307話 問いかけ
露台からすう、と光が伸びた。
金色に光る複雑な紋様が幾何学的に織り成され、壁を走り、奥に真四角の穴がひらく。
「……教主の野郎も、ここから先を知らなくて、ここが行き止まりだと思ってた、って言ってる」
アスファ少年が瀬名の顔色を窺い、緊張でつっかえながら言った。
「十万年前に、閉ざした、って。それ以来なんぴとも、招き入れてない、って」
「アスファ。それは、おまえの【エル・ファートゥス】の台詞か? それとも、別の何者かがおまえに直接語りかけているのか?」
厳しい声で確認したのはシェルローヴェンだ。
「ええと、その、【エル・ファートゥス】が取り次いだ感じで……なんか、別の奴の声っぽい……?」
「……ふん」
「ウッ!」
《私をすっ飛ばし、アスファを介してマスターに直接お願いしているわけですか。その根性、気に入りませんね》
「ううッ!!」
「ちょ、やめろっての小鳥さん! シェルローも殺気しまいなさい、アスファ君がびびってるから!」
「瀬名。悪いがわたしもアークと同感だ。責任をもって処分するはいいが、そ奴らは〝いつまでに〟処分する気でいる? 信用ならん」
「ぐっ」
百年ぐらいかかりますよ、〝いつまで〟なんて期限は約束しませんでしたよね? ――凶悪な小鳥氏の言い放ちそうな台詞が瞬時に浮かんだ。
(まさか、御同類じゃあるまいな?)
そんな、まさか。
嫌な想像を振り払いつつ、瀬名は強めに否定した。
「いやいや、あのね。ここって、太古の管理者であり、数多の生物を創造された皆様、すなわち〝創造神様〟とお呼びして差しつかえない方々の居城でしょうが? 堂々と敵意丸出しにするのって、危ないんじゃないかなあ、と愚考したりするんだけど」
「わたしは創造された覚えなどない」
そうだった。この三兄弟は、創造神様と戦争をやった末に、〝敵の敵は味方〟法則に基づいて手を組んだ、先住種族の末裔様だった。
要するに、彼ら自身が信仰の対象になっても何らおかしくはないわけで、この世界の人々の大半が精霊族を畏怖するのは、彼らに精神感応力があろうがなかろうが、至極当然だったことになる。
「え、もしや私、あんた達を拝んだほうがいいの?」
「絶対にやめろ、何故そうなる」
「やめてくれ、食事がまずくなるじゃないか」
「瀬名、悪ノリしそうな輩がいる前で、その手の冗談はやめてください。本気なら余計やめてください」
悪ノリしそうな輩、つまり猫氏と爺さんであった。この二人も、たとえ相手が神様であろうが、「どんまい、気にすんなよ!」と肩を叩いてのけそうなので、別種の大物感がある。
「あー……、すまんが、先ほど俺のほうにも語りかけがあった」
小さく挙手しながらウォルドが割り込んだ。軌道修正を試みるのがもはやこの男しかいない。真面目な奴が苦労するの典型であった。
《おや、ウォルド殿にもですか。是非お聞かせ願いたいものです。どのように仰っておられますか? 事と次第によっては》
「だから脅迫やめなさいって!」
おもに小鳥とシェルローヴェンの悪意に阻まれつつ、頑張ったウォルド氏がなんとか伝えてきたことには、数日中には処理を完了させると確約があったらしい。
それを断罪の神【エレシュ】の立ち合いのもと、この場にいる神々全員が誓約したそうな。
「俺達の帰りは〝裏口〟を用意し、全員が安全かつ速やかに地上へ戻れるよう手配する、とも言ってくれている」
決め手はこの申し出だった。
弱い所を突かれた感がなくもないが、往復の面倒なダンジョンにおいて、入り口まで一瞬で帰還できる手段やアイテムは重宝されるものなのである。
◇
(断罪の神の前で誓約した以上、詐欺はなさそうだし。この小鳥さんと一緒にされたくないっていう強い意思を感じるわー)
もし見立て違いであった場合、小鳥さんがなんとかどうにかしてくれるだろう。やられっ放しでは終わらず、きっと相応の報復をしてくれる。一行は輝く紋様の上を歩きながら、その一点に関してだけは小鳥氏に全幅の信頼を寄せていた。
瀬名と三兄弟以外は、初めて体験する透明な道におっかなびっくりで、やや強張っている。そして、平然とすたすた進んでゆく瀬名達の胆力に、改めて感心するのだった。
誤解まじりの尊敬のまなざしを集めつつ、まったくそれに気付いていない瀬名はといえば、密かに慙愧の念にさいなまれていた。
この状況に至ったのは自分のせいであると、責任を感じていたのだ。
至光神教団は儀式と称して、あやしげな〝種〟を信徒に呑ませていた。その大きさは一般的な丸薬より大きい程度で、少々大変であっても、人の喉を通る大きさでしかない。そこから想像する秘薬という代物について、先入観があったのは否めなかった。
箱の中か壺の中か、大切に厳重に封をされ、魔道具の罠をびっしり張り巡らせた秘密の部屋に隠されている――いずれにせよ、容れ物は〝大きくとも抱えられる程度〟だと思っていた。
魔術で閉じ込められた新種の魔性植物があり、それが実をつけ、種を落としている可能性も考えなかったわけではない。その場合は回収ではなく討伐になるだろうと、つまりは、あくまでも自分達の力の及ぶ規模が頭にあった。
甘かった。自分達でさえ対処しようのないものを、うろんな教団の信徒になど抱え込んでいられるはずがないと見くびっていた。資格を失って神殿に居場所を失い、自尊心から転じた劣等感を認められず、意味不明なあやしい教えに傾倒するような輩への侮りも含めて、確かにそれは油断だったのだろう。
まずは教団の根城を叩き、すみやかに〝種〟をおさえることが先決。どうしてもその場での対処が困難であった時に限り、一旦引き返して人員を増やす選択もなくはなかった。ナナシの口車にあっさり乗せられ、新参のラゴルスにあっさり蹴落とされた元教主については、ほぼノーマークに近く、捕縛したまま町へ帰還するのさえ躊躇うほどの、あんな毒蟲が出てくるとは思ってもみなかった。
おまけに、まさかあの〝種〟の正体が、よりによってこの花で。
果てが霞むほどの、こんな花畑が育てられていたなんて。
育てるといっても、丁寧に土を耕し、こまめに水やりなど、到底一人で手の行き渡る広さではない。
つねに適度な地下水をたたえる水路、雑草のひとすじも生えない調整された土。空気も、おそらく微量の栄養素も、すべて完璧に管理され、自動的に栽培される仕組みが、はじめから出来上がっている。十年周期で花を咲かせ、枯れた後は土に還り、そこからさらに芽が出て……それが延々繰り返され、今の今まで一度も破綻しなかった。
定められたラインから外れて勝手に繁殖することも、おそらくこの場に限ってはない。わざと何者かが持ち出して、地上のどこかに植えてしまわない限りは。
(いろんな種族を創れるぐらいだから、そりゃこういう変わり種だって創れたんでしょうよ……。私らが環境を乱す異物だったら怖いけど、代々の教主がたまに来てたって話だし、大人数で押しかけて居座ったりしなきゃ、基準値まで調節するのは簡単ってことかな。これの基準値なんて知らんけど)
元教主のみならず、代々の教主とやらも、単純に往復するだけで一苦労なので、大量には持ち出せなかったのではと想像がつく。
秘された領域への入り口に全員が吸い込まれると、背後で入り口が消滅した。一秒に満たない闇にざっと血の気がひいた直後、すぐに辺りを青白い光と、あたたかみのある燐光が照らす。
陽輝石と月輝石の双方が混じった明かりだ。少し明るくなった程度でも、暖色の明かりは、先ほどまでの寒々しさと比較すれば、冷水から上がった直後のような安堵をもたらした。
「アーク、この陽輝石、どうやって光っている?」
《特定の生命反応を感知し、光る仕組みにしてあります》
「おまえの……」
シェルローヴェンは台詞の先を続けるか迷い、結局はやめた。
陽輝石は息を吹きかければ光が生じる。人が動くのを感知して照らすなど、そういう使い方は本来できない。
けれど、これとそっくりな仕組みを〈スフィア〉で見かけ、精霊王子の三兄弟だけは、そういうものがあると知っていた。
広い通路の壁に描かれた紋様、植物や雲などの自然物を模した彫刻。遥か高い位置にある天井は交差したアーチだ。
途方もない太古の遺跡なのに、空気は清浄であり、かび臭さも埃っぽさもない。目印となって壁の内側にともる陽輝石に従い、進みながら、瀬名の中にぼんやりと確信が芽生えていた。
そんな感じなのかな、と前々からイメージしてはいたけれど。
肉体を捨てた神々は、竜脈の中に棲んでいる。
白い夢の中で見かけた、あの人々がひょっとしてそうなのだろうか。
この世の理へ同化した代わりに、加護を与えた人々を介さなければ、その力を振るえない存在となった。
そういうことなのだろう。多分、大正解でなくとも、大間違いでもない。
「あのさ、アーク。ずっと考えて、わかんなかったんだけど」
意を決した雰囲気で、アスファが言った。
《なんでしょう》
「あの幻の未来って、要するに外れたんだろ? もう一人の俺が下手打って、最後に滅びちまったっていう」
《そうですね。あなたのみの責任とは言い切れませんが。囲い込んで都合よく動かしていた権力者にも罪はあったでしょう》
「いや、あれは俺がやっぱり――って、そうじゃなく。なんで、ああならなかったんだ? どうして幻ん中じゃ、師匠もアークもいなかったんだ? それに、最後の最後にウェルランディアが出てきたんだけど、あの壁画って何だったんだ?」
「壁画……」
シェルローヴェンが小さく反応した。
「壁画? どんなの?」
「えっと、その」
瀬名がきょとんと尋ね、アスファ少年がしどろもどろになる。三兄弟が困惑の面持ちで目を見交わし、さりげなく逸らした。
(あれか)
(どう言ったものか……)
瀬名は瀬名で、改めて疑問に思った。どうして、あの幻の中で、自分達はこの世界に辿り着けなかったのか?
小鳥は淡々とアスファの問いに答えた。
《せっかく助かる未来を発見できたはずなのに、その未来でさえ、混沌の神が目覚めて終わってしまう。回避できる方法はないか、ほかの未来はないのか、当然ながら再度ひたすら探したわけです。けれどどうしても見つからない。時間は迫り、仕方なく一旦はその未来を選択し、次のタイムリミットが来るまで模索し続けようと決めたのです》
そうして、神々は肉体の制限から解き放たれた。今を乗り切り、ひとまずは、その未来へ至るべく。
そうしたら、ある日突然、もうひとつの未来が出現した。本当に、唐突に、前触れもなく。
彼らは驚愕した。この未来はなんだ?
どこから出てきた未来だ?
勇者はわかる。これは自分達の同胞の末裔だ。その周りを固める者達も、どの種族の血筋が流れ着いた先なのか、だいたい読める。
けれど、これはわからない。
いったいこれは、何者だ?
何を考え何を望み、こんな――。
《意図しない偶然の産物、だったのです。こちらの方々にとっても》
小鳥が謎めいた言葉を発し、通路は行き止まりになった。と思いきや、するすると壁が横にスライドした。
石の重さを一切感じない、なめらかな動きに感心しつつ、ぽっかり空いた入り口をくぐった。
(通路と壁と扉がどんだけあるの、って。なんかシェルターみたいだなぁ)
みたい、どころか、実際にそうだったのだ。神々は滅びから逃れるために、地下へ避難した……。
ふと瀬名は視線を感じた気がして、顔を横向けた。
(鏡?)
自分が映っている。
こちらを見返している。
真正面を向いて。
「――――ッ!?」
ずさ、と飛び退った。
横の青年に衝突し、そのまま受け止められ、背から転倒する悲劇は免れた。
「瀬名? どうし――……っ!?」
「……?」
「なんぞ、ありゃあ……?」
鏡ではなかった。
絵だ。
ずっと奥の壁に、実物より大きく描かれている。
灯りが乏しく、遠近感が狂い、間近にある鏡と一瞬思い込んでしまった。
黒髪。
黒い瞳。
すらりとした身体を、漆黒の衣装が包む。
一見すれば、少年のようでもある。けれど目をこらすほどに、男女どちらなのか判別がつかなくなる。
戦士ならば、女性でも髪を短くすることはあり、ズボンだってはくのが普通だ。
性別の曖昧な、全体的に黒で統一した、謎めいた容貌の。
(ああでも、顔立ちはそんなにハッキリしていない。だいたいの目鼻立ちがわかる程度だ)
これは、自分ではない。
絵の脇に神代文字で文章が刻まれていた。メモのようでもあり、こちらへ問いかけているようでもあった。
〝あなたは何者だ?〟
〝どこから来た?〟




