293話 愚者の末路
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最高管理権限が指導者メンバーの一人に移った。
前任者の遺言はなく、後任も指定されていなかったので、ARKは彼らの定めた基準に従い、〝出資額〟で順番を決定した。
ARKは事の経緯を包み隠さず淡々と話し、会議室には形容し難い沈黙が降りた。余程お花畑な思考回路でもない限り、この人工知能様の〝ご性格〟が多少なりとも伝わっただろう。
会話の内容がまったく理解できていない連れの青年にさえ、「容赦ないな」と言わしめたほどのそれが。
逃げ場のない閉鎖空間の社会では、数十年もすれば人口が限界に達し、出産数が制限されるようになって――などと瀬名は想像していたけれど、そこまで保たなかった。しぶとく忍耐強い生まれながらの雑草諸氏と、この船の人々は人種が違っていたのだ。
己の要望は通るのが当たり前であり、そうでなければ気が済まない。表面上は今まで通り優雅に過ごそうとする者もいたけれど、その他大勢の扱いを許容できない者のほうが多かった。
新たな〝管理者〟の命令で、反発は警備ロボットに力業で押さえつけられ、ますます不満が爆発する悪循環。可愛らしい名称を付けられていたけれど、警備ロボの中身は軍事利用されていた機体を転用した代物だ。危険物である。
しかし、突っかかる輩はそんなことなどお構いなしだ。酷い者は周囲を巻き込んでの破滅願望を実行に移そうとし、船内の空気は加速度的に悪くなる。
そして人類を守る使命を持つARKの必殺技〝例外〟が再び発動した。
みだりに他者の不安を煽る者。犯罪行為に手を染める者。〝管理者〟へのクーデターを目論む、あるいは扇動する者。
――〝他の人類に著しく有害と見做される者〟ならば、ARKは命令がなくとも自らの判断で捕縛が可能だった。
《罰則・処分等について如何なさいますか》
『知らんよ! いちいち訊かんとわからんのかね! 頭を冷やしても反省の態度がなければ、適当に処分したまえ!』
考えるのが億劫になっていたのだろうが、これに言質を与えたらまずいと学習しなかったのか。
ARKは捕縛した人々に反省の意思を尋ね、否と返した全員を文字通り船外へ〝廃棄処分〟した。
違う、そういう意味じゃなかったのに!? ――なんて、撤回しようにも遅い。
情の一片も差し挟まない船の支配者に、人々は次々と機械的に〝処理〟されてゆく。
年齢も性別も立場も関係なく、万人が平等に。
そうして数十年どころか、一年も経ったろうか?
最終的に、自分で墓穴を掘って退場した一人を除く、初期の指導者メンバーだけが残された。
(お、ま、えぇぇ~……そうなるように持っていったろ!?)
優先度の高い指導者メンバーが残りやすいのはわかる。わかるが、本当にその連中〝しか〟が残らない状況となれば、それはもう意図してやっているとしか思えない。
巧妙に言質を取りつつ、メインが最後まで残るように。
当事者ではないのに、さっきから瀬名の精神まで消耗が激しい。「あ、こいつ駄目だな」とピンときた連中がことごとくフラグを回収してくれるのだから、たまには意外性のある言動で回避してみせろと愚痴りたくなるほどである。
メインも予想通りというか、それぞれ素敵な最期を迎えたようだ。直視できなかったので効果音と悲鳴だけだったが、想像と大差のない光景が展開されていただろう。
しかしこれで乗客すべてがいなくなってしまった。この場合ARK・Ⅰはどうなるのだろうか?
(――ああ、そうだよ。クローンの話が一切出てない。っていうか、そうか……複製は複製であって本人の復活とは違うから、ARK・Ⅰには冷凍睡眠の設備はあっても、人ひとりまるごと作成できるクローン設備が、もとからない……?)
……何故?
それらの設備はARK・Ⅲに詰め込んでいたとしても、すべての船が万全な状態でいられるとは限らなかったはずだ。
リスクを分散させるなら、船ごとに別の役目を集中させるのではなく、すべての役目をすべての船に割り振ったほうがよかったろうに。
予測できなかったのか? 一隻しか残らない状況を。
最悪のケースを想定しなかった?
生身の乗客が大勢いるのだから、この船にはクローン設備なんて必要ないと思っていた?
(まさか、そんなわけが……)
それとも。
想定しておきながら、こうなるように持って行ったのか。
誰が?
映像の中で、どこかに答えがあったろうか?
わからない。
視界が白光に染まった。つい青年の胸に押しつけていた顔を上げる。
音もなく、船の中心に小さな太陽が生じた――そんなふうに見えた。
これが幻でなければ、網膜がやられていそうだ。
ARK・Ⅰは崩壊し、消滅した。
〝使命〟を果たせなくなったために、自らを〝処分〟したのだ。
背中に回された腕に力がこもった。
どちらも、もう言葉がなかった。
◇
と、思いきや。
「うわっ?」
ぐにゃり、と目の前が気持ち悪いマーブル状に歪み、一瞬酔いそうになった。
ひとつ頭を振ると、そこには再び暗黒の世界があり、ゆっくりと進む三つの影があった。
「ん? ……戻ったのか……?」
「えええ~? いつまで続くの、これ? もういいよ~」
何故いきなり巻き戻ったんだ。瀬名は本気で泣きたくなった。青年が共感を込めてよしよし頭を撫でてくれたので、少し和んだ。
子供扱い上等。心の平穏のために、「わかるわかる~!」は大事なのである。
口先だけの慰めでなく、彼も「またあれか?」とげんなりしていたのだった。
同じ展開になった。
一隻が大破、もう一隻が巻き込まれ、ラストの一隻が逃げのびる。
「だからもう観たってば、もう嫌………………え?」
「…………?」
――違う。
冷凍睡眠のカプセルが、ざっと百。
そしてそこから出てきた人数は、十名。
(ちょ、もしかしてこれ)
その中の一人に、目が釘付けになる。
(……倉沢博士!)
他の二船が消滅したと判明し、パニックが起きた。
ある者は発狂し、軟禁された個室で死亡。
ある者は口論となり、誤って相手を殺害。その後自殺。
もう一度冷凍睡眠カプセルに戻ろうと試みた者もいたが、解凍直後の連続使用により全身が壊死して死亡。
生存者間で恐怖と疑心暗鬼と絶望が広まり、自殺が連鎖……これは間違いなく、聞いていた通りの展開だ。
(ARK・Ⅲだ……この船はあいつだ。じゃあ、さっきまでの映像って何だったんだ? この映像って?)
しかし、だとすれば――。
『ARK・Ⅲ…………瀬名さんを再生してくれ』
うわ、きやがった!! 瀬名は息を呑み、おそるおそる連れの男の顔を見上げた。
シェルローヴェンは恐ろしく真剣な表情で、食い入るように見つめている。
ああ、と溜め息が漏れた。
あの〈東谷瀬名〉の過去編では、意外と決定打がなかったのだ。そもそも外見からして大幅に別物になっているし、「ARK」の単語は一度も出てこなかった。
顔がそっくりで「瀬名」と呼ばれていたから、血縁者かな、ぐらいに思われていた程度だろう。肉親で同じ名前というパターンもよくあるのだし。
その通りだった。シェルローヴェンはこの瞬間、初めてあの過去編に強い違和感を覚えたのだった。
自分が思い込んでいたものと、真実は大きく異なっているのでは、と。
《〈東谷瀬名〉のクローンの作成、および補助脳を介してのオリジナルの記憶情報移植を希望しますか》
『ああ……そうしてくれ』
そして、新たな〈東谷瀬名〉が生まれるまでの細かい過程については「一任する」と言質を与えた。
こいつにそんなものを与えたら駄目だと何度言ったら。
みんなそれで大失敗して、あんな悲惨な末路を迎えているというのに。
遠い目になる瀬名を余所に、つつがなくARK・Ⅲは命令を実行した。培養カプセルの中で、少しずつ大きくなってゆく何らかの奇妙なかたまり。
それが人型に近くなっていくにつれ、瀬名の肩を掴んだシェルローヴェンの手に徐々に力がこもってギリギリ。「いや~ん、いた~い」と茶化しかけて、さすがにやめた。いろいろ怖かったので。
「! ……すまん」
何も言わずとも、あちらのほうが気付いて力を弱めてくれた。紳士である。
(なんだってこの紳士が、よりによって私にとち狂――や、何でもない、何でもないヨ…………って、はああぁあ!? なんじゃこりゃぁあ!?)
何故だ。
何故、〈東谷瀬名〉そのままの〝瀬名〟が出てくるのだ?
シェルローヴェンから驚愕の気配が伝わってくるけれど、瀬名も吃驚仰天である。
肉体年齢を十歳程度に抑えた瀬名ではなく、以前と差異のない瀬名が出てきてしまった。
(あのぉ~!? シェルローさんにどう説明しようかなって思ってましたら、私のほうがどうなってんだか説明プリーズですよ!? あーくさん!?)
見慣れた大人姿の〝瀬名さん〟に再会できた倉沢氏は、はっきり言って…………キモかった。
有体に言えばストーカーである。自覚のないアレなタイプである。
せめて記憶情報の移植がなければ、無知な子供よろしく素直に倉沢氏を信じたかもしれないが、タラレバの話だ。
『ほかの人達も蘇らせてあげるから大丈夫だよ。寂しくなんてないからね』
笑顔がキモい。発言もキモい。
だいたい、ならばどうしておまえ以外の九名はそうしなかったんだという話である。
『じゃあなんであんたの同僚は、最初からそうしなかったの?』
『…………』
不信感をあらわにして〝瀬名〟が尋ねた。考えることは変わらないようだ。
答えは、先ほどの救いのない閉鎖系パニックホラー。ARK・Ⅰの乗客が辿った運命。逃げ場のない空間で人を増やしても、いずれああなるだけだと倉沢氏の同僚達には想像できてしまったのだ。なまじ頭が良く、先が見えてしまった。だから絶望した。
本当は倉沢氏もわかっている。見ぬふりをして、目先の安心を求めただけ。その個人的な望みを満足させるためだけに、あの〝瀬名〟は創り出されてしまった。自分を振った女への復讐のつもりという線もある。無いと言い切れない迷惑野郎だった。
ここからまたホラー映画再開である。もう本当にやめて欲しい。狂気の男に追いかけ回されるヒロイン、全力で逃げるヒロイン――本当にやめて欲しい。まず瀬名がヒロインという時点で大いなるミスキャストである。どんな需要があるというのだ。
この時点で〝マスター〟はまだ倉沢氏のほうだというのが、ますますピンチであった。
しかし、無敵のARK氏があちら側にいる割に、なかなか〝瀬名〟は捕まらない。思い通りにならず、どんどんイライラしてくる悪の倉沢博士。
(……多分ARKさん、倉沢氏を嫌ってるからだな……)
アッ! というところで絶妙に倉沢博士のミスを誘発させている気がする。
しかも倉沢博士のミスで、クローン設備が壊滅してしまった。何をやっているのだこの男は。呆然としたり畜生と叫んだり忙しいことだ。
全力で逃げるヒロインは、何ら特別なことをやるわけでもない。当たり前だ、科学者でも専門知識があるわけでもない。たいして他人様に誇れるような趣味もなく、ただの普通の人なのだ。平社員だったのだ。
いきなりどこかのシステムを操作して船内の見取り図を発見できたりとか、強引にどこかのパネルを開けて線を引きちぎったり回路に傷をつけたりとかできるわけがない。
そういうものは一般人には触れられない設計になっているからでもあるが、実際問題、もし勝手にいろいろいじっていたとしたら、ARK・Ⅲに敵認定されていた恐れもある。何もせず逃亡一択で正解だったのだ。
そうこうしている内に、狂気のストーカーは滅びた。ほとんど自滅だったが、ARK氏に誘導された可能性が濃厚である。
荒い息をつきながら、がっくりと座りこむヒロイン。さぞ疲れたろう、途中からはほぼ歩いているのと同じ速度だったけれど、〈東谷瀬名〉と同じだったなら運動能力は底辺だ。よく頑張った。
《倉沢基成の死亡を確認。現時点をもって当船の最高管理権限を東谷瀬名に移行します。――私は自律思考型人工知能、ARK・Ⅲと申します。よろしくお願いいたします、マスター》
さて、ただの追いかけっこのためだけに、倉沢博士があれこれ壊してくれたせいで、船内は結構な有様になっているのだが。
これからよろしくと言われても、どうするのやら。
『ARK・Ⅲ――私を、あんたごと〝処分〟ってできる?』
《可能です》
可能なんかい!? 瀬名は全力で突っ込みかけた。
『処分方法の指定は、私とあんた双方の〝消滅〟。それは可能?』
《可能です》
『開始から完了までの最短時間は?』
《カウントは十秒に短縮し、ゼロ時点から消滅までにかかる時間は一秒以下です。細かい数値と方法の確認を希望されますか》
『いや、いい。すぐに実行して』
《承知いたしました。カウントを開始します。十……九……》
『悪かったね……私らの都合で、こんな所まで付き合わせて……』
《いいえ。……六……五………………良い旅を、マスター》
〝瀬名〟は少し笑ったように見えた。見間違いかもしれない。
光が貫いた。何度もそればかりを目にして、眼球は大丈夫だろうかと愚にもつかない心配をしてしまった。
どうしていつも、終わりはいつもこう静かなのだろう。あれほど大騒ぎだったのに、今はもう耳鳴りすらしない。
船が完全に消えて、瀬名はオリジナルそのままの〝瀬名〟が出てきた理由を悟った。
あの〈星〉がない。
皆の住んでいる、あの世界がどこにも見当たらなかった。
そもそもARK氏が瀬名の肉体年齢を十歳程度で抑えた理由だが、〝若い身体のほうが新しい風土に適応しやすく、各種耐性をつけやすい〟と判断したためだった。
つまり、新天地を発見しているからこその肉体年齢。それがないので、命令そのままの〝瀬名〟を作ったのである。
見慣れた大人姿の〝瀬名さん〟に再会できた男は、だからこそすぐに頭を吹っ飛ばしたりはしなかった。変に歪んだ希望を持ち続けてしまった。
まあ、結局は頭のトんだストーカー博士として、あちこち無駄に破壊した挙句ARK氏に滅ぼされてしまったのだが。そもそもARK氏はこの船の搭乗券を得た科学者を嫌っているふしがあったので、どう転ぼうが予定調和だったのだろうけれど。
(やばい……なんか、また泣きたくなってきた。くそ、このタマネギ空間め、人の涙腺攻撃ばっかりしやがって)
わけがわからないなりに、わかったこともある。
これらはどうも、もし新天地に辿り着けなかったらこうなっていた、という映像ではないか。
どのARKが長生きしようが、〈東谷瀬名〉の過去編には影響がなかった。だから、三隻の方舟のシーンから分岐が始まっている。
ただし、それはそれで新たにわからない点が増えた。
――どうして、辿り着けなかったのか?
倉沢氏はエリートのプライドが強く、天才ではなく秀才タイプ。
本物の天才肌は船に乗っておらず、科学者と言っても上に逆らえない会社員タイプでした。
次もこのぐらいのペースで更新したいと思います。




