34話
暗闇から射し込む薄青い光に促され、瀬名は重い瞼をあけた。
時間の経過とともに眠気は去り、ここがどこだったかを思い出し、徐々にひんやり胸の内側を満たす。
広々としたリクライニングルーム――ホールと呼んでもいいかもしれない。
その中央に置かれたシンプルなベッドマット、適当に敷いた布団の上で、目の前の遠い円天井を見つめた。
目覚めればいつも傍にあったはずのそれらは、もうどこにもない。
「…………」
瀬名はのっそりと身を起こし、その瞬間、自分の頬が濡れているのを知った。
新しく熱い液体があふれて伝い、シャツの前にぽたりぽたりと跡を残す。
片手で前髪をくしゃりとまぜ、不可解な液体をぬぐうこともせず、もそりと立ち上がってぺたぺた歩き始めた。
裸足のまま〈スフィア〉から出る。早朝の清々しい空気が肺に浸透し、いま自分がここに生きていることを実感する。
昨夜は湿気が多かったのか、辺り一帯に朝もやが立ち込めていた。
まるで雲の中を進むように、菜園の通路を抜け、果樹区画へ向かう。
背丈の揃った木々の前をゆっくりと歩き、瀬名は林檎の木の前で止まると、その場にしゃがみこんで膝を抱えた。
そして静かに、嗚咽をもらす。
(おとうさん)
肌寒さを覚え、以前は気にならなかった静けさに圧し潰されそうになる。
(おとうさん。おかあさん)
彼らは、瀬名がこんな所にひとりきりでいることを知らない。
百年前に滅びていると言われても、つい最近まで彼らが生きていた記憶が瀬名の中にはある。
生きている彼らの記憶しか残っていないのだ。
――この記憶が何もかも、すべて自分自身のものではなく、とうの昔に死んだ人間の人生のコピーだなんて――
仮に百年ではなく一年程度しか経っていなかったとしても、彼らの傍にはオリジナルの〈東谷瀬名〉がいて、今ここにいる〝瀬名〟は彼らにとって知らない子でしかない。
まったく心当たりのない子。自分達の知らない間に勝手につくられていた子。いきなり親呼ばわりをされても困るだろう。
ならば今、瀬名がこうして泣いていることに果たして意味はあるのか。
彼らの笑顔を、言葉を思い出し、そのぬくもりを恋しがることに意味はあるのか。
〝私〟の名前は〝東谷瀬名〟だ。
一度死んで生まれ変わり、転生前の記憶を損なわずに持っていた。
どうせ誰にも迷惑はかからないのだから、そういう設定でいい。
細かいことは気にせず、新たな人生を前向きに楽しんでしまおう。
そう決めたはずなのに、今さら蒸し返すように胸をえぐってくるこの感覚。
何故こんな状態になったのか、原因は考えるまでもない。
愛くるしい小動物に、まんまと情が移ってしまったのだ。
しかしあの子らはいなくなってしまい、瀬名を襲ったものの正体は、おそらく〝喪失感〟と呼ばれるものだった。
朝から晩まで一緒にいて、こまごまと面倒を見て、これでもかと可愛がった。
一緒に食事をとり、森を散歩し、じゃれついてくる子供を構い――頻繁に身体を接触させるようなコミュニケーションなどそうそう取らない、他者との触れ合いが希薄な時代に生まれ育ったはずなのに、そのやり方を〝瀬名〟に教えたのは、間違いなく〝お母さん〟だった。
――そんなもの、ずっと忘れたままだったら、きっと今も平気でいられたのに。
叫び出したくなるような感覚を、己の両腕に爪を立ててのみこみ、かわりに新たな嗚咽が吐き出される。
どうして今、自分は、こんな所にひとりなんだろうと。
いつしか薄青いもやが白く輝き、幻想的な朝もやの海がすっかり晴れ渡って、太陽が快晴の空の真上に差しかかっても、瀬名はその場から動けなかった。
その後、どうやら日射病で倒れ、betaに回収されたらしい。
一度はここを通るかな、と……。
鬱展開が長々と続くことはありませんのでご安心ください。




