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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
森の民
35/316

34話


 暗闇から射し込む薄青い光に促され、瀬名は重い瞼をあけた。

 時間の経過とともに眠気は去り、ここがどこだったかを思い出し、徐々にひんやり胸の内側を満たす。

 広々としたリクライニングルーム――ホールと呼んでもいいかもしれない。

 その中央に置かれたシンプルなベッドマット、適当に敷いた布団の上で、目の前の遠い円天井を見つめた。


 目覚めればいつも傍にあったはずのそれらは、もうどこにもない。


「…………」


 瀬名はのっそりと身を起こし、その瞬間、自分の頬が濡れているのを知った。

 新しく熱い液体があふれて伝い、シャツの前にぽたりぽたりと跡を残す。

 片手で前髪をくしゃりとまぜ、不可解な液体をぬぐうこともせず、もそりと立ち上がってぺたぺた歩き始めた。


 裸足のまま〈スフィア〉から出る。早朝の清々しい空気が肺に浸透し、いま自分がここに生きていることを実感する。

 昨夜は湿気が多かったのか、辺り一帯に朝もやが立ち込めていた。

 まるで雲の中を進むように、菜園の通路を抜け、果樹区画へ向かう。

 背丈の揃った木々の前をゆっくりと歩き、瀬名は林檎の木の前で止まると、その場にしゃがみこんで膝を抱えた。

 そして静かに、嗚咽をもらす。


(おとうさん)


 肌寒さを覚え、以前は気にならなかった静けさに圧し潰されそうになる。


(おとうさん。おかあさん)


 彼らは、瀬名がこんな所にひとりきりでいることを知らない。

 百年前に滅びていると言われても、つい最近まで彼らが生きていた記憶が瀬名の中にはある。

 生きている彼らの記憶しか残っていないのだ。


 ――この記憶が何もかも、すべて自分自身のものではなく、とうの昔に死んだ人間の人生のコピーだなんて――


 仮に百年ではなく一年程度しか経っていなかったとしても、彼らの傍にはオリジナルの〈東谷瀬名〉がいて、今ここにいる〝瀬名〟は彼らにとって知らない子でしかない。

 まったく心当たりのない子。自分達の知らない間に勝手につくられていた子。いきなり親呼ばわりをされても困るだろう。

 ならば今、瀬名がこうして泣いていることに果たして意味はあるのか。

 彼らの笑顔を、言葉を思い出し、そのぬくもりを恋しがることに意味はあるのか。


 〝私〟の名前は〝東谷瀬名〟だ。

 一度死んで生まれ変わり、転生前の記憶を損なわずに持っていた。

 どうせ誰にも迷惑はかからないのだから、そういう設定でいい。

 細かいことは気にせず、新たな人生を前向きに楽しんでしまおう。


 そう決めたはずなのに、今さら蒸し返すように胸をえぐってくるこの感覚。


 何故こんな状態になったのか、原因は考えるまでもない。

 愛くるしい小動物に、まんまと情が移ってしまったのだ。

 しかしあの子らはいなくなってしまい、瀬名を襲ったものの正体は、おそらく〝喪失感〟と呼ばれるものだった。

 朝から晩まで一緒にいて、こまごまと面倒を見て、これでもかと可愛がった。

 一緒に食事をとり、森を散歩し、じゃれついてくる子供を構い――頻繁に身体を接触させるようなコミュニケーションなどそうそう取らない、他者との触れ合いが希薄な時代に生まれ育ったはずなのに、そのやり方を〝瀬名〟に教えたのは、間違いなく〝お母さん〟だった。


 ――そんなもの、ずっと忘れたままだったら、きっと今も平気でいられたのに。

 

 叫び出したくなるような感覚を、己の両腕に爪を立ててのみこみ、かわりに新たな嗚咽が吐き出される。

 どうして今、自分は、こんな所にひとりなんだろうと。



 いつしか薄青いもやが白く輝き、幻想的な朝もやの海がすっかり晴れ渡って、太陽が快晴の空の真上に差しかかっても、瀬名はその場から動けなかった。


 その後、どうやら日射病で倒れ、beta(ベータ)に回収されたらしい。




一度はここを通るかな、と……。

鬱展開が長々と続くことはありませんのでご安心ください。

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