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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
森の民
33/316

32話 魔女の森と三兄弟 (3)


 いつも〝魔女〟のそばにいる青い〝小鳥〟が、その日は朝から出かけてた。

 お昼前にはもどったけれど、そのあと〝魔女〟と心の中でしばらく何かお話しをしてて、ぼくらはこの日々に終わりが来たことをさとった。


 とくに何かを説明されたわけじゃない。

 でもわかった。

 だって〝魔女〟の心が、その瞬間から完全に動かなくなってしまったから。

 まるであの〝小鳥〟みたいに。




◆  ◆  ◆




 その日は夕方、まだ明るい時間帯に〝しゃわー〟だけ浴びて、湯ぶねにはつからなかった。せっけんもしゃんぷーもぜんぜん使っていない。

 たぶんだけれど、たぶん、ぼくらがもともと暮らしていたところには、どこにも存在しないものだからだろうな、と思う。


 次の日に、香りがのこらないように。


 不思議な道具で髪をかわかしながら、ていねいに指ですいてもらうのも、たぶん今日で最後。

 ぼくらは〝魔女〟に髪を洗ってもらうのが好きだった。こんなふうに、やさしくふれてもらうのが好きだった。

 だからちゃんと、笑顔でお礼を言って、お別れをしなきゃ……。


 けれど〝魔女〟の心はずっと、石のようにかたまったまま。ぼくらが何を話しかけても、言葉はちゃんと返してくれるけど、心はまったく動かない。

 夕食の〝みーとぱい〟はとてもおいしいはずなのに、味がぜんぜんわからなかった。肉も野菜も味つけの塩も〝でざーと〟も、今夜の食事にはこのお城の菜園で育ててるものをいっさい使ってないのがわかって、なんだか泣きそうになってしまった。

 重い何かのかたまりをのみこむような気分で、おいしいのにごめんなさいアルファ、って心の中であやまりながら、それでもこれがきっと最後だからと、がんばってぜんぶ食べた。


 〝魔女〟は今夜、なぜか食事をとらなくて、ぼくらが食べてる最中に【用事】とひとことつぶやいたきり、どこかへ行ってしまった。


 森の中で太陽が沈むのは早い。

 天井を見あげれば、流れ出る溶岩の空がひろがり、端のほうから群青の海がゆるやかに侵食していく。

 すぐにでも夜が勝利をおさめ、月が中天の玉座にとってかわるだろう。真円を描く月の輝きにおそれをなし、きっと今夜だけ、星のまたたきはずっと息をひそめ続ける。


 胸をぎゅっとつかんで、何かを叫びたくなって、結局どうもできずに立ちつくしていると、エセルとノクトが両脇から抱きついてきた。

 ぼくらはいつも一緒で、仲がよくて、そしてきっと今も同じことを考えている。


 さらわれて、首輪をはめられた。

 さからうと頭がつぶれるように痛くなって、くるしくて息もできなかった。

 食事はほんのちょっとの具が入ったスープだったり、かたいパンの切れはしだったり、ひどいときには何も食べさせてもらえなかった。

 いつもおなかがすいて、ほかの子たちのようにどんどんやせていって、ぼくらはこのまま死んでしまうんだろうかと、いったい何度思ったかわからない。

 どうしてそこにいるのか、ぼくらがどこでどう暮らしていたのか、まるでおぼえてなくて。

 それでもぼくらはずっと、だれかが迎えに来てくれるのを待ち続けていた気がする。

 どこかの地下に何日もとじこめられ、となりの檻の中にいた子が目をあけたままピクリとも動かなくなった日、地獄界(ガヘノス)とはきっとこういうところなんだろうと思った。


 食事係らしい男が、ほかの男たちにひどくなぐられて、かならず日に一回は食事が出るようになった。

 たぶんぼくらが死んでしまったら困るから、そんな理由で。

 ちょっとだけふえた食べものは、ぼくらの命をぎりぎりでつなぎ、でも心はどんどん生きる力をなくしていった。


 けれど想像もできなかったことが起こった。とつぜんあらわれた〝魔女〟が、あっというまにぼくらを助けてくれたんだ。

 そして、あの時あきらめそうになりながら、それでもずっと待ち続けていた本当の迎えが、ようやく来てくれた――というのに――


 なんてことだろう。ぜんぜん喜べないなんて。

 きっとぼくらをさがしてくれていただろう誰かに、ごめんなさいと言いたくなる。

 ひどいことを考えてごめんなさい。人族(ヒュム)の国でぼくらをさがすのは、きっとたいへんだったはずなのに。


【……にいさま!】

【え? ……あ!】


 ノクトがつんつんそでを引っぱり、壁を指さした。

 窓のように外の景色が一部だけうつしだされていて、すっかりうす暗くなっているお庭を、〝魔女〟がどこかへ歩いていくのが見えた。

 ぼくらはいそいで出入り口のあるだろう場所に走っていった。

 けれど、どうやれば出口がひらくのかわからない。とびらの継ぎ目すらどこにもない。いつも〝魔女〟のそばにいれば、とびらが勝手にひらいてくれたんだ。

 このお城の中で、ぼくらが自由にあけられるとびらって、実はひとつもないんだよ。


【アーク! どこかで聞いてる!?】

《【聞いております】》


 どこからともなく、〝小鳥〟のひややかな声が聞こえた。


【おねがいだアーク、とびらをあけて!】

【たのむ、あけてくれ! 外にでたいんだ!】

《【あなたがたの面倒を見るよう、我が(あるじ)から仰せつかっております。迷子になる可能性は看過できませんので、外出を希望される理由をお教えください】》

【迷子になんてならない!】

【ぼくらは〝魔女〟のところにいきたいんだ、早くあけてくれ!】

【おねがい、あけて!】

《…………》

【アーク! やくそくする、ぜったいに〝魔女〟のところ以外にはいかないから!】

【ぼくもやくそくする!】

【きちんと言いつけをまもるよ。あぶないところはぜったいに行かない。だからアーク、おねがいだよ……!】

《【……承知いたしました】》


 ふぉん、と不思議な音がして、すぐ目前に四角い出入り口がひらいた。

 そして足もとに半透明の薄い円陣のようなものがあらわれて、ぼくらをすぅー、と外の地面へと運んでくれた。





 〝魔女〟は菜園のはしっこを出てすぐ、何も植えていない所にいた。

 折れた巨木から新しい芽が出て、苔や草がたくさん生えているすぐ近く、おおきくて平たい石に腰をおろし、枯れ枝を組んで焚き火をしていた。

 ぼくらが駆け寄っても、何も言わない。何も感じていない。ぼくらには気づいているはずなのに、まるで気づいていないみたいな反応に、なんだか泣きたくなった。

 このあたりまで畑を拡張する予定はないのか、手ごろな石がほかにも転がっていたので、ぼくらはめげずに石を椅子にして、焚き火のまわりにすわった。


【ええと……】

「…………」


 夜はどんどん深くなり、このあたりはもうすっかり真っ暗だ。

 大樹にはばまれ、月あかりも届かない。

 ぱちぱちと、はぜる音だけがひびく。


 ぼくらは相手の心の動きがなんとなくわかるけれど、〝魔女〟にはわからない。だからぼくらの思っていることを伝えるには、きっちり言葉にしなきゃならないんだけれど、ぼくらはそれがにがてだった。

 舌たらず、ていうのかな。会話っていうものにぜんぜん慣れてなくて、どうしても言葉がうまく口にできないんだ。

 だってぼくら兄弟は、喋らなくても自分の気持ちが相手に伝わるし、相手の気持ちも自分に伝わると知ってる。おまけに、これまで話すこと自体を首輪に邪魔されてたせいもあって、いざ『話さなきゃ』っていうときに、言葉がなかなか浮かんでこないんだ。

 とりわけエセルとノクトはそうだ。自分たちの状況に違和感をおぼえるようになってから、ますます話しづらくなってしまったみたいだ。ぼくはふたりの〝兄〟だから、なんとなく代表で話す役目になっている。


 でも、困った。どうしよう。

 アークに〝焦り〟だと教えてもらったそれが、じりりと背中をあぶる感覚にせかされ、ぼくはつい、思いついたことをそのまま口にしてしまった。


【なまえ。――名前、どんなふうに書く、の?】


 セナ=トーヤ=レ・ヴィトス。

 ドーミアのお城の人族(ヒュム)たちが、たしかそう呼んでいた。


 ぼくらはこれから、大事なことを思いだすために帰らなきゃならない。

 でもここから離れてしまったら、こんなにやさしくしてくれた〝魔女〟のことすら忘れてしまうかもしれない。

 ぼくはそれが怖かった。絶対に忘れたくなかった。だから確実におぼえておくために、忘れかけてもしっかり思いだせるように、〝魔女〟の名前を書いて、どこかに持っておこうと思いついたんだ。


「――――」


 この日、〝魔女〟がはじめてまっすぐにぼくを見た。

 いつもほとんど表情が動かないのに、目をいっぱいに見ひらいて。



 ――どぉん、と、何かがすさまじい勢いで流れ込んできた。



 まるで心の臓を槍がつらぬいたかのような衝撃。

 見えない手に首をしめあげられ、その苦しさに息を吸うこともできない。


【っ!?】


 これはぼくが感じている(もの)じゃない。

 今まさに、〝魔女〟が感じているものだった。


【あ……】


 どうしよう。ぼくはまた何かを間違えてしまったんだ。しかも二回目なんて、自分をなぐってやりたくなる。

 ぼくらがあわてたり混乱してるあいだに、〝魔女〟はいつもの冷静そうな表情に戻った。

 そして、いっしょうけんめいあやまるための言葉をさがしているぼくらに、ふ、と微笑んで、少しだけ心を穏やかにしてくれた。


 ――ああ、まただ。またこんなふうに気にさせてしまった。


 濁流のような感情は静まり、けれど胸の奥をじくじく炙るような痛みと、のどの息苦しさだけはそのままに、〝魔女〟は火のついていない枝を手に取る。


【私の名前は、とても複雑だよ】


 橙色に照らされた地面を、枝がなめらかに引っかいていく。

 書き終えた頃、いや、書いてる途中からすでに、ぼくらは三人とも目をまるくしていた。



 東 谷 瀬 名



「トウ、ヤ、セ、ナ。――トウヤ、セナ」


 瀬名、だよ。

 ほんのかすかな微笑を唇に浮かべ、〝魔女〟は何かをなつかしむようにささやいた。


【…………】


 これ、ほんとうに文字なんだろうか。たったひとつの文字に対して、あまりの線の多さにあぜんとしながら、書き順を思いだそうとする。正しい順番を辿れる自信がまったくなかった。

 こんな複雑怪奇な文字、今まで一度だって見たこともない。


【…………せな?】

「うん」

【……(トウ)()()()。……瀬名】

「うん」

【瀬名……】

「…………」


 ぼくらはその文字を覗きこんだ。くずさないよう気をつけながら指でなぞった。

 複雑怪奇で、見たことも聞いたこともない文字。この大陸のどこにも、こんな形状の文字は存在しないはずだった。


【――――っ】


 涙があふれた。

 ぼとぼとこぼれて、止められなくなった。


 この広い広い森の中で、〝魔女〟はずっとひとりぼっちなのだと――気づいてしまったから。


 誰も彼女の名前を知らず。

 誰も彼女の名前を呼んでくれない。

 人も鳥も魔獣も魔物も踏み入ることをゆるされない、とても安全でさびしい聖なる森の奥で。

 心の動かないしもべたちと一緒に。


「こらこら。どうしたいきなり……」


 〝魔女〟があきれたように呟いて、くしゃ、と頭をなでてくれた。

 ああ、そうだ。時おり〝魔女〟が口にするこの言葉。

 あの人族(ヒュム)の騎士たちとの会話で耳にしていたものと、発音が違うじゃないか。

 彼らともまったく違う言葉なんだ。

 たまらなくなって、抱きついた。

 しがみついた、って言うほうが正しいかもしれない。


【瀬名……】

「はいよ?」


 エセルとノクトの手が当たった。ぎゅっと瞼を閉じたから見えないけれど、ほんとうにぼくらは気の合う兄弟だなと、こんな時なのにちょっとだけおかしくなった。

 しゃくりあげる子供に、彼女はとてもやさしい。髪をなでてくれたり、背をぽんぽん叩いてくれたりして、すこしだけ涙が止まった。

 ああ、ぼくはいつもこんなにも、たくさん満たしてもらえるのに――


 ――わたしはいつもこんなふうに、しがみつくことしかできないのか。


 わたしのこんな小さな手では、あなたを抱きしめることもできない。

 あなたを支えて力になることも、満足に守ることもできない。

 今もあなたが与えてくれているような、すべての不安を取り除き、包み込む安心感を、どうしてわたしはあなたに与えることができないのか。



【瀬名】

「ん?」

【わたしは、……かならず、あなたに、また、会いにくる】

【そうか】


 信じていない。

 どうせ忘れるだろう。彼女はそう思っている。しゃくりあげながら宣言する幼児に微笑ましい気分で合わせてやりつつ、しょせん子供の口約束など本気にしていない。

 興味の対象がうつろいやすく、その時は真剣でも、真剣だったこと自体をあっさりと忘れてしまう。だから(はな)から期待する必要はない――おそらく彼女はそう思っている。


【瀬名。わたしは、……わたしたちは、あなたに、嘘なんてつかない】

【そうか】

【約束する。かならず、会いにくるよ。そうしたら、ずっと、そばにいるよ】

【そうか】

【嘘じゃない。わたしたちがずっと、一緒にいる】

【皆で瀬名をまもる。絶対だ。約束する】

【そうしたら、今度はわたしたちがぎゅっとして、あったかくしてあげる。約束だよ】

「……はいはい。じゃあ〝約束〟ね」


 まったく信じていない。

 でも構わない。

 わたしは――わたし達は、いまだ自分のことすら、ろくにわからないのだ。

 記憶もなく、その記憶も今すぐには思い出してはならないという、厄介で曖昧な状況にありながら、相手に自分達のことを信用しろと要求するのは筋違いだ。


 だからたとえあなたが信じてくれなくても、わたし達は決してこの約束を破らない。

 破らないことであなたに示そう。

 そしてもう一度約束をする。

 あなたが与えてくれたすべてを、今度はわたし達があなたに――




◆  ◆  ◆




 その夜はもう一度湯を浴びて、顔を洗い、手足の土汚れを落とした。

 そしていつものように同じ寝床で、皆でくっついて眠った。

 この時間をもっと味わっていたいと惜しみながら、軽く手ざわりの良い布にくるまれれば、急速に睡魔が訪れてしまった。


 翌朝、まだ完全に太陽の昇りきらない時刻。ドーミアのパンと腸詰肉、ふんわり焼いた卵の朝食をとった後、いつもと違う着替えを渡された。

 この森に来る前、一時的に滞在していたドーミアの城で借りた服だ。

 おそらく貴族用の幼児服。質の良さは袖を通したときの肌触りでわかる。

 そして、やわらかい革の靴をはかせてもらった。


【その小鳥についていきなさい】


 行けばわかる。

 彼女はそれだけを言い残し、真珠の城の中に戻って行った。

 今朝、起きてから最初の、そして最後の言葉。

 出入り口は消え、もう誰も彼女に手を伸ばせない。


 それが別れ。

 

 わたし達自身、ひとことも声を発さなかった。

 謝罪も、礼も、結局なにひとつ伝えられていない。

 けれどそれでいいと思った。これからわたし達は、必要なことを成すために――これで終わりにしないために戻る。

 わたし達にあるのは決意であり、悲しみではなかった。

 羽ばたく青い小鳥に導かれ、目覚めて間もない森の中を進んだ。

 静謐な薄明かりの底に沈む黎明の森。

 いつかわたし達は――必ず。


《【そのまま真っ直ぐに進みなさい】》


 やがてそう言い残し、小鳥はもと来た方向へ戻っていった。

 彼女はどうしているのだろうと、ふと気になったが、振り払って前へ歩き続けた。

 そして森の出口で、わたし達は思いがけない相手と再会を果たす。


【あ……】

【……っ!】


 黒に近い紺色の、くせのない真っ直ぐな髪が風に揺れ、徐々に明るさを増してゆく陽射しに透けて輝いていた。

 翡翠の双眸は、毎朝鏡の中に見ていた己のそれとよく似ている。

 わたし達の姿を認め、その相手は愕然とし、次いで溢れんばかりの歓喜を浮かべた。


【おまえ達……!】


 広げる腕に、迷わず駆け寄って飛び込んでいた。

 相手から伝わる、己への信頼と愛情。そしてこちらから相手へ感じているそれも、伝わらないはずがなかった。


 ――父上。


 わたし達は、あなたに話したいことが、たくさんある。




読んでいただいてありがとうございます。

瀬名の時代なら風呂あがりに全身を短時間で乾かす装置普通にありそうだなと思いつつ、肌の保湿によくなかったり乾くまで息止めなきゃならないとしたら、あっても結局使わないかな、とも思います。

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