298話 仲間と勇者と【なり損ない】の戦闘
いつも来てくださる方、ふらりと立ち寄られた方もありがとうございます。
何者かのお膳立て戦闘……頭が別なんですが、戦闘になるのかどうか?
泥の塊が急激に肥大化した。土気色の頭部だけは辛うじて生前の形を保ち、暗い眼窩からやけに光沢のある眼球が現われる。
瞼がないので、余計に不気味だ。
大人のほうの頭部は項垂れ、視線は地を這ったまま。
正気ではないのか、当初からずっと変わらず、しきりに意味不明な呻きをこぼしている。
『……ずい………………ぃかん…………うぁあ…………』
子供のほうの頭部はハッキリと意思を持って起き上がり、敵の姿を認めていた。
侵入者をギョロリと睨みつけ、顎が外れたかのような大口を――不揃いな歯の生えた口を、自分の頭より大きく開けた。
牙ではないのが逆に不気味だった。
『ゆるさぬぞおおッ!! 我が一番えらいのだあああッ!! 父上でも兄上でもない、我こそがこの世を手にするのだああああッ!!』
ぼごぼごと膨れあがる塊は、とけて崩れる【泥人形】から一転、奇怪な形の大樹が絡まって成長し、やがて枯れたかのような姿になった。
小さな妖木が大きなほうの妖木を無理やり引きずり、太い枝を伸ばす。
その枝の先端は握りこぶしの形を作った。
「来るぜ!」
「おう!」
鞭が大きく振り回された。直撃すれば無事では済まないそれを、全員が危なげなく避ける。
最も速度を出せるノクティスウェルは、避けるだけでなく突進した。体重を感じさせない動きで躱しながら身をよじり、それぞれの手にある聖銀の剣を枝に叩きつける。
『ッぎゃああああッ!?』
「おや、痛覚があるんですか。これは重畳」
ノクティスウェルはほんのり嬉しそうに笑んだ。
ただ残念ながら、正確に同じ個所を斬りつけたにもかかわらず、半分ほどの深さが限界で落とすには至らなかった。
巨躯を誇る魔物討伐の定石なら、この勢いで頭を狙うのだが……。
(植物系、と考えたほうがいいですかね)
急所が頭部にあるとは限らない。囮の可能性もある。
魔性植物の中には、獲物を口の中へ誘い込むために疑似頭部をちらつかせ、獲物がそれに触れた瞬間バクリ! と丸呑みにする種類も多い。
初見の魔物の場合、踏み込み過ぎは禁物だ。ノクティスウェルは軽やかに身を引き、地面に足をつけ――咄嗟に飛び退った。
妖木から再び距離を取った弟の様子に気付き、エセルディウスが仲間へ注意を促す。
「やつの足もと周り、ぬかるんでいる。下手に根もとへ近付くな」
「了解。――面倒なバケモンだぜ。爺さん、あの辺りの足場を固められねえか?」
「すまん、この場所はちぃと無理だわぃ」
素早く交わされる会話の間にも、妖木はギャアギャアわめいている。
『痛いではないかあああッ、きさまらあああ!!』
わめきながらもう一方の握りこぶしを振り上げ、叩き落とした。
――ずどおおん!!
奇妙な空間の地面に衝撃が走る。
小石のひと欠片も飛ばないのに、振動はちゃんと伝わるところがますます奇妙だった。
「うおっ、すげえなぁ」
グレンはピョンと飛び跳ね、揺れの波紋から逃れた。
逃れざま、丁度いい具合に横たわっている木肌でザリザリザリッ!! と爪をとぐ。
「ふう、スッキリだぜ」
一瞬でこんもり積もった木屑を眺め、満足げに尾を揺らした。
『いたいたいた痛ッッたあああ!? きき、きさまあああッ!!』
「ひゃはは、どぉこ狙ってやがんだっての~♪」
『待てッ、このッ、ちょこまかとおおッ!!』
しかし、すばしっこい猫はつかまらない。身体が最も軽いので、自分の斬撃はかすり傷しか負わせられないと早々に見切りをつけ、全力での回避に徹することにしたのだ。
回避しつつ、バリバリバリッ!! ががががッ!! と嫌がらせも忘れない。
かすり傷を大量に生み出す爪攻撃は、地味にけっこう痛いらしい。
『いたたッ、痛い痛いッ、い~ッッッ!!』
涙は出ないようだが、何故か涙目に見える。
『っこのおおおおッ!!』
咆哮をあげながら、今度はハエを叩くように手を開き、振りかぶって全力で落とした。
――どこおおぉん!!
待ってましたとばかりに、揺れる地面の上でも平気で動ける鉱山族のバルテスローグがチョコチョコ駆け寄り、イキイキと頬を紅潮させながら斧を振るった。
「ほりゃああヨイッッとお!!」
持ち主の身の丈ほどもある斧が、ウォルドの補助でキラキラ輝きながら、本来の攻撃力に上乗せして勢いよく手首部分に叩きつけられた。
大木を断つ重い音が響き、巨大な手がゴロリと腕から離れた。
『ッッぎゃあああッ!?』
「ほっひょーッ!! どんなもんだわぃ!!」
「よく燃えそうな枯れ木ですねぇ。試せないのが残念です!」
負けじと腕に飛び乗っていたノクティスウェルが、目にもとまらぬ高速で斬りつけ、続いてエセルディウスが斬りつける。どんなに高い場所で大揺れの枝でも、バランスを一切崩さないのは精霊族の特技だ。
斬る場所をずらし、十数本の深い傷を刻むと、二人は欲をかかずに退避した。
聖銀の剣は決してバルテスローグの斧に劣るものではなく、むしろ上回っていたのだが、どうやら〝木に対する斧〟の優位性が発揮されているようだ。
それでも切り込みを入れられて相当痛むのか、妖木はひいひいわめきながら腕をひっこめる。
『ううう~、この、この蟲ケラどもおおッ!! きつい罰をくれてやるわああッ!!』
「騒ぐしか能がねぇのかよ」
「そんなに痛いならば、あきらめればいいのに……」
「うむ……引き際が肝心なのだがな……」
軽口で挑発しつつ、油断なく本体への攻撃方法を探す。
うかつに接近できないのは、魔性植物に分類される魔物では珍しくない。急所が曖昧なのに加え、だいたいは近辺の足もとが危険地帯だ。
精霊族の兄弟二人が魔術を使えないのはつらかった。ウォルドが攻撃に転じてしまうと、仲間の守護が薄くなってしまう。
かといって、弓矢があればよかった、というものでもない。引っかかって邪魔になっただろう。
妖木のしなる腕を弓ごとよけながら、狙いを素早くきっちり定めるのは至難の業――いや、精霊族の兄弟ならできたかもしれない。
だが聖霊魔術が使用不可なら、大抵の魔石も不発に終わる可能性があった。
普通の矢尻だったら、どの道たいしてダメージは与えられない。
いずれにせよ、ないのだから考えても無意味だ。
もっと離れた場所は、向こうのほうがボンヤリ霞んでいる。煙のような霧のような何かが揺蕩って、さまざまな色の星屑に似た光が内側で瞬いていた。
一応は光があるのに、どこか暗く、重苦しい。
あれ以上先へは進めないだろう、誰の胸にもそんな予感があった。
「おっ!? ――お待ちかねのが来やがったぜ、気ぃ付けろ!!」
「下じゃ!! どっさり来るぞぃ!!」
グレンとバルテスローグが叫んだ直後、ずずずず、と足もと全体が揺れた。
不吉な響きが底のほうから接近し、上へ向かって突き破る。
根だ。
太い根、細い根が大蛇のように何匹も地中からのたうち、身をくねらせ、したたかに地を打ちつけた。
ウォルドが咄嗟に詠唱を重ね、全員の結界を強化する。彼は攻撃を控え、補助と防御の役割に徹していた。
【断罪の神】の守護を得ている彼は、罪過ある者に対してバルテスローグ以上に優位だ。襲い来る無数の根が仲間達をズタズタに傷つける前に、それらは結界に阻まれて弾け飛ぶ。
土や岩石が飛んでくる様子はなく、土煙もあがらない。
やはり奇妙な空間であった。
ウォルドは二重の意味で安堵する。
視界は常に保たれ、全員を守りやすい。大柄な体躯と大剣で誤解されやすいが、彼の得意分野は攻撃より、味方への支援と防衛にあった。
そしてこの妖木は幼かった。我慢がきかずに癇癪を起こし、無礼者へ手加減なしに鞭を振るう、幼い皇子の成れの果てだ。
せっかく頭らしきものがあるのに、ろくに使っていない。
気に入らない輩は痛めつける、ただその一点のみで武器をブンブン振り回す。
単調で、攻略しやすいのだ。少なくとも現時点では。
ひとり真面目なウォルドのあちら側では、兄弟達が呑気に声を交わしている。
「なんだか懐かしいな?」
「ええ、前にもこんなのいましたね。あの時は……」
一閃。
青みを帯びた黄金の光が、根を二本、一気にもっていった。
明らかに、切っ先よりやや広い範囲がなぎ払われている。
二閃目で計六本、大小の区別なく地へ落とした。
アスファだ。
「うぉっとぉ……すげえな……」
「やるのぉ……」
「……圧倒的だな……」
「…………」
三閃目。
仲間の背後から忍び寄っていた根を落とし、その余波で周辺の細い根がごっそり消滅した。
瞳は不可思議な朝焼け色に揺らめいている。
謎めいて力みのない涼しげな横顔は、どこかの〝魔法使い〟を想起させた。
(……瀬名がここにいないのは、かなり勿体ないな)
せっかくの成長ぶりを、師匠筆頭に見てもらえなくて残念だったな。
エセルディウスは心の中で、少年へ純粋な賛辞を贈った。
(ふん……まあ、やるようになったと認めないでもないですよ)
ノクティスウェルは少し複雑である。
黙っていれば穏和そうに見えて、実は一番負けず嫌いな彼は、三兄弟の末っ子。
弟妹を欲しがる末っ子の心理が働き、彼は密かにアスファをやんちゃな弟認定していたのだ。
昔は駄目駄目だった弟に、いつの間にか追い越されそうな兄の危機感をちょっと覚えたのである。
そんな兄の焦りはともかく、四人目の弟に目立ちたい願望はまったくない。これまで静観していたのは、厳しい指導役達の教えをしっかり守っているからだった。
この面子の中で、最も実戦経験に乏しいのがアスファ。だから彼は初見の魔物に「俺も俺も!!」と前へ出たりはしない。
一歩引いた場所で、慎重に状況の推移を観察し、見極めようとしていた。
下からこういうものが来そうだ、というのは、以前にも経験済だったので、全員がすぐに対応できた。
アスファも準備ができていた。
ただ――彼には気がかりがあった。
暴れているのは、あの幼いほうだけ。
大きいのは、幼いのに引きずられ、強引に振り回されている様子だった。
中途半端に合体しているせいで、もう半分に好き勝手されている――そうとしか見えない。
だが、さっきからあいつは、焦点の合わない眼球をしきりにうろつかせながら、ずっと呻いている。
『……ぁあ…………だ……めだ………………ゃつが…………ゃ……が……ァ……あぁぁ…………』
……やつ?
こいつ、何を言っている?
凶暴な根のほとんどを仕留めながら、アスファの中に高揚感は生まれなかった。
むしろ、胃の中に氷を放り込まれたような感覚が、さっきから酷くなっている。
大きいほうは、動きたがる気配すらない。そのはずだ。
けれど、ずっと感覚を研ぎ澄ませていたアスファは、根の一部が違う動きを見せていたのに気付いた。
ほとんどは小さなほうの【ナヴィル皇子】の怒りそのままに、蟲ケラどもを潰さんと、とにかく滅茶苦茶に暴れまくっていた。
武器が強くて大きければ、振り回しているうちにどこかに当たる。そう言わんばかりに、勢いだけで攻撃してきた。
狭い空間ならばいざ知らず、ここはとりあえず広さがあった。幹の部分はこちらへ移動して来られないようで、ずっと定位置である。
だが――一部の根が、どこかへ逃げようとしていた。
いや、実際にどうかはわからない。
けれどアスファの目にはそう映った。
動かせない本体を必死に動かそうとして果たせず、それでも何かから、どこかへ逃げようとしている。
逃げたがっている。
そう見えたのだ。
(なんで?)
何から?
自分達か?
でもあの大きいのは、自分達に反応していない。
ずっとウロウロどこかを見て、前後の繋がらない呟きを垂れ流すだけ。
けれどどうしてか、思った。
あの根は、大きいほうの足ではないか、と。
(……どこを視て)
何を、言っている?
『……な…………くる………………ぁ…………』
ぞくり、とアスファの背を悪寒が貫いた。
直感だった。確証はない。
だが――。
「アスファ、どうした?」
「どうしました?」
凪いでいたアスファの感情が途中から変化したのに気付き、エセルディウスとノクティスウェルの声が被った。
砂漠で救いを見出したかのように、アスファは口をひらいた。
喉がやけに乾いている。
「こいつ、さっさと片付けねえと――なんか………まずい気がする」
攻撃意欲〝だけ〟満々なお子様と、まったくやる気なしのダメ大人が中途半端に合体したせいで。
ケルベロスは頭が三つもあるのに、ちゃんと戦えて凄いなと時々思います。




