28話 十六歳、さあ〈森〉へ行こう (前)
雲ひとつない清々しい青空の下、門前まで見送りに来てくれたセーヴェル騎士団長と当たり障りのない挨拶を交わし、瀬名は漆黒の魔馬の首をぽんと叩く。
心得た馬は「グルルゥ」といななき、その声の凶悪さと裏腹な従順さでゆっくりと歩み始めた。
一歩遅れ、左右を守る位置で、数騎の騎馬の姿が続く。
彼らの共通点は、身を包む凛々しい辺境騎士団の制服だけではない。
誰もが恐れ、身構えずにいられない精霊族の子に対し、即座に己を取り繕えた胆力である。
そのせいでお目付け役を押しつ――任された、騎士団でも随一の貧乏く――猛者達であった。
率いる班長の名はセルジュ=ディ=ローラン。ミドルネームの〝ディ〟が示すとおり、彼もまたセーヴェルと同様、貴族出身だが家を相続する予定のない騎士だ。
長い濃紫の髪を後ろでまとめ、理知的な同色の双眸で見据える姿が、ミステリアスな美貌の騎士様として、ドーミア中の若い女性達の憧れの的になっているらしい。城のメイドさん情報である。
(紫ヘアーかぁ。似合う人は似合うんだなあ)
昔、生まれる前の我が子のDNAをいじって頭髪の色を変える技術が流行り、途中から法で規制されたのを思い出す。
生まれながらに真っ青な髪や真っピンクの髪の子は、親からすればロマンのひとことで片付けられても、一生その色を背負わされる子の側からすればたまったものではない。
まず、典型的な東洋人顔に、果たしてそんな髪色が似合うのか。西洋人でも人によっては微妙な印象になる。
さらに、格闘家を目指す少年の髪がベビーピンクだったり、引っ込み思案な少女の髪がライトグリーンだったりすると、あらゆる意味で悲劇だ。髪だけでなく眉毛その他、全身の体毛がそんな色になるのだから。我が子を芸能人にしたくてハジけた豹柄にしたらばどっこい、〝しょうらいのゆめ〟の作文に〝べんごしになりたいです〟と書かれたらどうする気なのかと。
そういう本来ありえない色をもつ子は、〝そういう親がいる〟とレッテルを貼られ、進学や就職などに不利に働いた。ゆえに大人になって貯金し、わざわざ無難な黒や茶色へ色素変換手術を受ける者が多く、やがて法規制に至ったわけである。
ファンタジー世界なら、奇抜な青髪や緑髪の人間は珍しくないかと思いきや、こちらでも普通の人族には存在しない色合いだった。そういう色が発現している者は、他種族との混血だったり先祖返りだったり、特定の属性の魔力に特化していたりと、とにかくどこかが他人とは違っていたりする。
騎士団という器の中には、家督を継げない良家の次男坊三男坊の他に、そんな〝訳あり物件〟も多く受け入れられていて、この班長殿もそのひとりだった。
(主人公だ。ここにも主人公がいる……!)
と思いきや、直接言葉を交わしてみれば、ほのかに苦労性の香り漂う、普通に性格のいい好青年だった。
「容姿に勝手なイメージを抱いた猛禽類に群がられては、勝手に幻滅されてしまうそうですよ。モテるだけまだいいだろという意見もあるんですがね」
「私のこれをモテるとは言わん……〝捕捉される〟と言うんだ」
部下の軽口に、班長は嫌そうに返した。猛禽類とは上手い。
「親しくなるなら、性格も人当たりもいい好人物の方がいいに決まっているでしょうにね」
フォローのつもりはなく本気でそう言ったら、真面目な顔で相槌を打つ者が続出した。
「部下になるなら、上司は好人物がいいに決まっています」
「まさに。私の父は若い頃、上がクズだったせいでさんざんえらい目に遭わされてましたし」
「ああ、グランヴァル侯爵領の騎士だったか。あそこは今も大変と聞くな」
「グランヴァル?」
首を傾げて尋ねれば、いまいましげに「そうです」と返ってきた。
「幼い頃、一家全員でかの地から逃げてきたのですよ。父は騎士だったのですが、上の方に横領の罪をなすりつけられまして」
「それはまた……ご家族は全員無事にこの地へ?」
「はい、幸いにも」
「あの地はいまだ、民の間で別名〝地獄界の入り口〟と呼ばれてますよ」
「地獄界」
治水や治安・防衛費などを遊興につぎこむ領主一家。賄賂で犯罪を見逃す警備兵。命を削っても足りないほどの重税を課される民。
そういえばそんな話をARK氏の講義で聞いたな、と瀬名は漠然と思い出す。
「騎士とは、どんな苦境でも最後まで主君を見捨てず、その場に留まるべき存在――なのですが、そんな父が移住を決意せざるを得ないほど、あの地は酷かったのですよ。父はこちらに着いてから、騎士の名を返上しました。その資格がないからと言って」
「一家全員処刑されるか、飢え死にするかの瀬戸際だったということですし。しょうがないと思うんですがね」
「しかも冤罪で、だろう。おまえの父君が責めを負うべきではないと私も思うぞ。心情的に、己を責めたくなるのもわからんではないがな」
最後にセルジュ=ディ=ローランがしめくくった。部下の父をいたわりつつ、若干重くなった話題に終了のサインを送る。
若いが出来る上司だった。部下にも慕われているようだし、多少生真面目な傾向はありそうだが、旦那にするならこういうまともな人格者こそが最適だろう。
なのに猛禽類達は、「なんか思ったのと違う」という理由で、美味しい獲物を毎回逃しているわけだ。もったいない。
他人を虫けらのようにあしらったり冷たい瞳で睥睨したりしないところが不満って、何がどうしてそうなるのだろうか。謎だ。
ともあれ、同行者が常識的な好人物だったのは、瀬名にとって歓迎すべきことだった。
◇
歯の位置や形状が馬とは異なるのでハミはなく、手綱は首に装着したベルトから伸びている。
仮想現実体感型RPGで捕獲した魔獣を乗り回した経験が活きたらしく、初めての乗馬だったにもかかわらず、瀬名自身驚くほど違和感なく乗りこなせた。
馬が指示を無視する心配もない。意思疎通がかなり楽にできるので、素人に優しい乗り物と言えよう。
「さすがですね、魔馬がこれほどあっさり従うなんて。本当に乗馬未経験なのですか? 知能が高いぶん気位も高くて、普通は素人をすんなり乗せたりしないんですよこいつらは」
――と思ったら違った。聞けば、下手くそが乗った場合はろくに動いてくれなかったり、嫌がらせでわざと別方向に歩いて行ったりするらしい。
とりわけ新米騎士が最初にぶつかる試練が、魔馬とのコミュニケーションなのだとか。
「バランスの取り方もお上手ですし、素人には見えませんよ」
「そうですか? 今までは乗る必要が全然なかったもので……自分でもすんなり乗ることができてびっくりしているぐらいですが」
嘘ではない。まさかゲーム体験がこんなところで活きるとは思いもしなかった。
ちなみに瀬名を乗せてくれているのは、先日拾った例の魔馬である。
名前はヤナと名付けた。宇宙海賊のお姉様が漆黒のスタイリッシュな戦闘機に〝夜那〟と命名していた、理由はそれだけである。後悔はしていない。
瀬名は単純明快な冒険ものファンタジーRPGをこよなく愛していたが、次点で人型機動兵器にミサイル等各種兵器を搭載し、残弾や補給に気を配りながらミッションをこなすSF系シミュレーションRPGも大好きだった。
ストーリーが進むごとに追加される新しいパーツのフォルムと性能に萌えたぎり、近未来の紛争地帯で繰り広げられるクールで無慈悲な戦闘にテンションを上げ、広大な宇宙空間を舞台にした惑星政府とレジスタンスそれぞれの思惑と衝突に手に汗握り――
話を戻そう。
本日、魔馬の背中に揺られている理由は、騎士達の前にちょこんと座った、耳の長い可愛らしいちびっこ達にある。
さすがに乗馬未経験の身で幼児三人と相乗りはしたくなかったので、騎士達の馬に乗せてもらっていた。最初のうち彼らは互いに緊張していたが、すぐに慣れたようだ。
騎士達も今では、精霊族に対する畏怖より、幼子に対する保護本能が勝利を収めたらしい。よいことである。
≪精霊族に精神感応力があるってのは――≫
≪有名です。それもあって、余計に恐れずにいられないのでしょう≫
納得である。
人という種は、もとからテレパシーで会話をしてきた種族ではなく、隠すことで円滑なコミュニケーションをとってきた。本音と建て前、嘘と方便。時と場合に応じて使い分け、なるべく角が立たないように。
それはこの世界の人族も変わらない。だからこそ、隠せない、筒抜けになる、その事実に恐怖せずにいられないのだ。
デマルシェリエの連中ならば、多少時間をかければ慣れるに違いないと思っている。だが今回はあいにく、じっくり腰を落ち着けるほどの余裕はなかった。
瀬名は領主親子の客人として遇されていた。上等の部屋、美味しい食事、清潔なベッド、極めつけに風呂――木桶に湯を張るのではなく、小さいが温泉のような内装の、きちんとした浴室がついていた。
これらは何もかも本当に申し分なかった。過分なほどだった。
ただ、瀬名は男のフリをしているのである。
入浴中、着替えを置きに来た召使いが脱いだ服を持っていこうとし、
《主の衣類はこちらで洗浄しますので、お気遣いなく》
と、小鳥がやんわり追い返す一幕があったらしく、後で報告を受けて瀬名は顔を引きつらせた。
服はともかく、下着が女物なのである。それもシンプルなスポーツタイプではなく、この世界では王侯貴族すら持たないほど、ゴージャスな総レースの下着。
社会に出た女のたしなみというか、数少ない女らしい趣味が、下着へのこだわりだったのだ。
見えないところで密かなおしゃれ。自己満足の極致。二の腕や下腹がタプタプ言わないものだから、調子に乗ってよりいっそうゴージャスなデザインへの欲求が高まった。
少々筋肉過多だけれど、うっすら腹筋が割れていなくもないけれど、この理想体型でこそ身につけたい、華やかさと繊細さを極めたレースのブラジャーやパンティ。
どうせ人前で脱ぎやしないんだからいいじゃないか――その主張に、ARK氏も問題ないと同意したからこその下着。
バレたら、間違いなく面倒なことになる。
この世界の常識に照らせば、女性のぶらり一人旅は異常なのだ。
女性騎士や討伐者さえ、旅路には仲間が同行する。他種族でも、女性を集落から遠く離れた場所で単独行動させることはまずない。
魔物やら盗賊やら物騒な世界において、〝セナ=トーヤ〟は男だからこそ、壁の外を一人でうろちょろしていても、そこまで不審がられない。良くも悪くも放置しておいてもらえる。
もし女と知れたら、本格的に素性を詮索されまくる流れになるのだ。
(やばい……早々にお暇しないとボロが出る)
そして現在に至るのだった。
「本当に、これほど早くお帰りになってよろしいのですか? 明日には伯もこちらに到着されるのですが……」
隣を行く騎士が遠慮がちに尋ねた。これはセーヴェルからも訊かれていたことなので、今回の答えも変わらない。
「あまり長く師を放置していると怒られてしまいますので。それに、この子達の面倒を見るには、森の中のほうがいいのです」
後半は嘘ではない。森の民と呼ばれる精霊族にとって、人族の多い町より、森のほうが馴染みやすいのは事実だ。
少なくともARK氏の情報ではそうだ。
「仕方ないだろう。我々の中に聖霊言語を解する者はいないのだから。ここは専門家にお任せすべきだ」
ローランが部下をたしなめた。
別に、専門家というわけでもないのだが。
「それはわかっているのですが……。無用の心配かもしれませんけど、〈黎明の森〉の中でこのお子様達は大丈夫なのでしょうか?」
森は森でも、普通の森ではない点が心配らしい。
「大丈夫ですよ。あらゆる森において、この種族が迷子になることなどありません。大人だろうが子供だろうが、それは変わらないんです。それにあの森、危険な獣も魔物もいないんですよ。迷いさえしなければ、むしろかなり安全なのです」
「そ、そうなのですか」
「やっぱり魔物がいないんですか!? 長年、そうじゃないかなあとは言われてましたけど、本当にそうだったのか」
「何ぶん、調査しようがなかったからな。しかしこれではっきりしたな」
尊敬のまなざしを向けてくる騎士達に、瀬名の良心はちょっぴりうずいた。
(すいません。全部、ARK教授からの受け売りなんです……)
瀬名くんの認識:エルファド→古代語
セルジュくん達の認識:エルファド→古代語 の中の 聖霊言語




