロモノだった。
けれどこのシールドは、森の外で魔素を運用するためには必須のもの。
勘のいい魔術士に気取られたりしたら、面倒どころではないのだから。
解決法はあっさり見つかった。
ぶっちゃけ、成功の鍵となったイメージは〝スライム〟だった。
それもこの世界のドロドロネバネバな魔粘性生物ではなく、瀬名の親しみやすいプヨン、ポヨヨンな、悪いモンスターではないほうのスライムである。
物理攻撃無効・魔法攻撃無効の優しいビッグなスライムさんに包まれて、身の危険から守ってもらっている――ためしにそんなイメージをしてみたら、イメージ通りの結界を張るのに成功した。
成功してしまった。
それはもう、あれほど手こずったのはいったい何だったんだというぐらいにあっさりと。
(この世界のスライムも、ぷるぷる震えながらなかまになりたそうにこっちを見てくれるタイプだったら……いや、もうよそう)
この世界の魔術士にとって、結界とは〝己に害をなす力をはじく壁〟であり、強い魔力を込めるほどより強固な壁となる。それに対して瀬名の結界は、向かってくる攻撃性の魔力に干渉し、中和し、拡散させる、壁とはイメージが根本的に異なるものだった。
投げナイフや飛来する矢といった物理攻撃に対しては、貫通できない柔軟な〝膜〟になるようイメージしている。
ちなみに〈スフィア〉のシールドには本来、魔素や魔力を妨害する力はなかったのだが、どこかのARK博士がなんとかどうにかしたらしい。つくづく優秀過ぎて怖い御仁である。
「それはいいよ、いいんだけどさ、――なんっで空飛べないわけ?」
水や氷を浮かせることができるなら、同じ要領で自分空飛べるんじゃないかしら!?
と大いに期待したのに、何をどうしても飛べない。
まったくもって全然飛べない。
手作りパラシュートをひろげて上昇気流を発生させ、ゆっくり浮き上がったり着地したりはできた。
そのほか球体に設定した結界の中央に、つねに自分がいるようイメージすれば、足が地面から離れ、浮かんだ場所で固定されたりもした
でも違う。これもあれも〝飛ぶ〟というのとは根本的に違う。
そうじゃない、そうじゃないんだ。求めているのはこれじゃないんだよ――
《浮かせることができるのは、マスターが魔素によって出現させた現象に限定されているようですね》
「えぇー、なにそれ!? あんたは飛べるのにー!?」
《鳥ですので》
「ずーるーいーっ!」
反重力をイメージしてもうまくいかなかった。どうやら〝飛翔〟や〝飛行〟という行為自体に何らかの制限があるらしく、〝本来飛べない仕組みの生物〟が飛ぶことはできない、何らかの理が働いているらしい。
なんなのだそれは。
《詳細は調査中です》
「頼んだ」
ロマンより現実をとる女の端くれだって、自由に空を飛べるものなら飛んでみたいのである。
◇
森の中の散歩がてら、略して〈グリモア〉の運用方法を念入りに学び、最終調整も行って、さらにおよそ一ヶ月後。
「よし、魔物を倒そう!」
と立ち上がった。
自棄ではない。
いや、半分は自棄だが、実戦における劇物の取扱いに慣れておかなければ、緊急時の誤用や暴発が怖いという切実な理由もあった。
以前おのれのやらかしたうっかりを踏まえ、今後いきなり魔物に出くわす可能性が皆無とは言い切れず、その対処に慣れておいたほうがいいと瀬名は前々から考えていた。なので、いきなり出くわして「キャーどかん!」を防ぐため、できるだけ弱い魔物から少しずつ試しておきたいと思ったのである。
魔獣や魔物の生態や弱点などはかなり詳しく教わっているが、実戦で的確に急所を狙えるかはやってみないとわからない。
軽々と動くようになった身体、すっかり手になじんだ魔導刀――名前はまだない――それに劇物もといARK氏の魔導式が加われば、たとえ倒せなかったとしても、せめて身を守りつつ逃げることぐらいは可能になっているはずだ。
訓練場で一ヶ月、森の中で一ヶ月。キリが良くていいだろう。
というか、そういう区切りでもつけないと、なかなか腰を上げられないのが生来のインドア派だ。そして思い立ったが吉日、でさっさと行動しておかないと、その日を逃せばまた「来月からがんばろう」になるのも、ヒキコモリ生物の習性である。
《最近はアウトドア派に宗旨替えなさったように見受けられましたが》
「ふ……人間ちょっとやそっとじゃ宗旨替えできぬからこそ、醜い争いが絶えなかったのだよ……」
《さようですか》
「リアクションが冷たい」
《気のせいです》
ウエストバッグに自作の強力回復薬をたっぷりつめこみ、ドーミアで買い足した魔物の忌避香木をベルトにじゃらりとかけた。これは討伐者達が倒した獲物をその場で解体する際、近くで焚いて使う消耗品だが、デザインが格好いいので、アクセサリーとしても人気がある。
インディアンぽい男性の横顔の図案が、なかなか瀬名好みだった。彫られているのは戦いの神のしもべらしいが、このワイルド系ハンサムを焚く時はちょっと申し訳ない気分になりそうなのが唯一の難点といえた。
とりあえず、本日の目標は一匹倒すこと。倒せなかったとしても、全力で逃げ切れれば上々とする。
凶悪な魔物との戦闘は、人間のごろつき相手のようにすんなりとはいかないはずだ。シミュレーション通りの流れにはならないと覚悟しておいたほうがいい。
とにかく一瞬でもまずいと感じたら、全力で防御シールドを展開しつつ速やかに離脱、安全第一を心がけるのだ。
そんな風に思っていた時期もありました。
~はじめてのまものたいじ~
まずはドーミアで愛騎獣のヤナに再会しました。遠乗りと銘打って連れ出す際、オスの魔馬たち複数頭から恨みがましい視線を向けられたのが印象的でした。
どうやらもてもてだったようです。そうでしょうそうでしょう、うちの娘は美馬ですから。
そしてのんびり草原を駆けながら小鳥さんに索敵を頼みます。
魔馬、速いです。爽快です。
あっという間に人里から離れ、悪名高い魔の山の姿がはっきり見えるあたりまで来ました。
巨大なトカゲっぽい魔物を発見しました。
「ギィァオオオォ――ッ!!」
ウォーターカッターでまっぷたつにしました。倒しました。
次は女の敵代表、二本足で歩く豚っぽい魔物を発見しました。
人型タイプの種族の女性を襲って繁殖するあれです。
「フゴォオォオォ――ッ!!」
今宵の鎌鼬は血に飢えていました。倒しました。
次に骨っぽいというか、それしかない魔物を発見しました。
「カチャカチャカチャ……ッ!!」
《マスター、これは是非生け捕り、いえ捕獲を……!!》
「やかましいわッ!!」
酒屋のおじちゃんがサービスでくれた聖水が効きました。え、まじで?
倒しました。
デストロイ完了。
あれ? おかしいな?
魔物、それは生涯出くわしたくないワースト3、だったはずなのですが。
あんなにびびっていたのはいったい何だったのでしょう。
これはあれですね。推奨レベル30以上の中ボスに60ぐらいまでレベル上げて挑んでみたら、一瞬で終わって勝利の余韻も何も残らなかったというあれです。
いやそんなにレベル上がったとは思わないのですが。もしや考えてみれば今の状態、〝つよくてニューゲーム〟状態だったんでしょうか……。
旅立って間もないたびびと・レベル1が、本当なら物語後半にならなければ入手できない最強装備を、最初から既に持っているあれです。
しかも潤沢な強力回復アイテムと高位魔法と魔力消費量ゼロの特典つきです。
そんな感じで、初日で慣れました。
理不尽という言葉の意味が骨に沁みた日になりました。
~おわり~
◇
「うーんん……あんだけビビッてたのはいったい何だったんだ……」
軽快な音をたてながら流れる冷たい水。牛や羊が放牧されていそうな牧歌的な風景。そろそろ気温も涼しくなり、乾いたそよ風が頬に心地良い。
愛馬は透明な小川のほとりで、ごくごく喉を潤している。
――おかしい。ここは人里から離れた危険地帯ではなかったのか?
自分が本当にのどかな田舎で遠乗りをしている気分になってきた。
無傷で逃げられたら上々。一匹倒せたら御の字。そんなふうに気合を入れまくってきた分、あまりにもあっさり片付きすぎて脱力感が凄まじい。
いくら「最初は弱めのやつからよろしく!」と重々念押ししたからといって、魔物は魔物。というか頭に叩き込んだ魔物図鑑によれば、あれらは決して初心者が相手にしていい種類ではなかったはずなのだが。
「そこんとこどうなんですか、小鳥さん?」
《倒せましたよね?》
しれっと返されてしまった。
――ああ倒せたとも。倒せたさ。倒せたけどもな!?
(私が訊きたいのはそんなことじゃあないんだよ! っつったところで、わかってて言ってそうなとこがつくづく嫌だこいつ……!!)
メルヘンチックな青い小鳥は、今日もとことんクールだった。
骨格標本をゲットしそこねた意趣返しだとは思いたくない。
「はー。なんかもうびくびくして損した。こんなもんだったか~」
《マスター。その結論に達するのは早計かと存じますが》
「えー? ……あっ、あの薬草、【シュネーヴェンノータス】だ。こんなところにも群生してたんだね」
ギルドでもよく採集依頼を目にする、【シュネーヴェンエルティスノータス】――お腹をきれいにしてくれる素敵薬草である。これのおかげで多くの民はトイレいらずとなり、この国は臭わない衛生的な環境が保たれている。
貧民区には公衆トイレが設置され、この薬草を調合したものが放り込まれていると聞いた。警邏隊の詰め所の近くにあるので、安心して利用できるのだとか。
(買取窓口の爺さん、これはいくらあっても困るもんじゃないっつってたっけ? 初級ハンターはこんなところまで来ないって話だし、別に私がたくさん採って帰っても問題ないかな)
小川から離れ、岩陰に大量に生えている薬草のほうへ向かった。
《マスター!》
「えっ? ――――」
ぞわり。――足もとから、皮膚が逆方向へ撫でられたような悪寒。
ずず、と微かな地響きが靴の裏から伝わり、ほとんど反射的に〝結界〟を強化した。
どおおぉん!
「――うわあぁッ!?」
突然地面が盛りあがり、瀬名の身体が宙を舞った。
信じられない思いで、上空からさっきまで自分が立っていた場所を見上げると、地割れの中から何かが飛び出てくるのが見えた。
巨大な。
あれは。




