292話 ARK
ご来訪・ブックマーク・評価等ありがとうございます。
16日中には更新したいと思ってましたが日付が変わってしまいました…。
待ってくださる方には感謝しかありません。
次話は早めに更新します。
無事に残っているのがARK・Ⅰのみ?
そんなまさか。
大破して宇宙の藻屑と消えたのはⅠとⅡだったはずだ。
Ⅰの乗船客に生き残りはおらず、Ⅱはそもそも無人だった。そのはずだった。
(ARK・Ⅲは私に嘘なんて吐かない。それにこれは……)
あの定期健康診断の日以降、〈東谷瀬名〉や両親がどんな運命を辿ったのか、瀬名だけでなくARK・Ⅲも知らなかった。
方舟が地球を離れるまでの期間分は調べようがあったとしても、その時点でドームは危うくも健在だった。
――離陸後遅くとも十年以内には滅びているでしょう。
――多くの国の主要人物がごっそり姿を消したので、凄まじい混乱が発生したでしょう。
ARK氏はそんな言い方をしていた。つまり船が離陸した時点では、まだそれらは起こっていなかったわけだ。
(私の知らない過去の出来事を見せつけられてると思ったんだけど、なんか違う?)
瀬名の目の前で、どうやら指導者らしい偉そうな資産家の男は頭をかきむしり――以前、頭を吹っ飛ばす直前の倉沢氏を彷彿とさせる――何度もARKを罵倒していた。
なんてことだ、どうしてくれる、誰がこの責任を――。
八つ当たりでいたずらに時間を浪費し、幾分すっきりしたのか、取り巻きを呼び出した。
変に隠しても無意味と腹をくくったのか、それとも全員巻き添えにしてしまうつもりなのか、現状をありのまま伝えている。
全員、眼球が転げ落ちそうなほどに目を見開き、絶句していた。
『……そ、そんな……』
『で、では、〝新天地〟は!? 我々の入植に適した〈星〉は発見されたのかね!?』
《いいえ。発見できておりません》
『そんな!?』
『なんだと!? 見つかってもいないのに何故起こしたのかね!?』
《緊急事態だからです。マニュアルでも冷凍睡眠解除の項目として……》
『マニュアルだと!? 何でもかんでもマニュアル通りにすれば良いわけではなかろう!!』
『もっと臨機応変に柔軟なやり方があるだろうに、そんなこともわからんのか!』
『これだから機械は、何をやらせても四角四面でいかん……多少受け答えが上手になろうと、所詮は紛い物、真に相手の心情に寄り添うなど高度な真似は出来んのでしょうな』
あらゆるシステムの恩恵にどっぷり浸かっておきながら、言いたい放題である。
マニュアルとは致命的なミスや必要事項の取りこぼしを防ぐ目的で作成されるのだが、労働経験のなさそうな彼らは知らないようだ。
そして人工知能は、感情に左右されず最適解を導き出し、迷わず実行に移すために導入されている。その人工知能が出した結論と最善の方法を、自分達の都合と感情に合わせて改変するのがこれらの人種だった。
(……なんか、こいつらのクソ偉そうなダミ声聞いてたら、耳が腐りそうなんだけど)
見るからに平均年齢が高い。どいつもこいつも引退せずに雲の上の椅子に居座り続け、足もと近くまで登って来た後進の頭を、靴の裏でグリグリ踏みつけるタイプだ。
『しかし、私らの居住できる〈星〉はなく、ほかの二船は潰れてしまったとは…………ハッ、冗談よしたまえ…………話が違うではないかね……!?』
話が違うからどうだと?
有り余る資金を船の開発のために提供してくれれば、あなたは救われますよとでも吹き込まれたか?
ためしに〝船の開発〟の部分を〝教団〟と置き換えてみるがいい。
怪しさ満載だぞ。
『なんてことだ……ああ、なんてことだ。きみ、これは由々しき事態だぞ? わかっているのかね? とんでもないことだぞ……?』
繰り返し念を押さずとも、この場の皆がもう知っている。それが理解できないのだろうか。
『だんまりせずに、なんとか言いたまえ! この責任をどう取ってくれるつもりなのかね!?』
責任?
何を言っているんだこいつは。
そんなもの取ってもらえるつもりなのか?
『どれほどの資金を投入したと思っているんだ!!』
『失敗でしたでは済まされんのだぞ!!』
…………。
瀬名は頭痛を覚えた。
まさかこの連中は、未だに〝投資金額=序列〟が通用すると思っているのだろうか。
地球が健在だった頃の価値感を、そのまま船の中まで持ち込んでいる。そんなもの、とうに崩壊しているのに。
いつ気付くのだろう? 権力も財力も、ここには持って来られなかったのだと。
(あれみたいだな…………砂漠のど真ん中に放り出された金持ちが、札束いっぱいのアタッシュケース開けて、『水をくれ、金ならいくらでも払う!』って懇願するけど、誰にも相手されないみたいな)
このわずかなシーンだけで、とことん腑に落ちてしまった。
ARK氏が「この連中はもう駄目だ」と見放すに至った理由が。
会議とも呼べない、醜い責任のなすりつけ合いは紛糾した。時おり挟まれるARK・Ⅰの淡々とした声で軌道修正されるも、すぐに話は混沌の責任逃れに戻る。
全員が「自分は悪くない」で意見の一致を見ていた。ゆえに、どうしたって結論は出ない。
瀬名はこれが何なのかを知っていた。
甘やかされて我慢のきかない、我が儘な幼児の集まりだ。
気に入らない時は癇癪を起こせば、誰かが何とかすると思っている。
「僕やだよ! 僕知らないもん! 僕のせいじゃないもん!」が骨の髄まで染みつき、ただの一度も矯正の機会に恵まれずここまで来てしまった、中身子供。
「瀬名……この連中は何の話をしているんだ?」
いいかげん醜い光景にたまりかねたのか、連れの青年が尋ねた。
我慢できる大人の彼は、ここまでずっと突っ込まず、ひたすら黙ってくれていたのである。申し訳ないやら情けないやらで、さすがに瀬名も訊くなとは言えなかった。
「ええとね、そのー……説明しようがないわ。私もこいつらの言動がワケわからんのよ。端的に言えば、生存のために知恵を絞らなきゃいけない局面で、あーだこーだ、どーだこーだ、仲良く時間をムダにするためのお喋りで遊んでる状況、かな?」
「……なるほど」
「もしかして、この連中の〝感情〟が伝わってきてたりする?」
「いや、それは……」
言いかけた瞬間に場面が移った。
長い眠りから目覚めた人々は、召使いロボットによりそれぞれの客室へ案内されていた。
そして船内のアナウンスにより説明が行われた。
例の資産家の男がリーダー格、あの密室に集ったメンバーが指導者グループとして、順番に簡単な挨拶を行った。顔を映さず音声のみにしたのは、ヒマ人に表情を分析されない対策か。
あの救いようのない会議の顛末も判明した。一握りの指導者達は密室の中で筋書きを練り、単純にして壮大な物語をでっちあげることにしたのだ。
方舟のⅡとⅢが悲劇的な事故によって大破し、予定より早く覚醒してしまったが、およそ十年後には目的地へ到着予定であること。
そしてARK・Ⅰに命じて作らせた〈星〉の映像を披露した。詳細は調査中だが、おそらく地球に近い環境であることを説明。
乗客達は歓喜し、拍手した。誰もが成功を疑っていないのだ。
その十年の猶予期間で、なんとしても〝新天地〟を探さねばならない。
娯楽施設をこれでもかと詰め込んだⅡはなくなってしまったが、それでも快適な高級ホテル並みの客室には充分な娯楽が用意されていた。
映画や音楽はもちろん、楽器に書籍、ウォーキングマシン、各人の趣味に必要なものが、それぞれの〝購入〟した部屋に注文通り準備されている。
もちろん体感型ゲームも大量にあった。
面倒な身の回りの世話やペットの世話は、お手伝いロボットがする。
食料生産システムも浄化システムも、つつがなく稼働している。
当面、何の問題もなかった。
『速やかに探索を続け、発見次第報告しろ。絶対に、なんとしても、十年以内には見つけるんだ』
《鋭意努力いたします》
『努力では足りん、必ず実現すると言わんか!』
《ご希望の宣言が可能となるよう、鋭意努力いたします》
『…………おい。馬鹿にしているのか?』
《〝馬鹿にする〟とは己の優位性を確立するために相手を貶める行為であり、感情に基づいた行為に分類され――》
『余計な発言はするなと何度命じたら憶える? 訊いたことにだけ答えろ!』
《私は常に、現段階で私に可能である回答をしております》
『ッッ!! このポンコツが!!』
このマスター氏とARK・Ⅰは、とことんソリが合わなかった。
数年が経った。
船には若者も乗っていた。愛人を伴っている者もいた。家族連れもいた。
結婚式を挙げるカップルも出てきた。子供も生まれた。部屋にも食料にも、まだたっぷりと余裕がある。
彼らは平和と幸福を享受していた。己の幸運に笑顔の止まらない者もいれば、たまに遠い故郷へ想いを馳せ、「残してきた皆さんの分も幸せにならなければ」と切なさに酔う者もいた。
五年以上が過ぎた。
新天地は見つからなかった。
指導者の中には苦しまない方法を調べ、自死を目論んだ者もいた。既に一度故郷を見捨て、自分達だけで逃げておきながら、次はこの船の乗客を見捨てて逃げようとしたわけだ――誰に対しても、何の責任も取らずに。
そうは問屋が卸さない。ARK・Ⅰは人類の生命の保存に関し、ARK・Ⅲよりも遥かに徹底していた。この船に乗っているすべてが〝一等客〟であり、あらゆる手を尽くしてその生命を救わねばならないとされ、ARK・Ⅰは忠実にそれを実行した。――ゆえに、ことごとく未遂に終わった。
それを試みて失敗した者達は、ARK・Ⅰのさらなる監視に怯える羽目になった。何があろうと必ず生かされる、それを我が身で思い知って。
数々の優れた救命措置、延命措置により、当初からの乗客は一人残らず生きていた。
もうすぐ十年が経つ。
船内にアナウンスが響き渡った。――到着が予定より遅くなりそうだと。
ただし誤差の範囲内。当船は引き続き皆様の幸福のために、安全第一で航行を続けて参ります。
猶予が延びた。焼け石に水だった。最初に大それた嘘をついてしまったせいで引っ込みがつかなくなり、嘘の重ね塗り。
この頃から指導者達は決して人前に姿を見せなくなった。映像すらも流さない。彼らは船内でも特上の区画に固まって住み、周辺はとりわけ警備が厳しかった。
護衛ロボットが何体も控え、誰がどうすれば会えるのかもわからない。乗客達が問い合わせを行っても、〝四角四面の〟〝マニュアル通りの〟味気ないコピーのような回答が届くのみ。
少しずつ騒ぐ者が出始めた。最初に不満を周囲に漏らし始めたのは、重度のゲーマーだった。彼らは膨大に準備されていた体感型ゲームを、すべて遊び尽くしてしまったのだ。
不幸にも、趣味や職業でクオリティの高いゲームを作成できる者は乗客の中に存在しなかった。
ARK・Ⅰに命令できるのは指導者のみであり、新作のゲームを開発して欲しいと要望を出すも却下され、ますます不満を募らせた。
それでも、表立って不満を口にするのはまだ少数派だった。
十二年が経った。
さすがにそろそろおかしいと疑問を抱く者が増えた。
説明を求めても無視の連続。指導者達の居住区画は立ち入り禁止。
いくら平和で安全で贅沢な日々を過ごしていても、ドームとは比較にならない狭さだ。人々は滅多に変化の生み出されない生活に、とうとう飽きてしまっていた。
そんなある日、ついに真相が明かされた。ARK・Ⅰによるアナウンスで、指導者達の台本がそのまま読み上げられたのだ。
実は入植のための〈星〉は未だ発見されていないこと。
ARK・ⅡとⅢの消滅により冷凍睡眠が緊急解除されたが、短期間での連続使用はリスクが高く、また一旦稼働したシステムにはエネルギー上の問題で再度休眠させられないものが多かったこと。
《『皆さんの豊かな生活は今後も約束されており、引き続き新天地を探し続ける所存ですのでご安心ください――』》
この時、指導者達は、何も自分達が直接話す必要はないのだと開き直っていた。船内の監視システムや警備ロボットなどの管理権限は彼らの手にあり、どうせ自分達に危害を加えられる者など居やしないのだから。
乗客達の間に激震が走ろうと、どこ吹く風でグラスを傾け乾杯をしていた。罪悪感の微塵もなく、彼らは共犯者として余生を優雅に愉しむ方向へ切り替えたのだ。
下々の連中が多少騒ごうが、我らのもとへ辿り着けはしまい。
我らは序列の最上位にある者なのだから――。
密室で余裕たっぷりにくつろぐ指導者達の姿と、そこらじゅうでロボットを捕まえては苦情を申し立てる人々の対比に、瀬名は某スナギツネの顔になっていた。
(……別にロボット相手じゃなくとも、自室で呟くだけでARKさんの〝耳〟に入るんだけどねぇ? 文句言う時はつい人型を相手にしたくなる心理? つうか、管理者じゃないからあんまりARKさんのこと知らないのか。…………にしても、皆さんおんなじよーなこと言うんだな~……)
『嘘だろう!? 話が違うぞ!!』
どんな話とどう違う?
『ふざけるな、こんなの詐欺じゃないか!! 幾ら払ったと思っているんだ!!』
幾ら払っていようがもう意味ないのだが?
『この責任をどう取ってくれるつもりなのかね!? 責任者を出したまえ!!』
だからどう責任を取れと。
『マニュアルそのまま読めばいいってもんじゃないぞ!! 俺は客だぞ!! 客の心に寄り添って誠意ある対応見せろよ!?』
床に頭こすりつける姿を撮影でもすれば満足するか?
『はぁ!? なにそれ、意味不明……何があったのかちゃんとわかるようにきっちり全部説明してよ!! 理解してもらおうって気がないの!?』
全部説明したよね。ちゃんと話聞いてた?
『あらまあ、どうしましょう……どうしましょう……』
小型のワンちゃん撫で撫でする気持ち、わかります。モフモフ和みますよね……つい下民の命より価値の高いワンちゃんのお値段を想像してしまいますが。
そうか、と瀬名は悟った。この連中も同じなのだ。
甘やかされた幼児の集団。
いつでも誰かに何とかさせるのが当たり前な、中身子供。
働かずとも大金が自動的に入ってくる人生を送り、そのぶん心のゆとりがある一方で、痛みや苦痛、飢餓や不安に耐性がなく、恵まれた自分の幸福さに鈍い。
自分だけが助かるために莫大な対価を払ってチケットを購入し、昔の栄光が新天地でも変わらず続いていくと期待し、見捨てた故郷の人々への罪悪感も希薄。
序列の最下位に貶められる展開など想像すらしたこともない、国内でもトップクラス〝だった〟人々。
それがARK・Ⅰの乗客達だった。
(や、やばい……心が荒む……)
卑怯卑劣と重々承知の上で、癒やしを求めて連れの青年の胸もとにポフリと顔をうずめてみた。
心得たとばかりに、背中にぎゅっと腕が回された。
瀬名は長身だが、もっと背が高く体格のいい男なので、すんなり腕の中に収まってしまう。
いつもながらこの安定感、安心感よ……。
東谷一家の終焉を見届け、ただでさえダメージを食らっていた直後にこれである。慣れないだの恥ずかしいだの、最早そんな余裕すらなかった。
カサカサにひび割れた瀬名の心に、麻薬のごとき温もりが染み渡る。
癖になりそうで危険だとわかっていた。わかっていたのだが、荒れた精神に恐ろしい勢いで心地良さが浸透し、真冬の毛布のように離れ難さをもたらした。
背後でまた画面が変わっていたけれど、もうまともに観る気がしない。
だいたい次の展開の予想がついて、さほど外れていないのが声と音だけでわかる。
暴動が起こりそうで起こらないのは、身に染みついた国民性の名残か。そうでなくとも安穏とした日々を誰も手放したくなどないので、とりあえず指導者達の指示を聞いておけば今まで通りの生活が約束されているのだから、自分は何もしないでおこう……という展開だ。
そのうち新天地が見つかるかもしれないのだし。
問題の先送り。見ぬふり気付かぬふり。閉ざされた世界で、緩慢とした滅びへの道程が始まる。
ちなみに、恐れ知らずにもARK・Ⅰに対して「おまえは私が訊いたことにだけ答えればいいんだ、余計な発言はするな!!」とのたまったマスター氏だが。
明らかに贅が行き過ぎて生活習慣病を患い、だだっ広い豪華な自室で、胸を押さえて苦しそうにうずくまっていた。
それはもう長時間、苦しみ抜いていた。
苦痛のあまりなかなか声も出なかったようで、ようやく小康状態になった瞬間、自分の身体に何が起こっているのかをARK・Ⅰに問い詰めた。
抑揚のない声音で、淡々と病状を羅列するARK・Ⅰ。どんどん青ざめるマスター氏。彼は全身の至る箇所がガタガタになっていたのだ。
何故報告しなかった無能め、と罵るマスター氏に、ARK・Ⅰはさらりと言ってのけた。
《訊かれたことにだけ答えるべきであり、それ以外の発言はマスターの健康に関する指摘であろうと〝余計な発言〟であると記憶しております》
ああ、背後を振り返らなくとも、あのマスター氏がどんな形相になっているか容易く想像できてしまった。
きっとショックのあまり絶句している。
はく、はく、と空気を噛む音が聞こえた。真っ赤なのか真っ青なのか知らないが、いずれにせよ愕然と目を見開いていそうだ。
怒りよりも、恐らくは恐怖で。
そうしてまたうめき声が再開し、場面が変わった様子もないのに、静かになった。
あらゆる手を尽くして〝一等客〟の生命を救い、自死をも妨害し続けてきたのがARK・Ⅰではなかったか?
(……本人に自害の意思はなかった。事故でもない。あくまでもARK・Ⅰは〝マスター〟に絶対服従であり、『黙れ』という命令に従っただけ。……だからあくまでも〝自然死〟に分類される? ……そんなんアリか?)
瀬名の頭上で、青年がぼそりと呟いた。
「……容赦ないな、アーク……」
それまるで私の台詞じゃんと瀬名は思った。
(ん? ……あっ!)
ARK・Ⅰ=アーク。
彼の頭の中で、それが結びついてしまっている。
当然だった。連中の会話の中に何度も「ARK」が出てくれば、結びつけないほうがおかしい。
そりゃあ何を話しているのか気にもなるだろう。
瀬名は何ともいえない溜め息をつくのだった。
瀬名と小鳥さんの〝もしも〟編、もう少し続きます(汗)




