279話 神殿の奥
いつも来てくださる方、ふらりと立ち寄られた方もありがとうございます。
広大な地下神殿は、事前に調べられたごく一部でも結構な範囲があるように見えた。
だがARK氏が信徒の動線をもとにそれ以外の部分を省いて、単純化した図面を作成し直せば、全員の頭に余裕で入るぐらいすっきりまとまってしまった。
広いは広いのだが、はっきり言ってイシドールの城のほうが遥かに複雑怪奇だ。建物がいくら大きくとも、実際に使っている部分はさほど多くないのである。
それでも万一にも分断されないよう、なるべく誰かが視界に入る場所で戦った。
襲いかかってきた信徒は、誰かが指揮をとっている様子はない。各々が場当たり的に、数と力任せで侵入者を潰そうとしてきた。
そもそも侵入されることをまるで警戒していなかったがために、こういう状況でどう動けばいいか、一切取り決めがなされておらず、指揮系統もはっきりさせていなかったのだろう。こちらのほうが多勢なのだから、わざわざ上位者に指示をあおぐ必要はないと、血気盛んな者が先走ったのもあるかもしれない。
自分達の戦力が今どれほど残っているか、的確に判断して指示を出せる者が教団には欠如していた。――皆ラゴルスが始末してしまったのだから。
おかげで信徒の大部分を短時間で制圧することができた。
(自分の頭で深く考えられない、単純で操りやすい駒ってのは、こういう時に致命的なんだぞラゴルス君よ……)
瀬名は小鳥の展開する図面を眺めた。敵性反応の光点が、もうわずかしか残っていない。
そのわずかな連中は、味方の数がとことんまで減ってから、ようやく「まずい」と気付けたごく一部だ。逆に言えば、味方の陣営がそこまで寂しくならねば気付けなかったお馬鹿さんの集まりとも言える。
干からびた後に氷漬けにされた仲間の屍を放置し、彼らは慌てて奥へ逃げてゆく。それを目にして、瀬名の仲間は自然に集合した。
「【癒光】」
ウォルドが神聖魔術の文言を唱え、淡い光が辺りに満ちた。幸い誰も大きな怪我を負った様子はないが、加護持ちのボーナスで体力も若干回復してくれるようだ。
皆の顔に疲労感はない。瀬名はアスファ少年の瞳が死んだ魚の目になっていないか心配していたが、完全な杞憂だった。
(……うーん。やっぱり、やりやすいなぁ……)
以前、たったひとりで魔物退治をしていた日、「ひとりは気楽だけどいろいろ面倒だな」と感じたのを思い出す。
大型の魔物を倒すまではいいのだが、解体や素材の剥ぎ取り、後始末、すべて自分だけでやらねばならず、しかも荷物が大き過ぎて、せっかく大物を倒しても全部を持ち帰ることができない。
非効率で、勿体ない。誰かがいてくれたらとても楽になるのにな、と思いつつ、無いものねだりとあきらめていた。
やはり実際に、早いし楽だとよくわかる。それぞれが分担できるだけで、当然ながら効率は格段によくなっていた。
(それにあの方法、今回は使えないしね……)
体内魔素を残らず奪い去る方法。もし仲間が同行せず、瀬名の単独でここに来ていた場合、その手段を使うだけなら使えたろうけれど、どういう影響があるのかまったく読めない。
あの〝種〟が信徒の体内に入っている状態でそれをやると、何が起こるかが不明なのだ。
小鳥の図面の中、信徒を示す光点がどんどん一ヶ所に集まってゆく。たまにちらほら、ひとりでどこかの部屋に籠もる者もいた。
怖気づいたならまだしも、背後を突くつもりで隠れている可能性もある。順番にすべて潰していったほうがいいだろう。
彼らが重要な部屋に集まりやすいよう少しだけ時間を置き、再び一行は進み始めた。
その途中、ひとりで隠れている者の部屋も丁寧に掃除していった。案の定、中には武器や罠を用意して聞き耳を立てている者もおり、扉ごと容赦なく吹き飛ばした。魔術を使うまでもなく、今度はこちらが力と数頼みで押せる。
最後に辿り着いたのは、ひときわ大きな扉――ナナシの話で聞いていた、あの広間の扉と特徴が一致していた。
どうしようもない脅威に襲われた時、大概の人々が逃げ込む先は、安全で守りの堅い部屋か、どうしても守らねばならない何かがある部屋か、たまたま目についたドアへ飛び込むかだ。
これまでしらみつぶしにしてきた部屋は一応ARK氏が精査し、とりたてて何もない私室だと判明している。
タマゴ鳥はこのあたりで挙動がおかしくなってしまうらしいが、青い小鳥には異常がなかった。瀬名自身との間に強固な精神通信回路が確立されており、〈スフィア〉と離れることにより発生するノイズの除去にも成功しているそうだ。
(……罠のにおいは無さそうだな?)
(……入るぞ?)
(……了解)
目線で会話を交わし、念を入れて三兄弟の防御結界を全員に重ね掛けされた後、両開きの扉に身体を隠しながらゆっくりとひらいた。
――閂がかかっているわけでもなく、重いがさほどの抵抗もなく扉が開いてゆく。
「…………」
「…………ひっ」
「たっ、助けてくれ……命だけはっ……」
「…………」
ローブを纏った男達が、寄り集まって小山になっている。
まるで戦意がない。演技ではなく、本気で怯えて縮こまっていた。
「――瀬名。この連中は……?」
「うん。なんてゆーか……」
理由はすぐに想像がついた。
背が低めで骨格も細く、顔には皺が多く刻まれている……。
(何らかの事情で始末されなかった元幹部。あるいは上位者、かな)
◇
拘束の魔術で、魔力の鎖が男達をぐるぐる巻きにする。
暴れず、騒がず、実におとなしく従順なものだった。
「セナよ。こいつらもしかして、例のアレ呑んでねえんじゃねえか?」
「いや、きっちり全員呑んでるよ?」
「へ? じゃあなんでこいつら、こんな模範的な捕虜みてえなんだ?」
グレンだけでなく、全員が困惑していた。さもあらん。
瀬名も実はびっくりしていた。相変わらず表情筋がのんびりしているせいで、びっくりしていそうに見えないだけで。
「身体の維持を優先してるから、かな? 力を振るえるほどの体力なんてなさそうだし、若者の身体と違って無理がきかないってわかるのかも」
《同意いたします。ゼロに何をかけてもゼロという理屈で、増幅できるほど生命力がないのでしょう》
喋る小鳥に、ローブ姿の老人達のぎょっとした視線が集中する。
ごく普通の当たり前な反応だ。これほど覇気がなければ、ラゴルスがわざわざ始末する気にならなかったのも頷ける。
――否、もしや彼らが覇気をなくすような何かをしたのかもしれない。
「……あー、もしかして。あんた達はラゴルスに命乞いをして、無理やり〝種〟を呑まされた元幹部とか?」
「…………!!」
びくりと身体が跳ねた。どうやら正解か。
「ひょっとして、元教主はいる?」
《おりますね。奥のご老体がそうです》
瀬名は「奥のご老体ってどれかな?」と思ったのだが、該当人物が自らびくりと身体を跳ねさせてくれた上に、お仲間達の視線を集中させてわかりやすく教えてくれた。
「情報源を残しておいてくれた上に、抵抗する気概もへし折ってくれているとは。あの男には存外、親切なところもあったのだな」
「ですね、兄上。捕虜が皆こういう連中だったら、尋問の担当官が手を叩いて感謝しそうです」
「こらこら、キミ達。皆さんを怖がらせるようなこと言っちゃいけません……ん? ウォルド、どうした?」
青白い光の加減ではなく、ウォルドの顔色が妙に悪い。
油汗も浮かんでいるように見える。
「ウォルド?」
「あ……ああ、すまん……」
手の平で額をぬぐっている。やはり汗をかいているらしい。
「アスファ、どした? おまいさん顔色が酷いぞい?」
「げ、本当だな。おめーまでどうした?」
バルテスローグとグレンの声に、瀬名はつられてそちらを見やる。
アスファ少年もウォルドと似たような状態になっていた。
「ちょ、ホントどうしたアスファ? なんか気分悪い?」
「…………気持ち悪ィ」
「えっ!?」
まさかの、こんな場所で体調不良?
瀬名はかなり本気で慌てたが、少年が手の平で額をぬぐい、視線をずっと足もとに落としているのに気付いた。
――ウォルドの姿が、アスファと重なる。
「アスファ……?」
「師匠……ここ、滅茶苦茶、気持ち悪ぃ……この下…………」
このずっと下に、何かいる。




