2話 楽園の終わり
読んでいただいてありがとうございます。
2019.7.22、序章の話の順番と構成を変更しました。
読みやすくなっていればいいなと思います。
世界中で異常気象による災害が発生し、深刻な問題として取りあげられるようになったのはかなり昔のことだ。
その原因としてしばらくの間は大気汚染説が主流となっていたが、一方で大気汚染は無関係であるとする具体的な根拠を用いた反論や、企業のエコ戦略によるデマなどといった過激な意見も流れ、結局のところ真実、何が起きていたのかは誰にもわからない。
正確にそれを把握できていた者は、世界中でコンマ以下、ゼロがいくつも続いた後の数パーセントにも満たなかっただろう。
つまり限りなくゼロに近かった。
デマだろうがなんだろうが、空気は浄化されるに越したことはない。瀬名は真剣な口調で環境問題を語るニュースキャスターの演技力を楽しみつつ、時刻を一瞥し、惜しみながら朝のニュースに別れを告げた。
瀬名の会社は在宅勤務を取り入れていない。一時期は自宅で勤務が可能という謳い文句で、この勤務形態がどの企業でも流行っていたが、家庭に仕事を持ち込みたくない派の意見と、何よりセキュリティ設備や情報漏洩の問題が激化し、今では下火になっている。
結論として原因が何であれ、気温はゆるやかに上昇し続け、災害の発生率も年々増加し続けた。
やがてさまざまな国が、主要な地域をドームで覆う大規模なプロジェクトを開始。人々は各地に点在するドームの中に避難して暮らすようになった。
人類がようやく月やコロニーに移住できる時代になっていたものの、それは富裕層のごく一部に過ぎない。限られたスペースをゆったり広く占拠するには、結局のところ財力や権力がものを言ったので、大半の人々にとっては、相変わらず手が届くものではなかった。
絵空事ではなく、本当にドームの建設が始まった頃は、月に高級住宅街が出来た頃に匹敵するほどの衝撃を多くの人々に与えたらしい。
「まさか本当に、そんな時代が訪れるとは思ってもみませんでした」
と、当時の首相はインタビューでしみじみと語った。彼の子供時代において、全国民のドームへの移住など、架空の物語にしか存在しない出来事であり、まさか自分の代で現実化するなどとは夢にも思わなかったらしい。
ただしこれは高い技術力を誇る一部国家での話。国民全員を収容できるほどの建造物など用意できない国のほうが多く、この頃に地球の総人口のおよそ七~八割が死滅したと言われている。それが何十年前の出来事だったか、先進国の平和な日々で意識にのぼることは滅多にない。
紺のスーツに身を包み、瀬名は鞄を持ってマンションを出た。
数百メートル上空の青空はいつも代わり映えがなく、見慣れ過ぎて今さらいちいち見上げたりはしない。常に快適な気温が保たれ、外の惨状はニュースでもあまり流れず、たまに映像が出ると迫力があって面白い見ものになる。
野菜も家畜も生産工場内で全自動で育てられる時代、土地がなくとも食糧の供給には何ら支障がなかった。ロボットではできない作業、またはAIが判断・決定を下してはならないとされる内容全般が人間の仕事であり、瀬名もそういう企業のひとつに、ごくごく平凡な一般社員として勤めていた。
平屋の一戸建てなど遠い昔の物語でしかなく、高層ビルや高層住宅が当たり前に建ち並び、しかし計算され尽くした空間はどこへ行っても過ごしやすく、閉塞感など覚えない快適なデザインになっていた。
ランチの時間帯には、緑豊かに設計された公園前のカフェでまったり同僚とお喋りし、退屈で代わり映えのないひとときをまったりと過ごす。
たまに他の地域から転勤になった社員とテーブルを囲み、某所のドームが過去の町並みを再現しており、とても情緒があっておすすめ云々と、ドームごとの特色やお土産の限定品の話題で盛り上がり、気の合う者同士で旅行計画を練り始める。
外の気温は百℃に達したらしい。
海水面はいつからか下降に転じ、今年もまた数センチ低くなったそうだ。
最大瞬間風速九十メートル規模の嵐が月に一度は訪れているらしいが、生まれてこのかた嵐という現象を体験したことがなく、海を見たこともなく、雨も雪も暑さも寒さも知識でしか知らないまま育った瀬名にとって、それがどんな大ごとなのかいまいちピンとこなかった。
ドームとドームを繋ぐ連絡通路も、頑丈な分厚い壁と天井の多重構造で、外を見られる設計にはなっていない。環境問題だの異常気象がどうだの、大袈裟に騒ぐほどのことが本当に起こっているのだろうか? そう感じているのは瀬名だけではなかった。
そんなある日、父親に知人を紹介された。
倉沢基成。大人しそうな眼鏡の青年。
白衣を身につけ、少し落ち着かなげな様子で頭をかいていた。
良く言えば真面目そうで大人しい雰囲気の、悪く言えば打たれ弱そうな人物である。
「倉沢君は父さんの勤め先が出資してる研究所の職員なんだ。優秀なんだぞ」
「いえ、そんな。僕なんか…」
「…………」
げっ…、と頬が引きつりそうになった。
要するにこれは、三十を過ぎても結婚の「け」の字も出ない娘に、父親がいらぬ世話を焼いた図ではないか。
心配させたのは申し訳ない。申し訳ないが、親や親戚の紹介による見合い結婚だけはしたくない瀬名にとって、これは地雷以外の何でもなかった。
後々、親や親戚の顔色を気にして耐えねばならない事態を想定すればするほど、この人との結婚だけはないなと確信し、なんとかやんわり流す方向に持っていかねばと決意を固める。
かといって、父親が見合いと明言していない以上、相手が何のアクションも起こさないうちから「ごめんなさい」では、こちらが自意識過剰のようだ。そもそも相手の男も実はそんな気がまったくない可能性だってある。
ごくたまに会って世間話をする程度で、決定打をつかめないうちに日が過ぎ、このままうやむやに自然消滅してくれればいいと思っていたのだが――