299話 侵食
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口にした後でアスファは後悔した。
さっさと片付けなければ、なんて言うまでもないことだった。もっと上手く説明のしようがないのか?
(う、呆れられちまうかな)
しかしエセルディウスはあっさりと言った。
「わかった」
「えっ」
「奴の弱点は見えたか?」
全員が近くに集まり、ウォルドがアスファを中心として広めの結界を張った。
妖木がひときわ甲高い悲鳴をあげ、痛い痛いとののしっている。両腕と根をすべて落とした直後なので、すぐに攻撃がやってくる様子はない。
普通に耳を傾けてくれていると理解し、アスファは途方もない安堵を覚え、慌てて気を引き締めた。
「弱点は、全部だ」
「全部?」
「あいつが『痛い』って騒いでるとこ全部だよ。それから見ての通り、回復が遅い」
「遅いとなると、やはり回復はするのか?」
「うん。なんか今まで見た魔物と全然違ってて、変な感じなんだ。空っぽなのに、どっかから……供給、ってやつ? そういうのがあるみてー」
「供給……」
それも〝お膳立て〟のひとつか。青年の眉間に不機嫌そうなシワが寄った。
「犯人はあのご老体でしょうか?」
「違う、あいつじゃねえ。あの野郎は俺らを消そうとして飛ばしたのに、無理やり割り込んだ奴がいるんだ。誰かはわかんねえけど」
わからないと言いつつ、うっすら想像はつく。
おかげで消されずに済んだのかもしれないが、これでは感謝する気にもならない。
「倒しても復活しやがりそうだな」
「アスファよい。そ奴の求める勝利条件は何ぞや?」
「それは――……」
「……満足するまで、だろう」
ウォルドが先に答えた。
「アスファだけでなく、俺達も観られている。愉しむためではなく、何かを確認したいようだな。気に入らんが、ここを出るには茶番に付き合うほかない」
言いながら眉根を寄せる。どんな事情であれ、怪物と一緒に檻の中へ放り込まれ、高みからジロジロ観察されれば、温厚なウォルドでもさすがに腹に据えかねるというものだった。
「でしたら、アレを短時間で全破壊すれば満足しますかね?」
「うん、多分」
「じゃ、やりましょう。ほかに方法もなさそうですし」
「そうだな。わたしも少し前から、さっさと終わらせねばまずい気がしてきた。我らは速やかに障害物を払い、とどめはアスファで」
「了解じゃ」
「意義なし」
「えっ、俺!?」
「先ほどの要領でやれるだろう」
「殺りなさい」
「は、はい」
妖木の哄笑が響き渡り、腕が元の場所から生えてくるところだった。
切り落として散らばっていたものは、地面へ沈むように吸収されてなくなっている。
この空間と同様、不自然で空虚な怪物は、どれほど痛い目を見ても報復に固執している。純粋にもとからの気性なのか、魔物化したせいなのかは微妙だ。
「マジしつけぇな、こいつ」
「頭の中身が空洞なのでは? 叩いたら軽い音がしそうです」
そして仕切り直し。先ほどの戦闘を一から繰り返しているようで、中身は違っている。
口数が減り、ほぼ無言になった。無言でも視線で通じ、即席の連携もタイミングがしっかり噛み合っている。
とにかく早く、この【坊や】を削ることに全員が集中していた。
アスファは感嘆の溜め息を漏らす。
(決定が早えーんだよな。みんな肝据わってっし)
同じ戦いの場に身を置くと、場数の違いをひしひしと感じる。
大蛇のごとき根を何本葬ろうが、微塵も威張る気にならない。
アスファはこの場で力を封じられておらず、ほかの面子より有利なのだから。
ウォルドは敵の攻撃から仲間を完璧に守り、多少の怪我もすぐさま治してくれる。その上で、直接攻撃をせずとも味方の攻撃力に寄与し、間接的に大ダメージを与えている。
(そういや師匠、敵の中にウォルドみたいなのがいたら真っ先に速攻で潰すって言ってたっけ……どっちも味方で良かったぜ)
グレンはとにかく素早く、撹乱が巧い。液体と揶揄される妖猫族の柔軟な身体で、他種族には不可能な体勢での回避をしつつ、敵の意識を自分に引きつける。
いつもなら死角を突くのも得意だが、今回は敵の隙を生み出し、パワーのある連中に任せていた。それを情けないと変に恥じたりはせず、勝利条件を見失わない。
バルテスローグは飄々として、どんな時でもいつも通り。重苦しい空気を吹き飛ばし、何も考えていないようでポイントはしっかり押さえている。
小柄な爺さんだが、コロコロ丸っこい服の中身はだいたい筋肉だ。老いてなお見た目以上に膂力があり、軽そうで意外と重く、大きな斧の破壊力を存分に振るいまくっていた。
エセルディウスとノクティスウェルの兄弟は、魔術を封じられながらも前衛として最高戦力だった。互いの目を見ずとも呼吸を合わせられ、揺れる高所の枝でも地上と変わらぬ大立ち回りを演じられる。ちなみにグレンも狭く高い場所は得意だが、彼の場合、揺れが酷ければ普通に落ちるのだ。
手数が多く、的確で正確な斬撃を弟が繰り出し、兄がそれに合わせる。最初よりも一歩深く踏み込んで、より大きな痛手を与えていた。
(俺の役目は、あの胴体部分と頭か)
今回は腕が健在なうちに根が出てきた。しかも最初は腕二本だったのが、四本に増えている。
大人のほうの腕も支配下にできたのか、小さいほうは邪悪な笑顔で得意そうだ。
仲間に当たらないよう注意しつつ、剣を振るいながらアスファは考える。
魔物が二体分、ねじれて合体した妖木の幹はかなり太い。邪魔な障害物が除かれれば、あの中心に突撃して最大威力の斬撃をぶちこみ、できれば一撃、無理でも二撃で速やかに終わらせる。
根もと周りのぬかるみ、その外側からでも、アスファの攻撃は届く。
もし神剣ではなく一般の標準的な剣であれば、神気を込めた瞬間に砕け散るほどなのだが、そうと自覚の薄い少年は己の能力を低く見積もり、結果的に無理なく順調に能力を伸ばすという器用な状況になっていた。
(植物系のくせに、状態異常攻撃もねーし。こっちはありがたいけどよ!)
攻撃に変化がなくとも、この妖木は弱い相手ではなかった。
正直な話、アスファはこれらを避けきれない。振り回される腕や根にひょいひょい乗っかり、平気で飛び移る連中の動きなど到底真似できなかった。
なので、避けきれないものを斬り落とす。
目の前でたやすく全回避している連中がおかしいのであり、アスファの身のこなしも結構高いレベルに達しているのだが、比較対象にしてはいけないメンバーしかいないせいで、「俺はこの人らのオマケ要員」という認識が未だに払拭できていなかった。
それはそれとして。今回の仲間達が頼もしければ頼もしいほど、同じだけの悔しさが少年の胸に満ちる。
彼にとって本来の仲間は、エルダ、リュシー、シモンだった。彼らがアスファにとって仲間であり、大切なパーティメンバーなのだ。
なのにこの変な空間を用意した輩は、まるであの三人は不要とでも言いたげではないか?
けれど実際、もしエルダ達がここにいたと仮定すれば、彼らのうち誰も戦力にならなかったのも事実。
エルダは魔術が使えず、すぐに体力が尽きて動けなくなっただろう。
シモンの特技は弓やナイフだが、まずこれを回避しながら射るのはアスファ以上に無理だ。それ以前に、弓があるなら精霊族の兄弟に渡したほうがいい。
リュシーは戦力になりそうでいて、実は戦闘経験のなさがアスファとどっこいだったりする。――彼女は長年、公爵令嬢フラヴィエルダの使用人だったのだ。護衛としての戦闘技術を学んでいる分、使い物になるのが早かった。けれど彼女もまた、この場では回避だけでいっぱいいっぱいになる。
(くそっ、むかつく!)
いつか皆、今よりもっと腕前が上がる。自慢の仲間達なのだから。
しかし〝いつか〟は〝いつか〟であり、〝今〟対処できなければ、この場にいてはいけないのだ。
わかるけれど、悔しい。
細かい根と太い根が密集して襲い来る。身体に叩き込まれた最小限の動きで、頭上すれすれを薙いでいく根の束を避けながら、次に迫る第二波のほうを反射的に斬り飛ばした。
ひらけた視界――。
「アスファ!」
「やれ!」
道が拓いた。
余計な思考の一切が消え、意識のすべてが怒涛のように目の前にある自分の役割へ流れ込んだ。
全力で駆ける。
身体の芯に熱を感じ、柄から剣身へ伝わってゆく。
『へ? え? え? な、な……』
『…………』
巨木の手前で左足を地に食い込ませるも、勢いは止まらない。
気にせず、少しだけ浮かせた切っ先を、思い切り下から斜め上に振りあげた。
『 あ ……ぇ ?』
『………………』
刃を離れて光の斬撃が走る。
その勢いを殺さぬまま、振りあげた切っ先を振りおろした。
◇
巨木が裂ける。
めりめりめり……どおお……。
振動が波紋となって広がり、そして静けさが戻った。
「はぁ、はあ…………」
アスファは荒くなった呼吸を整えながら、剣を構え直した。
喋る瘤は両方とも捉えた。二度放った剣閃は、狙い通りの場所を通った。
うまくいった。そのはずだ。
(……やったか?)
(…………)
誰も構えを崩さない。
いつでも回避できる状態を保ち、慎重に様子を窺い続ける。
倒れた妖木は、まだ消えない。
これは最初にドロリと湧き出て、【泥人形】のようになった。そこから突然巨大化し、あんな異様な姿になった。
初めに斬った部位がいつの間にか沈んで消えていることからも、本当に〝終わった〟のなら、これらにも何らかの変化がなければおかしい。
それを待っているのに、重苦しい沈黙だけが続く。
アスファはじりじりと後退した。その横に、グレンが足音もなくそっと立つ。
「……やったと思うか?」
「……わかんねー。手応えはあった、けど……」
悪趣味な観察者は、どう判定を下すだろう。
これは〝合格〟なのか、そうでないのか。そうこうしている内に時間が経過しているけれど、あれらはまだ消えない。
「反応がなさ過ぎて不気味だな」
「どうするつもりなんでしょうね、これ」
「ウォルドやい?」
「少し待ってくれ」
ウォルドは己へ加護を与えた【エレシュ】に問いかけているようだ。
アスファも神剣【エル・ファートゥス】に意識を向けている。だがさっきからどうしても、剣の声が聴こえない。
(どうしたんだ? 何があったんだよ?)
今も問題なくアスファの力を帯び、それを解放できている。だから繋がりが断たれているわけではない。
ただ、アスファの警戒心を鏡写しにした感覚だけが戻って来た。強いて言うなら、【エル・ファートゥス】もまた何かを警戒しているのだ。
「妙だ。【エレシュ】の声がうまく聴き取れん」
ウォルドの重々しい声を受け、全員が油断なく視線を巡らせる。
触れれば怪我をしそうな空気が充満した――その時。
『う…………ぁ……』
『……ぁ……?』
チッ、と誰かが舌打ちした。ここまでやっても駄目なのか。
「細かく刻んでみます?」
「これで足りんなら、みじん切りでも駄目そうだ。急所を捉え損ねたならまだしも、そうではないからな」
「っっかああ、面倒だぜ……!」
「――う!?」
「アスファ?」
「い、いま、ゾワッて……こいつから離れろ、なるべく!」
『ぁ、ぁはは、はは…………われは、しなぬ…………このていどでは、しなぬのだ、ぞ~っ……』
『…………た…………きてし………ま……ぁあ……』
瘤の裂け目がぞろりと蠢き、黒い触手とも血管ともつかないものが伸びて、互いを引き寄せ始めた。
『は、はははは、ぁあははは! ざ、まぁみろ、むしけら、どもめぇ! おもいしったかぁあ!』
『……く…………ぁあう……ぁ……ちへ……い……け…………』
『だまれ、ぇえ! われに、したが…………ぇ? ……ぁ…………?』
うごうごと蠢きながら立ち上がり、妖木の裂け目をどす黒い血管状のものが繋ぎ合わせてゆく。
枯れ木のようだった表面が盛りあがり、その血管が浮き出ていた。
『……あれ? なんだ? なんなのだ……?』
さらに、内側からじわじわと壊死に似た色が侵食し、さらに奇怪な形へと変貌していった。
――小さいほうの頭が悲鳴をあげた。
金属同士でキイキイ引っ掻く、不快で鼓膜を貫きそうな声。
妖木は悶え苦しんでいる。いや、もはやそれは木とすら言えない見た目へと変わりつつあった。
こねまわされ、気まぐれに握り潰される肉塊。それ以外に、その姿を形容できるものがない。
眼球は黒に塗り潰され、再び髑髏の眼窩に戻った。その暗い穴から、涙ともヘドロともつかない、どす黒い液体が溢れている。
大きいほうの頭が、『なぜこんなところまで』と叫んだ。
小さなほうの頭も、『われらからでていけ』と叫んでいる。
『これはなんだ』『これはなんだ』『これはなんだ』『あれは――』……。
「ぅを…………や、ばくね?」
「ひょ……ほぅ……」
明らかに、何かまた〝違う〟のが来た。何かは不明だが。
そしてアスファは。
(やばくね? ってやばいよ!! 絶対マジやばいよッ!! やばいやばいやばい~ッッ!!)
歯の根が合わなくなり、これ以上なく見開いた目が涙目になっていた。
(これあれか!? 前に師匠言ってた第三形態ってやつ!? なんかすげぇ怖いのが来た!! 怖いヤツが来た!! マジ怖いっすよどうすんのこれどうしようもねえよ、ししょー!? え、俺これ倒すの!? むり!!)
勇者アスファは〝にげる〟を選択したくなった。
選択しても神剣はきっと怒らない。何故ならば神剣も逃げたそうだからだ。間違いない。声が聴こえずとも雰囲気でわかる。【逃亡一択!!】と。
だが一行に逃げ場はなかった。奇妙な光の玉が寄って来て、妙な幻を見せられて、気付けばここにいた。つまり引き返せない。
全員が行動不能に陥っていた。――これをどうしろと?
さらに巨大化した腐肉の塊が、精神にきそうな悲鳴を途切れることなく上げ続けている。
こんなものに倒し方なんてあるのか? もしこれを準備した輩の計画を逸脱してしまったとすれば、つまりそんなものはもう〝無い〟ということでは……?
肉塊のあちこちからブシュウ、と黒い液体が噴き出て、それは見る間に形を取り始めた。
血管のようで違う。細く伸びながら、するどい無数の棘がある。
(荊?)
彼らは思ったが、その物体には別の名称があった。
有刺鉄線だ。
触れる者を切り裂く何百もの鉄線がぶわり、とふくらみ、侵食した哀れな肉塊を貫きながら、この空間の四方へ伸びる。アスファ達が進めなかった方角へも伸びて、隅々まで浸透する毒となって支配者を塗り替え始めた。
異様のひとことでは表現し尽くせない光景は、百戦錬磨の闘志をも奪ってゆく。
少年が早々に戦意喪失しても、誰も責められない。精神力でどうこうなる次元の話ではなかった。
「いや~……これ、戦うとか戦わねえとか、それ以前のヤツだろ……」
「出くわしたらとにかく逃げろぃ! ちぅヤツだわいな……」
「…………異論が出ん」
「……うん、これはさすがに……わたしも無理かなあ……」
〝逃げなきゃだめだろ〟で意見は一致したが、何の解決にもならない。
武器は相変わらず構えたままだが、果たしてどこまであれを防げるか。細いのに存在感のある不気味な荊は、先ほどの妖木と違い、到底これらの武器で切断できる気がしない。
足掻いて、終わりまでの時間を引き延ばす。戦いとも呼べない戦いになる。これはそういう相手だった。
幼いほうの頭が、ひしゃげた口で『ゆるしてやるから ゆるして』『われ もう ムチつかわないから』と命乞いを始めるに至り、全員の背筋をぞぞお、と悪寒が走り抜けた。
ぶわり、また荊が増えた。
来る――。
「っっこらぁあああああ~ッ!! なぁにやってんだおまえはああああッ!?」
救いの神の声が轟いた。




