33話 とりたてて思い出すこともない、ありふれた日
「よっしゃ、もうちょっとで……!」
鬱蒼と生い茂る森の最奥。削りに削った敵の前で双刀を構え、いざ必殺技を放つべくスキルを選択した瞬間だった。
ぽろん、ぽろろん、と嫌に可愛らしい警告音が響く。
「ええええっ!? ここで来るかよお……!?」
タイムリミットゲージを確認すれば、プレイ可能時間が残りわずかになっていた。
エリアボスに突入する手前で確認した時は、もっと時間に余裕があった。これぐらいなら間に合うかと思ったのに……。
「前哨戦モンスターが厄介過ぎるんだよ! ああもう」
相当厄介らしいと噂されてはいたけれど、ここのボス討伐後に確実に入手できるアイテムがとてもおいしそうだったので、何としても手に入れたかったのだ。
事前に徹底的にレベル上げをし、装備やアイテムの準備も万端、万全の状態で挑んだわけだが、あいにく残りプレイ時間だけが少々足りなかった。
というより、余裕があると思っていた時間の大半を消費させられるほど、本番ボスよりも前哨戦モンスターが厄介だったのだ。
同じ株から生えた三つ頭の植物系吸血モンスター。棘の生えた触手がうねうねうねって攻撃を妨害し、捕まると引き剥がすまでライフポイントを吸収され続け、さらにそれぞれの頭から毒・麻痺・混乱・腐食いずれかの状態異常をもたらす噴霧攻撃をしかけてくる。しかも防御力もやたら高く、中途半端な攻撃ではなかなか削れない。
ようやく頭ふたつ潰した直後、残った頭が回復液を噴霧し、すべての頭を復活させてしまった日には心が折れるかと思った。
さすが「もうこいつらがボスでいい」と悪名高い前座詐欺モンスターである。
その直後にボス戦。しかもさほど間を置かずの連戦。
このエリアを担当した開発チームの悪意を感じずにいられない。
「仕方ない。ここでセーブしとかないと強制退避で次回やり直しだし。残念だけど今日はここでやめとくか……」
アイテムの〈記録帳〉を選択すると、ふおん、とメッセージが表示される。
《ここまでの調査結果を記録し、一旦終了しますか? Yes/No》
「いえーす!」
投げやりに叫んだ瞬間、BGMとともにゲームタイトルが表示され、そのままゆっくりとフェードアウトした。
◇
補助脳と仮想現実体感型ゲーム機のリンクが解除され、四肢に現実感が戻ってくる。専用ゴーグルを取り外し、東谷瀬名は「ん~っ!」と猫のように伸びをした。
いくらリクライニングチェアでも、ずっと同じ姿勢でいたらさすがに身体が固まってしまう。
「次回はボス戦の真っ只中でプレイ再開かあ……ミスりそうであんまりしたくないんだけどな」
再開直後は状況の把握までにタイムラグが生じ、攻撃をくらいやすいので、戦闘中のゲーム中断はなるべくしたくない。しかし強制退避になれば、ペナルティとして次回プレイ時に医院やどこかの施設で目覚め、〝戦闘に敗れて大怪我を負っていたが一命を取り留めた〟設定から始めることになってしまう。
つまり、せっかく倒したあの前座詐欺どもを、もう一度最初から排除しなければいけなくなる。
あのモンスターを配置した運営の悪意はともかく、システム自体は嫌がらせではない。ゲーム機を起動すれば毎回必ずメンタルヘルスチェックがあり、その時点での脳波や心拍数その他もろもろの結果に応じて、適したプレイ時間が設定される。
タイムリミットが来ても一向にやめようとしなければ、ゲーム世界からの強制退避。プレイ中に衰弱死したり廃人になったり寝たきりになった洒落にならない前例を踏まえ、今は全ゲームにこういう強制終了システムがあるのだ。
それでものめり込み過ぎて強制終了を繰り返し、何度起動させても《あなたはまだプレイを再開できません》のメッセージに阻まれ、「遊べないゲームを売りつけるな、金を返せ!」と暴れた馬鹿が先日逮捕された。
ああはなりたくない、と多分誰もが思いつつ、ついつい手を伸ばしてしまう。恐ろしいオモチャである。
「っと、やば。そろそろ時間だわ」
のんびりしていたら、待ち合わせ時間が近付いていた。
適当に着替え、適当に化粧を施し、ちょっとマシな見栄えになった全身を確認すると、適当に中身を詰め込んだバッグを肩にかけて部屋を出た。
デート?
そんなわけがなかろう。
◇
待ち合わせていたファミリーレストランに入り、いつものテーブル席に目をやれば、ひらひら手を振る女性の姿があった。
イタリア風の内装の店内は、窓から明るい光が差し込み、柱が店内に影を投げかけ、流れる音楽も雰囲気もとても好みだ。
窓に映る海と陽気な街並みの光景は、ほとんどが晴れ。ごくたまに雨。瀬名は晴れの日が好きだが、たまの雨もいつもと違う雰囲気があって悪くないと思っている。
「ごめん、ちょい遅くなった」
「んー、別にそんな待ってないからいいわよ。またゲームでもしてたの? くれぐれも十八禁はやめてよね?」
「うぐっ」
のっけからとんでもない挨拶を投下され、瀬名は素早く周囲に視線を巡らせた。
幸い昼の手前という中途半端な時間帯のおかげで、周辺の席に客はいない。
「あのね母さん、私ゃ十八禁なんぞやらないから! ていうか人の耳あるとこで冗談でもやめてくれる? 否定しても『あいつそんなのやってんだな』って思われちゃうでしょーが!?」
「大丈夫よ、誰も他人の会話なんて興味ないだろうし」
「あんただって他人がぼそぼそやってたら興味本位で聞き耳立てるでしょ!」
「そーいやそーね。ごめんごめん、あっはっは!」
「ごめんあっはっはじゃねえ……!」
脱力しつつ、気を取り直して注文。
表示させた立体映像パネルをスクロールし、サーモンのクリームパスタセットと、デザートに旬の果物のフルーツタルトを選ぶ。
この時間に来た時は二人とも朝食と昼食を兼ね、しかも好みも似通っている。母親はトマトクリームパスタセット、デザートに旬の果物のアイスクレープを注文した。
ドリンクは二人ともホットコーヒー。
注文パネルを消し、あとはウェイターまたはウェイトレスが料理を運んでくるのを待つだけ。
料理がテーブル脇に設置されたレールを通って運ばれてくる店もあるが、だいたいが安っぽくて味気ないイメージだ。セルフで出来上がった料理を取りに行くフードコートも、二人はあまり好きではない。
こういう雰囲気重視の店ほど、機械より人の手を欲する。オール機械化の店しかないと雇用問題に大打撃なので、人を雇っている店には国から補助金が出るらしい。
このレストランは学生アルバイトが多く雇われていた。爽やかさと初々しさが可愛いと感じてしまうのは、おばさんに突入してしまった証拠だろうか……。
「あんたがやってるのって、ええと、多人数参加型? RPGだっけ。あたしの同僚もハマってるみたいなのよね。休憩時間になると、会話がいっつもその話題よ」
「私は単独型でプレイしてるよ。自分以外のキャラ、みんなAI。なんだってゲームの中でまで人間関係に気い使わなきゃなんないの? っていう人向けのゲーム」
「あんたこそ堂々とぼっち宣言してんじゃないわよ……」
呆れと憐れみのまなざしをこれでもかと向けられたが、放っておいて欲しい。人には向き不向きがあるのだ。
「でもそれだったら、クオリティ下がったりしない?」
「案外そうでもない。大人数が参加した大規模なやつって、サーバの負荷とかプレイヤー個人の機器のスペックとか、色々気にしなきゃいけないことが多いんだってさ。特にレイド戦とか盛り上がるし欠かせないんだけど、プレイヤー個々の制限時間も計算に入れなきゃいけないから大変らしいよ」
運営側としては、より派手で壮大な戦いを演出したいのはやまやまだが、個人差を想定した上で敵を倒し切ってクリアできるようにする必要もあり、そのバランスが非常に難しいようだ。
「単独型はそういう気遣いいらない分、短時間で作り込みやすいんだってさ」
「へー」
まるで興味なさげな相槌が返ってきた。なんとなく「レイド戦って何かしら?」とか思っていそうだ。
以前それも簡単に説明したと思うのだが。大勢のプレイヤーで、ケタ違いにでかい敵を倒す大規模な討伐戦のことだよと……。
まあ、興味のない者にはどうでもいい知識か……。
「よくわかんない世界ね」
「いいの。わたしゃ、古き良き定番ストーリー型RPGが好きなの」
「ふうん?」
彼女はゲームより服や靴や美容にお金をかけたい、女性として正しい健全な女性だった。
食の好みは似通っているのに、それ以外はほとんど似ていない。はっきり言って、〝人種が違う〟というやつであった。
スタイルが良くお洒落でメイクも上手い彼女は、実年齢よりかなり若々しく、並んで歩けば姉妹か友人と間違われる。頑張っても〝そこそこ?〟とハテナマークが付く程度にしかならない瀬名は、今日も上から下まで完璧な装いの母から、そ、と目をそらした。
それはともかく、瀬名は大規模参加型ゲームに興味がなかったわけではない。同じくゲーム好きの友人から再三誘われ、試したことはある。
自由度が高くスケールも大きいので、確かに楽しかった。
ただ、友人と組んで特定のイベントをこなしている間、こちらの都合で中断できないのが徐々に億劫になってきた。それに瀬名がいない間もそのゲーム世界の時間は流れるので、気付けば浦島太郎状態になっていたりする。
ちょっと向いていないかな? と感じ始めた頃、ある致命的な出来事が起こった。
友人に誘われて加入した冒険者パーティがよく利用する〈冒険者ギルド〉、そこにかなりチャラい男がいて、リアルでは普段何をしているのか、学生なのか社会人なのか、どんな勉強あるいは仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、根掘り葉掘り訊かれたのだ。
アバターを双剣使いの女エルフ設定にしたのが、そいつの興味を無駄に惹いたのかもしれない。絶対に答えはしなかったけれど、あまりにしつこいので、気持ち悪くなってとうとうそのゲームをやめた。
瀬名はその世界観にどっぷり浸かりたくてゲームをしているのだ。現実世界のあれこれを臭わせられたら、途端に冷めるのである。
平気な者は平気だろうし、これは個人の楽しみ方の違いだろう。しかしあのチャラ男は論外だ。個人差で片付く問題ではない。
奴の迷惑行為は瀬名以外にも及んでいたらしく、後になって運営から警告をくらったらしいと聞いた。
ざまあ、とは思うが、もう一度やってみようかという気は起きず、そのまま単独プレイ型に回帰したのだった。
◇
料理を食べ終え、デザートに舌鼓を打つ。食事の間は二人ともずっと無言だが、お互い美味しいものに集中していると知っているので、漂う空気は穏やかなものだ。
コーヒーにほっこりしながら、母親が「ところで」と会話を再開させる。
「こないだお父さん家に行ったんだけど、あんたしばらく会ってないんだって? ゲームばっかしてないで、たまにはご飯ぐらい一緒に食べてあげなさいよ」
「し、仕事が忙しかったんだよ」
嘘である。ちょっと前に買ったゲームにハマりまくっているのである。
旧時代の技術で凶暴化した動植物が大陸を覆い尽くす勢いで繁殖し、トラブルでその大陸に流れ着いた船の調査員達が、生き残りをかけてそれらを調査して討伐して調査して討伐して武器を開発して薬品を調合して調査して討伐して……
うむ。反省しよう。ちょっとぐらいは父にも家族サービスしてあげねば。
「ここんとこずっとお誘い断られてるって、しょぼーんってしてたわよ。林檎の鉢植え世話してる背中がもう、哀愁漂って切ないのなんのって」
「ぶはっ」
テーブルの上で枝が折れんばかりに大きくなってきた林檎と、霧吹きでしゅっしゅと土を湿らせている父の姿を想像し、つい吹き出してしまった。
「笑うなんて酷いでしょー? あたしだって我慢したのに」
「や、やめてもう……私、そーゆーの弱い……」
次のランチは父を誘ってみよう。都合がつかなかったとしても、多分お誘い自体を喜ぶはずだ。
しかしあの林檎……熟れてもちゃんと食べられるのか、父よ。
勿体なくて食べられない、なんてことになったら、もっと勿体ないのだが。美味しい品種なのに。
(つうか母さん達、別に離婚しなくてもよかったんじゃないの?)
瀬名の両親は結婚後十年ほどで離婚。その後、交わす会話の大半はモニター越しだった。
子育ては育児ロボット任せの家庭が一般的になり、親子の会話も画面を通して年に数回、それが何の不思議でもない時代だった。
親子の情が希薄な世界で、両親の離婚の原因などさほど気に留めなかった。そもそもが嫌い合って別れたわけではなく、生活スタイルが合わないからというあっさりした理由での円満離婚だった。
引き取られたのは父親側でも、三人一緒にランチやディナーに出かける日もあり、たまに会って気軽にお喋りをする、ごく普通の友人と大差ない関係を築いている。
まあ、それを今さら彼女に言ってみたところで、「そうかも」と相槌を打ちつつ、「でも再婚とか今さら面倒だし」とあっさり言い放ちそうだ。そして父はそれを聞いて苦笑するか肩をすくめるか、いずれにせよ否定はしないだろう。
「もしあんたが結婚するとか言い出したら、もっとしょぼーんってするかもね」
さあ、嫌な話題が来たぞ。
「特に相手はいないの?」
「いないっす」
「ふーん。まあ結婚したけりゃすればいいし、したくなきゃしないでいいんじゃない? いざとなりゃ見合いでも契約結婚でもやりようはあるでしょ」
「待て。見合いはともかく契約結婚てどうなんすか」
「最初にお互いの都合を照らし合わせて一致させて結婚すんだから、ある意味ヘタな見合いより上手くいくんじゃない?」
「…………」
そんなものを娘に提案する母。しかしどうしよう、正論だと思ってしまった。瀬名は己のモラルにちょっと問いかけたくなった。
しかし、問題発言を連発してくれる母だが、意外にも彼女は我が子を自らの手で育てる主義だった。色々いい加減な言動が目に付くけれど、父と離婚するまではかなりまともな――ただし世間的には、「変わり者」と呼ばれるような母親だったと記憶している。
瀬名も、同年代の他の子の親と比較して、うちの母さんちょっと変わってるなあ? と感じることが多々あったものだ。
面倒くさがりなのに、何故か娘のことはよく構おうとした。
他の家の親子はもっと、一定の距離感のようなものがあるのに。
「だっておかしいじゃない? 道具に自分の子の面倒丸投げしてる動物なんて他にいないわよ。おかしいからおかしいって言うと、なんだこいつって反応が返ってくんのよ。あれほんとイラッてさせられたわ。ちっちゃいあんたを毎日抱っこしてると、構い過ぎって呆れられんのよ。あんたの父さんにもたくさん抱っこしてやってよって言うと、疲れてるだのなんだの言って面倒くさがるわ、あたしが用事で出てる間に育児ロボットに押し付けてるわで…」
「お、おう? そんなことあったんだね?」
「あったのよ。――まあ、あたしだって、いつも面倒見られたわけじゃないんだけどね。だって仕事してんだからしょうがないし。忙しい時に育児ロボット頼るのは仕方ないと思うわよ。だからって、ヒマな時まで全部機械任せはどうかっての。機械の子じゃないんだからさ」
「うん。そうっすね」
「うち、ご先祖様の代から自分の子は自分で育てろって主義なのよね。別にそれ、なんにもおかしいことじゃないわよねえ? ナチュラリストとか言って変な目で見てくる奴とかたまにいんのよ。あれ、ほんとわけわかんないわ」
「へえ……」
今になって知る事実。そんなことがあったのか。
ひょっとしたら夫と別れたのは、そういう点で微妙にストレスが溜まっていたせいでもあるのかもしれない。
(父さん相手なら、文句言ってすっきりできたんだろうけど、他人はなあ)
考えてみれば、東谷一家は家族仲が良好だ。離婚しているのに元夫婦間に気まずさは欠片もなく、父も娘を大切にする父親だった。そもそも父がそうなったのは、この母の影響があったからかもしれないと今にして思う。
「父さん、私に結婚して欲しいって思うかな? 思わないかな」
「半々じゃない? 結婚報告されたらショックだけど、いつまで経っても独身だったらそれはそれで心配するってやつじゃないの?」
「パパってママより心が複雑で繊細だよね……今度会ったら優しくしてあげようっと」
「そーしてあげなさい。それはともかく、ちっちゃい子って可愛いわよお! あんたも将来、子づくりしてもしなくても好きにしていいけど、子供できたら可愛がんなさいよね」
「へいへい」
「ヘルスチェック問題ないのにぐずってたら、こんな感じに抱っこして、左胸に頭持ってくるようにしたらいいっぽいわよ。なんか心音が安心するらしいの。母さんの母さんから受け売りなんだけどね~、嘘なんだかほんとなんだか」
「どっちだよ」
突っ込むと、彼女はからからと陽気に笑った。




