300話 呼びかける
ご来訪、評価、ブックマーク等ありがとうございます。
とうとう300話目に到達。開始直後、まさか自分がここまで続けられるとは思ってもみませんでした。
これも読みに来てくださる皆様方のおかげです。
真っ暗な空間を移動中、何故か水たまりのある場所を通りかかった。
水たまりと感じたのは、時おり波紋が広がって、上にあるものを写しているように見えたからだ。
(こんなところに水たまり?)
通り過ぎそうになった瞬間、何となく覗き込んでみて、そこに信じ難いものを発見した。
「あれは……!?」
「ちょ!? ちょーっと待て、ストップ!! ここで止まれーっ!!」
ゆっくりと移動が止まった。問答無用で連れていかれなくてよかったが、どことなく逡巡している気配がある。
これの正体は後回しにするとして、小さな水たまりの中では、今まさに緊迫した空気が漂い、仲間達が武器を構えていた。
「全員いるな。彼らは何と戦っているのだ?」
「あぁぁあー……」
瀬名は頭を抱えそうになった。
幻がいきなり中断されて、わけもわからず連れ戻されようとしている。その理由をなんとなく悟ってしまった。
幸い誰も怪我をしている様子はないが、彼らの対峙している怪物。それを取り巻く物体が、どう見ても。
(有刺鉄線じゃんか……!)
犯人はおまえか!
瀬名は大声を張り上げていた。
「あの中へ連れてけ!! 誰か知らないけど、早く!!」
瀬名が行かねば、あれは確実に解決しない。何者の手にも負えないだろう。
なのに、未だ逡巡の気配がある。
「――何を躊躇っている?」
シェルローヴェンも剣呑な声を発した。彼もこの状況を薄々察したのだ。
これらは、老教主とは別口だ。別の何者かが術に介入し、あの幻を見せ、きっとその途中で何かが起こった。
それはおそらく、彼の弟達が前にしているあの怪物とも関わりがある。何らかの思惑があって彼らを送り込んだ場所で、手違いが発生してしまった、そんなところではないか。
(だから、瀬名とわたしを慌ててあそこから出した)
となれば、少なくともその連中を焦らせている者の正体は想像がつく。……奴はもしや、激怒しているのではないか?
さっさと瀬名を連れて行って差し出したい、だが、あの場にいる彼らはどうなるか。瀬名を連れて行くのが早いか、あの場へ送り込んだほうが早く解決するのか、どちらが最善か。そんな迷いが伝わってきた。
「いい加減にしろ!! くだらぬ迷いで時間を潰す余裕があるならば、さっさと我らをあそこへ放り込め!!」
「ほんっっっとそれな!!」
二人して怒鳴った直後、水たまりへ向けて降下が始まった。
◇
なまぬるい膜を通り抜ける瞬間、咄嗟に瞼を閉じた。濡れた感じはない。
靴がしっかり地面らしきものを踏みしめ、目をひらきながら顔を上げた。
武器を構えた仲間達の背中。
(ああ、ようやくみんなと合流できた……!)
そして、そんな彼らが対峙しているのは、気持ち悪さ満点の怪物である。
これぞ血みどろホラーのモンスター代表格、最後の最後に出てきて登場人物全員を絶望のどん底に叩き落とす、製作者の悪意の化身。
「っっこらぁあああああ~ッ!! なぁにやってんだおまえはああああッ!?」
いやもう、本当に、きさまは何を作っているんだと全力で突っ込みたい瀬名だった。
自分もこんな趣味だと疑われたらどうしてくれるのだ。
「っっセナ!?」
「セナ!?」
「瀬名、兄上!」
「ご無事でしたか!」
仲間達が一斉に背後を振り返った。戦場で取ってはいけない行動なのだが、この場面で指摘するのは酷である。
「すまん。心配かけたか」
「遅くなってごめんごめん、みんなも無事っぽくてよかった」
「し……ししょ~……!」
「私のせいじゃないけど大変だったろ? って、ちょ、なに本気で泣いてんの」
「だって~! マジあれ怖えんだもん!」
「…………同意する」
ウォルドが心底ホッとした様子で、アスファの頭をぽんぽんと叩いていた。
「再会を喜ぶのは後にしようぜ。セナ、あれ、どうにかなんねえか?」
「あのトゲトゲ、頑丈そうなんよ~」
グレンとバルテスローグが全員の意識を怪物に引き戻した。まったく正論である。
黒い荊がいっそう増え、今すぐにでも襲いかかって来そうな勢いだ。無駄に広い空間のおかげでまだ無事だが、既にこちら側の地面や壁を舐めつつある。
「兄上、魔術は?」
「使えんな」
「やはり駄目か……」
「瀬名はどうだ?」
シェルローヴェンに尋ねられる間も、瀬名はさっと視線をめぐらせていた。
(……これは……)
ここもまた、外界から切り離された空間。それには違いないが、ここには今までなかった魔素が満ちていたのだ。
これがどこから来ているのか、すぐにわかった。アスファとウォルドの力である。
特に濃密なのは、アスファの純正の神気。それがこの空間全体に漂っている。
精霊族の三兄弟は魔術が使えないのに、神々に属する者だけ変わらず力が振るえていたらしい。ということは。
(聖霊系の魔術が封じられた空間、ってわけでもないか)
そうではなく、もとからどんな魔術も行使できない空間で、アスファとウォルド限定で使える……彼らにだけ使える種類の〝力〟の供給があるのだ。
瀬名の中の、精神領域に刻印された魔導式。魔素を感知し、自在に操作できるもの――それが封じられている感覚はなく、魔素さえあれば今まで通りに使える手応えがあった。
これが完全に封じられる時は、瀬名の精神がこの世に存在しなくなった時。瀬名が死を迎えた時だけだ。
細かい検証をする暇はない。瀬名は腰の重みに手をやった。
魔導刀がある。
遠慮なくそれを抜いた。なんだか久々の感覚だった。
刀はこの場に満ちた神気を集め、徐々に陽光に似た輝きを帯び、……けれどやはり、足りなかった。
不自然な空間には、本来あるべき自然の魔素も魔力もなく、瀬名とシェルローヴェンがここに来る前の戦闘で放たれたと思しき、わずかな残滓しかない。
今まで通って来た場所と同じように、ここもまた魔素が長く留まれないのだ。時間経過とともに薄れるか、どこかへ沈んで消えてしまうのだろう。
「ウォルド、防御結界張って。なるべく強く」
「了解した」
即座に応じ、ウォルドは結界を重ね張りした。
途端、神聖魔術の発動を感知したかのように、十数本の荊が槍となってドォ、と襲いかかった。
「うっ!?」
「えっ?」
「――っ!?」
避けられない。
苦痛を覚悟したウォルドの前で、荊の先端が、結界に触れた部分だけとけるように消滅していた。
「な……っ!?」
ウォルドは愕然とした。結界が変質している。
彼が張ったはずの結界は、その〝力〟だけを材料とし、このわずかな間に作り替えられていたのだ。
シェルローヴェンがハッと目を瞠った。
「そうか! ウォルド、全員の武器に攻撃付与はできるか?」
わけのわからないまま、ウォルドはすぐさま術を重ね掛けする。
――やはり同様に、その効果だけが変質した。より強靭に、無駄がなく、神気を武具に直接打ち込んだような変化が起きる。
ただ一人だけ、瀬名の魔導刀にのみ、その術はかからなかった。こちらは必要ないと言わんばかりに。
(まさか……これはセナがやっているのか!? 神聖魔術への介入を!?)
魔術どうこうではなく、神気を構成する魔素そのものを操って強化させているのだが、それを気付けと言うのは酷な話だった。
荊が先ほどから、何本もこちらに伸びてきている。槍や鞭となって勢いよく飛んでくるすべてを、結界は防ぎ切っていた。
変質する前の結界ならば、あの荊は貫通していただろう。それを肌で感じ取り、ウォルドは戦慄する。
「ウォルド、そのまま結界を維持してて。三兄弟、グレン、ローグ爺さんは左右の鉄線、私の邪魔をしないように払ってもらえる?」
「鉄線? ――荊か。おお怖え、いいぜ」
「やったるわい!」
「わかった」
「うむ」
「これならいけそうです」
「お、俺は!?」
「あんたは留守番」
「そんな!?」
アスファの顔に「がぁあーん!」とショックが走る。涙はもう引っ込んでいたが、今度は戦力外通告で泣き出しそうになっていた。
しかしのんびり揶揄う時間はないので、瀬名はさっさと指示を伝えた。
「あんたは私に力を送れ」
「へっ?」
「何度か力を放ったはずだ。あんたとウォルドは多分、この神殿のどっかから力の供給を受けてて、それがこの空間にたっぷり残っているんだよ。私はそれを自在に使えるんだ」
「……!」
アスファとウォルドがハッとした。彼らも漠然と感じていたのだ。
「で、でも俺の力って……剣を振ったらなんか飛ばせる、攻撃のやつなんだけど」
「剣からなんか飛ばせちゃうのか……それでいい。全力でやれ。そして帰ったらちゃんと見せなさい」
「わ、わかった!」
無事に戻った時の話をされて、アスファの唇に笑みがのぼる。剣から飛ばすのを見たい好奇心が九割だな、と気付く者は気付いていたが、せっかく少年が前向きな誤解をしているので、水を差す真似は控えた。
しかし、自在に使える、とはどういうことか。瀬名の能力の本質を知っている三兄弟以外の者は気になったが、それこそ今はそんな場合ではないと、好奇心を押し込める。
瀬名は一旦、魔導刀に込めていた魔素を出し、それをまた集め直して、細く、より細く練り直していった。
もとはわずかな力でも、小さな一点に集中させていけば、それは計り知れない強靭さを備えた糸となる。
きらりと黄金に輝く無数の糸は、繭となって結界の内側でふくらみ、上等の織物のごとき美しい紗を張った。
誰もが状況を忘れ、息を呑みそうになる。
そして、前触れもなくはじけた。
すべての糸が一気に四方へ散り、宙をうねっていた荊をするりと通り抜け、通り抜けた後はすべてパラパラと細かい破片になって散らばった。
「行くよ!」
「おおっ!」
「!」
合図とともに結界を飛び出す。糸は防御結界を微塵も傷付けず、周辺の荊だけを細かく切り落としていた。
驚嘆とともに見つめるウォルドの前で、三兄弟が、グレンが、バルテスローグが飛び出し、左右に散って各々の武器を振るう。
ウォルドの攻撃補助は本来、うっすらと神気の膜が武器の表面を覆い、耐久力を上げ、切れ味をよくする程度のものだった。そこに罪過ある者への優位が加わる。
ところが瀬名によって変化をもたらされたものは、本来の刃から若干浮き上がり、金色の光の刃となって、次々と荊を切断していった。
アスファの全身に力がみなぎる。四肢の熱が柄へ伝わり、青みを帯びた剣身が光る。群青の瞳が朝焼け色に変わり、身体の周りをかすかに霧が棚引いた。
その場の勢いや偶然、火事場の馬鹿力などではなく、本当に使いこなしている。
時間がゆるやかになる錯覚の下、ウォルドは今さらながら、アスファの剣の型が一般的な型と異なるのに気付いた。先ほどまではじっくり観察する余裕がなかったが、振りかぶるための構えではなく、抜き放つための動作――瀬名の動きに似ていると感じた。
余計な力みはなく、流れるように次の動作へ移行する。
力任せに叩きつけるのではなく、貫き、受け流し、通す動き。
装飾過多だった以前の神剣ではそぐわなかったであろう動作が、今の剣にはしっくり合っていた。
瀬名はこまごまと型の指導などはしない。逆に、型へ嵌めるのをよしとせず、あくまでも注意点の指摘のみにとどめていた。自分のやり方が自己流なので、偉そうに指南なんかできないという理由も別段隠してはいない。
だからこれは、アスファ自身が瀬名を観察し、それを真似て自分に馴染ませたものに違いなかった。
(全力で)
指示通り、アスファは敵ではなく、瀬名の背へ向けて斬撃を放った。
目もくらむほどの眩しい神気。まつろわぬ怪物をすべて葬り去る無比の輝きは、過たず瀬名の背後に迫り――そしてやはり、その身を傷付けることはなかった。
すべてが瀬名の力となり、魔導刀が輝く。
まるで地下世界に出現した太陽のごとく。
力を帯びずとも比類なき切れ味を誇っていた刀は、今やもう何者にも止めることが敵わなかった
瀬名の前で再び猛烈にふくれあがる荊が、ほんの一太刀でバラリとほどける。さらに二閃、三閃と重ね、怪物をがんじがらめに縛っていた縄は、どんどん剥ぎとられていった。
かつて根であり、腕であったのを足場に、かろやかに駆け上がる。
小さなほうの頭が、ギョロリと小さな敵へ顔を向けた。変形した醜い形相。
『こ……このおお………ワレ、を…………はよう……たすけ、ヌかぁ………ぁ?』
「あんたに用はない」
魔導刀が閃き、小さなほうの首を荊ごとはね飛ばした。
用があるのは、こっちだ。
項垂れて引きずられ、うつろな眼窩を彷徨わせるもうひとつの頭。
「久しぶりだな、こっちを見やがれ!! てめえが本体のくせに、知らんぷりしてんじゃねーよ!!」
ビクリと頭が震えた。
それを耳にした仲間達が「えっ?」という顔をしていたのだが、瀬名は気付かなかった。
こんな怪物になってまで、面影が少しだけ残っている、その首がグググ……とねじれる音を立て、間近にある瀬名の顔をようやく見上げた。
「やあ、【ナヴィル皇子】。傀儡の気持ちが理解できたか?」
怪物が大口を開けた。ひび割れた噴火口のような口からドォ、と大量の荊を噴き出す。
瀬名は直撃を食らわないよう脇へ避けつつ、纏わりつかんと寄ってくるそれらを斬り払った。
払いざま、底なしの洞となった眼窩を覗き込んで、確信を深めた。
(やっぱりこれは頭だ。擬態じゃない)
身体の主導権を奪われても、ちゃんと瀬名の判別ができている。言葉も理解している。思考している。
この怪物を動かす本来の頭脳、といえば語弊があった。頭という感覚器官であり、思考の出入口であり、そして、この有刺鉄線の大元へ繋がる直通路だった。
――わかるのだ。皮肉にも、その大元と瀬名が繋がっているからこそ。
『…………っ!!』
額に深々と切っ先を突き立てた。
眼窩が大きくなり、驚愕が伝わってくる。
構わず体重をかけ、沈み込ませた。たやすく揺らがないように。
洞が苦しげにうなり、吐き出す棘の勢いが増した。
そして――瀬名はあろうことか、左の手の平を、その口の前にかざした。
「瀬名!?」
「何やっとんじゃい!?」
「おいっ!?」
血飛沫が舞った。
棘で肉をえぐりながら、黒線が次々と貫いてゆく。
「瀬名っ、何をやっている!! くそっ、どけ!!」
焦る声が周りから聞こえるけれど、荊に阻まれているようだ。
危ないから近付くなと叫ぶ余裕はない。瀬名はひたすら、この場から動かず、自分の身を支えるだけで精一杯だった。
(い――――~ッッッ!!)
痛い。
滅茶苦茶痛い。想像を絶する痛さだ。
こんなに痛い思いをしたのは何年ぶりだったか?
いや、ひょっとしたら生まれて初めてではないか。
痛い思いをしたくないがため、自重の二文字に忘却フィルターをかけ、とにかく我が身大事に、安全第一でやってきたのだから。
瀬名の目尻に涙が滲む。柄を必死で握りしめる右手が震え、今にも外れてしまいそうだ。
(でもな、普通に呼んだ程度で、届くんじゃあ、最初のあれで、とっくに届いてるしな!!)
「なぁにやってんだおまえはああああッ!?」とあんな大音声で怒鳴ったのに反応がなかったのだから、もう最終手段に出るしかないだろう。
瀬名は激痛に震えながら、渾身の力で息を吸い、魔導刀の沈む額へ向けて声を張りあげた。頭蓋の奥まで響きやがれと。
「これを読め!! この血が誰のもんか、私が誰か、わかるだろうが!!」
この血を読め。この血の情報を。
読み取り、分析し、ここにいるのが何者なのかを理解しろ。
一滴や二滴では足りない。その程度では、奴は正気に戻らない。
死のギリギリまで大量の血肉を、などとやっていたら本気で死ぬかもしれないし、デッドラインがどこなのか自分では判断しようがない。だから試しに、腕一本だ。
これだけやっても駄目だったら――その先は考えない。
うまくいけばいったで、某兄弟の特に長男あたりから死ぬほど怒られるかもしれないが、死ななければ多分万事オーケーだ。
「私に無断で勝手に自滅するな――――ARK・Ⅲ!!」
だいぶ長くなってますが、今回の章が最終章で、その後にエピローグとなる予定。
あと何話か続きますので、ラストまでお付き合い頂ければ幸いです。




