314話 (3)
長めです。
次話でラストになると思います。
「気を遣わせてしまったな」
「…………」
「このまま戻ってもグレン達に怒られてしまいそうだし、せっかくだ。そのあたりを散歩でもしよう」
シェルローヴェンが苦笑気味に提案した。
確かに、この機会をふいにしたとなれば、後でしこたま怒られるかもしれない。瀬名がやや緊張気味に頷けば、相手の顔にはすぐにいつも通りの笑みが浮かんだ。
(あれ? そんなに緊張することなかった?)
互いの間に穏やかな空気が流れ、瀬名はほっとしたような、肩透かしをくらったような複雑な気分になる。
「手を出してくれ」
「?」
言われた通りに片手を出してみれば、彼は反対の手をそれに添えてきた。
瀬名は相変わらず、他人との接触が得意ではない。どきりと跳ねた心臓をもてあまし、これは一生改善できそうにないなと、あきらめ半分に思った。
そのまま握りこまれ、強くも弱くもない力で引っ張られてゆく。
「ん?」
「見せたいものがある」
「見せたいもの?」
あれ? 何かを渡そうとしてたんじゃなくて?
瀬名は首を傾げ、時間差で気付いた。
今、自分達は、手を繋いでいる。
(ちょ――っっと待てええ!? 『手を出して』って言われたら普通、その場で何か渡したいものがあるのかな? って思うだろおお!?)
騙された。苦情を申し立てたい。
しかし目の前の背中は、ちくちく刺さる抗議の視線にもどこ吹く風だ。
この男は天然ではない。計算高いのだ。往生際の悪い瀬名が〝逃げ〟の体勢を取るであろうと見越し、逃亡を意識させない持って行き方を実行したのである。
(くっ、やむをえん。己の学習能力のなさが敗因だ。手繋ぎなど今回が初めてではないのだし、まさか明日までにぎにぎしてるわけでもあるまい。今宵だけこの緊張に耐えればいいのだ、耐えよ自分。……しかし世のパートナーの皆さん、どうして平気でイチャコラ手ぇ繋いでられるんだろ? これってほんとに慣れるもの? 他人の皮膚が自分に接触してるんだよ、今どき中坊だって手繋ぎ程度でいちいち何も驚きゃしないとか、それ見栄とか痩せ我慢入ってない? そこまでの境地に達するのにどんだけ経験積みゃあいいんだ……?)
青年は夜の森を黙々と進んでゆく。
あ、これ逃げられないやつだ。悟った瀬名は心の平穏のために、ひんやり清浄な緑の芳香を吸い込んだ。
そちらへ意識を集中させたのが功を奏したか、ぎくしゃく半石化していた身体のこわばりは徐々にとけていく。
見上げれば星明かりと月明かりは遠い天上にあり、濃い常緑の岸に囲まれ、水底に揺蕩う鉱石のようだった。
足もとに目をやれば濃厚な闇が沈殿し、地面と間隙との区別がつかない。瀬名は夜目がきくようになってからも、灯火なしで夜の森をうろつくのは躊躇する。頭の中に刻み込まれた魔導式には、魔素を色づけして可視化させる裏技もあるが、力に満ちた場所でそれをやると、色の奔流に溺れて余計に動けなくなる。
なのにどうして今夜は微塵の恐れもなく、さくさく歩けているんだろう。
何ら不思議に思うことではなかった。
シェルローヴェンが闇の中で淡く光っているからだ。目が痛みを覚える強さではなく、ほんのり心地良い明るさだ。
実際には特殊な魔力反応を周りの人間が〝光〟と認識しているだけで、普通の光とは違い反射もせず、周囲を照らしてはいない。もし鏡がここにあれば、真っ暗闇しか映さない鏡を不気味に思うだろう。
錯覚の一種であろうと、明るいものが近くにある、それ自体がもたらす安心感は思いのほか強い。
しかも彼は闇に閉ざされた中でも、地形や障害物の有無がわかる。彼が迷いなく前を歩いているから、瀬名は自分の足もとをまったく気にしなくてよかった。
とりとめもなくつらつら考えていたら、前方に蛍火のようなものが見え隠れして、瀬名は目を瞬かせた。それこそ錯覚かと思いきや、そうではない。
次第に増える蛍火を背景に、黒い切り絵のごとき雑木の枝葉が行く手を遮り、青年が軽く手を振れば、意思を持った生物のようにかさささ、と脇へ寄った。
「! ……うわー、なにこれ? こんな植物、この森にあったっけ?」
見事な花畑があった。蛍火に見えていたのは、これらの花弁だった。
地下神殿の、神秘を通り越して不吉な大花畑とは、受ける印象が真逆だった。どちらも幻想的な光景に違いないが、あちらが陰鬱な墓所のひややかさを漂わせていたのに対し、こちらは陽輝石の輝きに似ている。他者の生命を吸い取るおぞましさもなく、むしろ与えるほうだと感じた。
「ウェルランディアの森に咲いている花だ。夜光花という」
「夜光花……ひょっとして持ち込んだの? いつのまに」
「この森に移住してすぐの頃だな。無事に根付いて、光を発するようになったのはつい最近だ。気に入ったか?」
「めっちゃくちゃツボです! こういうの好きだわ~」
「よかった。もし好みから外れていたら、とんだ間抜けになるところだった」
「ん?」
「あなたが喜ぶだろうと想像して、ここに持ってきた。見ての通り灯火になるし、さまざまな解毒の調合薬にもなる」
眺めて楽しむもよし、調合に使うも自由。
そんな花を、どうやら瀬名への贈り物にと植えたらしい。
「…………」
人生初、花束ならぬ花畑を贈られてしまった。
こういう時はどう反応すればいい。どんな言葉を返せばいい? 経験値が底辺の瀬名に難問が降りかかった。
「反応に困るなら、無理に反応せずともいいぞ? わたしは気にならん」
「だから人の心を読むんじゃありません! 人はこういう時、何らかの反応をしなきゃ落ち着かないのだよ。そして私はこういうのに不向きな人種なんだ文句あるか! ……お礼を言うのも何か違う気がするし、どうしよう」
「こんな植物は好きなのだろう?」
「うん」
「ならば思うがままに愛で、愉しんでくれればそれでいい。喜びを伝えるのに、我々に対して言葉は不要だ」
シェルローヴェンは夜光花の群れに視線を移した。その横顔は満ち足りて穏やかだった。
彼自身もこの花を気に入っていた。自慢の故郷を象徴する花だからだ。瀬名がこれに心をうきうき踊らせているのは明白で、それが彼に喜びをもたらしていた。
しかし瀬名は、シェルローヴェンの答えに満足できなかったらしい。こういう無意味に頑固なところは、やはり人族なのだなと彼は思う。
この人は本当に人族なのだろうか? もっと別の生き物ではないのか? シェルローヴェンをはじめ、精霊族の兄弟達は、今まで何度もそんな疑問を抱いてきた。
彼女の過去を知る機会を得てほとんどは氷塊したものの、互いの知識の差異がより存在感を増す結果にもなり、できるだけそれを埋めるべく、こっそりARKにいろいろ尋ねていた。傷を抉る結果になるのを恐れ、瀬名にはあまり訊けなかった。
瀬名は滅びた遠い世界の人族だったらしい。崩壊の原因はARKでさえ特定できなかったそうだ。
少なくとも、山と開発された凶悪な兵器ではなかった。【邪神】や【魔王】は空想の産物に過ぎず、【怪物】とは人族が何らかの方法で生み出すものがそれに該当した。限度を超えた環境汚染か、太陽活動の異変か、とにかく世界そのものが住めない状態になってしまったそうだ。
発展していた人族の国々は、灼熱地獄と化す前に自分達を楽園に隔離しており、しばらくは平和だった。その時はいつか訪れると囁かれながら、何故か誰もが「そんな時はこない」と信じ切っており、ある日容赦なく「いつか」の無慈悲な手が振りかざされた。まさにその瞬間を、シェルローヴェンは瀬名とともに視たのだった。
この世界にいる人族と瀬名の違いは、魔力の有無や身体能力だけではない。特異な思考回路、発想力、何より自分達との間に強固に築かれていた〝壁〟。
彼はようやく、その正体を理解した。
「あなたはずっと、〝ドーム〟の中にいたのだな」
ひゅ、と瀬名の喉が鳴った。
それを耳に捉え、シェルローヴェンの顔から笑みが消える。
ゆっくり振り向いて、怯えさせないように、あるいは警戒心を呼び起こさないように、彼は瀬名に歩み寄った。
◇
何故か瀬名はシェルローヴェンの腕の中におさまっていた。
――即座に「うぎゃおおおおおう!?」と正気に戻るのが、瀬名という残念人間の特徴である。
ぬくい、いい香り、安定感抜群、そのすべてが心臓を直撃。腰から背中にかけて回された両腕は、息苦しくないのに外そうとしても外れない絶妙にもほどがある力加減だ。
やめろ私は壊れ物じゃねえんだ! と叫びたいのに、はくはく口が鯉になるだけで、まったく声が出ない。
(やばい。腕かたい。ていうか腕の位置、位置が危険! もうちょっと上にずらせ、ってうおおおう動かすな抱き直すんじゃねえええッ!!)
これ多分、心臓だけじゃなく脳もやられるのでは? 全身の血が一気に首から上へ集中する感覚に、瀬名は本気で危機感を覚えた。赤面を通り越し、真面目に血管が切れるかもしれない恐怖。
追い打ちをかけるように、くつりと喉を鳴らす音が響いた。
「月並みな台詞だが、……嫌なら吹き飛ばせばいい。できるだろう?」
――っっひいいィ!! 耳に吹き込むなああああッ!!
全身の皮膚がざわりと逆立ち、ぶわっと汗が浮いて、声なき絶叫をはり上げた。
ついでに、多幸感を得られるおくすりを飲み過ぎた危ない人のように、ぷるぷる震えだした。
(あ、やばいこれ、マジで脳にやばい!? うなれ我が補助脳、秘められし情報処理速度を全速全開に、いや待てしないほうがいいのか? むしろ緊急停止したほうが!?)
おかしい。何故いきなりこんな状況に。
大混乱から抜け出せない瀬名を見おろし、男の唇に会心の笑みがのぼった。
(やはりわたしの〝声〟もお気に入りか。悪くない効果だ)
今後も遠慮なく使おう。もちろん彼は確信犯であった。
「あなたは存外、隙が多い。なるべく気を付けてくれ」
「そっ、なんっ、あああアホかあ!? 世界、広しといえど、そん、奇特な!?」
「敵と認識した相手には確かに容赦がないのだろうよ。だが事実として、あなたは平和主義だ。敵認定していない相手には、良くも悪くも甘い。だからまんまと、こういう事態に陥るのだ」
「いいい異議ありッ!! そっ、そんな奴――」
「わたし以外にそうそういるものかと? では訊くが、自分が今、どういう姿なのか自覚しているか?」
ノリにノった精霊族の美女有志によって仕立て上げられた、見るからに闇属性の妖艶魔女であった。
今の瀬名の姿は、確実に普段の格好より、世の男の趣味嗜好へヒットする確率が高くなっている。
(しまったこのドレス防御力がない!?)
幻想的な花々を前に、雰囲気もたっぷりばっちりである。瀬名の中で、己が崖っぷちに立たされている実感がようやく追いついてきた。
「わ、わかった、わかったから、はなしあおう。はなせばわかる、うん。れいせいに、そう、れいせいになるんだ、だから――」
「そうだな、ちゃんと話そう。このままでな」
いや、とりあえずこの拘束は外してくれ。瀬名は本気で泣きを入れそうになるが、シェルローヴェンは素知らぬ顔で続けた。
「初めてあなたに出会った時、我々兄弟は幼い子供に変えられていた。ろくな記憶もなく、せいぜいが己の愛称と、だいたい三歳程度の年齢であることぐらいしかわからなかった」
「あ? う、うん? そ、そんなこともあった、ね……?」
「不安の中にいるわずか三歳の幼児にとって、あなたは己を救った絶対者であり、強烈に心にやきついた。そんな相手から、とても大切にされた。慈しまれ、可愛がられた。何度も頭を撫でてもらい、抱きしめてもらい、ともに食事をして、夜はともに眠った」
「ああ、うん。ちびっこはかわいい、よ?」
何故いきなり、そんな昔話を?
不可解そうな相槌に、青年はくすりと笑みをこぼした。腕の中の身体がびくりと震え、その反応が実に愉しいような、困るような。
自覚があるのかないのか、この魔女は容赦さえしなければ、いくらでも彼を殺すことができた。そんな強い存在が、防御力皆無に等しい姿で、無抵抗で腕の中におさまっている。
それが相手に優越感を与え、「待て」のきかない獣にするのだと、彼女はそろそろ理解してくれるだろうか。
「ほんの数ヶ月。幼児にとってはとても長い月日をともに過ごしながら、わたし達は気付いてしまった。――あなたは途方もなく遠いところにいた。目の前にいるのに、どんなに手を伸ばしても、どんなに触れ合っても、わたし達の間は常に奇妙な膜で隔てられていた。それが何だったのか、確信に近いものを得たのは、初めてあなたの〝名〟を知った時だった」
――東谷瀬名。
この世界のどこにもない文字で綴られた名前。
「あなたはいったいどこから来て、どうしてここに独りなのだろう? どうしてわたしの手はこんなに小さく、あなたがわたしにしてくれたように、抱きしめて安心させてあげることができないのか。あなたは見上げるほど大きかった。わたしが両手で抱えねばならない木の実を、いともたやすく片手でもいでしまう。そうして時々、どこか知らない遠くへ意識が持って行かれていた。そういったすべてがずっと悔しくて、不甲斐ない己に腹が立ってたまらなかった。そんな想いを抱えたまま、わたしの時は二百年が経過した」
現実には、解呪に成功して元の年齢に戻るまで、ほんの何ヶ月かだった。
けれど彼自身の実感は薄い。
「あなたに再会できた日は、嬉しくてたまらなかった。子供の頃からずっと心に残っていた望みを、これでようやく叶えられる。自分にはそれができるようになったのだと」
「そ、……れは、あんた……」
「刷り込み。自己暗示。錯覚。そう言いたいのだろう?」
「うっ」
「それがどうした? 意に沿わねば抵抗するだけだ。我々がそういう気性だと、あなたもよく知っているだろう? 瀬名の守護者でありたいと、わたし自身がそれを望んだ。これがわたしの意思ではないなどと、何者にも言わせはしない」
瀬名ははっと胸を突かれ、顔を上げた。翡翠の双眸は濁りなく、迷いがなかった。
「ちなみにわたしには、あなたがひどく脆くて、ほっそりと弱い生き物に見える。あなたの比類なき強さは疑うべくもない。身体を鍛え精神を鍛え、この世の膨大な知識を、日々自分のものにし続けている。神々との〝約束事〟も加わって、ますますあなたに敵はいなくなった。百も承知だが、一方であなたが寂しくないように守ってやらねばと、使命感にかられる。確かに、わたしの目も頭もおかしくなってしまったのだろうよ。治す気も起きないがな」
「え、あ、う……」
瀬名は落ち着かなげにもぞり、と身じろいだ。
どうやら、そろそろ、いい加減、ようやく、そういう事象と己を結びつけられるようになってきたらしい――口説かれている、と。
「厳然と壁に隔てられている感覚の理由も判ってすっきりした。あなたはずっと、〝ドーム〟の中から我々を見ていたのだな。あなたを守る聖域の内部に、決して何ぴとも踏み入らせなかった。この世界にいながら、あなただけが別の世界にいた」
「……お、……怒ってる……?」
「それに関しては、別に。わたしが怒りを覚えるのは別件だ。――ARK・Ⅲと心中するつもりだったろう。幻の中の彼女が何度でも選択したように、この世界から後腐れなく、自分達を処分するつもりだったか」
ひえっ、と瀬名は小さく悲鳴をあげた。
やはりな、と青年が目を細めた。
(危険!! 危険!! 緊急警報!! おねがい退避させてえええぇっ!!)
凄まじい勢いでがなり立てる心の警報。今回ばかりは「あーくさん何とかしてよおおう!!」が使えない。
この森はARK・Ⅲの完全監視下にあり、どうせこれもしっかり見物されているはずだが、ここで助けを求めちゃいけないと判断する程度の理解力は芽生えていた。
それなのに、衣装の心許なさよ。布は薄くて弱いし、足もとがすうすう。何故この格好のままノコノコついて来たんだと、後悔しても後の祭り。
燃えたつ翠の恐ろしさに、瀬名の喉がごくりと鳴った。ほんのひとつ対処を誤れば、この炎は一気に瀬名を呑みつくす、そんな予感があった。
(や、やばい、どうしよう!? えーと、えーとえーと、あっそうだ!!)
ぽんと閃いた。
「寿命!! そう寿命!! 多分とても大事なことだと思うんだ!! もうちょっとよく考えたほうがいいっていうか!?」
「……忘れていたのなら、さして重大事でもないのでは?」
「い、いやそんなことはないと思うよ!? 身内の方々とかさ、ほら、やっぱり人族相手だと気になるんじゃないかな!?」
今さら? と首をかしげる青年に、必死で瀬名は食い下がってみた。
実のところ、瀬名は双方の寿命差について、さほど意識したためしがない。寿命差があるならあるで、それに応じた付き合い方をすればいいと思っていた。
昔の〝将来の夢〟は、マンションの縁側風の一角で、猫を膝にのっけてぬくぬくお茶を飲む日々。老いることに抵抗がなく、いい感じに歳を重ねていい感じのお婆ちゃんになりたいとすら思っていた。もしそこに見た目二十代ぐらいの三兄弟が訪ねて来ても、「元気でやっとるかね~ほぇほぇほぇ♪」とおやつを出してやりつつ、まったり世間話に興じている自信がある。
(だからって、いくら私が気にしなくても、相手のほうは違うでしょ。私が精霊族より早く老いる現実をもしこいつが目の当たりにして、失敗したなと吐き捨て……たりはしないな? あれ? 全然しそうにないな? 私が人生謳歌して、いい感じのお婆ちゃんになってたら、こいつも平然としてそうな気が?)
シェルローヴェンが瀬名の扱いを学ぶレベルには及ばないものの、瀬名もまた彼に対する理解が昔より深まっている。それだけに、苦し紛れに発した寿命問題が、唐突に薄っぺらくなってしまった。
とても大事なことだ、そのはずだ。なのに早々と前向きな結論が出てしまった。結論が早すぎだ。もっといろいろ、考えねばならない問題があるはずだ。
ところで、彼は感情を読めても、本当に心は読めなかった。瀬名がさっさと自力解決してしまい、その結論の粗を必死で探している最中とも知らず、憐憫と呆れをたっぷりこめた苦笑をこぼした。
「とうにアスファが解決した。悩む必要はない」
「……はい?」
瀬名はがきりと固まった。
アスファが解決? いつ? 心当たりが瞬時によぎる。
「もしや、字面からしてやばい臭いのぷんぷんするあの術?」
「その術だ」
シェルローヴェンはにっこりと笑んだ。
「だから、まったく問題はない」
◆ ◆ ◆
「神様方にお尋ねします。ご存知かもしれませんが、とあるアスファ君という少年が、私とシェルロー氏に【魂魄連結】とゆー、非常にやべー術をかけたっきりなのです。これ神様方には」
【解けん】
【あきらめよ】
瀬名はテーブルに突っ伏し、空になったカップとソーサーがかちゃりと音を立てた。
「やっぱりか……やっぱりだめか……!」
【ウォルドから聞いていよう? それはかけた半神以外には解けぬ】
【加えて、解除できるのはせいぜい二日以内だ。それを過ぎれば繋がりが強固に馴染み、強引に切り離そうとすれば双方の魂が損傷する。死か発狂か、ろくな末路にはならん】
最後の希望が崩れ去った。
【魂魄連結】とは、要するにどういう術なのか?
メリットは、片方が元気健康であれば、片方がいくら死に瀕していようと、ぎりぎりライフポイント1が残った状態で生き延びられる。ゼロにはならない。
デメリットは――――寿命の調節。
術を解かないままに時間が経過してしまうと、二人の残り寿命が、足して割った年数になってしまうらしい。
『おおよそ二百年ぐらいだな。それだけ残っていれば充分だろう』
シェルロー氏はあっさり言ってのけた。
瀬名も反射的にそうだね、と頷きかけ、我に返って「充分すぎるわ!!」と自棄まじりに突っ込んだものだ。
数少ない説得ポイントは完全に消滅した。もとより説得不可能な香り漂うポイントであったが。
(シェルロー君のおかーさまに、なんてお詫び申し上げたら……!?)
未だにお目にかかったことはないが――なかったはずだ――手土産を用意してご挨拶に伺わねばなるまい。かくかくしかじかで、宅の大事なご子息様を、まことに申し訳ございませんでした、と……。
(でも何でだ。訪問自体にとてつもない罠が潜んでいそうな気がする。避けては通れないのに、避けなきゃ退路が塞がれそうな。いやでも、こっちの不注意で息子の寿命縮めてんだから、挨拶ナシってのはないよなあ)
うんうんうなる瀬名を、神々は興味深げに眺めていた。
神々の表情はあまり大きく変わらない。精神生命体になる前、肉体のある頃は違っていた。今の彼らは語りかける時、よく見れば唇が動いていない。彼らの〝声〟は直接相手の頭の中に響く。
表層意識であれば、心の声をある程度は聴き取れる。ただし、心に強固な壁を築いている者については、読もうと意識しなければそうそう読めない。意識すれば読めるけれど、不躾に読んではいけないというのが彼らのマナーだった。
瀬名の心に至っては完全に読めなかった。小鳥のような何かのガードに加え、この世界の知識にはなかった補助脳の存在、異なる外の文明から訪れた人間の精神構造の違い、原因はさまざまだ。
高レベルか低レベルかを論じる以前に、前提の知識が大幅に違っていると、手も足も出ないことがある。こういう相手に対しては、感情に敏感なエンパスのほうが、時に多くの情報を得られた。
瀬名がこの世界にとって敵ではないことは理解できつつも、要するに何者なのかを、彼らには知るすべがずっとなかった。
ゆえに、たまに好奇心が先走ってしまうのは、無理もないことなのかもしれない。
【して。あの男とは、その後どうなったのだ?】
「――きくなあああああッ!!」




