309話 救われたのはどちらだったか
誤字脱字報告師様、ありがとうございます。本当に助かります。
自分で読み返しても、無意識に読み飛ばして気付けないんですよね。
黒衣の者の見上げている方向を割り出し、やはり空の中、ほぼズレのない特定の一点を見つめていると判明して、俄然勢いづいた。
そして〝導の珠〟が完成した。指定した方角へひたすらに進み、その道のりを記録して、一定以上の知恵ある者――それが〝航行記録〟であると理解できる者――が触れれば、その記録を見ることができるようにした。あの〈白い船〉を建造する文明の者ならば、難なく条件に合致するはずだ。
最大の課題は、この世界に引き寄せる理の力から逃れることだった。神々はこの地に足をつけて以来、浮遊能力を失って久しい。鳥や煙、形無きものであれば飛んだり浮かんだりも可能であったが、それ以外の物体や生物は飛べない。そういう法則が働いているのだ。
これは存在力に作用しており、神々でさえそこに存在する以上は逆らえない。空間転移や、上昇気流を受け止めて下降速度を抑えたり、物質化した神気や結界を工夫して、自らの身体を空間に固定することなどは可能だった。ゆえに多少不便になりはしたものの、困るほどではなかった。今までは。
そこで、地下空間をめいっぱい使い、加速器を造った。一周何十キロにもなる巨大な軌道を、徐々に加速しながら何百、何千、何万回転も回り、出せる限界の速度に達した瞬間、飛ばせる最大限の遠い空間まで転移させた。このぐらい小さな存在力の物体であれば、理の力の範囲外まで行けるはずだった。
試みはうまくいった。あとは〝導の珠〟が、無事に果てへ辿り着くことを願うのみである。
そして、疑似太陽と疑似月を打ち上げた。上空に達すれば、適切な距離を保ったまま空間に固定させねばならないので、むしろこちらのほうが難易度は高かった。
世界が落ち着いたのを見計らい、まず聖霊族が地上に出た。彼らは大陸の各地に散らばり、森を蘇らせ、精霊族と名乗るようになった。
それから、神々の血を引いた血族と、創造した幾つかの種族、精霊族以外でもとから存在していた種族が、少しずつ地上へ移り住んだ。その際、地下に保存していた作物の種や家畜のつがいも持って行った。
忠実な人族の一部は神官として地下に残り、鉱山族の一部がその護衛を担った。
未来の様子をその後もずっと注視していたが、千年ほど経過してもまったく変化が現われなかった。それだけ時が流れると、本来は地下に向いていなかった種族の変質が始まってしまう。
そうなる前に、神々はその部屋からしもべ達を解放し、完全に閉ざした。何かあった時の連絡役としての役目と、いざという時の切り札用に改良した〝種〟を育てる役目を与え、正しい知識を継承していくように命じた。
たとえその末に歪んでしまうとしても、しばらくは忠実でいるだろう。
◆ ◆ ◆
いつの間に地上へ戻ったのか、久々に味わう娑婆の陽射しに溜め息が出そうだった。
――いや待て、と理性が水を差してくる。
ここは地下だ。似たようなものを、だいぶ以前にも見たことがあった。
植物や雲を模した透かし彫りの天井。そこから、木漏れ日のように優しく、眩しい光がこぼれて落ちている。
(太陽、じゃねえな)
(これは、前にも……)
瀬名と同じぬか喜びを抱き、すぐに落胆した者がほかにも何名かいた。
「……〈祭壇〉か」
《はい》
見えない場所にも膨大に描かれ、組み込まれた魔導式。ここに存在する魔導理論の大半を、管理権限の一部をのっとったARK・Ⅲでさえ読み解けない。
木漏れ日のような安堵をもたらす、あたたかみのあるあの光こそが〝竜脈〟のエネルギー。ここまで来れば〝招待主〟が姿を顕現させるかと思いきや、相変わらずそこにいるのは瀬名と仲間達の姿だけだった。
《加速器を含め、当時のシステムのほとんどが崩壊し、もう使い物になりません。現在も使えるのはごく一部、転移装置や例の花畑周辺ぐらいのようです。放置していても、あと二~三千年もすれば自然にこの遺跡ごと潰れて消えるでしょう》
「長ッ! まさか、だから放っておこうよ、なんて言わないよね?」
《言いません。こちらの方々は、当初は自然消滅に任せる方針だったらしいですが、ちゃんと約束通り、早急に片付けるそうです》
「それ聞いて安心したわ」
《ちなみに存在力や理の力は、不便なこともあれば有益な点もあります。あの太陽と月は、万の歳月を経て馴染み、この星に理の力で固定されました。ですので、この星の寿命が来るまでは存在し続け、故障も墜落もありません》
「それ、今日聞いた中で一番いいニュースだわ!」
思わずにっこりしてしまう瀬名だった。
いや、本気で安堵した。
なんとなくこの場所にネガティブなイメージばかり先行していたが、多少は上方修正してもいいかもしれない。
少なくとも、教団が邪神教に変貌するまでは、この大神殿の遺跡も、あの花畑も正しく活用されていたのだ。大昔の勇者に力を貸した賢者の中には、ここを守る者も少なからず含まれていただろうし。
「……なーなー。加速器って何? どんなの?」
聞かぬは一生の恥とばかりに、アスファ少年が勇気を出して質問を口にした。
ただし、いつもながらに問いを投げかけた相手がよくない。
「知らんぷい」
「俺も知らね」
「……すまん、わからん」
「そ、そっかー」
少年は笑顔になった。わからないのが自分だけではないと知り、あからさまにホッとしている。
質問した相手が悪いと突っ込む者はいなかった。疑似太陽だの疑似月だの、誰も深く知りたくはなかったので。
そもそも、本当に教えてもらいたければ、理解できそうな相手に質問すればいいだけなのである。そこを外した時点で、アスファ少年は単に同類が欲しかっただけというのがバレバレであった。
「これは何だろう?」
「鍔の広い帽子を上下にくっつけたみたいですね」
「…………」
心地良さをもたらす明るい広間の中央に、巨大な土星の模型を彷彿とさせる物体が鎮座していた。弟二人がそれぞれ不思議そうに感想をもらし、長兄は何かを感じたか、瀬名に目を向ける。
視線を受けて、瀬名は小鳥に尋ねた。
「ARKさん、これは?」
《時間跳躍機、いわゆるタイムマシンです》
つい立ったまま〝考える人〟のポーズで考え込んでしまった。
ここでそれが出てくるとは、ちょっと予想外だった。
「ええっと?」
《過去へ遡行することはできません。これは未来へ飛ぶための装置です》
「はい? ――なんだってそんなもんを。タイムマシンって、時間を巻き戻すとか、過去へ行ってあれこれするのが存在意義みたいな装置じゃなかった?」
《時間を巻き戻すのも、過去へ行くのも不可能だったのです。思いきり世の理に反旗を翻す装置ですし、そもそもリミットが迫っていましたから、製作に時間はかけられませんでした。逆に、未来へ行くのはたやすいと考え、すべてが解決した未来へ逃げられないかという発想になったわけです。一応は完成しましたが、使えませんでした。時間だけを飛び越えても、そこがどの未来になるのか、結局はわからなかったからです》
全員が逃げられる装置でもない。それに、一度未来へ行ってしまったら、もう過去へは戻れない。
飛んだら終わりの片道切符で、その先が滅びた未来だったなら最悪だ。
冷凍睡眠装置で眠りに落ちたまま、目覚められなかった人々が脳裏をよぎる。
《おまけに、神々がここからいなくなってしまうと、滅びを回避する道が完全に消えてしまうことも判明し、どうあっても使えなかったのです。現在は劣化して壊れ、設計図も消滅しております》
「はぁ……」
間抜けっぽい気の抜けた声が唇から落ちた。
せっかく作ったのに勿体ないと言うべきか、よかったと言うべきなのか、徒労だったねドンマイと慰めの声をどこかへかけるべきなのか、リアクションに困る。
すべてが徒労だったのでもない。きっと思いつく限りの方法をためした。その中の幾つかが確かに実を結び、そして今日の日に繋がっている。
どこへも辿り着けず、最後に必ず消えてしまうはずだったあの方舟を、この世界の神々が呼び招いた。それが何者かもわからないまま。
(外敵に襲われて切羽詰まった島民のSOSを、航路を見失って遭難した船が拾ったみたいな?)
ついそんな想像をした。この場合、助けられたのはどちらだったのか。
「なあ、たいむましん? て……」
「わかんねえっての! こっち見んな!」
「ワシ知らんぷい。ぷいぷい」
「……うむ」
広間の壁すべてに、味のある絵が描かれていた。退色が見られず、おそらく当時の鮮明な色合いのまま保存されている。
映像を記録する魔道具は、神代の遺跡から一度も発見された例がない。この魔導科学文明でそれを作っていないとは思えず、つまりそれらは神々が予想したように、後世まで無事に残らなかったのだ。
瀬名達が繰り返し視せられた、起こらなかった未来の記録映像も、厳密には正しい記録装置ではない。あれは目にできる者が限定される上に、登場する本人の情報が上書きされて、修正された映像になっていた。
そこに描かれている黒衣の人物が誰なのか、もはや疑いようもない。
ある絵では幾つもの眼を持つ大蛇を八つ裂きにし。
ある絵では広大な都にとてつもない雷を落とし。
ある絵では都の周辺に展開する兵士が、次の絵で一人残らず髑髏の兵士になっており、瀬名は口の端が引きつりそうになった。
悪事がバレた瞬間である。
「……これ、あの童話に似てねえ?」
「……ラグレインだろ。あそこの絵、なんか勇者一行っぽいよな。でも先頭にいんのは……」
黒衣の人物だ。
一般的な童話の英雄物語、勇者の登場する話では、先頭に立つのはたいがい勇者だ。斥候や盾役はどうしたという現実的な指摘はさておき、重要な位置づけという意味で先頭に描かれることが多い。
「あの絵では、勇者の後ろですね」
「ケツを蹴飛ばすやつだな」
「うっ!! お、俺、蹴飛ばされたことねえよ!? そこまではされてねえもん!?」
アスファが真っ赤になりながら否定した。瀬名もうんうんと頷く。事実である。そこまではしていない。
遠い遠い昔、アスファ少年が黒歴史真っ盛りだった頃、とっとと走りやがれ蹴飛ばすぞ――みたいなことを言ったような気がしなくもない程度だ。
「母上から聞いた話だ。……魔術研究家のラグレインという男が、叡智の森ウェルランディアを訪れたことがあるらしい」
低い美声が通り、しんと静かになった。
「デマルシェリエの地のおとぎ話を集めているうちに、ラグレインは考えるようになった。このおとぎ話に登場する魔女は、本当はたった一人なのではないか。物語の時代を遡ってゆけば、そのたった一人に行き着くのではないか、と。そして、ウェルランディアに辿り着いた」
翡翠の目が青い小鳥のほうを見た。
「アークに訊くのもおかしな話だが――我らが母、女王ラヴィーシュカは、この神殿の存在も、その魔女が描かれた経緯についてもご存知ないようだった。我が祖先達は、我々にその知識を遺さなかったのか?」
《そうですね。遺すべきではないと判断したようです》
「何故だ?」
《私とマスターが解答そのものです》
シェルローヴェンは言葉に詰まった。彼が反論できずに言葉を失うさまは滅多にない。
小鳥の発言の意味がわからず、首を傾げる者もいたが、瀬名は腑に落ちていた。まさしくその通りだと感じたのだ。
《あなた方がもし、まるで知ったような態度で我々に接していれば、私もマスターも決してあなた方を信用しませんでした》
もし「おまえ達はこれからこんな行動を取る」とにおわせたり押しつけてきたならば、瀬名もARK・Ⅲもそれを害悪、敵と断じたはずだ。
私の未来を勝手に決めるな、あっち行きやがれ、と拒絶していただろう。
《いつの時代、どんな立場の何者が、どんな経緯で我々に関わるのか判然としなかった。中途半端に知識があれば、いざ遭遇した時に思わせぶりな言動になりかねませんし、ならばいっそ知識はないほうがいいと考えたようです》
大抵、知識不足は不利になるものだが、この小鳥と主に限っては正解だったのだ。
そもそも、瀬名は未来視だの予言だのが好きではないと前々から公言している。未来を知る手段などないほうがいい。予言書など手もとにあったって、扱いに困る。
もうすぐ嵐が来るから対策をしておきなさい、あちらは水嵩が増しやすいから気をつけなさい、そういう天気予報や災害予報レベルが一番いいと思っている。
だからこういうものについては、深く考えない。考えたくない。思考が堂々巡りの深みにはまって、疲れるだけなのだ。
それでも、なんとなく足が、視線が壁画に向かってしまうのは、やはりこういう神秘的なものに惹かれるのと、所詮はここにある絵が、既に起こったことばかりだからだろう。
過ぎ去ったものばかりだから、これから起こると脅かされるより、マシな心持ちで眺めていられる。
「…………」
瀬名の足が止まった。これもあったのか。
大人の背丈ほどの樹と、赤い実と、三人の子供。豊かな緑の上に、小鳥の羽根に似た色合いの空がある。
当時のまま色鮮やかで、絵本と宗教画を足したような。




