288話 同じようで異なる自分達の結末
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姿は人に見えても、数多の魔物に傅かれている男が尋常の存在であるはずがない。
その男の傍には、やはり人の外見をした者が侍っていたが、それぞれどこか異様な気配を纏っていた。
ひとりは貴族の姫君のような衣装の女性。細身で優雅で、こんな場所でなければ清らかな聖女と見紛いそうな雰囲気がある。
それから、至光神教のローブを身につけた男。三十代ぐらいか、年齢は曖昧だ。高慢で神経質な印象があり、顔立ちにどこか既視感を覚える。ひょっとして根城を襲撃したあの戦闘の最中、この男がどこかに居たのだろうか。
それから――。
「…………リュシー」
特徴のある褐色の肌、淡い色合いの髪。氷の瞳で辺りを見下ろし、凍えた表情には何の温かみも感じられない。
どうして彼女がここにいるのか、なんて問うまでもない。
「エルダは……」
その先は口にできなかった。
アスファは中央に立つ男の正体を察した。悠然と立つ姿は威厳があり、整った顔立ちは甘めで、大多数の荒くれ男どもが「ケッ!」と唾を吐き捨てそうな種類の美男子だ。上背と身体の厚みからそれなりに強靭な肉体が想像できるものの、真面目に鍛錬を積む光景がまったく想像できない。
武より文、表情はどこか優しげで、こんな場所に立ってさえいなければ、ほとんどの者が「この男は無関係だろう」と判断しそうな、荒々しさの欠片も窺えない外見だった。
『てめえっ!!』
自分の声が背後から聞こえ、アスファはびくりと肩を震わせた。
振り向けば予想に違わず、顔から全身から怒りを立ちのぼらせた男が神剣を構え、仲間らしき数名とともにそこに立っていた。
二十歳にはなっている頃だろうか? 現在のアスファよりずっと背が高い。顔立ちも輪郭の甘さが消え、青年らしいシャープな印象が強まっている。
大人の男になった自分――それを前にしたアスファの中に芽生えたのは、感動ではなく、失望に似た違和感だった。
(なんか、コレジャナイ感つうか……いまひとつ?)
姿勢や剣の構え方、重心などをざっと見て取れば、ぎりぎり銀ランクあたりにいそうな、「ずば抜けて強い」ではなく「そこそこ強そう?」な剣士だった。比較対象が聖銀ランクやデマルシェリエの騎士達なので、目だけはそれなりに肥えてしまったアスファの評価はやや辛口めだが、精度はかなりよくなっている。
一番どうにもこうにも微妙なのが、現在のアスファでも勝てそうなところだ。実際に戦ってみれば隠された実力を発揮するかもしれないので、断言はできないけれど、それにしても。
(【エル・ファートゥス】のやつも、やたらキラキラしくねえ? ひょっとして、最初に地下遺跡で見つけたあの時のまんまか?)
青い小鳥が〝魔改造〟を施し、無駄な装飾を省いてすっきりした【エル・ファートゥス】は、鞘も柄もかなりシンプルになっているけれど、アスファはそちらのほうが好きだった。使いやすいし、手に馴染むし、飾りや紋様はむしろ少なめにしたほうが格好よくなるんだなと感心したものである。
けれど目の前にいるアスファ青年の持つ【エル・ファートゥス】は、おそらく発見当時の装飾をそのまま残して、汚れを落として磨いただけのように見えた。いや、本来ならそれが当たり前なのだろう、神剣を改造できる奴のほうがおかしいのだ。
『魔王!! てめえよくも、俺の村を――母さんを……っ!!』
――ああ、充血した眼と、うっすら濡れた頬はそのせいだったのか。
衝撃的な台詞のはずなのに、反比例してアスファの頭はどんどん冷めていった。
『なんで、こんなっ……』
「え? そりゃ、魔王だからだろ?」
つい自分へ突っ込みを入れてしまった。
神剣に選ばれ、勇者と持ち上げられて数年、アスファ青年は光王国のみならず、数多の国々の王侯貴族からも一目置かれる存在になっていた。
魔王の脅威が現実のものとなり、仲間達とともに魔王の手勢と、既に何度か戦ってきている。
敵視されるのは当たり前だし、故郷が標的にされても何ら不思議ではないのだ。
「――おい、ちょっと待て。まさかおまえ……まるで頭になかった、とかじゃねえよな?」
アスファは村の惨状をもう一度見直してみた。そして自分の呟きが的を射ているのに気付き、呆然となる。
村人の亡骸や燃え崩れた建物などを意識から追いやり、そうなる前は村がどんな姿であったかを冷静に見つめてみると……村を飛び出した子供時代から、どこかが変化していた痕跡がない。
「ええ~? 実家があるんだから、偉い人に頼んで村の防備を固めるとか、戦士を派遣して常駐させてもらうとか、無理ならもっと安全な場所にみんなを移住させてもらうとか、そのぐらいやるもんだろ? それすら聞いてもらえねえんだったら、勇者なんぞやるなよ?」
無策なんて有り得ない。夢まぼろしだから、あっちこっちに穴があるのかな。はじめの衝撃はすっかり薄れ、アスファはくきりと首を傾げた。
こんな穴だらけのつまらない夢に、リュシーをあちら側として登場させられているのもなんだか腹が立ってくる。
『うっ!? な、なんだあれは……!?』
「うわっ!?」
魔王と呼ばれた男の背後から、のそりと姿を現わしたのは――天に届かんばかりの、巨大な【蛇】。
九つの眼はぎょろりと小さな生き物達を見下ろす。その迫力に、夢まぼろしとわかっていても、アスファは竦まずにいられなかった。
これは無理だ、絶対無理なやつだ――。
魔王がゆるりと片手を挙げ、【九眼の蛇】が大口をぱかりと開けた。
(やべっ!?)
幻影とわかっていても、真正面から攻撃は受けたくない。アスファは全力で真横に駆け、竜の吐息のごとき凄まじい〝力〟を浴びる体験からは逃れられた。
「あ、危なかった……って、あいつらは……」
アスファ青年は神剣を地面に突き立て、それを盾にする格好で膝を突いていた。一緒にいた仲間の姿はない。土が部分的に黒く変色しているが、どうやら全員、消し炭にされてしまったらしい。
さすが勇者といったところか。ひとり生き残った青年に、魔王の唇が笑みを作った。
『面白い。これはしばらく生かしておいてやろう』
『よろしいのですか?』
『なかなかに愉しめそうだ。足掻いて踊り、這いずる様を見たい』
『てっ、……てめ、え……っっ』
「あー、そういうの良くねえんだぜ? 師匠だったら生かして放置とか絶対しねーぞ」
強い相手と戦う趣味のない瀬名は根本的に小心者なので、後々力をつけて再戦を挑んできそうな輩は、弱いうちに徹底的に潰しておく主義だった。それをいいほうに誤解しているアスファ少年は、「詰めが甘いな~」と呑気に呟くのだった。もうすっかり他人事である。
それにしても、この勇者は無い。数年後の自分自身という点を差し引いても、無い。彼我の力の差をまったく読めず、わずかな手勢だけを連れ、考えなしに魔王の前に姿を見せて怒鳴りつけるとは。無謀の巻き添えにされた仲間が可哀想である。
『ほほほ……さもご自分が被害者のような顔をしてらっしゃるわね。でも、よぉく考えなさいな? この村の方々も、先ほど消滅したお仲間達も、あなたのせいでこんなことになってしまったのよ?』
『……!?』
「だよな~。って、そこでガクゼンとすんなって」
だんだんアスファはうんざりしてきた。この幻、いつまで続くんだろう?
以前もこんな夢を見たが、起きたら徐々に記憶が薄れ、細部は不明瞭になっている。かろうじて憶えている展開の通りに進むとすれば、最終的にこの青年は魔王ではなく、守った国のお姫様に毒殺されるのだ。なんとまあ、つまらない人生か。
もうひとりの自分への興味は完全に失せ、アスファの興味は魔王の側近らしきローブ姿の男に移った。
「んー……やっぱ、どっかで見たような気がすんだよなあ。ナナシさんじゃねえし……」
「元教主だろう」
「おわっ!?」
心臓が口から飛び出そうになった。
「え、エセルさん!? いつからそこに?」
「少し前からだな」
「おまえさんが『魔王だからだろ』っつった辺りからだぜ」
「グレン!? そんなとこから全部聞いてたんか!? 居たんならもっと早く声かけてくれよぉ!!」
「かけてみたぜ? おまえがアレコレ突っ込むとこで大爆笑してたんだが、全然聞こえてなかったろ?」
「まじで? は、恥ず……っ!!」
「なんぞ妙な膜みたいなもんがあってのー、ぼんやり阻まれとったんよ」
確かに言われてみれば、先ほど見回した時に彼らの姿はどこにもなかった。
「ううう……まじか~……」
「あ~、すまんな、アスファ。逆に、何故こうして急に膜が消えたのかもよくわからんのだが……」
ウォルドが申し訳なさそうに頭をかく。それに答えたのはノクティスウェルだ。
「我々の運命とやらが、そろそろ交錯する頃合いなんでしょうね」
「ノクトさん……運命、って」
「そういうものがあるか否かはさておき。わたしとエセル兄様は、あなたとは別のものを見てきたんですよ。多分、ここにいる皆さんもそうなんでしょうね」
全員が渋面を作った。皆が目にした幻も、まったく愉快なものではなかったのだ。
話している間に、魔王の一行は打ちひしがれた青年を残して去っていった。
「――エセルさん。あのローブの奴、あれが元教主って何で?」
「骨格で判断した。あの老体を若返らせれば、あのような顔になるだろうとな」
「若返り……」
「かねてからの予定通り、魔王の傘下に入り、力を得て若返った。そういう展開だろうな」
「ちなみにあの女、中身がどうもジャミレ=マーリヤですね。懐かしい。光王国の貴族令嬢の肉体、まんまと乗っ取ったようです」
ノクティスウェルが麗しくも凶暴な微笑みを浮かべ、アスファはつい数歩後退った。
ジャミレ=マーリヤとは、確か前に、この三兄弟へ呪いをかけたという呪術士の名ではなかったか。
さぁ、と場面が切り替わった。
場所は――デマルシェリエの、ドーミアの城だ。
こちら側には、光王国王家の騎士を連れたアスファ青年。そしてあちら側には辺境伯と辺境騎士が数名。グレン、ウォルド、バルテスローグ、エセルディウスとノクティスウェルの姿もあった。
ここに至り、ようやくデマルシェリエ騎士団が出てきた。しかし、見えぬ刃があちこちに潜んでいそうな、この険悪な空気は何だ。
『どうか、あなた方も、俺達とともに戦って欲しい』
「寝言を言ってやがる」
『寝言を言ってやがる』
グレン同士の声が重なった。幻のグレンは不機嫌そうに爪をサリサリと舐め、現実のグレンはばつが悪そうに顔をしかめた。
双方グレンの言い分に、現実のアスファ少年は「だよなぁ」と納得するしかない。だって――
『まるで我々が、今までただの一度も戦わなかったかのような言い草だな』
辺境伯の唇から出たのは、皮肉、敵意、失望をたっぷりこめた台詞。
当然である。デマルシェリエ騎士団は、とうの前からずっとあの魔王と戦ってきたのだから。
同じ戦場に立ったことのある騎士もいた。未熟な勇者が彼らに気付けなかっただけだ。
「ちなみに、この世界の俺がなんでこいつを嫌ってるかっていうとだな。この舐め腐った勇者が短気で色々やらかすせいで、俺の息子が尻ぬぐいに奔走してたら目立っちまって、魔王の手のモンに殺られちまったんだわ」
「ええええッ!?」
「ワシの身内も何人かな~。ライナスがどうなったかも知っとるぞい。やっこさん、魔王の幹部を命と引き換えに一匹始末したんだけどもな、手柄ぁこの勇者のモンちぅことにされちまったんだわ。バカ王が旗印の勇者に手柄譲れっちぅてきたんだけどもな。そんで、そん時に反発したセーヴェルとローラン、処刑されちまってな~」
「うわあああああゴメンナサイごめんなさいゴメンナサイいいい~っ!!」
「二人とも……このアスファのせいではないのだから、そのあたりでだな……」
ウォルドの擁護は尻すぼみになった。タイミング悪く、幻のウォルドも勇者アスファの擁護をし始めたからだ。
会談は荒れに荒れた。最終的に、敵は共通という一般論に落ち着いた。精霊族の兄弟は人族への無関心を終始貫き、くだらない話し合いを冷めた眼差しで見つめていたが、元凶を始末するまでの共闘に関してだけは確約した。
「……シェルローさん、なんでいないのかな?」
「兄上は、もう生きていない」
「え」
エセルディウスとノクティスウェルは、もし瀬名に出会えなかった場合、三人とも命がないと思っていた。だが違ったのだ。
弟二人は生き残った。長兄のシェルローヴェンが、己の命を代償にして二人の魂を崩壊から守り抜いた。
ただし、完全にとはいかなかった。この幻世界の弟二人は、残り寿命がもう十年ほどしかない。それだけでなく、精霊族の郷が次々と魔王の手の者に発見されてしまい、厄災級の魔物を送り込まれるようになったので、もう後がなく、手段を選んではいられなくなった。
瀬名も、シェルローヴェンもいない。瀬名がいなければ灰狼とも接点がない。彼らはどこでどうしているのだろう? カシムとカリムは。ナナシはどうなったのか。ゼルシカは?
場面はその後も切り替わり、徐々に明らかになってゆくものもあれば、謎のままで終わるものもあった。
見知った顔が命を落とす場面を見せつけられることもあれば、いつの間にかどこかで命を落としている者も多かった。
やがて、今ここにいるメンバーが〝勇者一行〟と呼ばれるようになっていた。間違いなく自分が一番下っ端だと確信しているアスファ少年は、図々しい幻の自分に対してあらん限りの罵倒をぶつけた。
勇者の詰めの甘さで辺境伯が命を落とし、デマルシェリエ騎士団が壊滅する展開など、本気で自分の頭を地に打ちつけてカチ割りたくなった――寸前でウォルドとエセルディウスに止められたが。
「止めないでくれえ!! なんの苦行だよぉ!? うわあああん……!!」
「その、なんだ……」
「後で菓子を焼いてやるから、な?」
「わたしの分もわけてあげますから、ね?」
慰めが心に痛い。基本排他主義の精霊族がとても優しいので、余計に痛い。
アスファ青年はその後も強くなっていった。だが、その強さの大半は神剣に依存するところが大きかった。半神としての力が本当に目覚め始めたのは随分と後半になってからで、とうにその片鱗が表れている少年からすれば、遅過ぎるの一言に尽きた。それにやはり、力に振り回されている感が強い。
戦闘の中、もうひとりのグレンが。もうひとりのウォルドが。もうひとりのバルテスローグが、次々と。
片割れを取り込んだ魔王は完全体になっており、止める手段はもうないのではないかと絶望感が漂い始めた。
最終的にどうやって倒したかというと、精霊族の郷全体が、エセルディウスとノクティスウェルを通じ、彼らの力をアスファに集中させたのである。魔王へ致命傷を与え得るのが、半神の力を帯びた武器だけだったからだ。
強力無比な砲台、魔力のかたまりとなって、勇者アスファはとうとう魔王を滅ぼすことに成功した。――それまでに払ってきた犠牲のなんと大きいことか。
しかも、魔に堕ちたリュシエラにとどめを刺したのも勇者アスファだったのだから、少年はもう泣くか地面と同化するしかない。
世界からは最大の脅威が取り除かれた。
約束は終了したとばかりに、精霊族は綺麗に姿を消した。
あのエセ神官二人はのうのうと無事なまま、神殿の最高位についた。そして勇者の後見として絶大な名声と権力を得た。
ところが神聖魔術が使えなくなっていると判明。その事実を隠蔽するために、勇者の抹殺を目論んだらしい。
各国の王族をそそのかし、勇者を殺すための毒がお姫様の手に入るよう裏で誘導したのは、あの二人だったのだ。
(そんなんあり?)
もはやアスファ少年の心は灰と化し、そよ風のひと吹きでサラサラ吹き飛ばされそうだ。
「ふふ……ふふふ……俺の人生っていったい……」
「待て待て待て、これは幻だ幻。現実じゃあねえからな?」
「その通りだ。精神攻撃、のようなもの、だろうか……ううむ……その、だな、本当に気にしなくていいぞ、アスファ?」
「なんちぅか、坊がどん底まで落ち込んどるおかげで、ワシ自分がおっ死ぬとこ見ても何ちぅことなかったの~」
アスファ以外の全員が力強くバルテスローグに同意した直後、また場面が変わった。
まだ続きがあるのか――皆が顔を上げると、そこには美しい秋の森の光景が広がっていた。
樹齢が何千年、何万年もあろうか。巨大な樹の天井から茶や黄色の葉が舞い降り、物悲しくも美しい森だった。
「…………」
「…………」
「どこだ、ここ?」
「〈黎明の森〉……じゃあねえ、な?」
「……ウェルランディアだ」
「えっ」
ざわめく葉擦れの音の中に、積もる葉をさく、さく、と踏む音が二人分。
エセルディウスとノクティスウェルだ。
美しい秋の森――ではない。彼ら二人が進む先には偉大な精霊族の都があり、息を呑むほどの気品と壮大さに満ち溢れた光景であるはずだったが、あちこちに彼らの同胞が横たわり、あるいは座り込み、誰もが眠り込んでいる。
眠りながらその姿は徐々に半透明になり、やがて大地へとけるように消えていった。
「……そうか。叡智の森が…………枯れるのか……」
反響する声は、本物のエセルディウスの口から漏れた声。
つまりこれは――叡智の森ウェルランディアもまた――。
『…………』
『…………』
無言で歩む二人の胸に、何が去来しているのだろう。誰もが息をするのも憚り、その行く手を見守るしかなかった。
やがて二人は大樹の根元の不思議な空間を通り、また軽く場面が変わって、どこかの壁画の前に立った。
壁画の森も、やはり枯れ落ちる真っ最中だった。緑はなく、変色して乾いた葉が舞い、草花はしおれて藁のように横たわっている。
(こ……れって……?)
(……おいおい……)
(…………この絵、は……?)
(ほぁ……こいつぁ、なんぞ……?)
『もしも、黄泉路というものが、あるのなら、そこで、兄上に詫びを、入れられる、だろうか?』
『不要と、怒られます、よ』
『そう、だな……』
『――また、そぞろ歩き、できればいい、ですね……兄上と、母上と、父上達、と……』
『…………』
『…………』
『――……なあ』
『……はい』
『…………この、…………』
『……ええ、……結局……、……わからなか、った、です、ね……』
『…………』
『この、ひと、は……』
誰、だったんだろう……。
◇
長い長い夢のような幻が終わった。
彼らはいつの間にか、元の洞窟に戻っていた。
――否。元の場所とは言い難い。
闇を彩る鮮やかな星雲に囲まれた、暗く、明るい空間。けれどそこは最初に飛ばされた〝洞窟〟と呼べる空間とも違っていた。
星のごとき輝きは足元にも広がり、けれど何故か己の影が出来て、ちゃんと足をつけて立つことができる。
「…………」
無言で顔を合わせ、皆が声を出しあぐねていた。
最後のあれは、何だったのか。
エセルディウスとノクティスウェルに物問いたげな視線が集中するも、兄弟達はどこか気まずそうにするばかりだ。
『うぅ……』
突如、声が響いた。全員がバッとその先を辿り、暗く明るい奇妙な空間の向こうで、何かがどろり、と起き上がるのを目にした。
それは泥が地面から湧くように、ドロドロとけながら形を作っている。
やがてそれは人の形の塊になった。
老人のように腰を深く折り曲げ、自分の身体から流れ落ちる泥が足もとに沼を作り、その沼に沈みそうになりながら、重い身体を支えているような姿。
生気の感じられない黒い瞳。意味をなさない声とも呻きともつかないものを、半開きの唇から漏れ落としている。
(こいつ……)
その横顔は、ついさっきまで何度も見ていた顔だ。
けれど、決定的に先ほどの幻とは違う。
これは本物だ。
本物の、現実のほうだ。
――魔王になり損ねた魔王。
かつて瀬名によって始末された、成れの果て。




